2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧
――がない人間はどこか○○が欠如している。 ――がない人間は――が欠如してるんだよ!!!!
実現したいことがあるからパソコン語を勉強するんじゃない! おれの天才的な発想をかたちにするには、パソコン語でしか堪えられないから、むしろパソコン語がおれの理想言語にしがみついてくるに過ぎないんだ! だから、おれがパソコン語の勉強をするんじゃ…
馴れ合いって専門用語を駆使した学術論文に近いものがある。言葉は概念を表すが、その概念がお互いに通じていなければ言葉の意味がしぼむ。馴れ合いの場合、概念っていうのは、あのときこういうことがあったね、とか、おれってこういうやつだけどさ、みたい…
日本の普遍的価値はわかった。 じゃあおれの普遍的価値って何だろう? そういうレイヤ・ダウンが妥当だとも思えないが。 おれというスモール・カントリ。個性の外交。ということは、普遍とは矛盾するか。 つーか『源氏物語』ってラノベやんw 高齢化と個人の…
記憶に残らないことを考えたということを誇れるのにはうなづける。
硝子の割れるような音をあなたに言葉で伝えることがどれだけ難しいことか。それが硝子の割れる音よりも優れているわけでもないのに。 言葉遊びは思考遊戯にほかならない。AはBに過ぎない。AこそがBなのだ。ひとが言葉に情緒を解すのか。言葉がひとに情緒…
つまらないなあ。さいきん自分(の書くこと)が非常につまらない。自分(の文章)を客観的にみることは諦めているから、その点についてはどうでもいいんだけど。単に活字の取得量が減っているからなのかもしれないが。もともと身をもって実感していることで…
そもそも部屋がひどく散らかっているというのもあるし、新しい本棚を買いたいので、そのときのためにすこし部屋を片付けた。まだまだ先は長い。それにしてもさいきんは天気が芳しくない。家の中が水くさくなるよりはましだろ、と思って外に洗濯物を干してみ…
ニュウリョクヲカタカナニコテイシテ、ヘンカンヲオサズニヒタスラメモヲスルト、ナンダカノウニヨロシンジャナイカト、オモイツツ、ドウシテモハンシャテキニヘンカンキーヲオシテシマウ。トイウカジョウコウニ、コンナキコウガノウニヨロシイワケナイダロ…
もっとおもしろいこと書けよ自分。
読めなかったらどうしよう、なんていう心配は厄介なものだけれど、わくわくしてしょうがない物語に対しては、読めなくてもいい! もちろん読めたい! でもそれ以上に読みたい! という衝動のおもむくまま、理解に対するモニタリングをオフにして、リスクを冒…
ATOKの調子が悪いって、体調をくずすのとまったく似たかんかくだよなwww
目的とかちについて1〜3段階ほどあとおいすればあまり見失うことはないと思うんだ(何を?)。 なんかATOKの調子がおかしいから変換が中途半端ですが。
こころがからだに支配されることに不満があるのなら、からだでこころを支配して、からだを支配するこころを試みれば、パフォーマンスが上昇するのではないか。それ自体、からだに支配されたこころによる着想なのだろうか。
特に書くこともないのだが、何か書いておくか。何様だろうか。 何様だろうか。自我の相対化を前提にした高度な突っ込みである。 自我の相対化を前提にした高度な突っ込みである。裸踊りだろうか。それはむしろボケか。 それはむしろボケか。筋の通った発言が…
物語をひとに伝えたいときどうすればよいのか。たとえば結末を示すことは、一見、無難な勧め方である。ハッピーエンドだから大丈夫だよ、とかね。しかしハッピーエンドであることになんの価値があるというのか。いや、違う。ハッピーエンドであることを確か…
たとえば「アっというまのできごと」が必ずしも「すぐに書き尽きること」ではないから。きわめて小さい主観時間に対して、莫大な物語時間が見出されることもある。
窮屈な椅子に座ってよくわからんオッサンの話を聞きながらあらかじめ答えが想定されているであろう問題にむずかしいなあーそういうことかーとみせかけの苦労を満喫しながらほどよく脳みそを回転させたほうがよっぽど健康的なのだと、いざ登校すると思ってし…
物語を演出するためには、ある明確な枠組みがなければいけない。 ある程度なら、閉じられていることを悟り、より上層に達することも刺激的ではある。 「黒幕がいるのではないか? 俺たちは躍らされているのでは?」 というのは物語としてありだが、「黒幕と…
でも、ひとの悩みは真摯に受けとめれらるひとでありたいと思う。 それは、僕がそういう僕に憧れているという意味でもある。
さっきブックオフに入ったらもってけ!セーラーふくが流れててこころのなかでにやにやしちゃったよ。とか気軽に書かない場になっていた。 メガてりやき食べたよ。とか(ry サンホラのCD買ったよ。とか(ry ま、いんですけどね☆
危機的状況におかれた互いに初対面の複数人が数十時間のうちに強く団結するのは、物語時間の共有量が膨大であるから、と言い回すことができるかもしれない。もちろん、そういう状況において複数人が団結する保証はないわけだけど。 その線でいくと、片想いと…
この言葉ほど発話者の精神状態を反映する言葉はない。 だいたい、「関わりを遠ざける」という判断か、または「おれがやる(変える)」という判断につながる標語なんだけど、前者に関しては、ただの言い訳として効果をもつこともあったりして、要するに正当化…
だいたいハタチ前後まで生きれば「悩んでも仕方ない」ことのふんべつくらいがついてくるわけだけど、その標語が正しく機能したとき、つまり身体や環境に対して自我を委託するときだけど、それはもう、真理とは何かという問いに対して、それは知ることのでき…
気軽に何度も聴き返せるのが音楽の特徴だろう。表現のパッケージングが適度、ともいえる。もちろん、だからといってそこに込められる主張や物語が浅いということはない。しかし不思議だ。たかが数分、特別に長くても一時間程度の「曲」に、どうしてそこまで…
比喩は連鎖することで映えるものだと思っていた。 しかし重層*1とよぶにふさわしいことを感じる。または重奏。 *1:平野啓一郎『本の読み方』に、まさにその意味の「重層」が提示されている。初読において、この言い回しには違和感を覚えた。
オカシナ思考っていっぱいあるよ。 楽しみな授業がひとつもない。楽しみな授業があるべきなのか。オッサンがしゃべっているのを聞いてどうするつもりだ。もちろん、そのオッサンが好きだというならその限りではないが。 うまく書けないことが恐くて書けない…