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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


31-07-2004

[][] 愛国心  愛国心を含むブックマーク  愛国心のブックマークコメント

愛国心(または国という枠組みへの帰属感)反応集

愛国心、ときくと私にはさまざまな感情がこみ上げる。押し付けられる愛国心にはだから、違和感を感じずにいられない。

私はドイツに愛国心を抱いているだろうか?8年住んだこの地とこの国に、憎悪も含めた愛おしさを私はごまかすことはできないと思う。でも私はまた日本という土地と、日本という国に愛着を感じる。でもなお、国なんてなければいいのに、とつぶやく私もまたいるのだった。

私はアメリカが大嫌いだった。3年間思春期を過ごして、心の底から憎悪した。日本を夢に見るまでにすばらしい国だと思っていた。でも帰国したら、アメリカよりもなおも最悪な国かもしれない、と私は認識を新たにした。かくして私の居場所は失われかけたが、私が信頼する友人は、アメリカにもドイツにも日本にも、いや、住んだ場所だけではなく、友人は世界中に散らばっている。私は、友人がいるその場所を、私が帰る場所だ、と信じて疑わないようになった。

15年ぶりに訪れたアメリカの隣人は、あの典型的なアメリカの住宅のバルコニーで、15年前と同じようにドアの脇の小さないすに座っていた。私が近づくと、ゆっくりと立ち上がりーさすがにその速度は衰えを感じさせずにはいられなかったがー片手を挙げて、15年前と同じように、やあ、家に入りなさい、といった。”Wanna Coke?"とそのかつての隣人は、あの15年前と同じ様子で私に聞いた。その瞬間、もはやコカコーラなぞ何年も飲んでいなかった私はうれしくてほとんど愕然としながら、でもかろうじて"Yeah, thanks!"と15年前と同じように答えたのだった。

[] becoming a Japanese  becoming a Japaneseを含むブックマーク  becoming a Japaneseのブックマークコメント

つい先日のことだが、オーストリア人の若い男と日本をめぐって議論をかわした。彼は友人の弟で、空手家なのだという。なんのきっかけでそんな話になったのか覚えていないのだが、日本の第二次世界大戦における中国での乱暴狼藉その他もろもろの話題になった。そう、今思い出したが、空手から暴力の話になって、そんな話になったのだった。

空手は確かに身体精神の訓練になるけれど、いざというときに体が応答するんだから結局ただの暴力だよな、と私が言ったのが彼の勘にさわったらしかった。いや、そんなことはない、と否定する彼を、アフォーダンスの身体論から崩してしまった私が悪かったのだと思う。窮した彼はじゃあお前は暴力的ではないのか、と詰問し始めた。実際には私はそれなりに暴力的であり、殴り合いをしてしまうこともある人間であってきた。でももうしないよな、と思いながら、なおかつ議論の都合上もあって、私はひたすら完全非暴力主義的な立場をとった。殺されてもべつにいいよ、と私はいった。都合を尊重したのはこの議論がどこまでいくのか、というのが大体見え始めていたからだった。

私が感じていたとおり、彼は大日本帝国という過去をあげつらい始めた。下手に空手だけを学んでいるわけではなくて、東洋の歴史にも接しているらしく、南京大虐殺や朝鮮半島における圧制について非難しはじめた。かくなる日本人が非暴力とはなんぞや、首狩り族であるサムライの末裔がどの面さげてそんなことをいうのだ、責任を感じないのか、というのである。私は感じない、と答えた。私がなした悪行ではない。私が責任を感じる必要がどこにあるのだ?と、私は逆に問い返す。オーストリア人の空手家はうろたえる。実はこうした話題はオーストリア人とドイツ人の間ではタブーに近い話題である。しかもドイツ人の場合だったら”無限に恥じ入る”。血統主義の悪癖である。二重の特殊な状況は彼をうろたえさせるに十分だったかもしれない。私は日本人だが、その時代に生きていた人間ではない。だから無関係だ、と私は言った。日本国家の責任はあるだろう、でも私にはない、と。

私はこうした場面に何度も出くわしている。いちばん最初は小学校6年生のときだった。真珠湾攻撃が卑怯である、と同じクラスのアメリカ人たちに詰問されたのだ。私はとても困った。私がずるいわけではないのである。でも彼らは私が日本人であるから、非難しているのだろう。よくよく考えて、だけど私がずるいわけではないのだ、という結論に至ったのだった。そうはいっても私は延々と日本人であり続け、過去を非難され、あるいはジャパニーズテクノロジーを賞賛され続てきた。これは不可避である。逃げることは不可能だ。そのたびに私は同じ説明を繰り返す。外国に住む、というのは鯨談議のみならず、日本人になる、ということなのである。

このようないい方をしていいかどうかわからない。少々鼻持ちならない。しかしいってしまう。日本以外に住んだことのない日本国籍の人間が「愛国心」などといっているのを見聞きするたびに、なにも知らないで幸せだな、と私は思うのだ。

[][][] 知財立国  知財立国を含むブックマーク  知財立国のブックマークコメント

知的財産高等裁判所なんて企画があるんですねー。id:walkinglintさん経由(040731付)。知的財産保護の推進ってのはどうやら、自衛隊派兵と同じような理屈で行われている。法的な手続きを危機感を煽って無視する、という理屈。法律はたてまえである、目下日本は危機にあり、たてまえなんていっていられない、という立場で法的手続きをはしょりましょう、と臆面もなく堂々と主張しているわけだ。このあたり煽動的愛国心の腐臭がする。コイズミ的世界観。「知財立国」。滑稽。かくなるコンセプトのもとになぜ大学行政・財政がなんであんなにみじめなのか。

知財戦略で勝つ・第17回「首相の眼前で展開された知財改革の抵抗勢力」

の結論部分

民間本部員や産業界などから強く出されている、知的財産高等裁判所の創設に反対を表明したのである。といっても、大臣はいずれも、各省の権益を護ろうとする、「省益あって国益なし」の視点で官僚が作成したメモを読み上げたに過ぎない。

 さらにある民間本部員は、技術系裁判官の導入に明確に反対を唱え、「アメリカの技術判事は、知財案件を判断してはならないことになっている」「推進事務局には、知財を総合的に判断する人がいない」「骨子の中に意味の分からない項目がある。たとえば知財学とあるが、このような学問はない」などと主張した。

 日本の産業競争力を強化するため、知財立国を小泉内閣の目玉にしようとするとき、行政の一角とそれに群がる一部の法律学者が寄ってたかって逆行する主張を展開する。

 しかも主張の根拠は、「我が国の法体系」から論じようとする、まず法律ありきの考えである。社会のニーズを前提にした新たな法理論の構築ではなく、「我が国の法体系」というさびついた道具に固執する。

 産業界の実態を肌で感じていない官僚や司法当局者や法律学者が、「法体系になじまない」という錦の御旗を掲げて反対する。社会の実態があって初めて法律は存在する。社会の実態がないところに、法律など存在しても意味がない。

中略

国家の進路の岐路である。知的財産推進事務局は、断固とした決意で抵抗勢力を排除し、小泉首相がたびたび表明している「世界トップの知財立国」への道筋をしっかりと確立してもらいたい。

というわけで、この動きに対していろいろ反応はあるみたいですが、

まぁ、こういう勘違いは、特に技術や特許から入った「昔ながらの特許マン」にはありがちなんですけど。要は法治国家というか、社会構造の全体像がつかめていないわけなんです。

「迅速化」が実現するなら、知財専門の高等裁判所を設置するのもいいと思います。

しかし、実務に携わる者の一人として、「裁判所が何をするところか」「三権分立とは何か」もよくわかっていないような、こういう技術系裁判官に法律判断をして欲しくはないです。たとえ特許法に詳しかったとしても。

http://ch.kitaguni.tv/u/171/INTELLECTUAL+PROPERTY/0000003341.html

や、

この推進計画の一部に見られる実に歯切れの悪い表現となっている部分(特に、最高裁判例を立法で葬り去ることを企図しているとしか解釈し得ない箇所)については「中山先生が事務局へ乗り込んで『こんなものを政府に了承させたら日本は法治国家ではなくなってしまう』と該当箇所の削除を要求(結局、荒井氏ら事務局スタッフが頑強に抵抗した為に削除はされずややトーンダウンした表現に後退)した」ものであると言う情報を筆者は入手している。

http://blog.melma.com/00089025/20040125180634

参照

marinesはチャンネル?

そもそも裁判所って何するところよ

技術系裁判官は必要か?

愛国者と知財ファシズム 屬覆失『知財立国』なのか?」

愛国者と知財ファシズム◆屐愧虜皀侫.轡坤燹戮任癲悒▲鵐船僖謄鵐範澄戮任發覆ぢ荵阿瞭擦悄

謎工さん。

【特設】中山教授「重大決意」問題] やり場の無い怒り

nanashinanashi 2004/07/31 09:16 Kmiura氏は たられば は嫌いかもしれませんが アメリカでのトラウマのような3年間がなければ愛国者であったかもしれないですか?

kmiurakmiura 2004/07/31 10:13 逆かもしれません。アメリカの3年間がなかったら、自分が日本人であることはフィクションだということです。女いなかったら男が存在しない、みたいなものです。

hizzzhizzz 2004/07/31 11:13 ワタクシの3人のいとこは、両親がブラジルに帰化したこともあって、ブラジル国籍をもつ日系2世となったのですが、日本とブラジルの狭間で逡巡したあげく、彼ら自身が選びとった生活圏としての「国」は、年齢順に日本/ブラジル/アメリカと、見事に3人3様に…と、そんな彼らの葛藤(その過程のどれもが深くワタクシに「日本」とはなにかを考えさせられました)を想いだしました。

kmiurakmiura 2004/08/01 19:39 書いたことが理解していただけたようで、ありがたたいです。帰る場所、とは独立して機能としての国を選ぶことができるのである、という気分がもうすこし広まれば、「愛国心」議論ももうすこしまともになるんじゃないかなあ、とつくずく思います。車種を選ぶように国を選んでしまうぐらいでいいんじゃないか。駐車場は同じでも。

kmiurakmiura 2004/08/01 19:41 つくずく→つくづく

ii 2004/08/03 00:33 正直、愛国とは関係ないような気がする、単に考えが雑で法律に無知なだけだと思う....愛国でも反日でもバカはバカ

kmiurakmiura 2004/08/03 01:11 おー。ばっさり。国威発揚、かな。別のいいかたをすれば。

o-tsukao-tsuka 2004/08/12 22:53 空手は確かに暴力トレーニングだという実感はあります。知り合いの弁護士に聞くと、徒手打撃系の武道をやっている人は、暴力事件の加害者となる例が目立つそうです(自分から喧嘩を売るというよりは、相手を挑発して結果的に怪我をさせてしまう例が多いのだとか)。丈に合わない武力は身を滅ぼす、なんて言うのは、ちょっとうがちすぎでしょうけど

30-07-2004

** 
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Ryuさんのところ圏外経由。戦争関連にならぶ大議論風発テーマだよなあ。確かに。ドイツ人といえば反捕鯨のハードコアである。とはいえ、議論になることは稀。というのもあちらもこちらもマジになってしまうので、かなり緊張感が高いテーマなのだ。

