いじめと少年への性的虐待

 なるほど、子どもの世界には法の適用が猶予されている。しかし、それは裏返せば無法地帯だということである。子どもを守ってくれる「子ども警察」も、訴え出ることのできる「子ども裁判所」もない。子どもの世界は成人の世界に比べてはるかにむきだしの、そうして出口なしの暴力社会だという一面を持っている。もちろん、あの戦時中さえ、食糧難は知らないという人にも、家族親戚に出征者がいないという人にも私は会っている。そのように、子どもの社会のこういう面を知らずに成人した人も多いであろう。だが、その中に陥った者の「出口なし」感はほとんど強制収容所なみである。それも、出所できる思想改造収容所では決してなく、絶滅収容所であると感じられてくる。その壁は透明であるが、しかし、眼に見える鉄条網より強固である(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』みすず書房、1997年(初出1997年)、pp.18-19)。


中井久夫氏のいう「いじめの政治学」の中には、少なくとも男子集団の場合、衆人環視のなかで集団で一人を押さえつけて下半身を丸裸にする、という性的虐待も含まれると思います。そうした「少年への性的虐待」が、成人後の精神生活にどういう影響を与えるかについての考察は、私は寡聞にして知りません。