バナナガード

バナナガードという道具がある。バナナを傷つけずに運ぶただそれだけのための間抜けな道具である。


mixiにもコミュニティがあって参加者が50人もいる。
mixi バナナガード コミュニティ


そして僕はこのバナナガードを3年前から使っている。国内では手に入らない頃にバンクーバーで購入した。かなり時代の先端をいっていた、というか先端を通り越して異端だった。当然この道具を理解してくれる人は少なく、好奇の視線が注がれるだけだった。バナナが傷つくのは嫌だが、僕のハートはバナナよりも繊細で傷つきやすいので、カバンから出さずこっそり使うようにしていた。


そんなある日、取引先(仮にAさん)との打ち合わせの際に、カバンに入れていたバナナガードをうっかりみられてしまったことがある。2年前の天王洲アイル駅でのことだ。

A「あ、kkomiyamaさん何ですか?今のカバンの中の赤いのは?」
K「え。あ、これですか。バナナガードです。バナナのいれものです。」
A「バナナ?・・・。へーー(笑)おもしろいですね。」
K「そうですね。結構便利なんですよ」
A「で!! 本当は何なんですか?」
K「いや、バナナガードです。バナナを入れます。本当です。」
A「またまた〜w 冗談言ってないで教えてくださいよー。本当はなんなんですか?」
K「本当にバナナガードです。・・・ほら、ここの銀色のシールみてください。"bananaguard.com"って書いてあるでしょ!」
A「んんー。え、・・・ぃゃ、書いてはあるけど・・」
K「形もバナナじゃないですか。」
A「・・・(じっとこちらを見ている)」
K「ぼ、僕、自転車通勤してるんですよ、だからバナナガードがないと(云々)」
A「・・・へぇ」
(ひとしきり弄りまわした後で)
K「信じてもらえました?」
A「いや、バナナですよね。 うん、まぁ・・・」


結局その日Aさんとはそのまま別れた。彼は最後まで、それがバナナをガードするものだとは全く信じていなかった。この一件から僕は2つのことを学んだ。

教訓1:バナナガードに張られているシールは絶対に剥がすな

僕は所有物に余計なものがついているのが嫌いなので、本の帯は問答無用で捨てるし、パソコンに張られているIntelのシールも剥がす。が、しかしことバナナガードに関しては"bananaguard.com"という控えめなシールを敢えて残している。上の様な事態に陥ったときに、シールが無いと如何に説明が大変かはご想像いただけると思う。


このケースはまだいい。たとえば自転車に乗って職務質問されたとき、あるいはフランスの空港で手荷物チェックにバナナガードがばっちり引っかかっちまったとき、あなたは警察官に、そして言葉の通じない係員に「これはバナナガードといって、バナナを運ぶためのものでありまして・・・」と説明できますか?説明する自信があってもなくても、シールは残しておくのが安全だ。


教訓2:人は「目に見えるもの」でも信じることができないことがある

僕は「目に見えるものしか信じることができない」という性質をもった人間で、そういう視野の狭さを改善したいと思っている。が、世の中にはバナナガードに出会ったAさんのように「目に見えていても信じることができない」という人、というよりケースがあるのだということを学んだ。人が理解できるのは、せいぜい「自分の中に蓄えられた常識」と「そこを基点として働かせる想像力」というエリアの中にあるものだけなのだ。


では、その人の理解力を超えているモノもしくはコトを如何に分らせるか?山本五十六は「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ。」という至言を残した。これをバナナガードに応用してみると

1,やってみせ ・・・ 自分がバナナガードを毎日使う
2,言ってきかせて ・・・ 必死で説明

前半2つは自分もそれなりにできていたと思う。でもAさんは分ってくれなかった。足りなかったのは、以下の作業だ。

3,させてみせ ・・・ 「じゃあこれ貸すから、明日から好きなだけ使って!」
4,褒めてやる ・・・ 「いいよ、いいよ〜、やっぱバナナガードもAさんが使うと、”バナナ2.0”!!って感じがするねぇ。」

なるほど確かにここまですべてを実行すれば、Aさんもバナナガードがバナナをガードするためだけにある道具だと理解してくれたのかもしれない。

つまり
「言って聞かせるだけでは何も変わらない。」
「話せば分かるなんて嘘。」

なのである。


バナナガードはそのことを僕に教えてくれた。ありがとうバナナガード。