Dangerous Mind

Dangerous Mind

映画 2016

2016.1
・ファイア・バイ・ルブタン 
2016.2
ロング・グッドバイ
翔んだカップル
・ザ・マスター
アメリカの夜
・ドライブ
・東京難民
アニー・ホール
・さようなら
ベルファスト
・ヤクザと憲法
・ノー・カントリー
明日に向かって撃て
2016.3
ファイト・クラブ
レイジング・ブル
アンディ・ウォーホル/スーパースター 
アメリカン・スナイパー 
・フォックス・キャッチャー 
AKIRA 
・ウーマン・イン・レボルト 
サテリコン 
地獄でなぜ悪い 
・あん 
2016.4
カッコーの巣の上で 
・イーディ 
ヒミズ 
おおかみこどもの雨と雪 
・バードマン 
・スラムドッグミリオネア 
サマーウォーズ 
・トム・ダウド〜いとしのレイラをミックスした男 
・ロード・オブ・ザ・ドッグタウン
2016.5
あの夏、いちばん静かな海 
スティーブ・ジョブス 
ホドロフスキーデューン 
第十七捕虜収容所 
ジェームス・ブラウン・最高の魂を持つ男 
・バケモノの子 
・アンダー・ザ・スキン 
・リアリティのダンス 
・音のない世界で 
・LISTEN
2016.6
グラン・トリノ 
・アデル・ブルーは熱い色 
ばかのハコ船 
・ミルク 
・真夜中のピアニスト 
マグノリア 
・ウェルカム・トゥ・デス・ロウ 
・海街ダイアリー 
・ストレイト・アウタ・コンプトン 
・知らない町 
・私が生きる肌 
2016.7
・ピクニック 
・紙の月 
マリー・アントワネット 
・12モンキーズ 
ビッグ・リボウスキ 
・ニューヨーク・ストーリー 
・日本の一番長い日(最近のやつ)
2016.8
ビル・カニンガム・ニューヨーク 
・アートスクール・コンフィデンシャル 
・日本の一番長い日(昔のやつ)
アウトサイダー 
・母と暮らせば 
・野火 
2016.9
カナリア 
・Blue 
砂の女 
狂った果実 
・レヴェナント・蘇りし者 
・夏の終わり 
黄色い涙 
・ファーゴ
かぐや姫の物語 
・アリ・ザ・グレーテスト 
シン・ゴジラ
2016.10
どですかでん 
味園ユニバース 
・雪の断章 
・メゾン・ある娼館の記憶 
戦場のメリークリスマス 
・イン・ザ・スープ 
・奇跡 
黒い十人の女 
海燕ホテルブルー 
・カサヴェテスのビッグトラブル 
・あの手この手 
・御法度 
・ミッドナイトインパリ 
・破戒
2016.11
ブラック・スワン 
・欲望の曖昧な対象 
・やわらかい肌 
・ローマでアモーレ 
かもめ食堂 
赤目四十八滝心中未遂 
・映画と恋とウディ・アレン 
・25年目の弦楽四重奏 
ゲルマニウムの夜 
・マッチポイント 
2016.12
・ミルコのひかり 
乱暴と待機 
・おとぎ話みたい 
・無常 
・発狂する唇 
・別離 
・女の都 
ウディ・アレンの夜と霧 
ビッグ・アイズ 
・ローリング 
・おとうと 
・マンハッタン殺人ミステリー 
シャーリーテンプルジャポン


2016年、今までで生きてきた中で圧倒的にたくさんの映画を見た。
しかしその内容は殆ど思い出せなくて、中には5度目くらいのものもあるが、それすら、ほぼ初めてのような気持ちで見てしまう。
例えば好きな音楽なら、歌ってみたり、コードをとって演奏してみたりできるけど、映画にとってそれにあたる行為は存在するのだろうか。
真の意味で映画を見るというのは、実際にはどういった行為を指すのだろう。
(読書についても、だいたい同じようなことが言える。)
自分の中を物語が通過していくと、その残り滓のようなものが内部に徐々に堆積していき、それがやがて人格の一部を形成していく感じがするので、そういう意味で、映画や書物は、食物により近いのかもしれない。
物語は、持続する事で成立するもので、実際に噛み砕いてみなければわからない、本質として主観的なものである。
対して、音楽の本質は、物語性よりも、一見して俯瞰できる客観的な構造にあるのではないかと感じる。
そう考えると、視覚芸術である映画は実際には聴覚的な属性を持ち、逆に音楽は本質的には視覚的なものである、と言えるのかもしれない。
多分この話は5月に渋谷のアップリンクで見た「LISTEN」という映画のことが関係していて、この音のない映画の中に、自分が予感していた音楽の本質の一端が、確かに顕われていると思った。
なので「LISTEN」は自分にとって、ある種の啓示だった。
自身のささやかな作品づくりに活かす事ができるよう、自分ももっと頑張りたい。



LISTEN
http://www.uplink.co.jp/listen/