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熊おやじの日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2017-05-30

Basic Fault

 ただ、氏には、何の瑕疵も全く無いかと言えば、この私にも、一つだけ指摘できることがある。それは、バリントの主著《Basic Fault》を氏は《基底欠損》と訳された。私からすれば、此の「欠損」という訳はいただけない。なぜなら、欠損とは、「根本的に欠けている」という意味であり、もう補いようがないからだ。テニスのフォールトだって、ルール上、線の外にでただけであって、ボールが無くなるわけではない。第一、地質学では、これを《断層》と訳している。だから、私は、《基底断層》としたい。「ズレている」だけなので、何らかの工夫さえすれば、繋がる可能性の余地があろうからである(山中康裕「中井久夫氏の人と書物のことなど」『中井久夫精神科医のことばと作法』河出書房新社、2017年、pp.86-87)。


*確かに、中井久夫氏は精神分析家バリントのいう“Basic Fault”ー精神医学でいう「境界例」と重なるところが多いーの治療に関しては、ペシミスティックすぎたのかもしれません。

バランスのよい生き方

 アルコール依存症であることを認めた断酒会員にとって、次の大きな障壁は「第二の否認」です。「第二の否認」に向き合うことは、素面の自分に向き合うこと。素のままの自分に向き合うことは身を切るように苦しい作業です。しかし、この作業によって「断酒」が確実に保証され、その先に未知の人生が開けるならば、どうしても乗り越えなければならない壁といえましょう。

 「第二の否認」への取り組みは、ものの考え方や行動の変化となって現れます。その結果、断酒、家族、断酒会、地域・職場など、自分を取り巻くあらゆる世界との関係性が変わっていきます(全日本断酒同盟パンフレット「『二つの否認』を解く」)


*断酒会が、AAと同様、宗教たるゆえんです。

2017-05-19

断酒と中動態

 私が禁酒してアルコールをやめたのか(能動態)、アルコールが心筋症という形で私を見放したのか(受動態)、私とアルコールとが切れたのか(中動態)―考えれば考えるほど、断酒という「依存症からの回復」は、能動態でも受動態でもなく、「中動態」の世界であるように思います。依存症は、近代的な「コントロールする主体」がフィクションにすぎないことを教えてくれる病気です。

2017-05-01

断酒会の宗教性

 吾妻ひでおも言っていたけれど、断酒会で出会う断酒歴の長い老人には、いい顔をした人が多いです。断酒会は、キリスト教由来のAAに比して宗教色が薄い自助グループだという意見もあるけれども、やっぱり基本的には宗教です。最大の美徳は、《正直》であること。

2017-04-12

オウム真理教と「悪の凡庸さ」

 オウム真理教事件被害者弁護団に言わせると、島田弘巳氏より中沢新一氏のほうが、はるかに事件に対する責任が重いそうです。島田氏は気づいていないようですが、中沢氏の言論活動には、ジョルジュ・バタイユの影響が強いです。

 オウム真理教事件後も中沢新一氏が犯した過ちは、松本智津夫死刑囚について、バタイユが言うような「聖なる怪物」というイメージを振りまいたことです。オウム真理教に関しては、ハンナ・アーレントがナチズムに関して言うような「悪の凡庸さ」をもっと強調しないといけないと私は思います。

2017-04-11

語呂合わせ文化の罪

 いろいろな点で日頃は人格者である僧侶の教員が、非・僧侶の別の教員が大腸ガンで倒れ、開腹してもう手術不能とわかったとき、「自分で病気になったんだ。頑固だからガンになったんだ」と片付ける場面を目にして、呆然としたことがあります。おそらく新宗教に端を発する「語呂合わせによる心直し」(「マニュアル化された心直し」)の文化は、現代では既成仏教にまで浸透しているようです。

 私などは、こういう文化は「自分を裁き、他人を裁く」「小さな狭い善人」を生むだけで、なくしたほうがいいと思うのですが。

2017-04-06

生長の家と白光真宏会

 新宗教教団「生長の家」の海外支部は、新興国に広がっていますが、生長の家の分派といっていい白光真宏会の海外支部は、先進国にしかありません。白光真宏会による、「悪の不在の思想は庶民を偽善者にする」「宗教的才能のないものは、『悪は実在するが消えていく』と考えた方がよい」という生長の家批判は、やはり「社会の個人化」が進行し、心に余裕がある先進国の人々による批判なのでしょう(島薗先生による批判も含めて)。日本でも、白光真宏会の信者の所属階級は、平均的には生長の家の信者より上でしょう。

2017-02-23

依存症と「正直」

「人はなぜ依存症になるのか」

 断言できるのは、決して快楽を貪ったからではないということである。むしろ、そもそも何らかの心理的苦痛が存在し、誰も信じられず、頼ることもできない世界のなかで、「これさえあれば、何があっても自分は独力で対処できる」という嘘の万能感で自分を騙し続けたことー私にはそれが依存症の根本的な原因であるように感じられる。

(中略)

 逆にいえば、依存症からの回復にはこうした「嘘」を手放す必要がある。事実、多くの援助者や回復した当事者が、依存症からの回復で重要なのは「正直さ」であると口をそろえているし、私自身も臨床経験を通じてそのことを実感している(松本俊彦『依存という心理ー人はなぜ依存症になるのか』「こころの科学182」、日本評論社、2015年7月、p16)。


依存症からの回復においても、「正直」という道徳が必要だということ。各種依存症の患者のための自助グループ(宗教)には、患者に「正直」になれる場所を提供しているという面があるのでしょう。