入れたら出てくると楽しくてまた入れると楽しいのでは

ことさらに学ぶとか、ことさらにつくるとか、目的論的に、つくるために学ぶとか、学ぶためにつくるとか、そういう一体化とか、サイクルとか、そういうものをことさらにこころがけるのは有意義かもしれないけれど、目的論が手段に対する努力を呼び起こしてしまって、立派な営みに陥ってしまうこともあるだろう。おもちゃで遊ぶように、学んだらできてたとか、つくったら学んたとか、じゃあもっとやろう、やろうっていうのは前に進めようっていうよりは、穴が空いたから埋めるとか、ぼこっと膨れたから叩くとか、あっちをやったらこっちがこうなって、っていう、それの繰り返しとして。液晶保護シートの泡を動かすみたいな。