2012-04-23
通訳が存在しない世界は存在するのか? (1)
モノリンガル世界は存在するのか、ともいう。
創作において、例え、それが広大なファンタジー世界であっても、単一言語世界はポピュラーである。キャラクター同士の意思疎通の表現が面倒であるとか、もう一つの言語を考案する面倒くささなどを考えれば、当然の演出であると言える。
だが、それは現実世界と比べ不自然と感じてもおかしくない。創作世界でできるなら、なぜ現実世界の隅々にまで日本語が通じないのか、とも思ってしまう。いや、思わないけど。
そんなこんなで、言語が一つで通訳が必要としない世界はありえるのか、というところを考えてみた。
言語の違いをどうするか
言語が複数存在するとはどういうことなのか。まず、その定義をしてみたい。
例えば、日本語と英語が存在する世界なら、通訳が必要であり二つの言語が存在するというのは異論がないと思う。では、日本語標準語と沖縄方言が存在する世界なら、一つと数えるべきか、二つと数えるべきかどちらだろうか。別にこれは日本語に限らない。中国語の北京語と広東語や、英語のイギリス北部方言とアメリカ南部方言(こちらは発音だが)も同種の事例が存在するらしい(参考:中国嫁日記:着いた直後から危機、方言 - Wikipedia)。つまり、言語と方言の違いはかなり曖昧であることに注意しないといけない。
今回はテーマとして、通訳が存在しない世界が存在するかどうか、を取り上げている。従って、同一言語であっても意思疎通が困難で通訳が必要となるかというレベルで見ていきたい。従って、方言とされている場合でも、通じない場合は別々にカウントする。日本語標準語と沖縄方言なら二つ、北京語と広東語でも二つである。
すると、今回の問題は、言語の多様化が起こらないことはあり得るか、と言い換えることができる。そこで、その言語の多様化が起こる部分にフォーカスしていくが、その前に言語獲得と言語発生について見ておく。
言語の獲得と発生
人類と同様の言語獲得を行う場合を考える。登場キャラクターは小柄で耳が長くて可憐な羽を持っていて男女の区別が難しい種族だから、人間と言語獲得のシステムは違うんだ!という場合はとりあえず置いておく。
とはいえ、まだ、人類の言語獲得システムは明らかになっていない。だけども、主流の考え方において論を展開することは可能である。言語獲得の理論は大きく分けて三つある。行動説(behaviorism)、生得説(innatism)、相互作用説(interactionism)である。
行動説は習慣で言葉を話せるようになるという説だ。赤ん坊がはじめは赤ちゃん言葉だが徐々にうまくなっていくのは使っている時間がどんどん長くなっているからだというものである。が、これに類する説は生得説を唱えたチョムスキーによって、ボロクソに言われて(50年代)、今では下火である。
生得説はおそらく(僕は言語の専門家ではないので)現在の主流で、人間は生まれながらにして言葉を話すための機能を持っているという説である。バリエーションも幅広く、人類は生まれながらに文法を持っていて、単語のシャワーを浴びて、その言語における独自文法を学ぶことで言語を獲得する、チョムスキーの提唱した生成文法派があり、認知能力の獲得が生得的にあって、その発達が言語の発達を促すとする認知科学派がある。また、遺伝的には持っておらず脳の並列分散処理仮説に基づくコネクショニズムという生得だけど生成文法不要派などある。とにかく主流である。ちなみに自殺器官、じゃなかった、虐殺器官が描いている世界は生得説の生成文法寄りである。
相互作用説はどっちも必要だよね、というキメラな提案である。
さて、今回の話では主流である生成文法説を採用して、考察を進めようと思う。この説を採用するのは、これを裏付ける観測が多いからである。では、どのような言語的な観測が行われたのか紹介する。
ピジン言語とクレオール言語
言語発生についての一例はピジン言語とクレオール言語に集約される。
まず、言葉の異なる商人同士での貿易や、言葉の異なる奴隷同士での意思疎通が必要な場面を想像する。現実にもこのようなことがありえることは想像できると思う。このような場合、異なる言語の接触で発生するのがピジン言語である。
これは互いもしくは一方の単語のみを借用した言語である。だが、文法構造は存在しないので、なんとか辛うじて意思疎通ができるようなものである。例えば次のような会話(ただし、この例は僕が作ったものである)、
- A「Yu flowers have?(あなた・花・売る?)」
- B「Yeh. Candy yu buy ne?(はい。お菓子・あなた・買う・無い?)」
- A「Today gyal birthday mi.(今日・彼女・誕生日・私)」
というのがピジン言語である(単語は英語から変えてみた)。これに文法的規則は存在しない。単なる単語の羅列である。これはピジン言語を作る人達(多くの場合は成人だ)が意思疎通不可能な場合、相手の喋る文法を理解し得ないことによる。ただ、厳密にはもうちょっと文法的な整合性が存在する。それは当本人が固有に持っている言語に引っ張られるためである。今回はそれを無視している。
さて、そんなピジン語を喋る大人たちから子供が複数誕生した場合、その子供たちはどのように会話するか。このとき誕生するのがクレオール言語である。この子供たちは親がピジン語だけでまともに会話ができないにも関わらず、ピジン語に文法を導入される。これは現実に起こりえていることだ。となれば、上述の例の会話であれば、例えば、以下のような変化となるだろう(あくまで、この例は僕がそれっぽく作っただけである)。
- A「Yu have flowers ci?(花売ってない?)」
- B「Yeh. Yu ne buy a candy ci? Wa ci?(あるよ。お菓子は買わないの?どうしてだい?)」
- A「Today is mi gyal di birthday.(今日は僕の彼女の誕生日なんだ)」
前述の単語の羅列とは異なり、SVO的な文法が導入されたりする(中国語的な文法を混ぜてみた)。この辺りの詳しい話は専門の書籍に任せるとして、言語というのはこのように躍動的に進化していくものである。
このような言語発生の中でも特に注目されるべきなのは、ニカラグア手話である(参考:ニカラグア手話 - Wikipedia、言語的ビッグ・バン)。この手話においても、はじめはピジン言語的であったものが、クレオール言語化して発展していった。その変化は今なお続いているとある。
つまり、これらの事例からわかることは、親が単語の羅列でしか会話できなくても、子供は勝手に文法を作り上げ、言語として機能させることができる。言語を構築する機能は人間に備わっており、それゆえ、ニカラグア手話のように隔離された空間でも、容易に独自の言語が生まれることを理解するべきである。つまり、ある程度、距離が離れ、交流がなくなってしまった場合は、人類における言葉は容易に独自化すると認識しなければならない。
だが、一方で様々な理由で幼少期の言語教育が行われずに、言語獲得に失敗した例も存在する。次回はそのことから、モノリンガル世界における必要条件を洗いだしていこうと思う。(続く)