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klimの独り言

2016-06-19 (日)

Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」 感想

先日、「Mr.ホームズ 名探偵最後の事件」を見に行った。

去年までは映画映画館で見るという習慣がなかったのだけれど、ガルパンを何回も見に行くようになってから、色々な映画を見に行くのも悪くないかなと思えるようになった。で、ガルパンを繰り返し見に行った結果、一回無料で映画を見れるようになるほどのポイントが貯まったので、せっかくだから普段見ないような映画を見ることにした。


ホームズといえば言わずと知れた名探偵。その彼が映画の題材なのだから、謎解きメインのサスペンスもの…かと思いきや、サスペンス要素は皆無と言ってよい内容であった。そこに映し出されていたのは人間ドラマであり、かつて探偵だった老人が痴呆と闘いつつ過去記憶を辿っていく、という物語だった。*1

では全くの期待外れだったかと言われれば、NOと答えるだろう*2。そう思えるくらいにはいいお話だと思った。


あらすじ…と言うか、設定や時代背景、事の発端から結末まではWikipediaにまとまっていたりする。


これらの中で印象に残ったシーンがいくつかあったので、とりあえず書き残しておく。考察と言うよりかは感想文めいた何かではあるが。

さて、ここからは映画の内容に一応言及しながら文章を書いていくので、念の為ネタバレ回避的な配慮をば…



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*1公式サイトには「探偵の才能を秘めた家政婦の息子ロジャーを助手に、最後推理を始める!」と書かれてあるが、実際にはホームズが推理しているシーンはあれど、観客が推理することは全く無い。

*2:こらそこ、実質無料で見たからだろとか言わない

2016-04-14 (木)

iOSカレンダーアプリGoogleカレンダーの同期ができないとき

…が、ありましてですね。で、適当検索をかけたらこ記事がヒット。

上記記事では、Googleアカウント連携・カレンダーアプリの設定・Googleカレンダーの同期設定の3点の見直しを取り上げていた。

少し前まで適切に連携は働いていたので「それくらい既に設定してるわ!」と反射的に思ってしまったのだけれど、念の為に 設定→“メール/連絡先/カレンダー”を選択してみたところ、何故かパスワード要求する画面≒ログアウトされている画面になっていた。

再びログインして、無事に連携は復活。お疲れ様でした。


おまけ

原因が分かるまで試しにGoogle純正のカレンダーアプリを使ってみたのだけれど、アプリのアイコンがずっと31日になっていた点に対して地味に不便さを感じてしまった。自分は無意識のうちにiOSのカレンダーアプリの日付表示機能依存していたみたい。

2015-12-31 (木)

今年書いたブログの振り返り 2015年

 2013年末から続いているこのシリーズ。3日坊主にはならぬ3年坊主は避けたい…。というわけで、この1年更新された記事確認していましょう。

すくなぁ!!!???1個目の記事は景品目当てだったので、実質4記事。

まぁ、リアルの方で色々あったので、ネット時間を掛けられなかったというのもある。来年はもう少しネットに貢献したいなと思う。tipsとかちまちま書いてさ。

そういえばこのはてダの他にはてブロも開設したので、そっちで色々書くかもしれない。



まとめ

 ここで、2年前の記事のまとめに書かれた文章を見てみましょう。

 なんだかんだで例年よりも多く記事を書いた年だったかもしれない。特に艦これのせいで。来年以降もこの調子で書けるかはわからないけど、もう少し活発にしてみたいなと思っている。せめて月1くらいのペースでホッテン入りしてる記事にいっちょ噛m…イヤ、ヤメトコウカ。兎にも角にも、更新ペースは上げてみたい。

 更新ペース、上がりませんでした!!!

