2020年「日本」は「イオン」の国になる!?という仮説

新年明けましておめでとうございます。


本日は、このまま行くと「日本(ニホン)」は「イオン」という国名になって(語呂は良い!)


「ジャパニーズ」は「イオニーズ」と呼ばれるようになるかもしれない(笑)という


「とんでも」っぽい記事を「あえて」書きます。


例によって、「そんな訳ないだろ!」と笑い飛ばしていただいても結構ですが、


「日本」がこれから先、どんな「国」になって欲しいと思ってますか?というのを


わかりやすく言おうとすると、これが一番早い気がするので、これで行ってみます。


結論から言うと、「元気」と「活力」のない「国」でいい!というならば、


今のままでOK!です。みんなで「イ●ニーズ」になりましょう!


でも、みんながみんな「安い!」「ハッピー!」と言って


イ●ンのプライベートブランド「トッ●バリュー」の商品ばっかり買い続けることが、


どんな未来を生み出すことになるのか?一度考えてみてから、未来を選択してみませんか?


参考)こんなこと言い出した背景には、賛否両論あるとはいえ、昨年2014年に


   「マイルドヤンキー」なる言葉が生み出されたことと関係がないとは言えないだろう。



   昨年2014年は、地方のイオンショッピングモールの活躍が注目された年でもあった。


   ・なんでも揃うイオンSCは夢の国
    http://d-illust.com/yankee/#SC
   

   ・イオンで過ごすGW これからの主役はマイルドヤンキー?
    http://dot.asahi.com/dot/2014050200011.html


   ・マイルドヤンキーには選択肢がないという話
    http://zeromoon0.hatenablog.jp/entry/2014/05/12/132012


■大人が「いいもの(価値あるもの)」にちゃんとした対価(お金)を払わなくなってきた


日本の最近15年の集大成がこれ。その意味するところは何なのか? 一言でいえば、 


『大人が「いいもの(価値あるもの)」にちゃんとした対価(お金)を払わなくなってきた


 ツケが一気に来たんだな〜』と言うことである。


もちろん、消費者として、「いいもの」を「安く」手に入れたいという欲求は、


極めて自然であり、当たり前のことなので、それ自体を否定する気はさらさらない。


だが、しかし、不景気ってやつが長引き過ぎたのが原因かもしれないが、


いつのまにか、「いいものを安く」ではなく「安ければいい」あるいは、


「多少質が悪くても安いものの方がいい」が当たり前になり過ぎてしまったのでは


ないだろうか?(わかりやすく言えば、あらゆる分野での「ユニ●ロ」化が進み過ぎた件)


これって、今さらながら冷静に考えると、結構ヤバい状況なんじゃねえの?っていうのが


今回の記事のメインテーマです。


みんなが「イ●ン」の「トッ●バリュー」でいいや!になってしまうと、


売れなくなってしまうものは何か?


それは、ちょっと「高い」けど「こだわり」のある「(良質な)いいもの」である。


それは同時にちょっとでも「いいもの」を生み出そうとする「職人(アーティスト)」達、


言い換えれば、いわゆる「プロ」と呼ばれる人たちが世の中から死滅・絶滅することを


意味しているのではないか?(音楽業界のCDの売れ行きを見れば一目瞭然)


そして、「プロ=いいものを市場圧力を超えて売ろうとする人たち」が死滅した世界は、


我々が想像している以上に「つまらない世の中」なんじゃないか?


※これは、未来永劫「ビートルズ」的な存在が生まれない世界ってことです


「プロ」の「こだわり」に対して「敬意」を持ち、その対価として「お金」を払うという


20世紀には当たり前だった価値感が失われた世界、


そんな世界に「元気」や「活力」なんか生まれようがないんじゃないか?


すげー暗い未来がやって来るんじゃねーの?


つーか、もう来てるし。っていう気がしてならないのだ。


そうなったカラクリは、こうだ。


売れなくなると、生産したくても生産出来なくなるのが、


我々が当たり前のように受け入れて暮らしている「資本主義」とやらの


欠点といえば欠点である。なぜなら「売れない」ものを売っていても、


利益が上がらず、給料を発生させることが出来ず、そのうち会社は潰れるので、


従業員(=裏をかえせば消費者のことである)が食べていけなくなくなってしまうからだ。


じゃあ、どうすればいいの?


