DEIM2009:研究の潮流が研究者の歩みをつくる

3月8日〜10日に開催されたDEIM 2009 - 第1回データ工学と情報マネジメントに関するフォーラムに参加しました。疲れたので初日のみ……。NLP2009よりもわくわくする発表が少なかった。興味を思い直すきっかけになりました。

学問の説明責任

発表について、これだけは取り上げたい。
青学の増永先生が発表なさった、社会情報学の知識体系を構築する研究*1に感動した! 社会情報学とは何かという問いに答えることを「説明責任」とよぶことに胸を突かれた。従来の枠組みでは解決できない問題に対して学際的なアプローチを試みるのは立派なことだ。しかしそのアプローチが何であるかも説明できないようでは、組織の看板としてあまりにお粗末ではないか、という戒めを感じた。「青山の社会情報学」の定義に挑戦する増永先生の論調は輝かしかった。

BOFセッション「みんなで語る! DB研究 継往開来」を聴講して

いろんな先生のお話を伺え、ためになった。とくにDB分野における研究テーマの移り変わりを概観する、京大の田中先生のお話はとても興味深かった(名前を聞き逃したのですが、たぶん田中先生……)。
田中先生は「あなたの先生がたは何を学び何を考えてきたのか?」と問うことを提案した。先生のことを知る有効な問いであり、また研究の流れを知ることで先生と対等な議論ができるようになってほしい、というメッセージも感じた。
1970年代、やはりRDBの登場がDBという分野に理論を持ち込んだ革命として認識されている。RDBの提唱者であるコッドはそのときからDBの役割を明言していた。すなわち、ソフトウェアの寿命を延ばすためである。したがってDBの研究はソフトウェア工学であると田中先生はおっしゃった。
1980年代、ウェブに先立ってハイパーテキストの研究が進んでいたというから驚きだ。しかもリンク限界説というハイパーリンク批判まで出ていたらしい。「○○は終わった」論っていつの時代にもあるんだ……。
1990年ごろは、プログラミング方法論の時代だった。我々の先生がたはこの時期にプログラミングをバリバリ身につけたのだという。彼らを驚異と感じないためにも、武器といえるようなプログラミングの能力は身につけたい。
それ以降は、ウェブ、マルチメディア、モバイルなど。まだまだ技術の言葉が多いと田中先生は指摘する。これからは情報の品質や信頼性など、社会に関わる言葉が増えてくるのではないかと主張なさった。「コンピュータサイエンスは終わった」(笑) これからは社会情報学、Social Computingの時代である、と。
いろいろなお言葉をいただいたが、これからの研究はきみたちの手でつくっていってほしい、というメッセージを強く感じた。過去の研究は我々の先生がたに影響を与えたものである一方、その流れをつくったのもまた、我々の先生がたによる。優れた研究から刺激を受け、吸収し、ついには研究の歴史をみずから塗り替えるような成果を期待されているのだ、と感じた。
新しい学問を志すとき、ベテランの研究者に批判されてもたじろぐことはない。その批判を真摯に聞き入れなければならないのは、我々が過去の成果を無視したせいで進むべき方向を見誤っているときのみだ。できれば、そんな場合が多いことを望む。

なんか

  • 休憩時間にこっことかが配られた
  • 女性がわりと多かった。みんなお茶大ということにした。
  • ポスター発表で議論したいときは他者をはねのける勢いが必要だ。
  • もとをとろうとかばかなことを考えて食べ過ぎるといろいろ損する。

@ceekzによると若手の懇親会は合コンみたいだったらしい。DEIMもおもしろいなあ。
あと、社会情報学に興味をもつひとはきっとこの本を購入しますって増永先生がゆってた!

リレーショナルデータベース入門―データモデル・SQL・管理システム (Information&Computing)

リレーショナルデータベース入門―データモデル・SQL・管理システム (Information&Computing)

*1:増永良文,荘司慶行,伊藤一成(青学大)「集合知形成手法を用いた学際的学問分野の知識体系記述の試み−その問題提示と分析−」