 ↑前年のコピペ。しかしアウトプットが明らかに少ない年だったので、もう少し増やしていきたいなー。

 それでは皆様、良いお年を

2015-11-07 (土)

松来未祐さんの訃報関連でつらつらと書いてみる

 何も深く考えずに思いついたことを書いていったらこんな分量に。そして、後半に行くほど取り留めもなくなるし、自分でも何を書いてるのか分からなくなる。

  • 松来さんがお亡くなりになったという報道が流れて1週間位たった。この報道を最初に知った時は本当に信じられなかったし、信じたくなかった。人間って受け入れがたいことを知ると目眩を起こして頭痛に苛まれるんだね。初めて体感した。PCディスプレイに松来さんの訃報が表示されたのを見た時は、ディスプレイを中心に世界が回った。
  • いまだに松来さんが亡くなったという実感が持てない。ついこの前、ニコ生で幸腹グラフィティの一挙放送がされていて、その中で椎名のお母さん役で松来さんの声を聞いたばかりだったのだから。それを見ていた時は無邪気に「あーいつもの松来さんの声だなー」と思っていた。そう思ってから程なくしてこんなことになるとは…
  • 声優さん*1の声って何らかのメディアに残されていることが多くて、その残されたものが週に1回だったり、ふとしたきっかけだったり、自分で円盤を回すとかで自分たちの耳に届くという側面があって、そういう機会に恵まれ過ぎているとその方が亡くなった実感を持ちづらいというのはあると思う。
    • じゃあ、この実感を持てるタイミングはいつなのだろうと考えると、それは今まで松来さんが演じてらっしゃった役の声が他の人に代わっているのを知覚した時だろうな、と。それはたまゆらのほぼろ店主かもしれないし、ひだまりスケッチ吉野屋先生かもしれないし、這いよれニャル子さんのクー子かもしれない。たまゆらに関してはもう少ししたらまた映画が流されるはずなので、最初に実感を覚えるのはそれなんだろうね。
    • とは言え、ニコ動でもTwitterでも掲示板でも、その代わった声を聞いて「声が代わってしまったのは残念だ」と書くのはグッと堪えておこう…と思う。残念なことではあるし仕方がないことだけれども、そのような言葉を発するのは代わりを務める方に失礼だと思ってしまうからだ。代わりを務める方もこのような形で役を引き受けるのは心苦しいだろうし、それでも演じなければならないというプレッシャーに耐えるのだろうから。だから、そこは黙って見守ろう(聞き守ろう)よ、と。

どんなさよならにも意味があるって だれかが歌ってた

私にはまだわからない

ああ これから それを知るために

これから  坂本真綾 - 歌詞タイム
    • Twitterでハッシュタグを眺めながらこの曲をラジオで聞いていたのだけれど、そこでは「どんなさよならにも意味があるって だれかが歌ってた」という歌詞に心打たれていた人が多かった。
    • ただ、自分は「私にはまだわからない」という部分までが自分の心が投影されているというか、まだ松来さんが亡くなったという事実がまだわからない自分がいて、どうしてもどのような意味があるのかイマイチ掴みきれていない。まぁでも、これから、それを知るために、日々を生きていったり、時々立ち止まって考えていったりするんだろうな。今すぐわかる必要はないよね。いずれ、わかればいい。

  • 38歳で病気肺炎?)で亡くなったという話だけど、38歳という若さで病気で亡くなるという事実自体ピンと来ない。
    • 70,80まで生きている人はゴロゴロといるし、病気を患っていてもなんだかんだで(完治とは行かないまでも)死なずに治ったという話を耳にすることが多い。でも、それは単に若くして亡くなる方のエピソードを見聞きしない自分に原因があるんだろうなぁ。それとも社会がそれを隠蔽している?(陰謀論っぽいからこういう考えは好きではない)
    • 後藤邑子さんが病気を患ってらして、長い闘病生活を経て*2声優業に復帰したという話は有名で自分もブログ等は更新される度に目を通していた。そういう姿を見続けて「病気と闘う意志があれば、苦しくてもいずれは治るのが普通なんだ。」と思い込んでしまったのかもしれない。自分の認識が甘い。それは思い込みでしかなかったのだ。
      • 自分は何年も前に体温が上がったり汗をかくと蕁麻疹が出る身体になってしまった。医者に行っても根本的な原因は分からないと言われ続けて、蕁麻疹の症状がある程度抑えられる薬を毎日服用している。死とは程遠い軽微な*3病気ではあるが、これが治せないという事実から日本医学が完全に万能ではないということは知っていたはずなのだ。それを体感していたのにもかかわらず、「病気でも大丈夫でしょ」という思考接続されていたのは矛盾そのものだ。それとも、単純に病気が死に直結するという現実から目を背けていただけか。
  • 今回の件ほど、誰かが亡くなったという事実を知ってショックを受けたことはないかもしれないし、死ぬことについて考えを馳せたことはないかもしれない。
    • 10代やそれ以前の頃に祖父をそれぞれ亡くしているが、その時は死ぬことについてピンときていなかった。居た堪れない気持ちにはなったが、それでも何故か深いショックを受けるということはなかった。(生きていたら)両祖父から怒られそうな話ではあるが、大変申し訳無いが正直の件で祖父の死以上に、死について思考が囚われた。囚われただけで、考えが全然アップデートされる気配はなかったが。
  • 訃報を聞いた瞬間、「こんなに悲しい気持ちになるのであれば、もうアニメとかラジオとか聞かないほうがいいのではないか」という思考に僅かでも接続されてしまった。それでも、今期のアニメを習慣的に見てしまうのは、性(さが)みたいなものなんだろうか。
    • 終物語 第5話「そだちロスト 其の貳」を見たが、井上麻里奈さんの声に圧倒された。こういうのが聞けるとアニメを見ていてよかったと思える。「もうアニメとかラジオとか聞かないほうがいい」という気の迷いを鵜呑みにしなくて本当に良かった。やっぱり、いつか悲しい思いをすると分かっていても、いや分かっているからこそ、聞ける内に聞きたいものを聞きまくった方がいい。

