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kom’s log


- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


12-04-2004

[] テロに屈しない、という態度と行動は本当にテロ再生産を抑止するのか。  テロに屈しない、という態度と行動は本当にテロ再生産を抑止するのか。を含むブックマーク  テロに屈しない、という態度と行動は本当にテロ再生産を抑止するのか。のブックマークコメント

私にとってテロリストはヤクザ、という印象がある。次の例え話のような感じだ。

私には妻と子供3人がいる。その家にある日一人のヤクザがやってくる。おたくの長男がうちの舎弟にひでえことをしたんだよ。おたくにはすまんが、ワビ入れて誠意みせるまで、一番下の娘さんはあずからせてもらった、と、目に入れても痛くないほどかわいがっている一番下の娘をさらわれる。うなだれる長男。ヒステリックに長男を難詰する妻。長男は路上でいざこざになって殴り倒した相手がヤクザの舎弟だとは思わなかった、という。私はどうしたものかと途方にくれる。警察に届けたら、娘はマカオに売り飛ばす、俺らはヤクザだからどうなってもいい、家にも火をつける、とすごんでいたことを思い出し、”誠意”がいくばくかの金ならば、その金をどうにか工面して娘を救えたらそれでよいではないか・・・ でもヤクザに誠意はあるのだろうか?一度金を払ったら、ヤクザは果てしなく要求を重ねないのだろうか?

このヤクザに対する対処法はたった一つである。要求を呑まないこと。警察に届けること、である。”私”がジェット・リーやシュワルツネッガーのように男一匹、わが子を取り戻し、ヤクザを組織ごと壊滅させる自信があるならば別であるが。

一方で、目下の日本人人質事件は、こうした意味でのテロリズムなのだろうか?私は次のような例を思い浮かべる。

私には妻と3人の子供がいる。家の中は険悪な雰囲気で、目を離すと妻や子供の醜い争いが耐えない。私はとてもマッチョな男で、世間で言われるドメスティック・バイオレンスで家族を恐怖の元にどうにか支配し、荒れ果ててはいるが家庭としての面目を保っている。町内のうわさを聞きつけて、ある日顔役のヤクザがやってくる。町内でいろいろウワサになってんだよね、あんた女子供をなんだと思ってんだ、男だったら女子供をなぐるんじゃねえよ。そんな啖呵に圧倒されながら鼻っ柱のど真ん中にパンチを受けた私は即気絶し、簀巻きにされて川に放り込まれる。ヤクザは妻と子供に、もう心配いらねえ、わるいやつはやっつけたぜ、と優しい言葉をかける。女子供の家庭だ、しばらく様子をみるよ、とヤクザはしばしの逗留を勝手に決め込み、子分のチンピラたちまでもが、しっかりしろよ、などとあまり意味のない言葉を妻や子供ににかけつつ、私の家に出入りするようになる。まもなく彼らは我が物顔で大きな顔をしはじめ、長男は、オヤジといっしょじゃないか、と反感をもつようになる。ちっ、ちんけなものしかありゃしねえ、と冷蔵庫を覗き込みながら舌打ちするヤクザに長男はついにキレる。他人の家に上がりこんで、でかい顔してなんだよ!ヤクザはニヤニヤしながら、恩をわすれんじゃねえよおにいちゃん、守ってやってんだから礼ぐらいいえ、といいながら、長男のあたまを小突く。同じく子分のチンピラ達までもがニヤニヤ笑っている。一番弱そうな子分は、そんな様子を横目でみながらも、どうもお邪魔します、家をまずは整頓しないと、と妻や子供に断りながらひたすら家の中の片付け物をしたり、皿を洗っている。まずはこいつから追い出さなきゃ、この家はいつまでもヤクザの溜まり場のままだ。そう思った長男は、その皿を洗っている一番弱そうなチンピラに包丁を押し付ける。あんた出て行け、あんたらにはもう用がないんだ、と叫ぶ。ぶるぶると震えた皿洗いのチンピラは、そんな、私はこの家で単に皿を洗っているだけなのです、掃除だってしているんです、許してください、と涙ながらに懇願する。関係ない、とにかく出て行け、まずはあんたからだ、と長男は叫び続ける。

