Hatena::ブログ(Diary)

疑問と考察 備忘録

 

2018-08-27 「プライバシーへの配慮」という度し難い言い訳

障害者雇用の水増し問題。


プライバシーへの配慮」という理由で、

障害者手帳の有無を確認せずに、健常者として雇用した。

であるなら、問題は無い。(仕事をこなす能力が有ると判断して採用しているのだから)


しかし、

障害者手帳の有無を確認していないにも関わらず、障害者として雇用した。

は、明らかに故意だ。

過失では無いし、プライバシーに配慮している訳でも無い。



あまりにも幼稚な、理屈(問題)のすり替え。


「相手のプライバシーに配慮して、障害者手帳の有無を確認しない」事と、

「健常者を障害者としてカウントする」事は全く関係無い。



障害者手帳の有無を確認しないのであれば、健常者として雇用するのが当然だ。



「何故、健常者を障害者としてカウントしていたのか?」

という質問に対して、

プライバシーに配慮して、障害者手帳を確認しなかった」

は、全く答えになっていない。


「健常者を障害者としてカウントしていた」という不正を、

障害者手帳を確認しなかった過失」にすり替えているだけ。


障害者手帳を確認していない」のであれば、

「健常者として雇用しなければならない」。



障害者手帳を確認していないにも関わらず、「その人間は障害者である」と決定した判断基準は何なのだろうか?


これほど広範囲で行われているのだから、当然 一個人思い込みや見逃しなどの過失ではなく、意図的な慣習だ。





障害」とは、その人間の個性(個体差)の一部に過ぎず、

その人間が、その仕事をこなせるかどうかの絶対基準では無い。

2018-08-26 「許し」で失われるもの

薄っぺらい人間がよく

「愛とは許す事」「恨み続けても意味が無い」

などと口にするが、

「許し」は愛ではないし、愛の反対は 恨み憎しみ でもない。


「許す」とは「諦め(苦しみからの逃避)」であり、「自己満足」に過ぎない。


本当に「愛」があるのであれば、「過ち」を許す(諦める)のではなく、

「何故その過ちが起こったのか?」

を解明し、

この世界に「同じ過ちの発生」を許さない事だ。


しかしその問題を解明解決する能力に達していない人間は、苦しみから逃れる為に「許す」という誤魔化しが唯一の正解・美徳であるかの様に主張し、

「許すという快楽(寛大な自分)」に酔い痴れる。



そもそも、何の役にも立たないのであれば何の為に、人間が「怒り・恨み・憎しみ」と呼ぶ感情は生み出されるのだろうか?


怒り・恨み・憎しみ などの反応(感情)は、

「(大抵の場合、その人間の中で)取り返しのつかない過ち」

に対して生み出される。

それは、「単体(狭い範囲)」で見ると、取り返しがつかないのだから、「その感情」を持ち続けても無意味な様に見える。

しかし、「全体(広い範囲)」で見ると、怒り・恨み・憎しみ といった感情は、

「その問題」を強烈(強制的)に見つめさせ、分析・解明し、再発を防ぐ為のエネルギーを生み出す。




(ちなみに、宗教がこの言葉(概念)を多用するのは、問題を解明解決させない事で神(宗教)に依存させる為。

(解決出来ない問題に直面すると、人間は想像上の都合の良い存在に問題を丸投げする)

そして、その苦しみを取り除いたのが「神(宗教)の力(おかげ)」であるかの様に見せ掛ける為だ)

2018-08-09 道徳教育リテラシー

国家や宗教は「道徳教育」に労力を費やす。

それは「道徳教育」という名称(名目)の「奴隷製造教育」であり、

「疑問を持たず(疑い無く)服従する奴隷」を製造するという利益があるからだ。

道徳教育とは「国家や宗教に盲目的に服従する事が正しい」と信じ込ませる古典的な洗脳手法

「9割の正しさ」の中に「1割の服従(盲従)」を組み込み、

さも「1割の服従」も、正しいものであるかの様に錯覚させる。

(「皆で協力し合って生きて行こう」の中に、

「神 天皇 為政者 体制 = 善(絶対的に正しいもの)」

「全体の為(と見せ掛けた為政者の利益の為)に犠牲になる事 = 善」

「信じる(考えない)事 = 善、美徳

「疑う(考える)事 = 悪、醜い行為」

「従う(自分の考えを放棄する)事 = 善」

「従わない(自分で考え行動する)事 = 悪」

などを組み込むのが基本。


洗脳道徳の本質(目的)を抜き出すと、「考えるな!従え!」となる)

彼等は「それ」を愛国心信仰心と呼び、本質(本当の利益)から目を逸らさせる。


真に「道徳」を教育したい(理解させたい)のであれば、まずは、

「これが道徳だ」と信じ込ませるのではなく、

「何故それを道徳に見せ掛けたいのか?」を教育する対象に考えさせなければならない。




では、そもそも「道徳」とは何なのか?

