モンローの乳房

 週刊誌の記事によると、アメリカのブラジャー業界が集って、マリリン・モンローの乳房をボイコットする運動をはじめているそうである。というのは「お熱いのがお好き」という映画で、彼女がブラジャーをつけずに出演したためらしい。とくにそれを側面から見ると、まるでホルスタイン乳牛のおっぱいのようで、そのグロテスクさを、全アメリカ女性の恥辱である・・・・・・というわけだ。
 その記事のわきに、口を半開きにしてベッドに座った、彼女の正面写真がのっていて、見ればなるほど、いかにもどっしりと垂れ下がっている。なんでも妊娠中なのだそうで、そう言われれば、いかにもそうらしい。
 しかし、率直に言って、私は感動した。これこそ批評でなくて、なんであろうか。女優の乳房は、処女のように美しく(?)あらねばならないという、それこそ女性への侮辱に対して、敢然と投げつけた批評でなくて何んであろう。モンローびいきの私の目に狂いはなかった。芸術と批評の一致とは、こういうことを言うのである(安部公房「実験美学ノート」『砂漠の思想』講談社学術文庫、1994年(初出1964年)、pp.82-83)。


安部公房の「非・おやじ」的感性は、満州育ちが影響しているのかもしれません。