はたして、このはねっかえりの長男はテロリストなのだろうか。私はナイキの靴を履いた長男の立場を定義する新しい言葉が必要だと思う。人の家に押し入って勝手に皿を洗っている一番弱いチンピラは、これはテロリズムだ、テロリズムには屈しない、と喉もとの刃に震えつつも勇気を奮って叫び返すこともできるだろう。だけどそれは私には、筋違いではないが場違いな叫びに思える。T's diaryの橘さんがずいぶん前から繰り返し言っているように、なにがテロリズムでなにがテロリズムではないのか、皿洗いのチンピラはまず考えてみる必要があるのではないか。イラクの拉致脅迫犯をテロリストと呼んでもいい。でも被害者たるナイーブな皿洗いの日本国がそのテロリストの家に入り込みすぎているのだ。

人質となった三人を我々は危険な紛争地帯にフラフラと舞い込む無防備なバカだ、と非難する。もっともである。でも一方で、その紛争地帯にやはりフラフラと舞い込んだ(自衛隊を送り込んだ)日本国政府もやはり無防備なバカではないのだろうか。

先日も書いたように、スペインはテロに屈した。屈した、と世界のメディアは書いた。しかし一方で、屈していない、とスペインの国民をサポートする意見もヨーロッパを中心に多く見られた。いずれもテロをめぐって、屈した、屈していない、という二律背反の議論に陥っていた。しかしここでいうテロ、すなわちブッシュ政権のいう「テロとの戦い」は、本来国家対個人という形で警察の仕事の範疇であるテロの取り締りを、新たな形態の戦争、と新規に解釈して法に基づかない暴力を肯定する戦い、である。この”非対称戦争”から離脱することをテロに屈する、というならば、スペインは確かにテロに屈したのだ。一方で、日本はテロに屈していない。非対称戦争に参加する、圧倒的な暴力の行使を肯定する、という意志表示をたった今、しているのだ。

テロには屈しない、というのが原則だった。それはテロに屈することがテロの再生産に寄与するから、という明白な理由によっていた。*1目下の状況はどうだろうか?テロには屈しない、と米国がイラク市民の”副次的損壊”を増大させる中で、屈しないことは本当にテロの再生産を抑制しているだろうか。私には逆に見える。テロに屈しない、という態度と行動が、テロの再生産に寄与している、としか見えないのだ。例えばそれは連続多発している拉致脅迫である。だとしたらテロに屈しないという原則は、今この状況において無効になっている。

[] 人質の三人のアイデンティティ いくつかの随想  人質の三人のアイデンティティ いくつかの随想を含むブックマーク  人質の三人のアイデンティティ いくつかの随想のブックマークコメント

日本人三人は、米軍の劣化ウラン弾使用を追及する若者、一人でイラクのストリートチュードレンをサポートする活動をしている女性、占領下のイラクを写真に収め、レポートしようとしているフリージャーナリストの3人である。彼らのこうした社会的な位置は、一つの議論の的になっている。要はバカじゃないか、という意見が一つ。危険なところにフラフラといって、危険な目にあっているだけのうつけである、ということだ。イタリアやスペインで、スリ窃盗や強盗に出くわす日本人観光客に対する非難に良く似ている。自分の身は自分で守れ、ということだ。

これは多分そうだろう。同次元に扱っていい話ではないが、日本のホンワカした空気をそのまま半径2メートルに引きずって、ウェストポーチをこれみよがしに腰に下げ、南イタリアの街を夢見心地にフラフラする日本人観光客を見かけるたびに私は心の中で、アホだなあ、カモだよ、と心の中で思う。手ぶらで現金はむき出し前ポケ、パスポート不携帯が基本だ。レベルは違うが、ナイーブな観光客であること、使命感に燃えていること、あるいは正しいことをしていると本人が思い込んでいることと、周囲の情勢は独立している。

