やっぱり予定、というか、締め切りを設けないとうまく物事を運べないね。締め切りが決められたことはやらなければいけないことだから、それはおいておくとして、締め切りがないことは自分のためにやることだから、計画的にこなさなくても問題がないかもしれない。少なくとも、その結果として発生する問題に対して、事後において納得できるようでなければ、ただの世界に対するわがまま、人生を舐める態度であるわけだ。
締め切りがないことによるタスクの遅延というのは、ふつうよりも n 倍遅れるというような被害をもたらすほど、自覚にたやすくはない。やらないときはずっとやらないまま、基準となる数値がないから「そういえばまだやっていないな」という感想を保ちながら、やがてはその問題すら失ってしまう。もしかしたら気が向いてやるかもしれない。そのときはめでたしだ。
いつ訪れるかわからない点に向けて、それはもう点ではなく霧にしかみえないものを、ぼんやりと眺めながら生きる様は、死ぬために生きることと変わらない。死もまた、点として存在することが限りなく確かに仮定されているものにも関わらず、それがどこにあるかわからないから、目には入るのに手には取れないものだ。
逃れられない霧のなかでさまよいつづけることに変わりがないのなら、せめて明かりを灯したい。死ぬために生きることが悪いと断言できるわけではない。いつのまにか死んでいた。そのことには気づかない。でもそんなのって、気持ち悪すぎる。