壊れて泣いたって願いは届かない

あなたのいない朝が今日も明けるから

今はこのまま

いつかこの思いが逝く日まで ―思いが逝く日まで

空へ昇る日まで

朝がまた来る  Dreams Come True - 歌詞タイム

頼りない三日月 月明かり

あの人を連れてきて

照らして あの人を想うこころ

頼りなくしぼみそうになる想いを

十五夜ごと 欠けてもまた満ちる力を

ひとしずくだけ こぼして下さい

三日月  Dreams Come True - 歌詞タイム

何故かこの言葉が深く脳内に残された。

これから

これから

朝がまた来る

朝がまた来る

*1声優さんに限らず、メディアに現れる人たち全員に言える事ではあるけれど

*2:治ったと言っていいのかは分からないけど

*3:それでも自分の身体が嫌になるのは日常茶飯事ではある

2015-05-29 (金)

質問属性を見極めない質問は自分を苛立たせる(もちろん相手も)

 id:hase0831id:hase0831 さんによる記事だけれど、全体的に「それな」「ほんまそれな」と思いながら読んだ。中華丼の喩えの部分に関しては正直に言うと分かりにくさを感じてしまったけれど、それでも全体的に言わんとしていることは読み取れた。


要約(抜き書き)

 色々と書かれてはいるけれど、前半部分の文章からキモの部分を抜き出すとこんな感じになるのかなと。

質問の属性というのは、大きく分けて以下の2種類です。

1.「Yes or No」で回答できるもの

2.「5W1H」を問うもの

「ズレ」た回答をしてしまった場合、受け取った質問者は相手がなぜそういう内容の回答をしたかを、一度脳内で変換する必要が出てしまいます。

このズレは会話のスピードを下げ、無駄脳内変換作業を引き起こすため、ストレスとなります。

この人に何かを聞いても、一発で欲しい回答が来ない。つまりコミュニケーションコストが余計にかかっている、という状態は不快感につながり、相手に悪印象を与えてしまう結果にもつながりかねません。


この記事は回答者側にたった視点でのみ書かれている

 この記事は回答者側にたったもので、質問が来た時の心構えとして「ズレた回答をしないようにしましょう」というものだったけれど、個人的には質問者側にたった心構えが脳内に思い浮かんだ。最近、誰かに質問をするという機会が個人的に増えたと感じたので、この記事を読みながら「じゃあ誰かに質問するときにしない方がいいことは何だろうか」と考えたり。というわけで、ここから適当に書き連ねてみる。


質問するときにしない方がいいこと

そもそも質問したいこと・内容が分かっていない

 例えば、何か新しいことを学習し始めたときに周囲に対してやりがち。新しく会得しようとしている事柄に対してよく分からん部分というのは必ず出てくるのだけれど、それを何とかして埋めようとするために自分よりも知見のある人に質問をしようとすると、分かってないが故に頓珍漢な質問を投げてしまったりする*1

