「ぼくらと彼ら」の物語から「ぼくら」の物語へ

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学生が軍隊に引っ張られて前線で戦う羽目になる類の想像力(ガンパレとかマブラヴとかその亜流とか)、ロボとか美少女で粉飾されてるけど、基本的に日本社会における「例外状態の常態化」を背景にした想像力だと思う。つまりはバトロワと近縁している。そこに共同体の絆を持ち込み帳尻をあわせる。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889919513

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少年少女といえどもある種の覚悟を持って世界をサバイブせねばならんという意識、世界は残酷で敵対的であるという絶望感、それらを乗り越えるための「共同体」の絆がある。で、敵は「外部」からの「他者」としてぼかされてるけど、マブラヴ辺りでは彼らを戦場に送り出すこと自体が悪であると書かれる。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889921208

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思えば軍隊というのは社会共同体を構築するための平準化システムであった、ということとか、そこでの絆というのはゲマインシャフトであった、ということとか鑑みると、つまりは離散的流動的な現代社会に対するアンチテーゼとして「闘う」ゲマインシャフトが欲望されているとも読める。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889923320

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「闘う」ゲマインシャフトというのは共通の目的によって結束し、共通の文化を保有し、それぞれが強い心理的絆で結ばれている。そして目前の状況に対しては実際的に立ち向かうことができる。実に判りやすい。ついでにいうと仲間の死を通じて成長できたりもする。現代に欠けているものが全てそこにある。http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889925806

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こうした想像力と「希望は、戦争」的な想像力というのはつながりやすいのではないかなあなどと思っている。ただ、そこでは赤木的ニヒリズムは排斥されるだろうが。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889926892

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ただまあ「例外状態の常態化」ってのが前景化する前からこういう想像力はあった。たとえばガンダムから延々続くサンライズロボットアニメなんかそういう話。総力戦とその中での社会的立場を経ての成長、という構図。なぜ「総力戦」がロボットアニメの背景として取り上げられたのか。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889930369

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日本株式会社の世界に対する経済総力戦、みたいな部分を背景にしていたのだろうかという気はしないでもないが、牽強付会かもしれない。なぜなら高度成長期には「総力戦」モチーフの作品が描かれていないからだ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889931790

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となれば「例外状態の常態化」が背景にあるという論は引っ込めざるを得ない。読みとして「例外状態の常態化」がゲマインシャフトによって補償されるというのは効力を失わないが。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889932562

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ともかく、なぜ「ガンダム」は「総力戦」を描かねばならなかったのか、というのは重要だ。おそらくは群像劇として、敵も血の通った普通の人間であるということを描写することが強い意味を持っていただろうとは云える。「他者」への視線。それへの意識。ガンダムは物語の周縁存在に焦点をあわせた。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889934774

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世界があり、そこにいる人々には脇役だろうがそれぞれの生がある。そうした事柄に焦点をあわせることで、視点の多元化を図り、物語の重層化を図ったということではある。昨今の「総力戦」ものにはそうした視座が欠けているか、弱い。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889937548

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「例外状態の常態化」により「他者」を慮る余裕がなくなり、自己と世界の闘争で自己に味方せねばならぬという状況が生まれ、それを克服するためにゲマインシャフトが要求された。という変化としては読める。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889938473

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つまりあれだ、ガンパレとかあの辺は富野アニメより世界に対する見通しが退化している、といえる。正義の相対化、他者の実体化というサンライズロボットアニメ路線の文脈から離れている、ということだ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889939841

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他者の前景化、といいかえるべきか。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889940852

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「ぼくらと彼ら」の物語から、「ぼくら」の物語、への縮退は、それはそれで切ないことではあるなあ。 http://twitter.com/crow_henmi/statuses/889941648