Hatena::ブログ(Diary)

熊おやじの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-02-17

見田宗介氏の学生観

見田 ゼミのメンバーを選考する基準は、今だからいうと(笑)、センスのいい人です。批判されると思いますけど(笑)。それからもっと批判されると思いますが、人柄のいい人です。人間がいいということは、とても大切なことです。頭が良くても、シニカルな人や攻撃的な人は(東大生などに多いのですが(笑))、他の学生を萎縮させる、とくに後輩たちや、デリケートなセンスのいい人を萎縮させるので、のびのびした自由な空気をだめにしてしまうのです(『現代思想臨時増刊号/見田宗介真木悠介』vol.43-19、青土社、2015年、p27)。


*見田氏が、なぜ「7年間論文のない」(西部邁氏)某先生を、東大で自分の後任にしたのか、わかるような気がします。

2015-10-18

論文査読

 今日は、某全国学会誌の論文査読の仕事をしました。

2013-09-23

「宗教と社会」学会について

 今後の芸術療法学会についてであるが、私のように学会とともに老いてきた人間の発言はあまり意味がないだろうと思う。この学会のよさであるインターディシプリナリーなところが、素人くささ、アマチュアリズムと映ることもあるだろう。しかし、この素人くささは、学会エスタブリッシュメントの固定化にまさること千万である。学会に栄枯盛衰は付きものであるが(おおむね二十周年周期といわれる)、異なるトレーニングを受けた人の出会う場所である限り、その独自性は約束されており、従って意義と有用性とを失うことはないであろう(中井久夫「芸術療法学会の二十五年」『隣の病』ちくま学芸文庫、2010年(初出1994年)、p138)。


*中井氏が芸術療法学会について言っていることは、「宗教と社会」学会にもほぼそのまま当てはまるように思います。

2013-09-06

学会移動日

 今日は、東京で開かれる宗教学会への移動日でした。

2013-03-27

「宗教と社会」学会パネル

 皇學館大学で開催される「宗教と社会」学会の二日目・6月16日(日)の午後(14時〜17時)に、パネルを開催します。


<パネル名>「『民衆宗教研究』の新展開(3)−『民衆宗教』と精神医学/治療文化−」

企画・司会 熊田一雄(愛知学院大学)

発題  「宗教的現実と言語世界」 大月康義(大月クリニック)

報告1 「病いのコスモロジーと宗教者の身体−治療者の身体について−」永岡崇(南山大学)

報告2 「不安障害と日本の宗教−病との共存について−」 熊田一雄(愛知学院大学)

報告3 「臨床におけるクロノトポスと『ゼロポイント』−生命・文化・物語・反物語−」 下地明友(熊本学園大学)

コメンテーター 島薗進(東京大学)


<企画の狙い>

 「民衆宗教」と精神医学の関係は、古くて新しい研究分野である。精神科医の大宮司は、1995年に著書において、「精神医学によって規定される病理性を発見することはもちろん重要だが、治療論に引き寄せて考えれば、病理性をもった人達がそのまま、なるべく無理をしないで生きることが出来る可能性を見いだすにはどうしたらよいか、またそうなるためには病者と健者の両者にはどのような存在様式の変容が互いに必要なのか、そんなことを考える。この文脈でいえば宗教は個々の病気の単なる癒しにとどまらず、その人なりの生を生きるための全人間的でドラスティックな変容を考えることは言うまでもない」という先駆的な問題提起をしたが、この問いの重要性は、その後の経済のグローバリズムと日本社会における新自由主義的風潮・個人の「自己責任」が過度に強調される風潮の中で、増しているように思われる。

 大月は、文化精神医学の立場から、現実の多重性と宗教的現実の存在について発題する。永岡は、戦前期の「民衆宗教」に関する資料を読みながら、宗教者の身体がいかなる地平を切り開いていったのかを論じる。呪術的治病に代表される「民衆宗教」の身体的側面は、知識階層から「淫祠邪教」として貶められてきたが、「民衆宗教」の救済活動を実質的に支えてきた宗教者の身体には、身体の思想というべきものが蓄積されてきたのではないだろうか、という問題提起を行う。熊田は、天理教の事例を中心に、「民衆宗教」の「人をたすけたら我が身たすかる」という教えがもつ「不安障害」に対する治療的意味を論じる。熊田は、「近代宗教学」が「功利的」発想として軽視してきた側面のもつ治療的意味に焦点を当てる。下地は、精神科臨床における、病いを巡る臨床の過程を、トポスの発生(場の形成)、その場に参与する人びとの相互作用について、琉球諸島のシャーマニズム的風土における事例を提示しながら、病いの臨床について、医療人類学的視点、物語論的視点、生命論的視点、宗教をめぐるパトス的視点から、論じる。その際、「臨床の零ポイント」概念や、「サファリング・コミュニテイ」などを提示する。島薗は、大局的見地から論点の整理を行う。

 もとより、このパネルで取り上げる個々のテーマはいずれもとても大きく、とうてい一個人に論じつくせるものではない。このパネルは、「『民衆宗教』と精神医学/治療文化」というテーマについて、結論を出すのではなく、論点を再整理することを目標としている。

2012-11-01

社会学会休み

 今年の社会学会(11月3・4日@札幌学院大学)は、休みます。社会学会を休むのは久しぶりですが、院生の発表にコメントするために北海道まで出かける義理は感じません。


(前略)また人間の周期は三ヶ月周期だということは、いろんなところで言われていますが、三ヶ月ぐらいでくたびれがくると、仕事に就く時、私は紙に書いて渡すわけですね。ちょうど三〇日〜四〇日というと、四月から働き始めますと連休にあたりますし、三ヶ月ぐらいたったら、夏休みに近づきますし、また三ヶ月ぐらいたったら、文化の日前後で休みが多いですし、それから、次は正月に重なりますし、わりと休めるんですね。そういうこと、仕事のリズムというものを患者さんに教えて軌道に乗せる。

 私が言うとおりの間隔でなくても、とにかくあそこまでいったら休もうというふうに目安がありますと、人間あまり疲れないんですね。目安を言ってあげると随分違うんですね(中井久夫「統合失調症をめぐって(談話)」『世に棲む患者』ちくま学芸文庫、2011年(初出1987年);pp88-89)。

2011-10-28

日本臨床心理学会

 今日明日と、日本臨床心理学会に出席するために、大阪に出張します。お目当ては、全体会シンポジウムの「臨床心理学ー宗教ー社会、その関係性を探る」。