 もっとも、こういうフェーズは誰もが通るし、多かれ少なかれこういう頓珍漢な質問をしてしまう人はいるはず*2。なので、しない方がいいという枠組みに収めるのは不適切かもしれないけど、それでもどこまで理解してどこから理解できてないかを伝えた上で質問をすれば、回答者側も応えやすいんじゃないか。


「Yes or No」での回答を脳内では欲しているのに、「5W1H」を問う言葉で質問しちゃう(脳内と出てくる言葉に差がある)

 逆も然り。要は、疑問点は脳内に浮かぶんだけれど、それをアウトプットする段階で自分の気持ちとの間で何らかの齟齬が生じちゃう。焦っている時とか余裕が無いときにやりがちかも?少なくとも自分はそうなりがち。上の状況とコンボで発生することも。

 これは質問力というか、言語能力とか言語化に関する部分だと思う。「これは中華丼ですか?」という問いくらいだったら齟齬は生じないかもしれないけど、もっと抽象的でもっと複雑な質問をすると、「Yes or No」での回答を脳内では欲しているのに、「5W1H」を問う言葉で質問しちゃうというような「ねーよw」と思われがちなことをやっちゃったりするかも。


発した質問に対して、希望している回答がひとつしかない(欲しい回答以外の全てを拒絶する)

 自分でもついついやってしまいがちなのがこのパターン。そしてインターネッツでもよく見る光景。例えば、Yah◯◯知恵袋とかで質問者が色々とツッコミどころのある質問をしたいせいで回答が燃え上がっちゃうんだけど、その中で唯一質問者を肯定した内容の回答にベストアンサーが付く…的な。質問という体でありながら、実は求めている反応は固定されているパターン。

 冒頭の記事についたブコメにも挙げられている「言質を取ろうとしている」というケースもこれに当てはまるかもしれない。回答を求める形を取りながら、実はどのような回答をしたのかという証拠を手にしたいというやり口。


質問文を投げかけておきながら、そもそも回答を望んでいない(疑問文の体で相手や物事を断定する)

 上の欲しい回答以外の全てを拒絶するパターンよりも一歩進んでしまったケース。これは質問文というより反語に近いかも。

 これはネットネタ的な話だけど、少し前にTwitter話題になった「男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」というハッシュタグは、疑問文の形を取りながらも別に具体的な回答は求めてはいないだろう*3


しない方がいい質問はブーメランめいて質問者自身に跳ね返る

 これらのような質問は「ズレ」た回答を呼び起こさせやすいし、コミュニケーションコストを余計にかけさせる状態にさせやすい。それは質問者にとって負担をかけるし、そのような状態で返された回答を受け取っても質問者にとっても負担になる。質問者の質問のせいで質問者自身がコミュニケーションコストを支払ってしまう。これだと双方ともに得をしないよね。

 よりよい質問は相手のためじゃなくて、質問をする側のためでもあるということを脳内に留めておきたいね、というお話


回答者側にたったときの心構え

 色々と考えてみたけれども、じゃあ自らが回答者側に回った時に、質問者側にこのような考えを強要してもいいのかというとそれは違うよな…と考えたら、id:hase0831id:hase0831 さん自身が言及なさっていました。

 各自で気をつけあいましょう(反復)


関連記事とか

 id:raf00id:raf00 さんによる記事も質問者側に立った視点で記事を出されていました。

「こっちは明確に質問したぞ!さあ明確に答えろ!」ってのは全然気持ちのよい会話のキャッチボールにはならないので、「正しい質問をしよう」ということを考えてみましょうじゃありませんか。

 …自分がはてダで記事を書く必要がなかったんじゃないかとついつい思ってしまう程にいい記事なので、私の記事をご覧になった方はこちらも是非。



本文と全く関係ないおまけ

 アルファな方は言うことが違うなと思いました(小並感

*1:しかもこういう時に限って、ググってもよく分からなかったりする

*2:全くないと自信を持って言える人は天才か、全てに対する理解力が高い人だと思う。ぜひその理解のコツをブログとかに書いてくれ!天才はお引き取りください。

*3:FavやRTは欲しがるだろうけど