「入信即布教」を再考する

人間文化研究所所報39号原稿(2013年9月発刊予定)<題名>「『入信即布教』を再考する」<著者>熊田一雄

 以下に引用するのは、ある天理教信者が書いた信仰体験記である。この資料は、天理教教団のご厚意で原文を入手した。著者は、執筆の時点(2010年)で50歳になる主婦で、信仰は初代である。ご主人と二人の子供がおり、娘さんは結婚して二人目がお腹にいる。毎日朝夕教会に来て、朝づとめ夕づとめ(天理教儀礼)をして帰る信仰生活を送っているそうである。


 これから私の体験したところをお話しします。自分がドッヂボールをしていて、その時にボールが当たったときに仰向けに倒れました。それが原因で自律神経失調症の中の不安神経症という病気になりました。二十四時間全身がしびれ、心臓も体から出てしまうぐらいドキドキして、頭痛もひどく、一時はどうにかなってしまうのではと思い、もうこんなに苦しいのなら、命も絶ってしまおうかと、思いましたが、子供のことを思うとそれも出来ず、毎日生きているのが、こんなに苦しいのかと思いました。
 そんな時、天理教のパンフレットが郵便受けに入っていました。そのパンフレットに『人をたすけて我が身たすかる』という言葉が書いてありました。天理教なら助けてくれると思いました。すぐに教会に電話して助けを求めました。そこから私の天理教が始まりました。
 私の家に教会の人が毎日二ヶ月来てくれました。その時教会の人は私の病気の事をよく聞いてくれました。その当時は今とは違って、心の病気はなかなか理解してくれませんでした。怪我と違って見た目にもわからなくて、でも話し(ママ)を教会の人はよく理解してくれました。 その後、教会の奥さんのお産があり、教会にこちらから行くようになりました。
教会では、できることをいろいろさせて頂きました。今まで家からでられなかった私が、教会でいろいろな人と出会い、世界が広がった気がしました。それから毎日教会に通っていましたが、二・三年したら、姪っ子が旦那さんと姑さんとうまくいかなくなり、私に相談してきました。教会に一回行っただけで、姪っ子は夏のこどもおぢばがえり(熊田註;天理市への一種の巡礼)に行きました。そして、その年の秋に天理の修養科(修養科という所は神様の話をしたり、心の勉強したり三ヶ月研修する所です)へ行きました。
 そして、修養科を出て、教会に三ヶ月住み込みし、今度は一才(ママ)の娘とふたりでアパートぐらしを始めました、それから私は教会の人たちと姪っ子のお世話をしていたのです。一才の娘の面倒を見たり、アパートの手伝いをしたりしました。それから何もわからず一軒一軒パンフレットをみんなと配ったりしました。
 すると、いつの間にか自分の病気がよくなっていくことに気がつきました。まさに『人をたすけて我が身たすかる』です。そして、今では姪っ子は旦那さんと二人の子供、お腹には三人目の子供がいます。今では、私は教会に行って、掃除をしたり、教会の子供の世話をしたり、スポーツもできるようになりました。毎日がとても楽しいです。
 もしあの時天理教のパンフレットがポストに入っていなかったら、天理教と出会わなかったら、私はどうなっていたかわかりません。病気は辛いけど、今は病気になって、人の病気の痛みも理解することができるし、いろいろな人との出会いもあり、病気になって少しは良かったなと思えるようになりました。そして、天理教の信者さん同志(ママ)なら誰にも相談できないこともできるし、天理教でよかったと思います。
 これからは、たすけてもらった分、困っている人をたすけたいと思います。会長さんからは人をたすけたり、パンフレットを配ることで、いんねんが切れると教わりました。いんねんとは「その家の代々受けついできたもの」です。私の家のいんねんでもある心の病気です。
人は、どこでどんな人とめぐり会うかわかりません。パンフレットをポストに入れ、感謝・恩を忘れず歩んでいきたいと思います。これが天理教だと思います。
 みなさんも、困ったことや悩みごとがありましたら、ぜひ近くの天理教の教会に相談して下さい。


