みん意、あと科学と集合知

話し合いクソくらえ!ですね、わかります。

「みんなの意見」は案外正しい

「みんなの意見」は案外正しい

集合知を得る方法

  1. 情報を共有する:選択肢をみつける
  2. 判断を集約する:選択肢を淘汰する

みんなで意見を言い合って合意や妥協をするのでなく、仕組みや制度を利用して全体の意見を明らかにする。

大事な性質

  • 多様性:意見の偏りや見落としを補う。
  • 分散性:ローカルな知識や専門性を取り入れる。多様性を促す。
  • 独立性:それぞれ個人の意見が同時に集約される。他人に影響されない。

科学と集合知

第8章「科学」がおもしろかった。

第2章でも専門家による判断は一貫性や正確性を保証しないと述べられていた。専門家同士の意見の違いはおろか、ある専門家が同じ問題に対して一貫した見解を出すことも定かではない。このへん、論理的に結論をみちびこうとする推論エンジンの意義とか可能性ってなんなんだろうなあ、とか思った。

問題から出発する研究は学際になる

科学の実証研究においても研究者が協力し合うことで幅広い選択肢を検討できる。

「みんなの意見」は案外正しい』p.176

科学分野の専門化が進み、各分野が急激に細分化されるにつれ、研究に必要な知識を一人の人間がすべて身につけることが難しくなった。

(中略)

協力のおかげで、科学者は本から知識を得るようなアプローチとは違う、ダイナミックなアプローチでさまざまな知識を結びつけられるようになった。分野をまたがる学際的な問題も研究しやすくなった。

学際というと、ひとりの研究者がいくつかの分野を専門にしたり、せいぜい数人の研究者が理論をつきあわせてつくりあげるモデルをイメージしていたけれど、むしろ現実に存在する問題が出発点なのかもしれない。問題から出発する以上、特定のカテゴリに当てはめることはできず、多様で独立なプロセスによって集団の知恵をみちびくことが効果的になる。だから、学際というのは分野や理論の積み木のようなものでなく、問題の数だけ現れてくるアプローチなのかも、と思った。

科学的な正しさもコミュニティによって保証される

科学が発展する条件として以下のことを挙げている。(p.186から要約)

  1. 科学者同士が競争しながらも信頼し合うこと、公表するデータに関して公平であること
  2. 新しい知識を共有しまた仮説の信頼性を選り分けるコミュニティの知恵を信頼すること

しかし実際には有名な科学者の論文ばかりが読まれる(マタイ効果)。情報をフィルタリングするために仕方ないことかもしれないが、どうにかもっと科学の理念を実現する工夫はできないものかなあ。

データに関して公平であることも難しい。たとえば外れ値はデータの信頼性を増すためのものだが、外れ値を外れ値と解釈すること自体が信頼性に影響を与える。完璧に公平なデータは保証できないからこそ、科学者コミュニティにおいて補足や反証を求めることが必要だし、それ以外に科学的な正しさを証明する手段はない。