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No Hedge!

2008-03-02

「コンビニの建築×社会学」を聞いてきた。

MUSEUM OF TRAVEL

このイベントに参加してきた。

コンビニ建築×社会学

<ゲスト>

藤村龍至(建築家

吉村英孝(建築家

新雅史(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

田中大介(筑波大学大学院人文社会科学研究科博士特別研究員)

<モデレーター>

南後由和(東京大学大学院学際情報学府博士課程/日本学術振興会特別研究員)

■都市空間の風景や日常生活に溶け込み、独特の場所性を獲得しているコンビニコンビニは、消費空間の構成、流通・情報ネットワークの空間化、労働環境などの点において、興味深い建築的かつ社会学的なテーマとなっている。

■今回はコンビニをめぐって、若手建築家2名と社会学者2名が各々の問題関心をぶつけ合い、議論する。

リンク先のブログを見ていただければ分かるが、Museum of Travelというグループが「CAMP」というシリーズで延べ30日間、トークイベントを中心に様々な企画を八丁堀の「Otto Mainzheim Gallery」で開催している。3月1日は以前勉強会で話を伺ったことのある社会学のお二方と、若手の建築の方が「コンビニ」について語るというイベントだったので、就活帰りに寄ってきた。

個別の内容―データベース/ガラス/スキマ/レキシ

流れとしては、藤村氏⇒吉村氏⇒田中氏⇒新氏の順で発表していく。1人の発表につき、建築学の人が発表したら社会学の人間がコメントを付け、社会学の人が発表したら建築学の人間がそれぞれコメントをするという方式になっていた。4人が発表を終えると、全体でのトーク及びギャラリーとの質疑応答に移った。

それぞれの発表を羅列すると冗長になるので、興味を惹かれた点、気になった点を小さくまとめてみる。

◇ 藤村氏:家電量販店やスーパーの空間を、物品が置いてある下の空間と商品カテゴリや値段を天井から吊るして表示している上の空間に分断し、前者を「遭遇的空間―encount space」、後者を「検索的空間―seaching space」と名づけた。両者は床から150cmのいわゆる「アイレベル」で分けられており、遭遇的空間にある商品を検索的空間で二次元情報によって「データベース化」している、という。

非常に興味深かったというか、データベースの文字を見た時点で東浩紀を想起したのだが、会場で配られたフリーペーパーにある藤村氏の文章を読むとかなりそこら辺を意識しているのが伺えた。

◇ 吉村氏:吉村氏が最初に手がけた薬局の建築に関する事例を挙げ、設計に際しコストの抑制や融資を受ける銀行からの要請などいくつもクリアするべき条件がある中で、いかに建築家が自分の裁量を確保できるのか、という話がメインだった。建築と言ってもかなり建築そのものによる制約以外に様々な条件で拘束されるということがよく分かった。ガラスをファサードに綺麗に使ったデザインも面白かった。

個人的には吉村氏の発表に際し田中氏が述べたコメント「コンビニコンビニらしさを徹底していない」という言葉が印象に残っていて、「コンビニの壁を全部ガラス張りに!」という提案をなさっていたのだが、個人的には近所のセブンイレブンの壁が全部ガラスになったら多分行かない気がする。パノプティコンとは言わないけれど、周囲の視線をかなり気にしてしまいそうだからだ。コンビニは確かに今でも道路に面した側(ファサード)はガラス張りだが、あれは雑誌を立ち読みすることでガラス付近の人間は外と視線を合わさないでいれるのであって、全面ガラスになると気になる人もいるのではないかな、と思った。

◆ 田中氏:社会学のお二方は以前もっと長時間に渡りお話を伺ったことがあったり文献を拝見したことあるので、非常にかいつまんでいくつか。「スキマとしてのコンビニ」ということで、全国どこにでもあるコンビニが、ついふらっと立ち寄ってしまう、入るのと何故か安心してしまう「スキマ」であり、歴史的経緯から見て非常に「日本的」であるということを指摘していた。またセキュリティ意識の変化と共に防犯的な役割も同時に課されていく傾向にあることも述べていた。

