ノンフィクションの理由

下山事件 最後の証言」がノンフィクションとして出ることになった状況について。
柴田哲孝がテレビディレクターの森達也と出会うきっかけを作ったのは映画監督の井筒和幸。その経緯を「最後の証言」で以下の様に書いている。

ある日、私はそれとなく井筒に「下山事件」について話してみた。下山事件については、発表する段階ではない。だが、フィクションとして映画を撮るならば、格好の素材だと思えた。
井筒は思った通り興味を示した。だが、その提案は予想外のものだった。
「この前の下山事件の話、ドキュメンタリーでやったほうがいいんやないか。実は会ってやってほしい男がいるんや。テレビの制作会社のディレクターなんやけど、信頼できる男やから...」

自分の親族が関わっていると信じている事件の話を、フィクションでも映画の素材にしようとするだろうか? その一方で、母親が泣いている姿を見て下山事件について調べるのを止めようと思ったがそれはどうしてもできなかった、ということが別の場所に書かれているのには呆れる。

森達也に会ってからの展開は、森達也「シモヤマケース」の中に詳しく書いてある。「シモヤマケース」は下山事件の真相について書かれているものではなくて、下山事件のネタをどこに売り込めるか、試行錯誤の様子が書かれている非常に変わった読み物。(私が最初に読んだ下山事件の本)
森は色んなところに売り込みに行くがテレビの企画は全て駄目になって、最終的に週刊朝日に辿り着く。そこで森達也が原稿を書くことになり、1999年に連載記事が週刊朝日に掲載される。
フィクションの素材として提供した筈のネタが、森によって活字の記事になってしまった。これが「最後の証言」をノンフィクションとしてしか出せなくなった背景ではないか。

下山事件(シモヤマ・ケース) (新潮文庫)

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