私は鯨がとても好きである。鯨の刺身などといったら、とるものもとりあえず駆けつける。味は牛刺によく似ているが、牛と違って臭みが少なく、あっさりしている。カルパッチョともまた違って、脂が少ない。上質のマグロの赤味に歯ごたえを加えた、とでもいえばいいだろうか。そんなわけで、私の場合はRyuさんと違って「鯨はおいしいのか」と聴かれたら、まず「とてもうまい」という。ドイツ人は絶句する。そもそもうまいものを食う、ということに関してドイツ人はとても観念的である。うまい、まずいという判断を自分の舌ではなく値段や意味によって判断しようとする。彼らにとってしたがって、うまいものを食う、というのは値段が高いものを食べる、にほぼ等しい、というケースがとても多い。あるいは「糖分をとる」ないしは「ビタミンCを補給する」という宇宙飛行士の食事のように食べることを考えている。もしくわ「ピエモンテのどこそこのワイナリーの白ワインだから、うまい」となる。単にうまいから、値段も意味も関係なしに食べる、という行動様式は、そのものがとてもデカダンに見えるのだろう。

そこでまず、うまいものを食べる、ということの意味を説明しなくてはならない。意味の文化を背骨にもつドイツ人には、どうしてもその意味を説明しなくてはならない。たとえ私自身はうまい・うまくないということに意味があろうがなかろうがどうでもいいと思っていても、である。事実、私は意味などなくてもいいと思っている。

最も納得されやすいのは、機能的に意味がある、ということである。私は快・不快と脳の機能の関係性を説明し始める。大脳の情報処理機能は、文脈依存的であり、なおかつその処理能力は快・不快に依存している。すなわち、快の状態にあるときに脳の機能は最大になる。これは脳の進化と密接に関係しており、始原に発達した快不快を処理する部分に、今のわれわれの論理演算をする知能は大きく依存しているのである。これらの話は受け売り(松本元さん)ながら、したがっておいしいものを食べる、という快は、我々が脳の機能を最大限引き出すためにはとても重要なのである、と結論する。

私の周りの知り合いの場合は、これで大体納得する。問いと結論が「鯨を保護すべきか」から「うまいものはくうべき」にずれているが、知り合いは大抵私の作る料理を食べて感激しているので、それ以上はなにもいわない。問題は、そうした私との関係がない人間の場合である。激論になる。「でもうまいものは、鯨以外にもあるではないか」とドイツ人はいう。私は、鯨には鯨に固有のゆずれないうまさがあるのである、と答える。ドイツ人はしばし立ち止まり、思い切ったように私に問う。「絶滅の危機がある動物を食べることに良心の呵責はないのか」と私に問う。私は、ない、と答える。その良心の呵責はいわば博物学的なコレクターの「もったいない」という心性である。そこにいる一頭の牛にしてもそれはかけがえのない一頭である。その牛を食べることはすなわち、世の中に二度とありえないその(that)牛を食べることであり、それが絶滅の危機に瀕している鯨を(そのこと自体がはなはだ疑問であるが)食べることとどう違うのか、と私は逆に問いかける。

というわけで議論は延々続く。平行線をたどり、まあ、そうゆうことなのだね、となる(納得できるはずがない。お互いに)。うーむ。

[追記]

鯨談議・昭和オマージュバージョンはこちらへ。id:sujakuさんの「学校給食を軸とした、ニッポン食文化変遷史 その18」。

[][] Numerical Methods for Laplace Transform  Numerical Methods for Laplace Transformを含むブックマーク  Numerical Methods for Laplace Transformのブックマークコメント

Computational Statistical Mechanics

http://scholar.chem.nyu.edu/2600/classnotes/sm.html

Control Theory

Introduction to Java Algorithms in Control Systems

http://www.developer.com/java/other/article.php/1381491

Finding the Laplace and Inverse Laplace Transforms

http://cnx.rice.edu/content/m10110/latest/

http://www.efunda.com/math/laplace_transform/index.cfm

Inverse Laplace Transform Weeks method

original paper:

W. T. Weeks, 1966. "Numerical Inversion of Laplace Transforms Using Laguerre Functions", J. ACM 13, 419--426.

http://portal.acm.org/citation.cfm?id=321351&jmp=references&coll=GUIDE&dl=ACM#abstract

modified

On The Laguerre Method For Numerically Inverting Laplace Transforms (1996)

Joseph Abate, Gagan L. Choudhury, Ward Whitt INFORMS J. Computing

(PDF)

Bibliography for the Laplace Transform

http://math.fullerton.edu/mathews/c2003/LaplaceTransformBib/Links/LaplaceTransformBib_lnk_2.html

--> algorithms (MATLAB)

Inverting the Laplace Transform by the Weeks Method

http://dip.sun.ac.za/~weideman/research/weeks.html

http://dip.sun.ac.za/~weideman/research/mfiles/weeks.m

Algorithm 619: automatic numerical inversion of the Laplace transform

Robert Piessens Rudi Huysmans

http://portal.acm.org/citation.cfm?id=319416&jmp=references&dl=GUIDE&dl=ACM

ACM Transactions on Mathematical Software Vol.10 ( 1984): 348 - 353

[] 愛国心  愛国心を含むブックマーク  愛国心のブックマークコメント

「愛すべき場所は二つ」/松永的愛国心論まとめ編id:chanbaraさんーid:demianさん経由。

”愛国心は、自分に自信を持てない人が対象を国にスライドしたもの”

っていわれて、怒る人の気持ちもわからん。だって本当ではないか。私なんか「もーいやになった、くにに帰る」とかいう気分を自分でよくしっているので、そうだねー、と同意する。実際に帰りはしないんだけれど。

[]Bush in a box Bush in a boxを含むブックマーク Bush in a boxのブックマークコメント

…などという、ブッシュのフィギュアと、お決まりのブッシズムのせりふ("They misunderestimated me"などなど)が書かれた吹き出しをいろいろ貼り付けるキットが売りに出ているのだとか。着せ替え人形ならぬ言い換え人形。なんつーか、コイズミ某もまねしたがりそうな企画。台詞は「改革断行!」とかだろうな。ウォルマートで販売しているのだとか。

ところでせりふとしてはラムズフェルドのほうが傑作がいろいろあると思うので、そちらも作ってはいかがか。

ナオミクラインの記事より。

[] 愛国心  愛国心を含むブックマーク  愛国心のブックマークコメント

上の続き。

愛国心をめぐる議論は、滑稽なところがある。愛国心をめぐって、次のように簡単な分類をする。

1、汎愛国心論者

愛国心を賞揚し、積極的に愛国心を社会的に賞揚させるべきである。

2、単愛国心論者

私には愛国心があるが、人それぞれである。

3、反愛国心論者

愛国心を社会的に賞揚させよう、という1の立場に反して、そのようなことをしてはいけない。

4、没愛国心論者

私には愛国心がない。賞揚させようとしてもムダである。

5、非愛国心論者

愛国心を社会的に賞揚させることに私が巻き込まれるのはいやだ。

1汎愛国心論者の立場と3反愛国心論者の立場の間で交わされる議論は、真正面衝突なので、罵倒雨あられであっても、まあ、あたりまえの議論である。1と5の間でもそうだろう。滑稽に思え始めるのは汎愛国心論者と4没愛国心論者の間の議論である。汎愛国心論者は必死になって愛国心がないはずないではないか、と釈伏させるかのごとき焦燥を見せ始め、一方で没愛国論者はひたすら涼しい顔で、でも愛国心ないんです、と説きつづける。要は仮定の齟齬があるので議論はそもそも成り立たないのだが、1は仮定を仮定ではなく絶対としているので、議論は進行する。滑稽感は、このありえないはずの議論、ということに発するのだろう。要は2と4の並存で十分なのである。あとは機能としての国があればそれでよい。

a2004a2004 2004/07/30 12:48 鯨を通してのドイツ人の食べ物感が具体的に分かって面白いです。ドイツで回転寿司屋が流行っているって話を聞いたことがありますが、あれも頭で脂肪が少なくてヘルシーと計算して食べてるってことでしょうか。同じような文化圏なのにウィーンはデカダンなのも不思議です。

RyuRyu 2004/07/30 16:14 トラックバック、ありがとうございました。 大変面白く拝見いたしました。 思わず、「僕が、もし鯨大好き人間だったら、どんな理屈で論陣をはるかな?」などと想像してしまいました(笑)

nervenarztnervenarzt 2004/07/30 17:18 刺身、うまいねえ。さえずり、いいねえ。本皮、たまらんねえ。さらしくじら、は、別にいいや。

kmiurakmiura 2004/07/30 18:54 a2004さん>ドイツの初等・中等教育には、家庭科や保健体育がないみたいなのです。だから栄養学の知識は、それぞれが雑誌や本などで得たとても偏った知識であることが多い。日本では、どんな栄養素をバランスよくとるか、みたいなことを小学校の時からなんとなく知っていますよね(と書いてから、保健室に通うことの多かった私は、保健室に貼ってあった「牛乳は筋肉をつくります」みたいな図付のポスターを思い出した)。それがない、というのはすごいギャップだなあ、と思います。▼ウィーンはそうなんですよね。ウィーン出身の人はいままで5,6人知り合っているのですがいずれもなんとなく憂鬱な感じででも文化に造詣が深くかつ享楽的な人たちです。なぜかウィーン出身者は私とは互いにすぐ気に入って仲良くなります。ウィーンにはなにか特殊な雰囲気があるんだろう、ととても魅力的。私は食べ物のことはオーストリアの詳しい状況をしらないのですが、オーストリアの方が一般的に飯がうまいです。洗練されていないけれど、あたりまえな感じでほっとするおいしさ。辺境にあって同じ文化圏だけどインターフェースにある、みたいなバランスが、こうした違いをうむのかもしれません。

kmiurakmiura 2004/07/30 18:55 Ryuさん>どうも。お久しぶりです。こちらこそ相変わらずのRyuさん節に、さすがだなあと感心しています。私はどうも実践的になれなくて、あはは、というかんじです。ところでカヌーの上でギター弾いたりするんですか?

kmiurakmiura 2004/07/30 18:55 nervenarztさん>お、同好の士ですなー。お医者さんですか?