ここで我々は2つの「未来」を選択出来る。


【未来1】


ちょっと「高い」けど、「いいもの」には「お金」を払ってでも「買うよ」っていう


アナウンスメント(宣言・意思表示)をして、実際にそういう消費行動をとる「大人」


に、今からでも「なる」。そして将来を担う「子ども」たちにもその意義をちゃんと伝える。


それは、「こだわり」を持った「プロ」の生活を支えることにつながり、


ちょっとずつでも社会全体が「元気」と「活力」を取り戻すきっかけになるかもしれない。


【未来2】


そんなこと言うけど、実際問題「いいもの」を買えるような「お金」は手元にないんだ!


だから、これからも「安い」ものを買い続けるぞ!


それに私は、僕は「イ●ニーズ」で結構。


だって安くてもそれなりに「いい」商品だから本当は不満なんかないんだもの。


それは、一方で「こだわり」を持った「プロ」の死滅を意味し、


社会全体の「元気」も「活力」も失われていくことにつながっている。


でも、そんな社会全体のことなんか言ってられない。私は私。


これからは「個人主義」の時代だって、誰か偉い人が言ってなかったけ?


【未来の選択 ここまで】


こうして、言語化してみると、民意としては、


後者【未来2】の方が大勢を占めそうな気がする。


やっぱり「日本」は近い将来「イ●ン」の国にならざるを得ないのかもしれない。


私が言いたいことは、「フラット化する社会」って超絶に


「つまらない」社会なんじゃないの?ってことかもしれない。


その要因は、もちろんインターネットの普及とかを含めて、いっぱいあるんだけど、


戦後日本特有の「悪平等主義」もその要因の一つかもしれない。


せめて「スゴイ」人(=プロ)を称賛してもいい、という空気は、復活させた方がいい気がする。


今や(本当は「才能」って意味のはずの)「タレント」というカテゴリーの人たちでさえ、


「スゴイ」って部分(能力を磨く)で勝負しても稼げないので、


みんな、せっせとブログを更新して、「私たち特別じゃないですよ〜、


(一般の)皆さんと同じなんですよ〜」、ってアピールしてようやく稼げる、


そんな状況下で、「突出した(=スゴイ)個人」が生まれてくるのか?


いや、必然的に無理でしょ。。という「ジレンマ」から抜け出す方法はないのか?


を今年は考えてみたい。


えっ?なんで「突出した(=スゴイ)個人」が必要なのかって?


そんなもん、人間は「輝く」ために生まれてくるからですよ。


「突出した(スゴイ)個人」は「輝いてる」から、それを見てる人たちに、


「元気」と「活力(生きる力)」をおすそわけ出来るんですよ。


だから「突出した(スゴイ)個人」=「プロ」のいない世界は「平ら(フラット)」で、


百歩譲って、一部の皆さんが大好きな「平等っぽい」社会かもしれないけど、


誰も「元気」も「活力」も、そして何より「物語」も供給できない、


超「つまらない」世界なんですよ。


で、こういう話になると、だいたい、「鶏が先か?卵が先か?」でうやむやになる。


例えば、CD売れない話になると、いや「いい曲」が提供されてれば俺は「買う」。


ろくな曲がないから買わないだけだ。それが市場原理だ!(ドヤッ)


ってなる。まあ確かにごもっとも。


でもその一方で、そのCD売る側の人たちが、そんなあなたにも届く曲を


なんとかして作りたい⇒昔売れてたCD何だっけ?⇒あれに似てるの作ってみよう!


結果、「猿まね=二番煎じ=縮小再生産」を繰り返し⇒今、市場が壊滅状態。


になってる側面もあるわけで、消費者の側が「いいもの」作ってくれたら


ちゃんと「お金」払うよ。って意思表示することで、逆の「流れ」を生み出せない


かな〜、という、かなり無理な「妄想」を爆発させているだけである。


でも、そんな、かなり無理な「妄想」が影響力を持ちうるのが


「フラット化した社会」の唯一プラスな可能性だからな〜。


「あきらめたらそこで試合終了」だし、じわじわと進めてみよう。


うん。まあ、そんな感じで今年はスタートしてみるかな。


てなわけで、私は「イ●ニーズ」にならなくて済む道を模索していきます。


駄文を最後まで読んでいただいた方、どうもありがとうございます。


では皆様、今年も宜しくお願いいたします。