 もちろん、宗教団体の信仰体験談をそのまま受け取るのには注意が必要である。しかし、この信者が精神科医療の薬物療法だけでは治癒せず、天理教の「ひとをたすけて我が身たすかる」という信仰指導も実践することによって治癒したことは確かであろう。
 この信者が「不安神経症」としているものは、現代の精神医学では「不安障害」の一種である「パニック障害」と診断されるだろう。この信者の場合、天理教の信仰生活が、精神医学でいう認知行動療法森田療法の代わりとなって、「不安神経症」(=現代の精神医学でいう「不安障害」)が治癒したのであろう。
 この信者が、病の中において直感で一縷の望みを託した天理教の教えが「人をたすけて我が身たすかる」であったことは、重要なことだと思う。「人をたすけて我が身たすかる」とは、天理教に限らず、日本の新宗教、その中でもいわゆる教団組織を作るタイプの新宗教で広く説かれている教えである。日本の宗教(特に新宗教)が「おたすけ」を行う際の「たすかりたい」から「たすけたい」への視点・行動の転換には、一種の認知行動療法の意味があるのであろう。
 この天理教信者の場合のように、人によっては、現代日本精神科医療のように抗うつ薬SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の投与を中心とした薬物のみ施される場合よりも、こうした「人をたすけて我が身たすかる」という宗教教団の信仰指導が加わった方がより効果があるのであろう。
 日本の新宗教の中には、入信者をすぐに布教に出す、あるいはかつてはそうしていたという教団がある。例えば天理教も、昔は入信者が教校別科を終えると、「(神さまの)十全の守護と(心の)八つのほこり」という教義中の基本中の基本を頼りに、即布教に出していた(今はやっていない)。新宗教のこうした「入信即布教」という方針は、しばしば教勢を拡大しようという新宗教の「教団エゴの現れ」として語られてきた。私は、新宗教の「入信即布教」という方法に教団エゴの現れという側面があることを否定しない。また、こうした方針が入信者の福祉に悪影響を与えていたことも多々あっただろう。
 しかし、自分が「たすかりたい」という動機から入信してきた人の視点と行動を、他人を「たすけたい」という方向に切り替えさせることには、一種の「認知行動療法」としての側面もあったのではないか。「入信即布教」によって、軽い心身の不調、特に現在では「不安障害」に分類されている心気症や疼痛性障害が治癒することも、現実にあったのではないか。
 今年度の「宗教と社会」学会テーマセッション「『民衆宗教』と精神医学/治療文化」において、私は、近代日本における新宗教の「入信即布教」という方針に「教団エゴの現れ」という側面があることは否定しないが、同時にそれなりの「治療的効果」もあったのではないか、という問題提起をした。コメンテーターの島薗進先生(上智大学)は、「現代日本のようにプライバシー意識が高まると、『入信即布教』は実行困難なのではないか?」、とコメントなさった。
 確かに、近代のように「地縁・血縁」にのった「入信即布教」は、現代ではもはや困難だろう。しかし、AA(アルコホリクス・アノニマス)のような各種依存症の自助グループも、やはり「入信即布教」という活動方針をとっている。「問題縁」にのった「入信即布教」は、現代でもやはりそれなりの「治療的効果」をあげているのではないだろうか。
 参考までに、摂食障害者の自助グループNABAの「入信即布教」を示している方針をいかにあげておく。


● NABA 過食・拒食症者が回復し、成長するための10ステップ 
1 認知のステップ
私たちは痩せることへのこだわりから離れられず、この執着のために日々の生活がままならなくなっていることを認めた。
2 理解のステップ
痩せることへの執着は、他人の評価を気にし過ぎるところからはじまり、自分の意志の力を信じすぎたことでひどくなったことを理解した。
3 決心のステップ
今までの生き方を支えてきた意志の力への信仰をやめ、他人の評価を恐れることなく、あるがままの自分の心と身体を受け入れようと決心した。
4 実践のステップ―点検
あるがままの自分を発見するために今までの生き方を点検し、両親との関係からはじまる人間関係についての点検表を作った。
5 実践のステップ―仲間と語る
上記の点検表を、先を行く仲間にみせて語り合い、「真の自己」の発見につとめた。
6 感得のステップ
「偽りの自己」の衣装の下に隠れていた、「真の自己」の存在を実感できるようになり、この”もうひとりの自分”と和解しようと思うようになった。
7 洞察のステップ
生き残るための今までのやり方が、「真の自己」を見失い、傷つけ、成長の最後の段階を踏みそこなったことに由来することに気が付いた。
8 改善の維持のステップ
自分の生き方の点検を続け、新たに気が付いた無理な生き方は勇気をもって変えることを心がけた。
9 落着きを楽しむことのステップ
自分の命の自然な流れを実感するようになり、その流れに漂うことの落ち着きを楽しむようになった。
10 メッセージのステップ
これら自分の経てきた成長のステップを、まだ痩せることの努力に溺れている人々に正確に伝えた。

http://naba1987.web.fc2.com/program/pr07.html より転載
メッセージ活動


全国各地で体験をお話しています


 NABAでは、摂食障害者の声を広く届けていきたいという願いから、積極的にメッセージ活動を行っています。
 具体的には、病院の院内ミーティング、地域の自助グループ、保健所や他団体の主催するイベントなどにNABAメンバーが出向き、体験談などを話すというものです。
 メッセージ活動は、「自分の経てきた成長のステップを、まだ苦しんでいる仲間たちへ正直に語る」というNABA10ステップの理念に基づいて行っています。
 私たちにとっての「メッセージ」とは、決して「回復者として伝える」ものではなく、自分自身のさらなる回復・成長を願い、聞く人を求めて、自らの体験を「届ける」ことを意味しています。
 2012年現在、定期的に行っているメッセージミーティングは、群馬県の赤城高原ホスピタル、東京足立病院、愛知県の西山クリニックです。
 その他にも、全国各地の様々な機関・団体にお呼びいただき、ご要望に合わせて、体験談や講演、NABAオリジナル映像の上映など行い、広くメッセージを届けています。
 また、全国の仲間や摂食障害に関わる方々からの「私たちもグループを開きたい」というお問い合わせに対して、パンフレットやミーティング・マニュアルの送付、時には活動経験の豊かなメンバーがグループのガイド役として、その場に出かけるなどのメッセージ活動も行い、積極的に協力しています。