ところがこうしたばか者、というごくまっとうな非難の尻馬に乗って、かれらの社会活動自体をいっしょくたにして非難するような声もある。この非難は見当違いである。かれらの社会活動に照らして、アンチ・日本であるからして殺されてもいいのである、という主張は、単に政権の判断に対する批判を禁じるということに他ならない。・・・であるからして、こうした意見は取り上げるのに値しないが、それを見ていて私は次のような仮定を触発された。もし人質の彼らの職業と国籍が違っていたらどうなっていただろうか?私はこの疑問をきっかけにさまざまなことを思い始める。

例えば、三人の韓国人牧師が捕らえられ、三日以内に日本自衛隊を撤退させなければこの韓国人たちの命はない、ということだったらどうだったらろうか?ひとまず彼らがイラクに赴いたということ自体は、やはりアホであることに他ならない。そうした事態に対する個々の覚悟はあってしかるべきである。でもそれでも日本政府は、「テロには屈しない」、「自衛隊は撤退しない」といいつのるだろうか?今回の人質が日本人であるから、その生殺与奪権は日本にある、という意識がその背後にはないだろうか。

一日前に、日本人の人質が24時間以内に解放される、という報道が日本のメディアを駆け巡った。次の瞬間から、どこのブログも「助かってよかった」というとりあえずの声をアップした。その次に続く意見はいろいろだったが、私は少々引いてしまった。確かに助かることになったのはよいことだ。でもなんでこんなに、日本中が揃ったように安堵のため息をゆくのだろう。答えは簡単なことで、単にかれらが日本人、同胞だったからである。日本人たるもの、日本人の身の安全をまずは第一に考えるべきである。そうゆうことなのだろう。でもファルージャで死んだ450人の市民は?あるいはこの一週間で負傷した幾多のイラク人の行く末は?いや、そんなことを気にしていたらきりがない、まずはわれわれの仲間、日本人の安全だ、ということなのだろうか*2

でも、もしかしたら昨日ファルージャで射殺されたイラク人の一人は*3、一年前竹下通りであなたを土産物屋に呼びこもうとしたイラク人の男かもしれない。あるいは渋谷の道玄坂であなたが差し出した小銭と引き換えにケバプを手渡した男かもしれないのだ。私は、極貧の大学院生だった時分に、パンを恵んでくれたイラク人のパン屋の店員を思いだす。ドイツからいなくなり、もうコンタクトはないが、かつて自由にならないドイツ語で、パン屋の壁に掲げられたコーランのことをいろいろ説明してくれた彼が、もしかしたらイラクのどこかでコーランを踏みにじる占領軍に怒りを燃やしているのかもしれない、あるいは銃を手に取っているのかもしれない、と思ったりする。

日本の政権の意志、すなわち目下の国家意志に対して、個人が素直にその意志までも沿わせてしまうことの裏には、日本人人質解放にほっとため息を一斉につくことがあるように思える。ほっとする、そのこと自体は当たり前のことだ。でもなぜ、日本人が解放されたときにのみ、これだけ一斉にほっとするのだろうか。国旗国歌の話でも思ったことだが、なぜここまで政権の意志、日本人の同朋意識、本来無関係であるはずの日本人個々人の感情が一致してしまうのか。いや、させようとしてしまうのか。一致していなくてもいいのである。一致していないからそこに論争が起こり、法的手続きがあるのであり、そこに初めてむき出しの個人が生きる可能性が生まれるのだ。

[]  身の安全、ということと、むき出しの個人   身の安全、ということと、むき出しの個人を含むブックマーク   身の安全、ということと、むき出しの個人のブックマークコメント

自衛隊イラク派兵で、私の身の危険度がアップする、と私は昨年の秋から書いていたが、今では過去完了。アップしている。米国の場合はどうだろうか。米国が反テロリズムを謳って他国を侵略すれば、米国民の危険度がそのたびに加算されるのもまた同様だ。でもこの危険度は米国政府の強固な軍事ネットワークによって補償された危険度だ。

私はフランスの映画"Killing Zoe"を思い出す。麻薬中毒のフランス男が、パリの中央銀行に拳銃をぶっぱなしながら占拠する。人質の一人は、アロハシャツを着た米国人の観光客で、この男は殺戮が進むのを目の当たりにしてやおら床から立ち上がり、米国のパスポートを掲げながら「私は米国市民だ。解放してくれ」と場違いに堂々とした態度で麻薬中毒男に宣言する。でもその言葉が終わる前に、米国市民は蜂の巣になって即死する。