ここで藤村氏がコメントで「聞けば聞くほどやっぱりコンビニ建築家はいらないんじゃないか、と思えてきてしまう」という「警戒心」を表明したのが面白かった。以後藤村氏は「コンビニ建築家ってほんとにいるの?」と言う問いを投げかけていく。

◆ 新氏:コンビニが日本で広まったのは、大店法による規制を潜り抜け、かつ規制緩和されていなかった酒類の販売も行える点に眼をつけ、個人経営の酒屋などに積極的に売り込んでいった結果だという歴史的経緯、そしてPOSシステムとそこで働く人間の関係について述べていた。最近はなかなかコンビニも人手が集まらず、

人間関係をいわば「しがらませて」維持しているような事態であり、高齢者外国人労働者の比率が高まっていたり、店舗数もオーバーストアで、新規出店は大学や再開発されたビルの中など初めから人の入りが見込める場所が増えているという話であった。


全体の議論―文系と理系を架橋するもの

全体的な構図としては、建築学側は藤村:理論/吉村:実践、社会学側が田中:消費者、新:労働者、という図式になっていた。

全体トークでは、いくつかの論点が出たのだが、個人的には藤村氏が問い続けた「コンビニ建築家って必要なの?」という論点が面白かった。司会の方は、社会学建築学を「コンビニ」という側面で架橋する視点として「インフラとしてのコンビニ」という方向性で行きたかったようで、社会学の方からは流通的な観点からバックヤードの設計に建築の入る余地があるとか、セキュリティの観点から、といった声が上がっていた。また吉村氏はコンビニ地理的な特性による絶対的な固有性ではなく、全体との差異によって構築される相対的な固有性を確保したいという観点から、コンビニ建築が入る余地があるのでないかと述べていた。ただそれでもどうも藤村氏はあまり納得してはいないようだった。

僕は藤村氏がどういうスタンスで建築家としてコンビニなるものに立ち向かいたいのかが分からなかったので、質疑応答のときに聞いてみた。内容としては、「藤村氏の言う『コンビニ建築学の人間が関わる』というのは、例えば他店舗との差異化を図る必要があるとか、銀行によって棚の数から何まで全部抑えられているとか、そういったいわば『文系的なオーダー』が先にあって、それに理系が応える形で関わることなのか。もしそうだとしたら確かにそれは他店と違うガジェットを置いたり、銀行の言うことには素直に従うしかなかったりで解決してしまうもので、建築がストレートに関わることは難しいかもしれない。そうではなく、先に建築の方から『理系的なオーダー』を出して、それに文系的な要素が応えるという形でならば、関わることが出来るしもし出来たとしたらそれはすごいことなんじゃないか」というもの。

それに対する藤村氏の回答は、「『文系的』『理系的』という言葉を使うなら、今まではちょっと文系的なオーダーが先に来ていて、自分としてはどっちが先というよりも、両者が同じテーブルにすわり、対等に話をして話が進んでいくような形を望んでいて、そうしたロールモデルを作ろうという野心みたいのがある。今日参加したのも、そういう方向性を考えたから」というものだった。確かに藤村氏の発表もかなり情報社会学的な用語や思考が垣間見られた。

ちなみにここで建築学側の人間でも藤村氏と吉村氏の間でスタンスの違いが見られた。文系的なものと理系的なものを分けて考えたうえで、その両者を合わせていきたいとする藤村氏に対し、吉村氏はそうしたものを分けずに考えていきたいというものだった。実際の建築においてそれがどういうアウトプットの差となるのかは、建築に全く疎い僕には察知することができなかったのだが、同じ研究室にいて同じ場で議論している間柄でもそうしたスタンスの差があり興味深かった。*1


個人的な感想―システムの中の生活空間

個人的には、「コンビニに来ると何故かほっとする」的なイメージをどうにか生かして、社会学建築学を架橋することは出来ないのかと思っている。テンプレートなことを言えば、コンビニといったら「生活空間/システム」の文脈においてシステムの権化のような扱い方をされている。

