ホロコーストのたとえが不適切な理由

とっくに終わった話かと思ってましたが、なんかまだやってるようなので。

id:fuku33さんのこのエントリ
http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20080522/1211444127

にはじまって、id:hokusyuさんのこのエントリから、
http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080523/p1

id:HALTANさんとかid:Apemanさんとかに波及した件について。

さて、そもそもの話、元ネタで言ってることは、

「でもそうやって百貨店がおばちゃんくさくなって売れなくなったら、百貨店がかわいそうじゃないですか。」という意見。

に対する反論なんですよ。百貨店経営者や従業員は、婦人服での優位性は失ったかもしれないけれど、所詮それだけのこと、「婦人服が売れないのならケーキを売ればいいじゃない」というだけの話です(なにしろ原題はそういうタイトルだった)。誰一人殺されるわけじゃない。ここからホロコーストに話が行ってしまうのは、相当にぶっ飛んでいると思います。

ただ、fuku33さんがここでトリアージをたとえ話に持ち出したことで話がややこしくなります。
トリアージというのは、Wikipediaに

トリアージ(Triage)は、人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。語源はフランス語の「triage(選別)」から来ている。適した和訳は知られていないが、「症度判定」というような意味。なお、一般病院の救急外来での優先度決定も、広義のトリアージである。

とあるとおり、極端に資源の制約の厳しい環境下では、一部の人を、その生命すら見捨てなければいけないことがある、という話です。

このふたつの話を、「状況の切迫度」と「もたらされる悲惨さ」でグラフにプロットすると、下図のようになるでしょう。

経営において百貨店を追い詰める服屋さんは、生死がかかわるほど状況が切迫してはいない。もちろん追い詰められる百貨店も、誰かの生死が関わるほど悲惨な目に遭うわけじゃない。それに対しトリアージでは、状況が極端に切迫しているがゆえに、生命さえも選択にさらされる、という状況です。状況に差はありますが、グラフ上、同一直線上にあるとは言えるでしょう。

でも、そこでhokusyuさんは、「かわいそうなぞう」と「ホロコースト」をたとえ話に出すのです。

そのとき、いちばん後ろで拍手が起こります。そうです、あれは我らが経営学者様です。「すばらしい!参謀本部も飼育員もトリアージを理解している!かわいそうと言うだけでは何も解決しない!」

元のたとえ話が、
「(四川大地震のような)極端な状況下では、人の命さえも選択の対象になることがある」
という話であることはどう見ても自明なのに、hokusyuさんは前段の状況認識をすっとばして

ユダヤ人がかわいそう?そんなこと言ってたら(最終的)解決しませんよ!偉大なるアーリア民族が貧窮してもいいんですか?というわけで、経営学の理想はナチス・ドイツだったのでした。

と言う。ここでユダヤ人は殺される側であり、アーリア民族は貧窮する程度です。

ホロコーストを先のグラフに置けば、こんな感じになるでしょう。

これは、前のグラフの直線(グラフの水色背景部分)から思いっきりずれています。

たとえ話において、極端な状況における極端な例を出すのはよくあることです。今回はそれが裏目に出たようですが(だからこそ私は「たとえ話禁止」と思うわけですが)、だからって、もとのたとえ話にある軸線を明らかに外した別の牽強付会なたとえ話でもって反論するのは、少なくとも不誠実でしょう。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080812/p1

彼のテクストを純論理的に解釈すれば、ナチスだって適切な組織となってしまうであろうと言っているわけです。

全然「純論理的」じゃありません。前提をすっ飛ばしているんですもの。

前述のとおり、私は(以前どこかのブクマでも書きましたが)この騒動の教訓は「たとえ話禁止」だっただろうと思っています。fuku33さんがトリアージなんぞをたとえ話で持ち出したがゆえに話がややこしくなったのは間違いない。でもそこに前提すっとばした別のたとえ話で反論したつもりになっているのはもっとおかしい。正直、hokusyuさんはともかく、Apemanさんがこれに同意したのは、かなり意外と言うか、残念でした。

ところで、この問題に対し、「そもそも人の死がかかわるような話をたとえ話に出すこと自体がけしからん」という考え方もあるでしょう。先のグラフで言えば、下図のの背景ピンク部分がけしからん、という考え方ですね。

HALTANさんはこっちで反論しようとしているように見えますし、そのセンから行くとfuku33さんも批判対象にならなければおかしい、というApemanさんの主張はわかります。問題は、HALTANさんがこの点においてfuku33さんを批判対象としているかどうかで、以前見かけた気がするのですが今見つけられませんでした。

さて、それはさておき。

上でリンクを貼ったfuku33さんの記事は、実は初期状態からけっこう修正が入っています。この元ネタはid:Rir6さんが保存していて、こちらに比較記事を書いているんですけど。
http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080525/1211664691

なんというか、僕の生きてきた界隈なら、もうこんな削除を何も注釈入れずにやっただけで即炎上だったんですがねぇ……みんな優しいなぁ。というか、やっぱこれが大学教員の特権なのかな。大学教員って、すごいですね(^^;)

見る限り、元記事で罵倒した女子学生に対する罵倒部分を削除したように見えるんですよね(少なくともタイトルは変更しなかったほうがよかったと思うんですが)。罵倒部分を削除するのに注釈を残したんではあまり意味がないわけで、この削除は妥当なんじゃないでしょうか。こんなこともわからないRir6は馬鹿じゃないのか

追記

ブクマコメントより。
id:hokusyuさん:
>ねえ、「状況の切迫度」「もたらされる被害」が、合理的に自明に判断し得るという考えこそが問題であるって何回言えばわかるの……

それを「問題」とする根拠は、
>彼のテクストを純論理的に解釈すれば、ナチスだって適切な組織となってしまうであろうと言っているわけです。
ということであって、fuku33さんの主張がホロコーストにつながるからよろしくない、と言っているわけでしょう(これは私の解釈なので、間違っていたらご指摘ください)。
私はその「fuku33さんの主張がホロコーストにつながる」部分に反論しているつもりなんですが。

もちろん、「当時のアーリア人にとって、ホロコーストを行わなければ民族絶滅の危機だったのだ」という主張であれば(ガミラスみたいだな)、トリアージ的論理がホロコーストを正当化することになりますから、私の主張は引っ込めますけど。

>あとたとえじゃないっていったよね…

少なくとも私の言語感覚では、「Aという主張を純論理的に解釈すれば、Bも正当化される」という話において、たとえその「純論理的に解釈」が正しいとしても、Bは「たとえ」だと思うんですが。

小学生A:「先生がやれって言ったんだからちゃんとやらなきゃだめでしょ」
小学生B:「おまえは先生がウンコ食えって言ったらウンコ食うんかい」

という会話において、ウンコ云々はたとえですよね*1

私の言語感覚が特殊だというのなら好きなように読み替えていただいてかまいません。本題ではないと思うので。

*1:幼稚な例を出していますが、別にこれは印象操作とかではなく、今回の騒ぎはまさにこのレベルの話だと思っているので