男がこうして宣言する背後には、米国市民の政府に対する信頼感がある。米国は私を助けてくれる。あるいは助けに来てくれるだろう。似たようなシーンは、ハリウッド映画でよくみかける。I'm an American Citizen!殺すな、さもなくばお前の命も危ない。同じ宣言を日本人はするだろうか。私は日本市民だ、解放してくれ。あるいはどこかの国の局地戦でにっちもさっちもいかなくなった孤立無援の日本人企業戦士を、日本の特殊部隊が救援にくる、と期待してもいいのだろうか。侵略の裏側には、その国の市民を守るための手段が補完していなければ、外国の地でむき出しの日本人である私は単にレベルアップしてゆく危険度になすすべもなく危機感を募らせていくしかないことになる。

身の安全という点に限って言えば、私が主張すべきは二つに一つである。一つは、日本が米国のような国になり、世界に日本国民のための安全保障ネットワークを広げること。強くなってくれ、圧倒的に強く、そのことで私の身の安全が保証されるのならなんでもやってくれ、という立場だ。もう一つは、ミニ米国になるのをやめてくれ、ということだ。私は後者を主張する。日本国に救ってもらうことを背景に生きるのは、先にかいたように、日本の人質になる、あるいは首根っこを押さえられて生きていくことになる、と思うからだ。政権を批判するならば、見殺しにされて当然である、というような議論がまかりとおる国に私の身の安全の保障を期待するのは、単に隷属だ。生命と引き換えに国家の方針に無批判に沿わなくてはいけないことになるのだから。

安全のためには対米従属しかないんだ、という意見もあるかもしれない。でもこれは米国が日本という国の首根っこを捕まえ、その鎖の先に間接的に私が連なっている、ということに他ならない。このくびきの中で、「政府を批判する人間は救う必要がない」と見殺しにされるかもしれない。

これはid:MANGAMEGAMONDO:20040411でコメントしたことにも関係する。

私はAPOさんほど日々勝負ではないけれど、次の契約更新が秋、とかそんな綱渡りな感じなので、共感する。前にフリーランスとフリーターの定義に関する話があったけれど、欲望と金を稼ぐこと、という日常に体をさらしているかどうか、ということと、今回の事件に関する態度はとても関係があるのではないかと思った。不安定さが背景にないと、個人vs日本政権という形で情勢を捉えることができないんじゃないか。というわけで、日本国民がもっとフリーになったらよいのにな、と思った。そうでないと欲望=むきだしの個人が生きること、を邪魔する力に対して鈍感になって国畜化する。国畜化は他人の話だからほっときゃいいんだけど、国蓄化が亢進するとマイノリティになるフリーXXはますます複数の前線でディフェンドしなければいけないという実に面倒くさい状況になる、なんてことを上読んで思いました。

そんなわけで、私はイスラムの学者、ファティマ・メッシーニの言葉を思い出したのだった。「不安をわが国とせよ」。

[] 日本政府はイラク拉致犯と交渉を行っているか?  日本政府はイラク拉致犯と交渉を行っているか?を含むブックマーク  日本政府はイラク拉致犯と交渉を行っているか?のブックマークコメント

週末の報道は二転三転している。人質解放、いや、あまり確かではない、12時間おきに一人ずつ処刑、などなど。そのたびに日本の当局は右往左往している。状況につけこんでイラク内のあちらこちらから、ガセの情報が発信されているのをみると、日本政府が水面下で身代金の供与をちらつかせた、と推測することができる。複数の情報元があることを考えると、よほどの大金なのだろう。混乱した状況で、身代金を掠め取ろうとする輩がぞろぞろ出てきてもおかしくはない。

犯人グループが本当に金目当てだけである、という可能性もぬぐえない。ただ、この場合、コンタクトの窓口を裏でわかりやすいように用意するだろうから、これだけ情報が錯綜することはないだろう。つまり、本命の犯人グループは、本気なのである。