藤村氏は量販店の天井から吊るされている物品のカテゴリ表示を「データベース」と呼んだが、コンビニはこうしたデータベースは明示的でない。何がどこにあるのかは、入ってみないと分からない。だがコンビニの利用者は大体何がどこら辺にあるのか分かっている。同じような構造をしているコンビニに幾度も入ることで、データベースを内面化しているからだ。

「生活空間」を、従来の定義から離れ、「履歴の参照可能な空間」、「システム」を「履歴の参照不可能な空間」とすると、コンビニは自分の過去の履歴=データベースを参照し、それと現前の空間が一致することで「入ると何故か安心する」ことの出来る場所であるといえる。形容矛盾的だが、「システムの中の生活空間」とでも言えるような場所になりつつある。こうした要素を、建築の力によってより広範囲の人間に、より簡易にもたらすことが出来れば、それはかなりインパクトのある仕事ではないかな、と思った。

*1:他にも吉村氏がコンビニのガラスを増やせと言った後に藤村氏がガラス減らせと言う場面があった

DすけDすけ 2008/03/03 01:35 どうも。遅くまでお付き合いくださりありがとうございました。
ちゃんと帰れたのかな。
スーツ姿のklovさんの印象(最初気付かなくてごめんなさい)が印象に残ったセッションでした(笑)。

ガラス全面張りに関しては僕というより吉村さんの提案だったかな。確か僕が「建築家としてコンビニのどこをどう変えたいですか」と質問して、「全面ガラスで」という返答だったかと。でそこにコンビニはコンビニを徹底してないと僕が挑発したのはそうなんだけどさ。質問の前に、吉村さんがドラッグストアをガラス張りした建築物をプレゼンしてて「お、いける」と思ったんだよね。というのも次に僕の番で、しかもガラスに対する近代建築家の夢と社会学者のアプローチの違いから入るプレゼンだったから、建築家のガラスへのオブセッションを引き出せて、ちょっと「にやり」としました(笑)。ちょっとイヤミだったかもしれないけど。そういう意味では、klovさんがいっている「パノプティコン」というのはよくわかる。あと、ここには含みもあって、消費者というより、バックヤード、つまり労働者の(近傍)まで透明化したとき、なにがおこるかというのがちょっと面白いなと。バイト集まらないだろうけど(笑)。で、セッションのあとにドラッグストアを建築した吉村さんに、ドラッグストアのガラスにドットで店舗名をぼんやり映すというのは、半透明になっていいですよね、透過性はどう考えてるんですか、と聞いたのだけど、商品と人間が「ぼんやり」見えるくらい、といってたのが印象的でした。大体、明るすぎると近所迷惑とかにもなりうるわけで。

あと藤村さんが「建築家のやることない」といってたのは僕も印象的だったというか、なるほどなーと思いました。というのも、良い意味でオールドスタイルな野心をもっているところに、建築家のプラグマティズムを感じたというか。建築家の有名性をオンタイムで構築していく現実を知らない立場からすると、やっぱり建築「物」や公共建築(でかい箱物)だけでない情報社会における建築の「理念」の領域(フォーマットや転用可能な図面)でも頑張って欲しいな、という無責任な感想もあり。とはいえ、新しいコンビニフォーマットを考えて普及したとしても、そのときどうやって建築家の固有名が流通するようになるかというのがまた難しい問題なんだろうけど。もっというと有名性にこだわらない仕方もあるかな、とも。

解釈については異論がなくもないけど、「システムの中の生活空間」という言葉。まさにコンビニが突きつけてる問題だと思います。これは建築の問題として限ってみても、先のフォーマットとしての汎用性と地域、店舗、業種などの個別性とのバランスというところで重要だろうな、と。で、セッションの最後に適当なこといったけど、吉村さんが寺の建築もやってるというのはやっぱり面白くて、仏教と神道には「伝統的」な宗教建築のパターンがたくさんあるわけだけど、ぼんやり共通の枠組みもあり、それがあられもなく増殖するという不気味さがある。コンビニの増殖の論理(宗教と資本)とは全然別で、直接結びつけるわけにはいかないけど、その増殖になにか面白さを見出していくのもいいかな、と思いました。

klovklov 2008/03/03 03:08 発表お疲れ様でした!いえいえ、むしろ覚えていてくださってだけでも嬉しいです。ちなみにスーツ姿で認知されないのは僕のデフォルトのようです。

