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2009-05-22

[]ギャルゲコミカライズ手法とバランス感覚の欠如 23:51 ギャルゲコミカライズ手法とバランス感覚の欠如を含むブックマーク ギャルゲコミカライズ手法とバランス感覚の欠如のブックマークコメント

ここ最近のハヤテ界隈では、いろいろな意見が出ていておもしろいですね。

意見表明というわけではありませんが、これまでずっと考えてきたことをまとめて放出してハヤテの考察としたいと思います。


ギャルゲコミカライズ

ハヤテのごとく!」という作品は、ギャルゲコミカライズをモチーフに作られた作品なんじゃないか、と常々思っています。

ここでいうギャルゲコミカライズとはギャルゲ原作のマンガ中で次のような特徴を持ったものです。

ここで想定しているギャルゲはいわゆるコマンド選択式のアドベンチャーゲームで、選択肢を選ぶことでフラグが立ちルート分岐していく、いわゆるマルチエンディング方式のものです。マルチエンディングゲームにおいては、多くは一人のヒロイン中心に見ていくことになり、他ヒロインのイベントを見ることができないことが多いですが、マンガマルチエンディングを再現するのは難しく、結果としてメインの女の子のルートを展開させつつも他のヒロインのイベントも見せていく―――という構造のものが多いと感じています。

そういった構造のギャルゲ原作マンガをここで「ギャルゲコミカライズ」と定義したいと思います。

そういった構造とハヤテのごとく!という作品は、非常に似通っています。そのものと言ってもいい。主軸が何かについては後に譲るとしても、メインヒロインとされるナギマリアの物語が当初から中心にあり、そこに多くの女の子に関わるイベントが起きて巻き込まれていく―――ギャルゲのようなマルチエンディングを描くのが難しい媒体であるマンガにおいて、ギャルゲに近い表現としてコミカライズ手法が取り入れられたのは、自然だと思います。

わかりやすく図化してみましょう。

現在確実にフラグが立っている(ないし立っていた)ナギヒナギク西沢さん伊澄の4人にマリアさんを加えた5人*1について、もしギャルゲであればどういった流れでルート分岐していったかを図にしたのが下図です。

f:id:kiyolive:20090521223321j:image

たとえ途中まで同じところを進んでいたとしても、最後にそのキャラクターとの物語が交わることがない。それがコマンド選択式のギャルゲの基本構造であり、それを当てはめることができることがわかりますが、これでは同じ話の中でいろいろなキャラクターのイベントが起こる理由は説明できません。しかし、

f:id:kiyolive:20090521223322j:image

このように、キャラクターのイベントを随所に挟んでいくことで、“おいしいイベント”を取り入れながら主軸となる物語を進めていく――――ギャルゲコミカライズと同じことが、「ハヤテのごとく!」でも行われているのは明らかです。

主題が何かという大きな問題

ただし、こういった話において「ハヤテのごとく!」には大きな問題がつきまといます。それはすなわち、「『ハヤテのごとく!』という物語は、一体何がメインストーリーなのか?」ということです。ハヤテのごとく!という作品は、読者のほとんどが共有できるこれという主題が欠けているのです。

これは、「一話完結型ギャグマンガであった」というその出自上、ある程度まで納得いくところではあります。しかし、もともと一話完結でありながらも物語の中で時間を流し、さらに多くの「明らかな」伏線*2があり、そして回を重ねるごとに一話完結的要素が崩れていったことで、徐々に気になる状態になっていったのではないかと考えています。

そのマンガの―――その物語の主題が何か。それは作品すべてを通して読み取っていくものではあります。ですが、雑誌に定期的に連載される媒体であるマンガにおいては、ある程度明確にしておく必要があるとあたしは思います。必ずしもわかりやすさがすべてではありませんし、物語の主題だけがマンガの魅力ではもちろんありませんが、主題がある程度明確になってくる―――主人公の目的が明確化されている方が、その後の展開が多様であっても、そこがぶれなければその多様さを受け入れやすいからです。

ハヤテにおける話は多様です。それは、このマンガの持つ多彩なキャラクターとその構造から可能になることではあります。ですが、主人公は綾崎ハヤテという少年なのです。この受け身の少年がいったい何を目指しているのか、それを通して畑先生が何を描き何をあたしたち読者に伝えようとしているのか―――今週224回目を迎え、もはや長期連載と言ってもいい状態の中で、それが見えない*3のは、やはり問題だと思うのです。昔の言葉で言えばハヤテの「自分探し」的物語考えればそれが主題たり得ますが、それならばもっとハヤテというキャラクターには葛藤があってしかるべきだと思います。でも、そうではない。ハヤテは明らかに主人公なのに、彼には目的がない。流されるままです。

バランス感覚が欠如していると感じられる

ハヤテのごとく!」における長編グダグダ問題というのは前々から言われていることですが、これは畑先生が思いついたことを入れずにはいられない、サービス精神旺盛な人だからだというのがあたしの以前からの主張です。それ自体は決して悪いことではなく、そのネタによって喜んだり笑ったりする―――広い意味で多くの読者が楽しめるならば、それはいいことなのです。ただ、畑先生はその「ネタを入れる」ことに注視するあまり、そのシリーズ、その中編、あるいはその回全体のバランスを崩してしまうのではないかと思っています。結果としてやりたいことを想定の枚数でおさめられなくなったり、書きたいことが薄まったり、そういったことでグダグダな話が生まれている―――それをラストページでナギマリアに「結局おさまらなかったな」などとメタなセリフを言わせて自虐することでその印象を強めている―――のではないでしょうか。