RyuRyu 2004/07/31 08:11 ご無沙汰してます! って、「kmiura氏」が貴方だとは分からずに読んでました(^^; ビックリしました。 ギターは全然弾いてないです。 ベースは家で週に一度くらい触るかなっていう程度。 もうダメですね。

sujakusujaku 2004/08/01 04:04 なるほど、ドイツ人は観念的な味覚をもっているがゆえに(!)、めんどくさくおまけに不幸そうですね。さて、そこで興味深くおもうことは、そんな、プロテスタント(=闘うキリスト者???)の比率も多く、かつては新制ローマ帝国(!)でもあったそんなドイツで、なぜか、古典派音楽だけは、えらく発達したこと。このことにぼくは興味しんしんです。●それにしてもドイツ古典派音楽発展の理由は、たんじゅんに演奏機会が多かったことにだけは還元できなさそうな、不穏ななにかを予感してしまいます。kmiura は、そのあたりどうですか?●余談:ドイツの20世紀芸術は、なんといっても300キロはスピードを出せるアウトバーンだ、という説もよく耳にしますし、ドイツには行ったことのないぼくにも、なるほどな、と、おもえます。

kmiurakmiura 2004/08/01 20:18 いやー、クラッシクの知識はダメダメなんでなんともいいようがないのですが、私がよく思うのは、クラッシックを聴いている彼らは、旋律を聴くよりも構成にもりあがるんですね。時代劇を見てその構成の典型に盛り上がることとよく似ているかもしれない。▼オートバーンでドイツ人がとる車間距離は異様に短くて、この点に間してイタリア人もフランス人もやつらは狂っている、っていいます。一方でドイツ人にいわせれば、ブレーキがあるんだからいいんだ、なんて主張するわけです。とても観念的。とはいえ、オートバーンの設計は実に精密ですごい。感動的。構成力という点で私はいつも感服します。ドイツで工学が芸術に結びつきやすいのは(あ、工芸というのか)、この構成への志向と関係しているのではないかと思います。▼ちなみに時速300キロはちょっとないです。一番速くて250ぐらいかな。私はゴルフIIの限界で180。オートバーンでは、車の性能・整備が如実に反映されるので、おもしろいです。

sujakusujaku 2004/08/01 23:56 五線譜というかれらの発明は、音楽という身体芸能(?)を、視覚と聴覚に分割して、音楽をタテ軸ーヨコ軸で完璧にコントロールしてゆく、という不穏な意思を感じます。●楽譜は一方で、音高を、いわば周波数特性を、(ピアノの鍵盤を介して)、五線譜に置き換える形で規定します。他方、楽譜は、音価(=音の長さ)を、全音符〜たとえば16〜32分音符くらいに割ります。その後、メトロノームが、全体のテンポを規定してゆくことに拠って、いわば、音楽タテ軸ヨコ軸の、支配は完璧に。●五線譜の発明は、いわば、デカルト座標というたんじゅんかつ驚くべき発明に匹敵する「音楽の発明」と、とりあえず言うことができそうではあるけれど。●とはいえ、このように硬直した音楽観は、ほんらい音楽がそなえている音楽の自在さに対して、まず管理のためにいったん強い制限を与え、そこからあらためて、自在さ(=創造性)の萌芽を見守る、というようなまわりくどいかれらの嗜好を見るおもいがします。●そこにぼくは、とてもドイツ的なるものを見ます、行ったこともないくせに。

29-07-2004

合成の試験中。うまくいくかなー。

[] 「春と修羅」 mental sketch modified 宮澤賢治   「春と修羅」 mental sketch modified 宮澤賢治 を含むブックマーク  「春と修羅」 mental sketch modified 宮澤賢治 のブックマークコメント

心象のはいいろはがねから

あけびのつるはくもにからまり

のばらのやぶや腐植の濕地

いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様

(正午の管楽〔くわんがく〕よりもしげく

 琥珀のかけらがそそぐとき)

いかりのにがさまた青さ

四月の気層のひかりの底を

唾〔つばき〕し はぎしりゆききする

おれはひとりの修羅なのだ

(風景はなみだにゆすれ)

碎ける雲の眼路〔めじ〕をかぎり

 れいらうの天の海には

  聖玻璃〔せいはり〕の風が行き交ひ

   ZYPRESSEN春のいちれつ

    くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ

     その暗い脚並からは

      天山の雪の稜さへひかるのに

      (かげらふの波と白い偏光)

      まことのことばはうしなはれ

     雲はちぎれてそらをとぶ

    ああかがやきの四月の底を

   はぎしり燃えてゆききする

  おれはひとりの修羅なのだ

  (玉髄の雲がながれて

   どこで啼くその春の鳥)

  日輪青くかげろへば

   修羅は樹林に交響し

    陥りくらむ天の椀から

    黒い木の群落が延び

      その枝はかなしくしげり

     すべて二重の風景を

    喪神の森の梢から

   ひらめいてとびたつからす

   (気層いよいよすみわたり

    ひのきもしんと天に立つころ)

草地の黄金をすぎてくるもの

ことなくひとのかたちのもの

けらをまとひおれを見るその農夫

ほんたうにおれが見えるのか

まばゆい気圏の海のそこに

(かなしみは青々ふかく)

ZYPRESSENしづかにゆすれ

鳥はまた青ぞらを截る

(まことのことばはここになく

 修羅のなみだはつちにふる)

 

あたらしくそらに息つけば

ほの白く肺はちぢまり

(このからだそらのみぢんにちらばれ)

いてふのこずえまたひかり

ZYPRESSENいよいよ黒く

雲の火ばなは降りそそぐ

http://why.kenji.ne.jp/haruto/109harut.html

デモーニッシュな存在を嘆くのではなく抱え込む!

[] 合掌・中島らも  合掌・中島らもを含むブックマーク  合掌・中島らものブックマークコメント

梅田で酔っ払って階段を二階分転げ落ちた。そのまま気絶して、はっと気がつくと私はアスファルトにうつぶせになり、すでに朝だった。道路の反対側で、犬の散歩中のおばちゃんが私をじいっとみていた。起き上がろうとする私と目があうと、あわてて去っていった。

尻のポケットの財布を確かめるとなくなっていた。およよ、と思いながら探すと、5メートルほど先に落ちていた。財布には紙が挟まれていた。そこには「いやん!まいっちんぐマチコ先生」と大書されていた。金は当然なくなっていた。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20040729

27-07-2004

この二日連続で鰻蒲焼。近所のタイ食品屋が新たに仕入れたので買ったのだが、うまいうまい。でも山椒がないんだよなあ。バジルだのオレガノだのいろいろ試しているけれど、いまいち。

[][] 世界を動かす石油戦略   世界を動かす石油戦略 を含むブックマーク  世界を動かす石油戦略 のブックマークコメント

先日銀座「ライオン」にてid:svnseedsにもらった石油関連書物2冊のうち、さきに読め、との一冊。先の正月のあとしばらく石油の話題があったので、その続き。

全体的には、石油が市場製品か、戦略物資か、という問いの立て方がよく理解できた。筆者らは、石油はもはや戦略物資ではない、と主張する。このことはよくわかる。実際に、市場の再配分機能がさまざまな側面で発揮されている、ということが例を挙げて示されており、産油国と石油輸入国の二国間の関係で供給や価格の安定性が決定するわけではない、ということがわかる。70年代の石油ショック以降、輸送手段と備蓄設備が世界中に発達したために、石油はどこの国から来たか、ということがもはや問題ではない、ということなのだ。また、著者らが強調するのは、それぞれの国には石油戦略の立て方に目下矛盾する二通りが並存している、という点である。即ち、旧来の地政学的な発想で石油のぶんどり合戦をする、という意識から戦略を立てる、というありかた。二つ目は、市場商品であるからして、市場自体を保護するために、石油の供給と輸送を安定化させる戦略をとる、というありかたである。著者らは前者をナンセンスとして排し、後者しかありえない、と結論する。

私が思ったのは著者らの主張はいわば理想論だ、ということである。市場が市場として自由に機能するためには、安定した流通が必要である。石油を市場商品とするには、この前提条件が不可欠だ。確かに90年代は、流通が平和になおかつ迅速に行われていたかもしれない。しかし今は状況が違う。拙速な政策が実行されたために(e.g.イラク戦争)、石油が市場商品として世界を流通することができる条件は崩壊しつつあるのではないか。

ブッシュ政権が(不安定な独裁政権で核兵器を所有し、テロリストがひしめくパキスタンにはまるで無関心なのに)イラクに関心を示すのは、この国が世界の原油の3分の2を埋蔵する地域の中心部に位置しているからだ。バグダッドは、石油の価格にも供給量にも影響を与えることのできる位置にあり、石油は戦略的商品として、世界経済と米国の軍事機構を潤していく。戦争に反対する運動では、この現実から短絡的な見方を引き出す者も多い。ワシントンは、米国の大手石油会社の利権に従属し、イラクの石油の一部を押さえようとしている、という見方だ。だが、現実はそれよりはるかに複雑である。(*1

で、いかなる戦略なのか、というと、

イラクは新しい油田を開発し、生産能力を急速に向上させ、可及的すみやかに世界市場に多量の石油を出回らせる。開戦前には1バレル30ドル前後で上下していた原油相場は急落し、1バレル15ドルを切るまでになる。そうすれば、米欧の経済成長が刺激され、石油輸出国機構(OPEC)が崩壊し、「ならず者国家」(イラン、シリア、リビア)の経済が壊滅し、中東に「体制転換」と民主化の機会が生まれる、というシナリオだ。

この戦略はいわば、石油を市場商品として捉える見方からの戦略、といってもよいだろう。ロシアに対する油田開発面でのすりよりに関して考えてみても、米国の戦略に一貫性はある。もちろん、この戦略は経済成長という美辞麗句のみならず、もっと具体的に考えてみれば米国民が安いガソリンを買うことが可能になる、ということを目指しているのであり、安いガソリンの供給はすなわち、米国民の支持を得るための最重要ポイントである。このために、イラクの民間人が殺されても仕方がない、というのが米国の政治家が考えたことなのだろう。

しかしこのシナリオは失敗した。石油の価格を下げることはおろか、市場商品を市場商品として安定化することにも失敗している。

 もし、イラクの状況が現在のようではなく、サウジアラビアがテロに見舞われずに済んでいたら、原油価格がこれほど急速に上昇することもなかっただろう。治安が悪化し、石油施設の破壊が繰り返されるイラクの生産量は、戦争前の2002年の日量212万バレルから、2003年には133万バレルにまで激減した。2004年5月には230万バレルまで回復したが、1999年から2001年当時の水準には及ばない。

 その上、新たな油田を開発し、6年から8年かけて生産量を倍増させる目的で、失墜した政権が複数の国際企業と交渉中または締結済みだった契約は、ことごとく凍結された。世界一の石油輸出国であるサウジはといえば、主に石油化学コンビナートと産油地帯を狙った相次ぐテロ行為により、大きな打撃を受けている。

 こうしたテロ行為がサウジやイラクその他の湾岸諸国で繰り返されること、その結果として、かなり長期にわたって輸出の混乱や中断が生じることが危惧されている。1973年や1979年の時との大きな違いは、公式政府による禁輸の決定や(イスラム革命後のイランのような)政治体制の変化ではなく、顔の見えないグループによる予見できない行動に左右されている点である。さらに悪いことに、揺さぶりをかけられている現体制のもと、サウジが世界の石油需要に応じるという重責を今後も担い続けられるかは疑わしくなってきた。 (*2

イラクの生産能力は、1991年の湾岸戦争とその後の経済制裁により生産施設に大打撃を受ける前でも日量380万バレル、今では250万バレルがやっとでしかない。しかし米国の新保守主義者たちの思惑では、それを3年間で少なくとも200万バレル引き上げ、2010年には600万バレルとすることも可能である。とりわけ、イラク新体制が油田の民営化を決定し、生産能力増強に必要な技術と資本をもつ多国籍企業に経営を委ねるならば。

 ところが、2002年に新保守主義者たちがこの計画を提案すると、さまざまな反対が巻き起こった。彼らの提案する原油価格引き下げ政策は、「ならず者国家」の経済を危機に追い込むばかりでなく、メキシコ、カナダ、ノルウェー、インドネシア、クウェート、サウジなど、数多くの親米国家の経済をも脅かすことになるからだ。他方、イラクへの投資額は原油価格に左右される。価格が下がるほど、原油への投資から得られる利益も少なくなる。そのうえサウジの幹部は、声を大にしてOPECを守ると言っている。企業がイラクの新油田開発への投資など考えないよう、必要とあらばサウジの生産量を増やして原油価格を下げるという。皮肉なことに、在外のイラク反体制派も(新保守主義者と手を結んだイラク国民会議も含めて)、イラク石油の民営化には反対している。彼らはそれぞれの政治的立場にかかわりなく、多くのイラク人と同様に、イラクが真に所有する唯一の資産が石油であることを理解しており、その支配権を維持しなければならないと決意しているのだ。