道徳の定義とは とてもあやふやで曖昧なものだ。(だからこそ洗脳手法としてよく利用される)

それは、現在の人類がとても原始的で、

「人間は意志や理性で意思決定している」という幻想に支配されており、

「人間が感情や感覚と呼んでいる本能」が全く理解出来て(見えて)いないからだ。


洗脳道徳を排除して道徳を見ると、

「集団を維持する為のバランスをとる原始的本能 及び それぞれの集団(社会)歴史から生み出された集団維持規範

を人間は道徳と呼んでいるが、

困った事に人間は、「自分達(人類)はとても高度な生物である」という自己満足(猿の快楽)に酔い痴れていて、

高度な生物の規範は高尚なものでなければならない。という幼稚なプライドが道徳や倫理を無駄に装飾し、見えにくくしてしまう。

それがまた洗脳道具としての使い勝手の良さに拍車を掛けてしまう。

2018-08-04 猿から人間になる為の、最も手前にある3つの課題

経済や権力などの社会構造や、

人間の精神構造(脳の反応)の理解や変革 などの高度な課題は置いておいて(少しずつ進めるとして)、


現在の人類が、猿から「人間」というものに成る為にクリアしなければならない最も初歩的な3つの問題。

それは、

「薬物依存(タバコも含む)」 「ギャンブル」 「宗教

からの卒業だ。


これらは、一個人の意志で簡単に関係を断ち切る事が可能。

しかし現在の人類は、とても原始的な生物なので、全く原始的な本能を自覚コントロールする事が出来ず、

これら3つが強力に人類(人類社会)の足を引っ張り(猿の本能を刺激し)、いつまで経っても猿の領域から抜け出る事が出来無い。

2018-07-10 天国と地獄

この世界の何処にも、天国も地獄も存在しない。

この広い世界の中、人間が生きられるのは唯一ここ(地球)だけだ。


一昔前までは、地面の下は地獄であり、雲の上は天国(神の世界)だった。


存在しない「天国や地獄」に送られる「選別手法」を論じ合うよりも、

人間が唯一生きられる「この場所」を、

「天国にするか地獄にするか」を論じ合うべきだろう。



妄想を見ている割合が多い人間程、

現実と向き合う割合は少なくなる。

(あの世があると洗脳されている人間は、

現実を真剣に生きる気が まるで無い。

その上、その事実に全く気付いていない)


人間の処理能力は有限であり、それは人間自身が考えているより遥かに低い。

人間は、言語や文字で、過去の膨大な情報の蓄積を、さも自身だけで得た(獲た)情報であるかの様に錯覚しているが、

一個体が獲得出来る情報は微々たるものだ。

人間が所持している情報の多くは、他者が獲得した情報であり、

であるが故に、人間はとても洗脳され易い。

他者からもたらされる膨大な情報を、正しく判断し処理するには、それ相応の知識・能力が必要となる。

しかし、知識や経験が少なく、能力の低い人間程 それに気付けない。







では何故 人間は現実より妄想を重視しようとするのか?

それは「その方が楽だから」だ。


「現実(周囲の環境)」を都合良く改変しようとすると、

高度な情報収集・情報分析・実現する実力などを要求されるが、

人間の脳は「面倒(高度)な思考」を とても嫌がる。


人間の脳は、すでに答えが出ている事柄を記憶・処理(計算)する事には前向きだが、

まだ人類(自分)が認識出来ていない事象を解明する事には消極的だ。


だから、「現実(世界)を解明する労力」を怠ける為に、

「妄想で疑問に答え」世界を解明した気になる。


知能の低い個体程、

「難解な現実の解明」より「思考せずに済む安易な妄想」

選択する傾向が強い。

創造論」などは その典型


科学は論理数式で現実を解明しようとし、

オカルト(宗教)は想像力だけで謎を解明しようとする。



そして、その人間の「楽をしたい」という本能を利用して「支配する為」だ。

「選別基準(善と悪)」を自分(為政者宗教指導者)達に都合良く構築する事で、

「支配されている」と自覚させずに支配する事が出来る。


体制宗教が主張する善悪」には必ず「服従」が組み込まれている。