[] 結論  結論を含むブックマーク  結論のブックマークコメント

というわけで、ダラダラ長く書いてしまったのだが、私の意見は、誘拐犯と取引しろ、である。自衛隊は撤退する必要ない。私はそもそも、自衛隊派兵反対であったし、又、なるべく早く撤退すべき、とも考えている。しかし撤退は今回の件と独立に判断すべきである。取引の内容は、日本は撤退しないが、今のイラクの状況を収拾させるために、国連による介入に向けて全力を投入する、とすることで納得してもらうことだ。同時に米軍にはイラク国民に対する過剰な攻撃を停止するように要求する。日本は復興支援のためにイラクにいるのであるから、当然の要求である。なおかつ、イラク国民に対する攻撃を停止しないならば、自衛隊を撤兵させる、と条件をつけることが可能だ。取引をするな、という生硬な態度は、テロの再生産抑止という見地からすれば破綻している。取引もアリだ、というのが私の意見であり、誘拐犯が本気であることに照らせば、この取引内容はイラク国民を納得させる内容でなければならない。そもそも絨毯売りを思い出せば、取引がまずハジマリの中東で、取引しないと突っ走るのがどだい無理なのである。

[][] この一週間の紛争の経緯をあらためて確認すべきである。  この一週間の紛争の経緯をあらためて確認すべきである。を含むブックマーク  この一週間の紛争の経緯をあらためて確認すべきである。のブックマークコメント

我々にもアメリカと同じ自由を - イラクにおいて“言論の自由”は実に多くの意味を持つ-

イラク・日本人拉致事件速報

イラク国民の反米感情がとても高まっている、という内容。

イラクの通常の市民の間に、占領軍に対する抵抗戦への共感が広がっている。土曜日から3日間はファルージャ攻略に対する抗議の意味で、バクダットの商店はスンニ派聖職者の呼びかけでゼネストに入っている。

WSJ(4/12) Iraqis Increasingly Sympathize With Rebels (ウォールストリートジャーナルの記事)

ファルージャの「懲罰」包囲攻撃が、どれだけバクダットの人々を怒らせているかは以下の記事を参考にしてほしい。スンニ派聖職者の代表会議のリーダー達は次のように呼びかけている。これまでは決起をいさめるのが彼らであったが、初めてイラク市民一般に決起を呼びかけている(ボストン・グローブの記事より以下引用)。

"The battle of Fallujah is the battle of history, the battle of Iraq, the battle of the nation," Harth al-Dhari, the council's leader, said before about 5,000 worshipers. "Merciful God, take revenge for spilled blood.

"Take revenge for slaughter. Send your army against the occupiers. Kill all of them. Don't spare any of them," he cried.

Up to then, the council had avoided calling Iraqis to battle, although coalition troops have detained some members and searched mosques for weapons. But after the Friday prayers, a tribal leader from Fallujah, Husham al-Dulaimi, used the mosque microphone to call for recruits.

"We don't need your food and clothing. We need you. We need your support. Attack the supply convoys coming to Fallujah," he told the crowd, who shouted, "Jihad! Jihad! Jihad!"

*1:ダッカ事件で「人命は地球よりも重い」として取引に応じた福田元首相はだから踏み外してしまった。ここに至ってこの事件を引用し、あれは実は結構正しかったのではないか、と同列に論じてしまった浅田彰は拙速すぎる(「続・憂国呆談」Webスペシャル イラク人質問題をめぐる緊急発言 )。同列に論じることができるのか?同列に論じるのは、テロリズムという貧困で粗雑なひとくくりにまどわされているのではないか。それが私の疑問だ。[追記]半ば自分でつっこむけど、そういえば浅田彰は、かくなる状況において、私はモダニストになるしかない、と近代主義者宣言を数年前にどこかでしているんだよな。今回の浅田彰の発言はあちらこちらでボロクソにいわれているけれど、そうした浅田彰の宣言を前提とすれば、氏はまさに「ただの左翼じゃん」とボロクソに言われることを半分期待しており、あとの半分はそれを越える発言を期待している。だからボロクソに言うのは言うだけ無意味である。浅田彰信仰の裏返しに過ぎない。

