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2010-07-25
あんなに広かったwebはどこに行ったのか
四方を壁に囲まれたような狭さ
僕のwebはGoogleとはてブとTwitterで狭くなった。狭くなった、と書くと否定的な言葉のように感じるけれど、逆に言えば手の届く範囲が広がって、未知の出会いというか、宝石的な何かを拾う機会が少なくなった。つまり、僕の中のwebが凄く型にはまった、金太郎飴的な何かに変っていったということ。
観測範囲という意味では劇的に広がった。そう、見渡せる世界、視野的な観点から見ると確実に広くなった。なのに、僕自身はwebに狭さを感じているんですよ。
Googleは僕の目をさらに見えるようにした
あのサイトのリンクを辿ってこのサイトに……といったある種、原始的なネットサーフィンの形は今の僕の中にはない。なぜなら、僕はGoogleを日常的に使っているから。ワードを入力すれば、大抵、僕の望んでいる情報が手に入る。Googleは確実に僕のリーチを伸ばした。
はてブはどんなwebサイトに価値があるのかを明確にした
タグで分類され、公開されるブックマークがこれほど価値のあるものだなんて、使ってみるまで想像もしなかった。本当に素晴しいものは、時として僕の想像力を遥かに超えた所にある。僕のwebを変えたのは間違いなくSBMで、僕は今でもはてブヘビーユーザーだと自負している。
Twiterはコミュニケーションコストを大幅に下げ、人々の思考を可視化した。
このシンプルで愛らしいツールは、webにおけるコミュニケーションのあり方を劇的に変えた。伊集院光の独り言を気軽に読める時代は、少くとも僕には予測できなかった。有名人に限らず、人々の思考を140文字という絶妙な文字数で切り取ったつぶやきが*1、自分のタイムラインを流れる様はとても未来的だと感じた。
それだけに限らず、Twitterは最小の労力で世界に干渉できるコミュニケーションツールでもある。つまり、blogのように長文を書かなくとも、アルファブロガーのように有名人でなくとも影響力を行使できるのだ。
結論
素晴しいツールのお陰で、僕のweb上での生活は以前よりも遥かに豊かになった。それは、悪く言えばwebを使い始めた当初の、暗くて、何も分からなくて、でも何だかギラギラ、キラキラした宝石が転がっていそうな、あの空気感を僕自身が失なってしまったということなんだろう。もちろん、僕自身の知識量であるとか、そのほかの要因も多いに関係しているとは思う。
僕はきっと、混沌を求めているんだと思う。blogとかTwitterとか、pixiv、ニコニコ動画でもいいけれど、今はそういったサービスの中で個人が表現する時代。純粋な個人サイトは下火になっている。そういった個人サイトの宝石のようなものに出会えないいらだちと、ほんの少しの寂しさが僕にこの記事を書かせたのだと思う。
*1:実際は各個人が入力しているのだけれど、その入力はTwitterの140文字という制限によって操作されている。つまり、Twitter自身が入力者に140文字で思考をまとめることを強いている=Twitterが思考を切り取っている、と表現しました。