>ガラス
なるほど、そうした高等レトリックがあったのですか!読めませんでしたw確かにその後の他の方含めた反応は面白かったですね。どこかが実験的にバックヤードまでガラス化とかしてくれないかな・・・

>建築家っているの?問題
僕も個人的には無責任に賛同したくなる野心でした。すごく面白そうです。
ただDすけさんが指摘していたように、本当にコンビニに建築家が介入するとなると、自分のデザインしたものが5年以内に潰される可能性を覚悟した上で、という縛りがかかってきて、さらにそれを見越したフォーマットを作るのも建築家として望む形なのか、ということになる。作家性云々がいえなくなると、安直なことを言えば一番ありうるのはセキュリティをアーキテクチャルに強化するという方向性で、それは果たして建築の人が望むものなのか?という疑問が残ります。

>システムの中の生活空間
フォーマットはつまり「型」であって、モニュメントそのものは有限でも型は永久に伝承されるというのはすごく日本的ですよね。宗教的にしろ資本的にしろ、どちらも未来に継がれる必要性があるもので、「型」の永続的な継承性を用いている点では同じと言えるのでしょうか。新さんも仰ってましたが記憶とか時間とかそういうのを鍵に出来ると新しい方向性が見えるのかもしれません。

DすけDすけ 2008/03/03 04:12 「高等レトリック」というよりも我田引水というか、「あ、つなげられる」というのに反射的に飛びついた貧乏性ですね(笑)。反射で喋る癖を直したい(恥)。

>一番ありうるのはセキュリティをアーキテクチャルに強化すると>いう方向性
そうそう。ここは難しいなぁと思いました。セキュリティの問題は、もう少しつっこんで話しあえた問題なのにちょっと広がらなかった。ネオリベという話題も規制緩和だけでなく、ここに結び付けて話して建築家の立ち位置を聞いてみるべきだった。klovさんの示唆を読んで思ったのは、POSなどの手がけるシステムエンジニアをつれてきて建築家のかたと語ってもらったら面白いかも。アーキテクチャというものに対する考えのズレとかが明瞭になって、ネットワークと空間というテーマ系からなにか出てくるとか。

>「型」の永続的な継承性
あー、なるほど。klovさんが質問してた文理問題ということでは、理系的オーダー/文系的オーダー、システムとしての型/生活としての型、というのがうまく融合したところ、あるいはその区別が失効するようなところで永続的な継承性があるのかも。ハーバーマス的にはそのあいだに公共性があって、討議を通して継承性を産むのが一方で、他方で同意などを経由せずシステムと生活がくんずほぐれつでどうしようもなく継承されちゃうコンビニ的強かさの問題がある。その意味でもアーキテクチャやセキュリティをどう考えるかがますます重要になる…ってどこかの有名な情報社会系の研究会の後追いみたいなことに(笑)。それはまあいいとして時間の問題でいえば、具体的にはコンビニの24時間営業をどうするかという問題化もありうる。24時間営業やめれば、多少の同期化がおきて、過重労働やバイトの使いまわしやセキュリティの問題を考えることができ、公的な継承性へのフックになるかもしれない。あるいは24時間というだらっとした時間のなかでばらばらの時間を(労働者・消費者双方に)担保するコンビニではなく、共有できる時間や記憶を担保するコンビニへのとっかかりにできるかも。僕的には深夜にも開いてて欲しいというのもあるのでいきなり全部やめるのではなく、利益をどう配分するかも考えつつ地域ごと何店舗かに24時間を許可する、とか。そうすると、24時間のコンビニが特異点になり、「深夜にあそこでよく会ったよね」みたいな同期、記憶、強すぎない顕名性などが確保できる、みたいな。でも深夜開いてるコンビニが遠いと危ないか。

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