これらのことが意味するは次のようなことだ。市場商品としての石油を安定化させるよりも、反米という形で中東のナショナリズムを煽ってしまったのである。すなわち、米国の行動は裏目にでて、地政学的状況を呼び起こし石油を戦略物資にしてしまったのである。というわけで、id:svnseedsがいう、まずは政治抜きで考えましょうっていうのもわかんないことはない。でもたぶんそれは911以前までの話だ。それだけでは不可能になりつつある、というのが私の意見。

次の点。石油の供給に関して、著者らは非常に楽観的である。技術的な発達により、石油は100年先まで供給できるとしている。しかしこれはそのまま鵜呑みにしてよいのか、という強い疑問が私には残る。中東油田の対抗カードとして同等かそれ以上のポテンシャルをもつロシアの油田を著者らは例に挙げる。しかしながら

ここ数年来、さらに重大な疑念を呼び起こしているのが、ロシアとOPEC主要国の確認埋蔵量に関する公式統計である。確認されたという埋蔵量が、独立した機関によって検証されたわけではないからだ。問題はその規模にある。世界の民間石油会社トップ8の保有量が570億バレルでしかないのに対して、OPEC諸国の国有石油会社トップ8の保有量6620 億バレルに達するとされる。サウジの油田の状態と、世界の石油のほぼ4分の1を有するサウジ・アラムコ社の開発力に関し、シモンズ報告書(2)によって引き起こされた最近の論争も、こうした不安をかき立てるものだった。

日本にしたってシベリアーナホトカ石油パイプラインももはや目前、みたいな話もあるが、私がいらぬ心配してしまうのは人のいい日本人が金だけ払ってなにもできない、というようないかにもありそうな事態。

また、石油を市場商品として流通させるためには、さまざまな地域における産油が必要な条件であるが、他のマイナーな産油国に関しても

ナイジェリアの石油生産は、民族紛争とストライキによって打撃を受けている。2003年にはベネズエラでも、石油産業を麻痺させたストライキのために、生産量が著しく低下した。

のような懸念がある。

他にも強調しておかなければならないことがある。2001年から2025年にかけ、世界的に需要が高まる一方で、埋蔵量と先進国の生産量は減少するだろう。その結果、代表的な大量消費地だけを見ても、輸入依存度はアメリカでは55.7%から71%へ、西ヨーロッパでは50.1%から68.6%へ、中国では31.5%から73.2%へと上昇する。このように、エネルギーという死活的に重要な分野における輸入依存の増大が、「石油をめぐる戦い」を引き起こした。大国とその石油企業が中東、アフリカ、中央アジアの埋蔵石油の支配をめぐって争っている。今回のイラク戦争のことは言うまでもない。

石油需要の増大率に対して石油供給増大率が反転する、というかつて私がここでも引用した未来の可能性は払拭されたわけではない。

[] 消費と平準化 続き  消費と平準化 続きを含むブックマーク  消費と平準化 続きのブックマークコメント

慧眼。

id:hizzz:20040726#p2

こーしてアバウトに見てみると第二次大戦以降わかれた管理的社会科学主義システムとアメリカン・ウェイ・オブ・ライフは、ひょっとしたら「標準化」という観念の表と裏でしかないのではないかな。

ソ連(ロシア)人とアメリカ人って、往々にしてガサツ・よれよれの服という点がよく似ている。ウォッカとウィスキーの違いはあるけれど。

食事も生活エネルギー供給のひとつと考えれば、スーパー&コンビニ&100円ショップの立地条件はライフラインとして重要になる。

身もフタもない言い方をすれば、慈善と平等と自我意欲に燃えた家政学は、家事合理化のハテの家事労働の消滅=TVディナー&個食に結実する。家庭から「労働」を追放して、さてナニがのこったのだろうか。労働を商品として消費するユートピア、答えは「余暇」である。

ウィーンのカフェの発達はそもそもが暖房費の節約で朝っぱらからカフェにいっていたからなのだそうだ。余暇を駆ってカフェはコミュニティとして発達したが、コンビニはどうもそうでもなさそう。生産は極小に、消費は極大に、という豊かさが本来であるはずと私は考える。というよりも私はそうありたい。平準化は消費速度だけを効率化している。なにしろコンビニエンス、なのだから。ああ、ここでも私は何か、人質にとられているような気になる。「国を想う、国を創る」というスローガンを聞いた瞬間に、およよ、と困った。私の祖国愛が人質になったから。コンビニでは何が人質になるのか。たぶん二日酔いの頭痛だ。私はポカリスエットを求めてフラフラとコンビニに紛れ込む。

*1:「石油のための戦争」はどこまでほんとうか ヤーヤ・サドウスキー(Yahya Sadowski)ベイルート・アメリカン大学準教授 http://www.diplo.jp/articles03/0304.html

*2:石油価格と地政学、そして需給バランス ニコラ・サルキス(Nicolas Sarkis) アラブ石油研究センター所長 雑誌『アラブの石油と天然ガス』発行 http://www.diplo.jp/articles04/0407-3.html

hizzzhizzz 2004/07/27 18:58 人質:いやー、そりゃぁやっぱ、相対コミュニティを商品を介在とした同調情報消費に換え「生産は極小に、消費は極大に」を一目散にめざしてるのは、万博→デパート→コンビニとすべてがコンパクトに食玩結晶化していくその先のキッチュ四畳半文化「ジャパニーズスタイル」そのもの主体の〈無垢〉なんでわないでしょーかね。

kmiurakmiura 2004/07/27 20:53 南イタリア料理の基本は、短い時間で作る事ができて、それにくらべて長くダラダラ食べることができる、ということなのだそうです。もちろんおいしくなければいけないけれど、消費はそこの極大を目指せと私は同感するわけです。効率化され平準化された「消費機会均等」とでもいうようなコンセプトは、これとは明らかに違った種類の消費なわけです。短い時間で用意することにはするが、消費もまた短時間。情報閲覧→欲望煽動→情報閲覧というサイクルの周期を短くすることで(”食玩結晶化”は、この周期を短くする作用をもつ空間の圧縮化だと思います)消費の激しいフラックスに身を曝して自我補強、っていうのもありなのかなあ、とも思ったりする。でもやはりこのメソッドって、随分と自分の欲望を人質に差し出すことだと思うのです。

svnseedssvnseeds 2004/07/27 21:40 む、だからそうやって「消費」を分類しちゃダメなんだってば。不毛すぎる。どうしてそうやって消費を目の敵にするのだ。あと「欲望」って言葉使いにも言いたいことがある(というか根っこは一緒なんだけど)。扇動され欲望させられた結果としての消費において、自由意志はどこにからんでくるの?自由意志論者が「消費」に限って受動的決定論を支持するのって変じゃない?これについてはいつか忘れた頃にまとめて書く予定なり。言っとくけど責任がどうしたとか言う話ではないよ(笑)。▼石油の本、ちゃんと無くさずに持って帰ったのは偉い!2つの疑問はごもっとも、だけど、やっぱり言いたいことはある。こちらもあわせてちょっと考えます。まあこれについては最終的には重心をどっちに置くか、程度の違いかも知れないな。

svnseedssvnseeds 2004/07/27 21:44 というか鰻の蒲焼にバジルとは恐れ入りました。今度コリアンダーも試して見ておくれ(笑)。山椒は中華食材屋にないかなあ。それか四川料理屋で分けて貰うとか。

kmiurakmiura 2004/07/27 22:10 奇跡的にも本無くさず。私は「・・・石油戦略」は少々啓蒙工作の臭いがするなあと思った。って、最後にぽろって著者自身が書いているけど。▼ところで消費を分類するなってのも立派な思想なんだけどね。

hizzzhizzz 2004/07/27 23:54 南イタリア...:スローライフってことですね。しかし、日本で一番厳格なスローライフなのは皇室でしゅ。とゆー訳でもないんですが、ワタクシがいーたい日本でのコンビニにみられる「情報消費」とわ、30年に一回建て直す伊勢神宮的催事消費と、似て蝶かと、ヨタかまし。

svnseedssvnseeds 2004/07/28 00:07 ま、啓蒙工作であっても、別の視点を説得力を持って提示してるってのは良いことだと思うよ。「政治的」視点ばっかりじゃお話にならないしそもそも検証もできない。▼後半、「思想」の定義がよくわからないのでなんとも言えんけど、消費を分類しだすと最後は個人の抑圧に至るってロジックはわかるよね?普段はそういった抑圧を嫌う人たちが、「消費」に関しては逆の志向を持つのが面白い、というか社会主義だかマルクス主義だか戦時中のスローガンだか知らないけど、根が深くてねじれてるんだな(もっと言うと前2者の「リベラル」に与えた影響ってのは全然抜けてないんだな)と思ってるだけ。▼それと僕は消費が良いとは言っていなくて、消費とは良い悪い(とかなんにせよそういった分類)なんていうのを適用するのが馬鹿らしいものだ、と言ってることに注意。歩くとか呼吸するとかと同じで、そこに良し悪しなんかあるわけない。今現在消費に貼り付けられている良し悪しのラベルは、消費の前後にあるなにものかに向かうべきだろう。それがなんだかよく知らんけど。そうしたら世の中もっと見通しが良くなると思うよ。

kmiurakmiura 2004/07/28 06:01 いっていることはよくわかる。でもですねー、科学・道徳・美学の判断はそれぞれ別だわな。それを科学だけに押し込める理屈はどこにもないと思う。

hizzzhizzz 2004/07/28 09:31 枠=制度がモラル化すること程、息苦しいものはありません。昨今の「科学・道徳・美学をひとつに押し込める」リベラル社会システム論者の鼻息荒い拡大傾向にせよ、民主主義にせよ、平等均等にせよ、その枠の網の目を詰めようとする完璧志向は端的にいって全体主義なんですよね。レッシグが「民主主義の根幹は規制が不完全であること」といってますね。不完全であるがゆえに物事がたえず動くのであり、固定せず動くからこそイノベーションも起こる。大量生産大量消費商売だって、生き延びる為には刻々と変化せざるをえない。「世界はひとつ」統一理論なユートピアは、あらゆる意味でスモール。ひとつなのは世界でなく個人かと。

svnseedssvnseeds 2004/07/28 20:11 ん?僕も科学・道徳・美学の判断はそれぞれ別だと思うよ。「科学だけに押し込める理屈」ってつながりがよくわからないな。ま、おいおい、ということで。▼hizzzさんのまとめを読んで、この流れどっかで見たなーと思ったら、例の「降りる自由」とかなりつながるんだなあ。ちょっと裾野が広すぎて、考える土台が足りない・・・。精進しまっす。

kmiurakmiura 2004/07/28 20:33 茫洋たることをいっているわけではなくて、消費を一つのパラメーターとして価値判断を排除する、というのは、科学的立場。価値判断を馬鹿らしい、というのは、私から見るとガチガチのサイエンスファンダメンタリストに見えるわけ。そりゃそのほうがすっきるするけれど、これは例えれば強姦を良しとするか、悪とするか、ということを考えているときに、「それは馬鹿らしい。生物学的にはある程度の割合で起きることである。そのほうがすっきり物事をみられる。」と主張することに他ならないわけ。▼自由意思論者が受動的決定論を支持するのはおかしい、という点についてだけど、これは認識が飛躍しすぎているなと思いました。私が書いたのは、自由意思があっても環境の圧力でその自由度が制限されている、ということです。狭い部屋に閉じ込められても自由意思は自由意思。牢屋をイメージすればいいのかも。