*2:これをきっかけに例えばid:seijotcp:20040411が指摘するように議論が巻き起こっていること自体はすばらしいことだ、と思う。そう、やっとリアルに捉えることができるようになったのだから。想像力がそこにとどくようになった。でもそれはあくまでもテレビに映る人質の姿に我々が共感しやすい、というメディアの力に依存しすぎているということも同時に感じるべきだと思う。

*3:4月12日の時点で、600人に達している。ファルージャの総合病院のRafie al-Issawi病院長の発表ではそのほとんどが、女性、子供や老人だという。また、この数は市内5つの病院で数えた死者数だが、家でそのまま葬った死者もあるので、さらに増える見込みである。一方で死者の数について問われた海兵隊中佐ブレネン・ビルンは、海兵隊の攻撃は正確であり、死者のうち95パーセントは戦闘可能な年齢に達している男性である、と答えている。又、マーク・キミット准将(暫定統治局付)は、海兵隊の攻撃は「驚くべき正確さ」であり、民間人の死者は、民間人の中にまぎれこんだ反逆者の仕業である、としている。(ガーディアン記事

ubikubik 2004/04/13 00:51 「答えは簡単なことで、単にかれらが日本人、同胞だったからである。」違うと思うよ。

mutomuto 2004/04/13 03:21 はじめまして。粘り強く考えていく文章を興味深く拝見しました。一つショックを受けた比喩があったので質問します。人質のボランティアの方を「皿洗いをするチンピラ」と見立ていたと思うんですが、ヤクザ(アメリカ軍?それに追従する日本の自衛隊?)の一味であるチンピラと、ボランティアは基本的に違うと思うのですが?人質の方々がアメリカ軍、日本の自衛隊の「一味」であるとする理由があってのことなのでしょうか?

pazthpazth 2004/04/13 04:05 同胞だから安堵したのではなく、自分達(ここでは国民ですが)が選択をすることを回避できたことに対する安堵じゃないでしょうか。あくまで人命尊重の視点から自衛隊撤退させるのか、対テロの視点から強硬姿勢を貫くのか。後者の場合なら人質が死亡することに耐えれるのか。

kmiurakmiura 2004/04/13 05:15 mutoさん>どーも長っ尻なもので、お褒めは過分です。例え話の中で、自衛隊を人質3人組と同列にあつかっているのか、ということですが、そうです。イラク人から見れば、日本人は全員日本人なわけです。その人がどんな仕事をしているのか、あるいはどんな思想を持っているのか、金持ちなのか貧乏人なのか、そうした個人の信条は関係なく日本のパスポートを持っていれば、それは日本人として認識されるわけです。国レベルというより大きな枠組みで見たときに、日本は米国との鉄の日米同盟を謳う米国の一味なわけで、そうした観点から今回の事件は起きた。日本人は全員敵、という大雑把な見方だったのです。その後アルジャジーラが人質家族や仕事仲間の訴えを放映したことで、日本人とはいってもその中にイラクに対していろいろな態度をとっている人がいること、中でもとりわけ危険な紛争地帯であるイラクにわざわざやってきて、イラク人の立場を尊重する人間であることが初めてイラクの人々の認識となったわけです。このあたりの一般のイラク市民の感情の変化過程は、次のリンクを参照にしてください。http://www.asahi.com/national/update/0412/028.html

kmiurakmiura 2004/04/13 05:16 個人の事情の頭越しに日本人という背番号だけを攻撃する、例えばイラク人個々の「日本人憎し」という粗雑な怒りを焚きつけるのが、米国防省が冷戦直後に規定した「非対称戦争」だと思うのです。だから、テロに屈しない、と連呼する「非対称戦争」は、テロの再生産の抑止にはなりえない。この意味で、今回の誘拐犯に対しても「テロに屈しない」と唱え続けるのは正しいのか、ということです。

