DVと個的領域ー<絆>と<舫>

 2月25日のNHK番組「クローズアップ現代」で、デートDV(恋人からの身体的・精神的暴力)を特集していました。内閣府の調査によれば、女性の約5分の1、男性の約10分の1が経験していると紹介され、「現代日本の若者は、人間関係が希薄化していく中で、愛と束縛を混同する傾向がある。」と番組では分析されていました。確かに、愛と束縛を区別することが困難になってきているように私も感じます。しかし、愛と束縛を客観的に区別する基準は何か、と改めて問われると、難しい問題だと思います。この定義の難しさは、DVの定義の難しさと同じ性格のものだと思います。
 DVの客観的定義を試みた論考に、宮地尚子さんの「支配としてのDV―個的領域のありか」(『現代思想』vol.33-10、2005年)という論文があります。宮地さんのクライアント女性(バタード・ウーマン)がみんな「面接室のソファーに浅くしか腰掛けない」ことから発想して、この論文では、公的領域・親密的領域とならんで人間にとっての「個的領域」の重要性を強調し、DVは「親密的領域において相手の個的領域を奪うこと」と定義されています。とても面白い議論だと思うのですが、「個的領域」の定義については、「この概念は今後鍛えられなくてはならない。」とオープン・エンドになっています。伊田広行さんは、ブログで宮地さんの言う「個的領域」を人権と同一視していますが、これは議論を単純化していると思います。
 宮地さんのいう個的領域について、私なりに少し考えてみました。現代の日本人が人間関係を指して「絆」という言葉をよく用いることが、現代の日本人の個的領域に対する感覚の鈍さ、さらにはDVに対する感覚の鈍さと関係しているのではないでしょうか?
 現代のように人間関係を指して「絆」という言葉を普通に用いるのがいつ頃から始まったことなのか、私にはわかりません。しかし、私は「絆」という言葉には違和感をもつのです。広辞苑第5版によれば、「絆」は、「1.馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱、2.断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし。係累。繋縛。」の意味である、とされています。おそらく、1の動物をつなぎとめる綱、というのが語源でしょう。「絆」という言葉に私が違和感をもつのは、「タテ社会」の人間関係、上下関係のニュアンスがつきまとうからだと思います。そういえば、バックラッシュ派の地方議員が、巨大な右派団体・日本会議と連携しながら、彼らが「フェミニストによる家族破壊の陰謀」とみなすジェンダーフリー政策を潰す目的で2007年に設立した団体の名称は、「家族の絆を守る会」です。
  それでは、家族のあるべき関係、親密的領域のあるべき関係を指す言葉として、「絆」の代わりにいかなる日本語が適切かというと、私は、「舫(もやい)」という言葉がいいと思います。同じく広辞苑第5版によれば、「舫」は、「もやうこと。船と船をつなぎ合わせること。むやい。」を意味するとされています。「タテ社会」における上下関係のニュアンスがつきまとう「絆」という言葉と異なり、「舫」という言葉には、上下関係ではなく対等な関係、どちらからでも解消が可能な関係というニュアンスがあります。両者がそれぞれの「個的領域」をしっかり維持したまま、同じ方向を向いている限り、または停泊している限りにおいてしっかりと結びついている、というイメージです。
 国民的歌手・中島みゆきに「二艘の船」という曲があります。彼女の定例コンサート「夜会」でテーマ曲として用いられているそうですから、思い入れの深い曲なのでしょう。この曲のエンディングは、次のようなものです。お互いの「個的領域」を大切にしながらの「親密な関係」をうまく表現していると思います。

わたしたちは二艘の船 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二艘の船 ひとつずつの そしてひとつの
わたしたちは二艘の船