svnseedssvnseeds 2004/07/29 23:28 うーん、話が噛み合わないね(笑)。価値判断を排除してるんじゃなくて、価値判断ができないものだ、っていってるつもりなんだけどな。つまり、もともと価値判断ができるものを、そっちの方がシンプルだからといって価値判断しないわけじゃなく、そもそも価値を判断することが可能なことではないものだ、といってるのだ。▼こうした価値判断を行うことができないものは、消費に限ったことではなく、他にもたくさんあるように思う。ちょっと良い例が浮かばないけれども、例えば僕が今こうして生きていることであるとか、生き物があまねくたくさん生きていることであるとか(もっとも今のところ地球に限る)、世界や宇宙が存在することであるとか。これらは科学的・道徳的・倫理的な価値の判断をしてもしょうがないものたちだ。消費という行為も、これらのグループの一員だと僕は思っている。▼こっからちょっと飛躍するけれども、ではこのグループの特徴は何か、つまり価値の判断ができないようなものたちとはなんなんだろうか、と考えた際に、次の2つの点を挙げられるように思う。まだ考え中で詰まっていないのだけれども、ちょっと聞いておくれ。▼ひとつ目の特徴は、それは*直接には*他者と関わらないものだ、という点。kmiuraが上に挙げた例との最大の違いはここね(ていうか例が例によって扇情的過ぎるよ!(笑))。しかし他者と直接関わらないからといって、自己完結しているわけでもない。つまり1対1の関係ではなく、1対システムの関係であり、そのシステムは自分自身を含むものである、ということ。▼例えば消費に関して言えば、それは個人と個人の関係ではなく、個人と社会との関係になる。そして社会にはその個人が含まれている。(ここはまだ詰めてないので弱いのだけど)個人の振る舞いの積算が社会なのだとすれば、個人なり社会なりを(根本的に)律しているのはなんなのだろうか。こうした自己言及的な系の要素に対して、なんらかの価値判断を行うことは可能なんだろうか。価値判断を行い得たとして、それは何に対する価値判断なのだろうか。こうした自分を含むシステムと自分とのinteractionは、ちょっとオートポイエーシスちっくで面白いでしょ?▼もうひとつの特徴は、実は先の特徴の別の側面かもしれないけれども、それらに対して何がしかの価値判断を行っても何の足しにもならんじゃないか、という点。直接答えが出ないのは良いとして、答えを出すための答えすら出ないのは、問いが悪いからだと僕は思う。これはオッカムの剃刀のメタバージョンだと思ってもらっても良い。▼消費を(科学的・道徳的・倫理的、何の基準でも)分類するとする。その価値判断の基準を設定するのは誰だろうか?最初は自分だろう。ではその基準はどこから来ているのか?自分が属する社会だろうか?(これが最初に挙げた特徴)。それではその社会の判断と自分の判断はイコールだろうか?その判断が異なったとき、どちらを優先すれば*良い*のだろうか?その判断の*良さ*はどこから来ているのだろうか?その判断の判断の*良さ*はどこから来ているのだろうか?その判断の判断の判(略)。▼この例でわかるように、いったん分類して価値判断を行うと、際限なくそれを行い続けなければいけなくなるものがあると思う。そしてそのループは、メタの(メタの(メタの(メタの(メタの(略)))))と続きキリがない。答えの答え(の答えの略)が出ない場合、考え方の考え方(の考え方の略)が間違っている可能性が高い。そうした問いは却下して、別の問い方を探した方が世の中すっきりするだろう。ってそういう話。どうかな。▼長々とすまん。自由意志についてはかなり似た感じもしてる。また今度。ぼちぼちやってください。

26-07-2004

週末はノルマンディー出身フランス人と大吟醸「鈴蘭」。魚食って育っているだけあって、酒盗も喜んで食べていた。いままで酒盗を喜んだのは他にオランダ人。飯のあとは、ボルドーの赤。2002年。置いたらこれはうまくなる、というようなワインで、今度1箱購入するかどうか相談するも、ずぼらな者同士、管理できないよなあ、ということで、向こうの実家のワインセラーに預けようか、ということになる。ノルマンディーの海岸沿いにある実家なのだが、ナチスが掘った塹壕が未だに残っており、今や地元の人々がワインセラーとして活用しているのだそうだ。

ビンテージものの楽器屋をやっているアメリカ人の友達から電話があって、eBayでうちの近くに住んでいる人のギターを競り落としたんで、ピックアップしてきてくれ、という。現金送ったらそのままとんずら、という雰囲気の人だというので、わざわざ私に頼みたい、とのこと。で、日曜にふらふらその人の家を訪れたのだが、家に入ると壁全面にモデルガン(であることを願いたい)の自動小銃が何十丁もかかっていて、その間にエロ雑誌のページらしき、ヌードのピンアップがべたべた貼られていた。なんかやばいなあ、という感じ。窓際には天体望遠鏡があって、水平になっていた。川沿いの住宅なんで、対岸の家を覗いているんだろうなあ、なんて想像。こんな人もいるんですねえ。

[][] 香港の出生率0・925  香港の出生率0・925を含むブックマーク  香港の出生率0・925のブックマークコメント

香港やシンガポールなどかつてNIES(新興工業国・地域)と呼ばれた国々でも出生率が急低下して、昨年度はそろって日本を下回ったというのだ。シンガ

ポール1・25、台湾1・24、韓国1・17。香港にいたっては0・925と1を割り込んでいる。驚くべきことは、4カ国の出生率は1990年にはすでに2を切っていたということである。

中略

もっと不思議なのは、NIES諸国に公的年金がないからといって老人たちが飢え死にしたという話を聞かないことである。年金制度はあった方がいいに決まっている。だが公的年金がなかった時代の日本だって老人たちは飢え死にしたわけではない。苦しいながらも家族とか地域が協力しあってなんとか生きていたのである。

萬晩報 伴武澄

http://www.yorozubp.com/0407/040726.htm

26日付日経の記事、とのこと。伴さんの結論(はまだないがらしきもの)は、出生率と年金は関係ない、というようなことだが、出生率の低下が年金財政に影響する、という関係はあまりに明らかだとおもうのだが。とはいえ、年金そのものに疑念を挟む、というのが今後続くらしい。少々注目。

nanashinanashi 2004/07/27 05:18 まあKmiura氏にとっては釈迦に説法だとは思うんですが念のため 合計特殊出生率と完結出生児数の違いについて以下のサイトで説明がなされています。http://umi.no-ip.com/simple/pdone.html?id=324(このサイトで使われている言葉は乱暴ですが) 結婚した女性が一生に産む子供の数は1972年ごろから平均してほぼ二人と変わっていません。出生率が低下した理由は結婚する女性の数が減ったからです。 可能性は二つ 晩婚化か未婚化のどちらかでしょう。 単なる晩婚化であればそのうち出生率は回復するでしょうが 未婚化であれば出生率は回復しないでしょう。

kmiurakmiura 2004/07/27 05:32 よい補足ありがとうございます。タイトルがひどいけど。

nanashinanashi 2004/07/27 08:46 訂正 未婚化ではなくて非婚化ですね。 失敬。

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23-07-2004

日本の某製薬会社の人来訪。ドイツならびに欧州で勝負をかけるための下調べ、ってことらしい。アポなしで押しかけるところが気に入った。がんばって欲しい。

[] 消費と平準化  消費と平準化を含むブックマーク  消費と平準化のブックマークコメント

http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20040723

消費

消費が悪いとは私も思わない。消費せずして生命営めず。消費そのものに良い・悪いはそもそもない。単なる速度の違いである。

平準化

なおかつ平準化そのものは別にかまわん。便利でよろしい。あるいは平準化の快楽ってもの理解できる。でもこれが「生きるために何が必要かぐらい自分で決めさせてくれ、と思うんだけど人に決めてもらった方が良いのかしらん。」の言葉どうり、自分で選択していると思いつつ選択肢が狭まっていることの快楽、としてもよいだろう。これは不自由の快楽であり、怠惰の安寧である。ダラダラするのが好きな私は、「なんでもいいよー」と言いがちだ。人に決めてもらうことの快楽。

問題は平準化に伴うフェーズだ。平準化をよしとしない人間を排除ないしは毛嫌いする傾向。たとえばこのあいだのイラク人質に対する底なしの反感っていうのがそれだ。あるいは、先日ここでもリンクした、「大体、刑事訴訟法なんか持ち出すのは普通の人じゃない」みたいな発想。

平準化は物事を単純にするが、同時に複雑にもする。平準化によって常識としてコード化されるもろもろ。結果として平準化は暗黙の了解を伴うことになる。コンビニで自動的に一番奥に足を向けたときに、そこに冷たい飲み物がならんでいないと、裏切られた気分になるのだ。この態度が当然となった瞬間から、排除は始まる。怠惰に遊ぶなら徹底せよ。裏切りは、「なんでもいいよー」と言った私の責任なのだ。

svnseedssvnseeds 2004/07/24 01:33 うーん、よくわからん。「不自由の快楽であり、怠惰の安寧である」っていう表現を使うことで、平準化の傾向に対してネガティブだと言ってるように見える。というかそもそも「便利」とか「快楽」がネガティブなもののように扱われているように見える。で、それって消費を悪とする性向と同根なんじゃないの、って思ってしまう。▼ってこれが「平準化をよしとしない人間を排除ないしは毛嫌いする傾向」の表れですかそうですか。その2つの例も平準化とどう関連してるのかよくわからん。やっぱり鈍いのかな。

kmiurakmiura 2004/07/27 00:11 わからない、ということはわかった。説明すると長くなるんでまたおいおい。例えば制服は楽だわな。でも制服は制服なわけで、不自由である。ちなみにドイツでは、高校生の素行があまりに悪いので、「日本のほうに制服を導入しよう」なんて人もまじめにいたりする。あほかー、と私はいつもコメントする。

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22-07-2004

[] コンビニ関連。  コンビニ関連。を含むブックマーク  コンビニ関連。のブックマークコメント

Ririkaさんのところ。

テレビと同様に、コンビニは平準化を強化して*1、結局人間は息苦しくなる、ということはあるかもしれない。息苦しくなるのは、人間はそれほど平準化することが難しいからだし、偏差がいろいろあるのが当然だからだ。テレビの場合は、みな同じ方向をむいている、ということになるけれど、コンビニの場合は繭に包まれる、という感じか。

欲望、文化産業、個人

ベルナール・スティグレール(Bernard Stiegler)

訳・逸見龍生

ル・モンド・ディプロマティーク04年6月号

http://www.diplo.jp/articles04/0406-6.html

数十年来世界を支配している寓話がある。すくなからぬ政治思想や哲学が、その幻惑の虜となってきた。この寓話によると、1968年を経て、時代は「ゆとり社会」や「容認社会」「柔構造社会」など、いわゆる余暇社会、個人主義社会に変貌したという。脱産業社会論と呼ばれる、この寓話の理論から、「ポストモダン」哲学は大きな影響を受けた。それがこの哲学のアキレス腱となった。社民主義者も同じである。この寓話を信用し、大量生産・大量消費の産業社会から、中産階級社会へと時代は移行したと唱え、プロレタリア階級は消滅するだろうと予想した。

