「永遠のO」の嘘について

 昨年、右翼的な思想をもち、安倍首相の「お友だち」である作家・百田尚樹氏の小説「永遠のO」とその映画版が、社会現象と呼べるくらいの大ヒットとなり、『朝日新聞』も絶賛していました。「義理(戦友に命を助けられた)と人情(妻娘のために生き延びたい)を秤に掛けりゃ、義理が重たい男の(生活)世界」が国家に利用される(特攻死)という話でした。エピローグでは、米軍兵士たちとの「ミニマルな友愛」(J・デリダ)―「好敵手」として認められる―が描かれていました。絵に描いたような「ホモソーシャル礼賛」の物語でした。
 「特攻」兵士が、米軍兵士に「好敵手」ー百田氏の表現では、「奴はサムライだ。俺たちはナイトになろう」ーと評価されるどころか、米軍兵士の憎しみを煽り立てただけであったことは、次のような記録から明らかです、百田氏は、Male Fantasyの世界を描いているだけです。


 ミズーリ号の左舷中央構造物に迫る特攻隊の写真がある。凄絶である。なにゆえの特攻だったか。吉田満の『戦艦大和ノ最期』で士官の議論をまとめた臼淵大尉は「新生日本にさきがけて散る。本望じゃないか」という。日本は敗北して一から出直すしかないところまできている、そのために死ぬのだ、自分たちの死の意義はそれしかない、というのだ。特攻隊の犠牲の上に今の日本があるとはそういう意味である。それ以外にはおよそ考えられない。
 特攻機は無効ではなかった。米艦の乗組員は燃えるガソリンを全身に浴びる恐怖に脅え、戦争神経症を大量に生んだ。しかし、「では降伏しよう」に繋がらない。そして戦勝目前に死ぬほどつまらないことはない。米兵の憎悪を増幅した理由の一つである(中井久夫「戦艦ミズーリ特攻機」『日時計の影』みすず書房、2008年(初出2007年)、pp.210-211)。