kmiurakmiura 2004/04/13 05:33 一斉に安堵する日本人、という姿は実は今回に限った印象ではありません。一番最近の出来事で思い出すのは、北朝鮮に拉致されていた人たちが帰国したときのことです。私はちょうどそのとき、日本にいてテレビを眺めていたのですが、ともかく誰もがまるで自分の家族の出来事のようによかったよかった、と言っていた。私も感動はしましたが、この一斉によかった、という姿に違和感を覚えたのです。テレビというメディアで日本中の人間が結ばれて、そのテレビの中に登場する人間に、隣にいる実の家族よりもより親近感を感じているのではないか、という印象をもったのです。そうして考えると、政治家にしろタレントにしろ、テレビを通じた家族的な親近感がとても重要視されていることに気がつく。はてなの話題の中心もテレビであることが多い。実体験の中の共有部分ではなくて、テレビの内容を共有して、コミュニケーションするわけです。実の家族がテレビの中の家族に置換された、ということで、悪いことばかりではないのですが、その時に、この親近感は日本の中だけに閉じてしまうのです。親近感が日本外に届いていない。私が上で書いてみたのは、この閉鎖性についてです。pazthさんが指摘している、ギリギリの選択からの開放の安堵感、ということですが、こうした閉鎖性の家族的な幻想があって始めてそうした緊張感がうまれたのだ、ということを私は指摘したいと思います。

MANGAMEGAMONDOMANGAMEGAMONDO 2004/04/13 09:32 “閉鎖性の家族的な幻想”……かつては左よりの発言を不謹慎として「非国民」と非難した鎖より、さらにやわらかく、けれどもより凶暴になったような印象を覚えます。「非国民」と罵られたとき、罵られた本人の親兄弟や知人は本人より深刻に受け止めるけれど、案外本人は「まあ、そんなもんだから」くらいにしか感じない。けれど“閉鎖性の家族的な幻想”に縛られ、そこから抜け出そうとした場合は、周囲が「まあ、そんなこと考えるなんてヘンな子ネ」と軽く捉えるのに対して、本人はもがき苦しむうちに生きにくさまで感じてしまう。そんなやわらかな鎖に縛られて育ち、歌舞くことに不慣れな人があるときうっかり自由に目覚めて感じる、「言いたいことが言えない不自由」度の深刻さは、かつて「飲み屋で政治と宗教と野球はタブーだ」と愛すべきオヤジどもに飲み屋で諭されていた頃より、今のほうが深刻だったりするかも、と思いました。(あと「キリング・ゾーイ」……よいご趣味ですネ)

kmiurakmiura 2004/04/14 03:52 「キリング・ゾーイ」いいですよね。幕開けから忘れないような映画ってあんまりないんだけれど、あの映画は忘れない。音楽もすごくよかった。▼言えない事が言えない不自由、に対応するような感覚として「不安」があるんじゃないかと私は思う。それで以前id:solarさんがちらっと議論しかけていた「長期で安定的な関係」の不在がこの対応関係を介在しているような感じがします。←不在が介在ってヘンだな。だけどそんな感じ。

jpnempjpnemp 2004/04/15 23:42 「イラク人」とひとくくりにしてしまう事こそが危険だと思います。シーア派もいればスンナ派も居るし、原理主義者もいれば通俗的な人も居ます。フセイン派残党もいれば、反フセイン派も居ます。多くが反米だとは思いますが、反日・反自衛隊は果たしてどれほど居ることか。今回の犯人がただの金目当ての盗賊なのか、反米武装勢力なのか、そもそもイラク人なのかどうかすらわからない状況で「イラク人から見れば〜」を論じても無意味なような気がします。

kmiurakmiura 2004/04/16 09:17 ご指摘ありがとうございます。本文を書いているときに私には、拉致犯のイメージがあって、「ファルージャ近郊、イスラム原理主義者ではないが、郷土愛の強い人間のグループ」という感じでした。このことはもっと説明すべきだったかもしれません。力不足だと思います。ただ、例え話に関しては、そうしたディテールを意識して省きました。日本に対する反感は強弱はあれど一般的に広まっている、と判断していたからです。一方、今回の一件で人質の活動がイラクで放映されたことで、日本人にもいろいろいる、ということが広まり、反感は減った、と思っています。