中略

あるモノの特異性を、私が欲望するのは、そのモノが、私という特異性を、鏡のように映しだすからだ。私自身のまだ知らない、私の特異性が何か、モノが明らかにしてくれるのである。資本が、私たちの行動をハイパー・マス化するのであるならば、欲望のハイパー・マス化にも、当然資本は狙いをつけるはずだろう。個人も、否応なく、群れとなって生きていかざるをえまい。そうした論理からすれば、例外者は、ひとえに打倒すべき敵となるだろう。この点は、産業民主主義のせいで、家畜社会が出現するだろうと喝破したニーチェが、とうに見越していたことだ。産業社会の政治構造が抱え込んだ真の難問だ。例外者への欲望を投影するスクリーンを、厳重な管理下に置いたとき、タナトスの論理(22)、すなわちエントロピーの影が、世界中を広く覆い始める。タナトスとは、秩序が、無秩序に従属することを意味する。タナトスは、涅槃の状態であり、あらゆるものが平準化に向かう。例外者が、「欲望の欲望する」対象でありつづけるかぎり、タナトスは、あらゆる例外者をことごとく否定するのと同義である。

[][] を含むブックマーク のブックマークコメント

というようなことを書いてからツラツラながめていたら、こんな意見みつけた。

積極的親米試論 (id:gaikichi:20040720

どうも現在「保守」と言ってる人、それも特に年齢40代以下の人々が保守したい物の中身というのは、つきつめてみると、お爺さんお婆さんから先祖の培ってきた日本の伝統精神やらとかではなく、現状の平和で豊かでお気楽な消費文化(コンビニとマクドナルドとスターバックスとアマゾンドットコムと食玩フィギュアのある日常)のことであるらしい。

伝統保守ではなく消費文化保守主義

消費文化保守(ボキャブラリー)が平準化保守に向かっている、というようなベクトルがチラホラわたしには感じられてしまった。ありえない平準化をなぜか志向しまっているのだな。

平準化はなぜ志向されるのか。コンビニまで戻って考えると、その秘訣はあの平準化された配置(商品のラインアップではなく)にあるのではないか、と私は思う。なにしろ泥酔して見知らぬコンビニに入っても、足は自動的に、ウーロン茶ないしはポカリスエットが並んでいる一番奥に向かうのだ。そして必ずそこには、ウーロン茶がある、と信じて向かって、ほとんどの場合失敗しない。

[][] みんな悪かったんです。  みんな悪かったんです。を含むブックマーク  みんな悪かったんです。のブックマークコメント

911検証委員会の報告が出た。でも政権の責任は薄められている。

"We do not believe leaders understood the gravity of the threat. By September 2001, the executive branch of the US government, the congress, the news media, and the American public had received clear warning that Islamist terrorists meant to kill Americans in high numbers."

The September 11 commission said everyone involved in counter-terrorism at home at abroad before the attacks bore some of the blame.

一億総懺悔、とまではいかないが、「みんな悪かった」的な結論ということになる。これに対して、リチャード・クラークがさっそくコメント。

"What they didn't do is say that the country is actually not safer now than it was then because of the rise in terrorism after our invasion in Iraq."

まさにそのとうり。

500ページ近いフルのレポートを読みたい方は、こちらにどうぞ。

9/11 report in full (7.2MB pdf)

ガーディアンより。

*1:なんていうと、今はオンデマンドの時代だなんてコメントつきそうですけど、オン・デマンドは超平準化ではないか、と問うてみたい。狡猾になっただけのことだ。

コンビニが好きコンビニが好き 2004/07/23 20:54 老若男女・夜の都市生活者の安寧の場としてのコンビニの機能については、以前から気になっていました・・・・

kmiurakmiura 2004/07/23 23:08 私は買い物しかしないのでわからんのですが、安寧の内実ってどんなものなんでしょう。

21-07-2004

ノルマンディー名産、眠り蟹をついに食した。かにみそがとても多い蟹で、私がそちらに夢中になっているうちに、手足はほとんど同席していた仲間達が食べてしまった。おまえらかにみそは食わんのか、と聞いたら、なんでそんな不気味なものを食べるのだ、と口々にいう。かにみその悦楽を知らんのだな、不幸な奴らだ、とブツブツいいながら私は引き続きかにみそ。

[] 「華氏911」  「華氏911」を含むブックマーク  「華氏911」のブックマークコメント

「華氏911」関連 ガーディアン記事リスト

http://film.guardian.co.uk/fahrenheit911/0,14736,1254483,00.html

「華氏911」称賛でロンシュタットさんホテル強制退去

http://www.asahi.com/international/update/0721/013.html

http://film.guardian.co.uk/News_Story/Guardian/0,4029,1265642,00.html

[] The scientific impact of nations  The scientific impact of nationsを含むブックマーク  The scientific impact of nationsのブックマークコメント

by DAVID A. KING

Nature 430, 311 - 316 (15 July 2004)

科学業界の勢力図論文。このところEUが米国に肉薄、ってな内容。

1997-2001の自然科学論文の統計

論分数(%) 被引用数 (%)

USA 1,265,808(34.86) 10,850,549 (49.43)

EU15 1,347,985(37.12) 8,628,152 (39.3)

JPN 336,858 (9.28) 1,852,271 (8.44)

っていっても、EUは引用されない論文が多いのだなあ。日本と似ている。これは普通、悪いこと、として評価されるのだが、かならずしもそうではないのではないか。いろいろなことを研究している、という別の評価の仕方ができる。米国は政府主導でテーマの選択が限られているから、特定のテーマに人間が集中する。したがって、被引用数がうなぎのぼり、ってなこともあるだろう。他にもいろいろ国同士の得意分野の比較なども。日本はやはり物理・工学が強い。職人の国だからな。

結論に、科学への投資はかならずしも各国それぞれの利益になるわけではない、でも世界全体の発展・持続には役に立つ、とあった。国力増強、科学技術予算注入とかいっている日本の某省の方々、是非このあたりちゃんと理解して欲しい。

[] 海の酸性化 16日付記事に追記  海の酸性化 16日付記事に追記を含むブックマーク  海の酸性化 16日付記事に追記のブックマークコメント

MIYUさんが(コメントありがとうございます)スラッシュドットJPで同じ測定結果に関して投稿されているので、リンク。

http://slashdot.jp/article.pl?sid=04/07/17/0757257

上の記事にリンクされている15日付のネイチャーニュースによれば、二酸化炭素が海に吸収されている(産業革命以後放出した二酸化炭素の半分は無機炭素として海に蓄積されている)、というのは、放出された二酸化炭素が全て大気中に蓄積ないし循環するのではない、という点からよいニュースである反面、海洋生物に対する影響は推測が不可能である、という悪いニュースでもある、としている。

MIYUさん投稿記事から引用

NOAAによる研究概要である「 世界の海洋中の二酸化炭素のインパクト」(英文)によると、研究では1990年代に世界中の海洋から集められた72,000以上の海水サンプルが分析されたそうです。研究者達は二酸化炭素の放出量が現在の計画通りに推移した場合、今世紀末には海洋の食物連鎖の基礎になっている有孔虫や円石藻などの一部の海洋生物が、殻・外骨格を形成する事が困難になる海域が広がるだろうと予測しています。これらの有機体の成長率は25%〜45%削減される可能性があり、海洋の生態系に影響するだろうと見られています。

ここで最も生態系に影響がある、とみられるのは海中のプランクトン。多くの魚がプランクトンを食べて生きているわけで、秋刀魚が食えなくなる、ぐらいではすまないかもしれない。

ちなみに私が驚いたのは次の点。

The new high quality ocean carbon measurements allow scientists to determine that over a 200-year time-scale, the land plants have released more CO2 to the atmosphere than they have taken up. Over the long-term, therefore, the ocean has been the only reservoir to consistently take up anthropogenic CO2 from the atmosphere.

http://www.noaanews.noaa.gov/stories2004/s2261.htm

過去200年のことだけを考えると、大気中の二酸化炭素を吸収していたのは、植物ではなく(植物はどちらかというと放出している)海だけ、という点。常識を覆す結果、ということ。

svnseedssvnseeds 2004/07/21 22:27 禿同>「かならずしも各国それぞれの利益になるわけではない」。だいたいいまどき国同士が何かで対立してると考えてる人の気が知れん。中国台湾しかり。単なる政治家のデモだ(自国軍向け)。敵にダメージを与えるのと同じくらい自国に影響があるような選択はしないだろう、普通。やばいのは国民がこぞってそうした国家間対立があり得ると信じる状況だな。政治家は国民が望むことをするからなあ。というかそれが正しい民主国家の姿だし。そして国民は貧すれば鈍する。第一次大戦後の状況が繰り返されないことを切に願う。ところで話は飛ぶけどMSに対する排除勧告もこの流れで理解すべきだと思う。モノ造りの国のメーカーを守れ!って話だろう。やれやれだなあ。

kmiurakmiura 2004/07/22 04:23 煽りとしての国家、と機能としての国家をちゃんと見ないとね。

svnseedssvnseeds 2004/07/22 08:10 「煽りとしての国家」ってナニ?

kmiurakmiura 2004/07/22 19:04 体育会系の部活みたいなもので、インテグリティを保つために集団に対する忠誠心を煽る。これは別に日本に限った話ではなくて、スポーツチームってのはどこもそうだ。国が国としてインテグリティを保つには、政治家にしろなんにしろ、運営する側は「科学技術立国」だの「国を想う」みたいに煽る。あるいは高校で君が代・日の丸強制ってのもヘタクソな煽り。対立を煽る状況もこれまた、サッカーのチャンピョンシップを開催するのと同じことで、ある国は、他の国が対立することでその存在がより鮮明になるということ。自衛隊派遣だって、サッカーナショナルチームの海外遠征と一緒だ。なんでこんなことをするかって私は考えるんだが、政治家は国がないと失業するわ権力なくなるわで、商売上がったりってことでしかないんじゃないかと思う。”機能”ってのは社会保障としての国家を意味する。この部分を本来は注意深くデザインして、この機能の元に国民がインテグリティを保とうとする、政治家はその仲介をする、というのが当然だと私は思うのだが、その労を政治家はなまけて、単に煽ることでインテグリティを保とうという怠惰に走っているわけだな。これが”煽りとしての国家”。▼おお、別の比喩もおもいついた。2ちゃんねるのスレッドは、「釣り」という煽りがあって盛り上がる。盛り上がるというか、スレッドが伸びる。スレッドの存在はだからこの場合、あおりによって初めて存在することになる。このスレッドにはたしかにスレッドとしてのインテグリティはあるけれど、まあ、意味はない。煽る政治家はだから安易な「釣り」するわけ。内容でスレッドを構成しようとしない。

svnseedssvnseeds 2004/07/22 19:51 なるほど。それは確かにくだらないなあ。国ってのは究極のpublic utilityなんだから、integrityがどうのなんて関係ないんだけどな。封建主義じゃあるまいし。それこそ電話会社を変えるのと同じくらい気軽に国籍を変えられれば一番良いんだけど。NTTに忠誠尽くす必要が無いのと同様、国に対しても忠誠なんて尽くす必要はないよね。得られるサービスとそれへの対価の問題なんだから。もちろん選挙権/被選挙権の行使も重要だけど、それでダメなら国をとっかえれば良い。▼ちなみに祖国がどうのってのははっきり言って田舎もんの発想だよね。元をたどればみんなアフリカ起源なわけで(笑)。そこまでたどらなくても、この国が祖国なのはたまたまそこに生まれたからだけであり、そこに一生縛られる必然性は全然ない。って思わない?