実際のところ、畑先生にバランス感覚がまったくないとは思わないのです。魅力的なキャラクターを作り出して、それを配置するバランスはすばらしいとあたしは思います。ただ、長期的には別として、中短期で「ハヤテのごとく!」という物語を俯瞰した時、前述したようなことが起こってしまう、そういった意味での話をまとめるようなバランス感覚がないのではないのかな、と思っています。

過去編は物語のギアを変える無二の瞬間だった

ハヤテのごとく!」第178話から10回に渡って描かれたハヤテの過去。この過去編は、畑先生強制イベントと宣言しただけあって重たいものでした。

ハヤテの過去編によって、今まで親の借金を押しつけられて売られて三千院家に買われた以前というほとんど明かされなかったものが明らかにされました。明らかにされたことで、「ハヤテのごとく!」という物語は大きな転換点を迎えたと言ってもいいと思います。「ハヤテのごとく!」のメインがどこにあるのか、あるいは、ハヤテが何を目指すのか。それを明らかにし、ギアを変えて物語を大きく展開させるいい機会だったのだと思うのです。

過去を回想し、目覚め、今の現実を認識した時にハヤテが何を思い、そして何を決意するのか―――それを明らかにして、そこからゴールデンウィークへ。そしてアーたんとの再会―――キレイに決まりそうな展開です。しかし、過去編ラストでハヤテは含みはあるものの、日常へ回帰、そして物語はまた元のトーンへ戻りました。物語のギアチェンジはされず、むしろギアを落としさらにゆっくりと進むようになたように思います。

過去編はこれまでの「ハヤテのごとく!」という物語にはなかった異質なものでした。この異質なものを展開する機会は、物語を展開させるタイミングだと思うのです。そのタイミングを活かしていなかったことがあたしは残念でならないです。

メインヒロインサブヒロインという問題

ヒナギクが話題にされやすいですが、出番の多い/少ないや、メインヒロインとかサブヒロインといった話題になることがあります。

とみにヒナギクの心理描写が多く、ヒナギクの物語が進んでいるように思いがちですが、実際のところ畑先生は「メインヒロインナギマリア(とハーマイオニー)」とおまけで宣言しているわけです。ヒナギク*4メインヒロインではないというのは、登場当初から明らかにされていたことで、それを変更したという話は少しも出てきていないのです。だからナギマリアメインヒロイン

なのですが、これが話題になりやすいのは、やっぱり本編においてメイン/サブの明確化がはかられてないからじゃないだろうかと思います。もちろん、明確化をはかることがいいことであるとは限りませんが、キャラクターがかなり増えた現状、それはある程度必要なことではないでしょうか。

最後に

ハヤテのごとく!」はおもしろい作品だと思います。ただ、最近あたしが純粋にそう思えることが少なくなってきていて、ずーっともやもやしていたのです。

それをまとめたのが上記なわけですが、まだまとまってないなあと思ったりしています。

ハヤテギャルゲマンガ化なんだってのはそりゃあ最初からそうなんですが、どちらかというとマンガ化というよりはギャルゲそのものというイメージが強かったのです。それはきっと、「咲夜は2周目攻略キャラ」なんて畑先生が言ったりしているからだと思うのですが。

ただ、ギャルゲそのものをマンガにしようとしているのは「ハヤテのごとく!」ではなくて明らかに「神のみぞ知るセカイ」なんですよね。ハヤテは実はすでにある手法と類型を上手に使って作り上げられているのに対して、神のみはギャルゲをどうやってマンガに落とし込むかというテーマに挑んでいるように思えるのです。そんなおもしろさを両作品から感じたりもします。

以上、きよ的にこれまで「ハヤテのごとく!」をどう読んだのか、というお話でした。長い間おつきあいいただき、ありがとうございました。

*1:泉についてはフラグが立っていると思われるが分岐のタイミングが微妙なので省きました。虎鉄は言うまでもない。

*2:そもそも伏線はわかるようにしているものではない。

*3:少なくともあたしには。これがテーマだ、とおっしゃってる方もいますが。

*4:に限らず

Gaius_PetroniusGaius_Petronius 2009/05/23 21:25 面白い。非常に面白いです。

名無し名無し 2009/05/28 22:53  おもしろい考察ありがとうございます。「ハヤテのごとく」という存在自体いままで類を見ないものだと思うので、畑先生にはいい意味でも悪い意味でも挑戦者でいてほしいと思います

kiyolivekiyolive 2009/05/29 19:31 >>ペトロニウスさん
ペトロニウスさんのコメントを見た時、ちょっと泣きそうになりました…wおもしろい、というお言葉、ありがとうございます。物語三昧でのエントリも読みながら、もうちょっと深めてみたいなと思いました。

>>名無しさん
長文読了、おつかれさまでした。こちらこそありがとうございます。
こういう形そのものがあまりない存在なので、これからどうなっていくかっていうのは凄く興味のあるところですが、どうもキャラ萌えという畑先生の得意分野にこもっている気が最近して、守備的だなと感じたり。。。

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