なぜ人を殺してはいけないか

 重大犯罪を犯した者はそれ以前には戻れない。ある聖職者が私に語ったことがある。行いすました有名な死刑囚に七年間毎週会いつづけた人である。それでも、聖職者は、拘置所を出る度に二度と来たくないとつくづく思うのであった。「私は虚無には耐えられる。しかし、虚無でさえないものを私は感じて、それには耐えられない。信仰が足りないのだろうか」。人を殺す者は自分をも殺すとはシェイクスピアから酒鬼薔薇聖斗まで言いふるされたことであるが、単なる「死」ではなく、死よりももっと耐えがたいものが自己の中心に腰を据えるのであろう。なぜ人を殺してはいけないかというアンケートに「それは一つの宇宙を壊すことだから」と答えたが、被害者の宇宙は消滅するけれども、加害者の宇宙は消滅よりももっと耐えがたい状態になる(中井久夫「文化変容の波頭ー米国で続発する大量殺人の背景」『清陰星雨』みすず書房、2002年、p221)。


オウム真理教松本死刑囚の現状を考える上でも、考えさせる意見です。