kmiurakmiura 2004/07/23 02:47 いやー、田舎者でもいいんだけど、母国ってのはやっぱり特別だよ。不可避的。煽り、機能以外に、故郷としてのくに、というのがあって、これは否定しようがない不可避的な”くに”だ。「この国を想う」ってな煽りはこの選択不可能な部分を、煽って利用しいるわけで、卑怯。だから腹が立つ。機能としてどこの国が優秀かで住む場所を選ぶ、というのはまた別の話だけど。この部分で縛られる必要はない。

svnseedssvnseeds 2004/07/23 06:56 そういう素朴な祖国愛ってのは良いと思うよ。ただ、それが万人に生じるべき感情だ、としてしまうととたんに「煽り」に利用されるようになる。ふざけんな、って感じだな。「普通の人」を「英霊」にしてしまった側の連中が「英霊を祀れ」っていうんだからおかしいよね。

19-07-2004

kmiura2004-07-19

今朝2時にパトカーに停車命令をうけ、職務質問。研究していると答えたら、さんざん研究内容を聞かれた。「細胞ってどの細胞だ」。オマエほんとに警官か、とおもいながら説明。

[] ゴーグルエース 欧州ツアー第二弾最終日・ミュンヘン  ゴーグルエース 欧州ツアー第二弾最終日・ミュンヘンを含むブックマーク  ゴーグルエース 欧州ツアー第二弾最終日・ミュンヘンのブックマークコメント

昨年のツアーの際にはなんと一緒に飲んだだけ、という誠に申し訳ないことになっていた60'sJ-ROCKなグループ、ゴーグルエースのライブを初見。一ヶ月のヨーロッパツアーの最終日。あまりおもろくない前座バンドが引いた後に、「ジャーン」という轟音とともに登場、ドラマーのエリクリ嬢の「ワン、ツー、スリー、フォー」という雄たけびを合図に息も切らせぬ堂々二時間の狂乱。すごかったー。芸能という日本語を私は何度も思い返した。カマチガクによる「みなさまありがとうございます」的なザ・ジャパニーズ芸能の朗々たるMCと怒涛の8ビートをこれだけうまく叩き込まれると、観客は言葉わかんなくてもなんとなくなにを言っているのか、想像がつくわけなのだなあ、ととても感心。

それにしてもエリクリ嬢は凄かった。合間にドラムから放れて客の間を巡りながら歌い始めたのだが、これがまたうまい。絶妙にうまい。あとで、歌がうまいのはともかく(歌謡曲、かくたるべし)、なんであんなにスゴイ目線できるの、と聞いたら、えー、恥ずかしいじゃなーい、とフラれてしまった。なんでもその昔演劇の経験があるとのことなのだが、2時間ぶっつづけで観客を圧倒しつづける目線ってーのは演出じゃなくて、芸能なのである、と私は一人納得したのだった。ウスイ氏に、構成はだれがやっているわけ、と聞いたが、そんなことしていない、のだとか。うーん。やはりこれは芸能だ。

目下一年に100本のライブやっているとかで、来週にも東京でライブだそうだ。ライブがすごい、というバンドを見たかったら是非どうぞ。右上の写真は昨年のヨーロッパツアーの、オン・ザ・ロード記録DVD(ASIN: B0000TCMZC)。インディーズ系のバンドが、海外ツアーするノウハウ、中央ヨーロッパの観光ビデオとしてもどうぞ。酔っ払った私も、どこのアホだ、という感じでちらちらと登場。

ゴーグル・エース

http://www.goggle-a.com

[] 現代美術館(Pinakothek der Moderne) ランボルギーニ展  現代美術館(Pinakothek der Moderne) ランボルギーニ展を含むブックマーク  現代美術館(Pinakothek der Moderne) ランボルギーニ展のブックマークコメント

フェラーリに「所詮トラクターしかつくれんだろ、オマエ」といわれて一念発起、田舎のトラクターメーカーからスーパーカーの代名詞となったランボルギーニの歴史の展覧会。現代美術と称するにふさわしいだけの美しい流線型。ディアブロを目の前に、ところでなぜ私はこの車たちを美しいと思うのかとしばし呆然。機能美、という言い方もあるけれど、そこに凄まじい機能がそなわっているという前理解があるから私はこれを美しいと思うのか、それとも本当に美しいのか、どっちなのか、とナイーブな気分になっているうちに閉館時間になって追い出された。神秘性を強調するため、とかで会場が暗すぎた。難点。ポスターを買おうと思ったらもう売切れだった。

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16-07-2004

kmiura2004-07-16

「プロミス」コイズミ。表紙が「消え行くコイズミ」のタイム誌から。記事になんどもPromiseがでてくるので、キーワード。背景に日本語のプロミス看板を持ってきたのは、わざとなんだろうなあ。

恩師の姪が旅行中で、住んでいる町にやってきたので一緒に晩飯。ちょうど大学を卒業するぐらいの歳で、いろいろ悩んでいるみたいだった。話したことの一つのトピックは「就職活動」ということだったのだが、天職(vocation)とはなにか、ってな話を私はした。なんか悪い影響だったかもしれんなー。なにしろ日銭稼ぎしかしたことないのだから。

[] 海の酸性化  海の酸性化を含むブックマーク  海の酸性化のブックマークコメント

人間の活動が放出した二酸化炭素のうち半分は海が吸収しているということがわかったのだとか。船に乗って海のあちらこちら、一万箇所からのサンプリングっていうから、気の遠くなるような作業。

私はすっかり熱帯雨林が二酸化炭素を消費しているものと思っていた(熱帯雨林保護論の根拠がこれだ)。この結果、海が酸性化して、海洋生物の生態に長期的に多大な影響を与える、と推測している。例えば貝殻が解けやすくなって、1000ppmですでに貝は育つことができなくなるのだそうだ。

[] ↑  ↑を含むブックマーク  ↑のブックマークコメント

というような話を聞くたびに思うのだが、「たいへんだー。だから、二酸化炭素の放出はいけないノデアル。」的な結論の安易さだ。先日書いた「である」と「べき」の話に直接接続するのだが、生物をなめすぎている、と私は思ってしまう。生物は恐るべき柔軟な適応性を持っていて、大抵の環境の変化にはうまく対応できてしまうのである。実証と規範の無限ループの軌跡がシステムとなる、というのはそのまま生物のシステムなのだ。

逆に言えば、環境の変化に適応できないのは、規範に収束しがちな人間のほうである。地球が温暖化するならば、それに適応するように生活を変化させればいい(背広きないでアロハ着ろよ)。でもたぶん、今の人間の貧困なる適応法は、クーラーの設定温度をもう一度下げる、ということなのだ。

[] ひでえな。  ひでえな。を含むブックマーク  ひでえな。のブックマークコメント

id:shiraishi:20040716

「いやだ、放せ」

しかし、数に頼んで僕は強引に路上を引き摺られ、横の路地に連れ込まれた。

僕は大声で警官の横暴を道往く人に訴えた。

「ただ歩いているだけの人間を不当に拘束して、礼状もなしに身体捜索をしようとしています…」

刑事の一人は僕に「ばかやろう」などという。

「バカだと?お前は公務員なのに市民をバカ呼ばわりするのか?」と返すと、

「いや、オレはそんなこと言ってないよ」ととぼける。

大体、刑事訴訟法なんか持ち出すのは普通の人じゃない

BonvoyageBonvoyage 2004/07/16 22:27 「半分は海」って話は聞いたことがありましたが、サンプリングも行われたんですね。◆森と海の関係も深いみたいです。日本のどこかでも、漁場が失われた。魚が来なくなった。近くの森の木をたくさん伐採した後だった。…という話があります。因果関係は定かではないんですが、森の養分が川や地下水脈に乗って運ばれて海に流れ込み、そこで光合成される(プランクトンや海草や魚などが集まる)、というスキームがあるかもしれません。それがもし正しければ、やっぱり熱帯雨林保護はしておかなければいけないという話になりますよね。何にしても、僕らの住む地球はたくさんの相利共生関係で成り立っているので、下手なことをするとその関係が一気に失われてしまう危険性がある、ということだけは意識しておいたほうがよさそうな気がします。◆ちなみに、酸化→酸性化じゃないかなあ、と思ったり。細かいとこですけど。

kmiurakmiura 2004/07/16 22:40 あー、そうですね。酸性化。直します。▼相利共生関係については、うえに追記したみたいに私は生物の緩衝能はかなり高いと考えています。

BonvoyageBonvoyage 2004/07/16 23:59 ふむ。僕も「地球が滅びる」だとか「生態系が滅びる」なんてことは信じてないんですけど、僕らが今いるのは適応度地形の中のある山頂付近なわけですよね。で、おっしゃるとおり生物や生態系ってのは柔軟で、状況が変われば今いる所から尾根伝いに隣の山頂のあたりに移動していくんだろうと思うのですが、その時に果たしてそこが人間にとって暮らしやすい環境なのだろうか、と僕は考えてしまうのです。kmiuraさんはどのようにお考えですか?

kmiurakmiura 2004/07/17 02:40 暮らしやすく自分が変わる、というのが本来的なんでしょうけれど人間は目下適応=漸次的変化を拒否していると重います。変化する環境にだから適応するのが難しいでしょう。

kmiurakmiura 2004/07/17 03:37 およよ。「重い」→「思い」

BonvoyageBonvoyage 2004/07/18 01:31 ん〜。緩衝能って実際どんなもんなんでしょう。こういうのを見積もった論文とかってあるんでしょうか。

kmiurakmiura 2004/07/19 06:04 四方さん」とかかな。

MANGAMEGAMONDOMANGAMEGAMONDO 2004/07/19 17:25 過日はありがとうございました。「ひでえな。」な話、最近多いですね。この間も友人からその手の愚痴を聞かされたばかり。彼は念のため診断書を取って苦情を訴えたら、彼の身柄を暴力的に“保護”した“担当者”は消えてしまいましたとさ。

MIYUMIYU 2004/07/19 21:16 初めまして。◇海の酸性化の話は日本ではほとんど報道されませんでした。私はNatureで読んだので、研究が行われた経緯がわかるCO2 in the OceansとNOAAの資料をそえて(海水のサンプリング数は72000です)スラッシュドットでアナウンスしました。でも、反応無いです。◇今の生物種の多様化の元になっている「カンブリア紀の爆発」で、当時の生き物がカルシウム過剰状態に適応しようとした事が多様化の引き金を引いたのではないか、という説が最近出ていました。殻や骨格が形成できなくなったらきっとまたそれに対する適応が起こるのだろうと思うのですが、それが「現在の生態系」に組み込まれるには時間がかかるだろうから、「今生きているものにとっては」壊滅的打撃になるかもしれない、と思ったりします。生命というくくりかたをすると大したことではないのですが。◇結局、「ヒト」という生物(エネルギーを大量に消費する)の数が急激に増えすぎた、ということなのでしょうか。KmiuraさんとBonvoyageさんのやりとりは興味深かったです。

kmiurakmiura 2004/07/19 21:54 apoさん>どうも。id:tokyocatさんの方でもつい半年ぐらい前になかなかすごい体験談を読んだ気がする。集めてコンパイルしておくのもいいかもしれんですね。普通の人の体験談特集(笑)

kmiurakmiura 2004/07/19 21:54 Miyuさん>コメントありがとうございます。よかったらリンク上に追記して貼りますので、スラッシュドットの方のアナウンスのURL、書き込んでください。▼今あるものを保持しなければならない、という考え方がたぶんダサダサなんだろうと私は思う。系統樹を紙に書いて貼ったぐらいから、もう、たぶんそうなってしまったわけですね。先進諸国の少子化も同根。ベタだけど、コイズミも同根。

BonvoyageBonvoyage 2004/07/20 15:38 MIYUさん>そうそう、僕も、「今生きているもの(すなわち俺)にとっては」壊滅的打撃になるかもしれない、ということが少し気になります。変化が、シャツを1枚脱げばいい、で済む程度ならいいんだけど、と。◆kmiuraさん>僕も「今あるものを保持しなければならない」とは思わないんですけど、せっかく人間というところまで進化してきたのが、もし「一旦リセットしてシャッフルしてやりなおし〜」になってしまったら、ちょっともったいないような気もするんです。進化の方向性として。単に、今まで見たことないような物語を見たい、という僕のエゴかもしれませんが。

MIYUMIYU 2004/07/22 02:33 Kmiuraさん>巡回速度が遅くてすみませぬ。スラッシュドット・ジャパンは「slashdot.jp/article.pl?sid=04/07/17/0757257」です。 編集後かつ生物系の話にはなっていません。NOAAとCO2 in the Oceansのリンク、なかの参考リンク等が面白いです。◇Bonvoyageさん>人間が高地に移住してから最長で5万年程だそうです。でも、「ヒト」としての大きな変化はほとんど無いですよね。そういう風に自分は変化が遅いのに周辺環境は凄い勢いで変えてしまう、というのはどうなんだろうと思います。 ブラジルのサバンナが2030年に消滅?なんて話を聞くとなおさら。

kmiurakmiura 2004/07/22 04:09 私はマジメにスーツを脱ぐのから始めろ、と思います。姿勢の問題。スーツも脱げないのに、環境を変えるという大仕事ができるはずがない。

kmiurakmiura 2004/07/22 04:10 MIYUさん、リンクありがとうございます。21日付に追記しました。

BonvoyageBonvoyage 2004/07/22 13:19 「スーツを脱ぐのから始めろ」ってのには同意。自分のところでも書きましたけど、環境問題は技術面よりも人の意識の面を何とかしないとどうにもならんだろうと思います。ところで、今ウハウハ儲かってる会社なんかだと、あまりスーツを着ないみたいですね。僕も何社か見ましたけど、オフィスワーカーはみんなかなりラフな普段着でした。そのほうが動きやすいし頭も働くし。スーツって拘束着ですもんね。◆それにしても僕はやっぱり、緩衝能がどのくらいなのかってのが一番気になるところです。それって人間が自由に使ったり汚したりしてもいい範囲のことですよね。◆MIYUさん>実はねえ、僕、その辺はよくわからないんです。 ちょっと変な話→ もし、今の地球環境の変化が(人間がやったことなんて実は大したファクターになってなくて)長期的に見ればただの自然変動だったとしたらどうなんでしょう。それが(人類が生き延びようとするならば)一番恐ろしいシナリオですよね。手の出しようがないから。フラーたちが行っていたバイオスフィア供平郵的局所的生態系シェルター)の研究を進めなくてはいけないのかも。

kmiurakmiura 2004/07/23 03:14 緩衝能というのは、生物自体が変わることも含めています。

15-07-2004

東京と気温の差ににておよそ10度。なんか短い夏だったなあ、という気分。

[] 座頭市  座頭市を含むブックマーク  座頭市のブックマークコメント

ドンキホーテで夜半すぎに衝動買いした北野たけしの「座頭市」を見た。時代劇にタップダンス?なんてキワモノ的センセーションの広告を見ていたので、どんなものか、と興味あったのだが、なんのことはない、時代劇の王道だった。タップダンスは難が去った村人の喜ぶ姿として描かれ、意外さは全くない。クロサワの映画でも、最後は村人の踊りと酒で大団円、ではないか。一緒にみていたドイツ人は、「タップダンスは昔の日本にあったのか」と私に質問をしたが、時代考証はともあれ、ダンスはダンスだ。歴史を学ぶために座頭市を見るアホはいないだろう。

随所に登場する案山子がなにやら意味深、と思っていたのだが、終わってから考えると、それは単に観客の気分を補助するための、起承転結の区切りなのだった。決戦のため隠れていた田舎家から街にとぼとぼと向かう市が、道に放置された案山子を立て直すシーンが、終盤の近いことを観客に知らせる。その「結」の象徴を自分で立て直すあたり、私は北野たけしのこれまでの映画にない意気込みを感じた。この意気込みは、殺陣にもよく見て取ることができる。これまでの映画における北野たけしの殺人は、常に無表情な乱射だったが、今回仕込杖を三分に抜いて身構える市の表情は凄まじい迫力。王道であること、典型のアレンジであること、なおかつ洗練されていることを考えると、これは傑作である。

[] 知識人が狙われる  知識人が狙われるを含むブックマーク  知識人が狙われるのブックマークコメント

昨年のイラク戦争開始からこれまでに、バクダット大学だけでも学者が13人殺されているのだそうだ(フィスクの7月14日付記事)。イラク全土でも狙われるのは学部長や副学部長。侵略者はいつの時代でも知識人を抹殺しようとする。「忘れない」粘着さは学者の特質だが、為政者にとってはこれが困るのだ。

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14-07-2004

新宿駅の成田エクスプレスホームは、とんでもなく遠くにあるのでいつも参る。しかも中央地下通路から行くと、階段がある。ただえさえ階段だらけなのだが、スーツケースをかつぎ上げるという恐るべき難行が最後にも待ち受けている。ホームにたどり着いて、いつもの「喫煙所」を探すと、半年前よりもほぼ50メートル、南に移動していた。ほとんど代々木である。私が喫煙所に到着したのは9時25分だった。喫煙が可能なのは9時30分からだった。ガードマンが一人、仁王立ちしており、喫煙しようとする人々を口頭で制止していた。9時30分、「どうぞ」と無表情に一言いってガードマンは立ち去った。喫煙者以外の人間はだれもいないそのホームの先端で、人々は一斉にタバコをくわえ、火を点けた。

3週間日本に滞在してドイツにもどると、いつも感じるのが顔の筋肉の退化だ。表情があきらかに固くなっている。税関で腕組みをしている国境警備員にはめったに捕まらないのだが、今回は笑いかけようとして顔がひきつってしまい、見事に不審者扱いになってしまった。EUの特別身分証明書を見せたらびびって通してくれたけれど、あれなかったらいろいろ没収されていただろうなあ。

[] 「である」と「べき」について。  「である」と「べき」について。を含むブックマーク  「である」と「べき」について。のブックマークコメント

...はシンタックスの問題ではある。でももう少し個人の話として考えてみる。実証は誰のためにするのか。自分のためである。実験していて最後まで納得しないのは結局自分だ。他人を説得するのはとても簡単。自分を説得するのはムズカシイ。だから実験をする。かくして説得されてしまった自分のなかで「べき」が発生するのは副次的な結果であって、でもこの「べき」を常に転覆させるのが、これまた実証「である」なのであった。ここに実証a→規範A→実証a'→規範A'・・・なる非平衡のダイナミクスが個人の中で発生する。ヘーゲルのいう「運動」。でも終わりはない。これが社会というレベルでも起こればよいのだが、物忘れのひどい人間社会というシステムは、ダイナミクスにならず、規範に収束する。この怠惰を隠蔽するかのように「信じろ」と連呼しはじめる、あるいは信じてしまう。

成田エクスプレスの車窓から眺める東京周辺の沿線に立ち並ぶ小さな家々、その規範のなさに私はいつも日本を感じる。でもその一軒一軒は所有者にとっての規範なのだ。長期住宅ローンという過負荷に安寧をもとめる人間の気持ち、わからないでもない。他に信じられるものなど、なかなかないのだから。

きっかけリンク。

id:svnseeds:20040630#p1 似非相対主義者と市場原理主義否定論者

id:svnseeds:20040706#p1 似非相対主義の話

id:jouno:20040706#1089116531

id:jouno:20040706#1089068635

id:hizzz:20040708 人厚無脳

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11-07-2004

kmiura2004-07-11

仕事終了して金曜夜から日曜の朝まで飲み続け。土曜はid:svnseedsid:sujakuさん、id:hizzzさん、おれカネ先生、noguさんと南インドカレー&飲み。ラッシ(でしたっけ?)なるスープ、トムヤムの高貴バージョンのごとき繊細さに南インドの懐の深さを妄想。最後に行った飯田橋の沖縄料理店「大ちゃん」は途中から参加のapoさん@id:Mangamegamondoのご案内。ミミガーおよび海ぶどう乱れ食い状態で感動しつつ前後不覚になるシアワセ。みなさんどうもありがとうございました。それにしても博覧強記な人がこれだけ集まると笑いが絶えず、やはり凄かった。

[] 参院選  参院選を含むブックマーク  参院選のブックマークコメント

速報で当確が出始めたころに官邸を出たコイズミ首相にぶらさがり記者が「今回の敗北の責任は?」と問い、首相は即座に「関係ない」と答えていた。「カンケーねーよ」という中高生並のふてくされ呟きをこの国の首相はためらいもなく使用した。たぶん、この言葉はコイズミ首相の本質である。選挙は関係ない、のだ。

関係ない、かもしれないが、さかのぼることちょうど一週間前に、長野の某所で私はブルーベリーを摘んでいた。知人の知り合いが農家で、いくらでも摘んでよい、とのことで、農家を夕方に訪れ、1時間ほど採取に没頭した後に麦茶が供された。軒先で私は主人としばし雑談をした。主人は、君、選挙に興味あるかね、ということばを皮切りに、自分が推している自民党候補を私にも一票入れろ、と言い始めた。タダでブルーベリーを摘ませてもらった手前なんとなく悪いなあ、と思いながらも私はイラク戦争に対する現政権の方針に反対であるという自分の立場を説明した。しばし議論になった。主人は少々気分を害したようだった。双方はしばし沈黙してしまった。結論として主人は「政治は難しいからねえ」と述べた。いや、それは関係ない、と私は心の中で思ったが、さすがに口にはだせなかった。

もしかしたら関係があるのかもしれない。政治はそもそも、そんなにやさしいことではないはずだ。それに比して、首相の言葉はあまりに軽い。

[] キモノアロハ  キモノアロハを含むブックマーク  キモノアロハのブックマークコメント

アロハの源流は日本の着物であるという話を先日書いたのだが、そんなわけで着物柄のアロハをid:eri-wが教えてくれた専門店に行って買ってみた。店員に教わったのだが、アロハの源流に着物がある、ということは、日本の着物産業が、どちらかというとその事実を隠蔽した、という経緯があるのだそうだ。着物の名に恥じる、ということらしい。これまたなんとももったいない話。

sujakusujaku 2004/07/12 05:23 kmiura、たのしかったよぉ! それぞれの話題とそのそれぞれの切り返しの絶妙さ。あのメンバーで、3日3晩くらいぶっとおしで食べ続け、飲み続け、しゃべり続けたかった。●さて、あのスープの名はラッサムで、南インド料理の代表的なものです。せっかくですので、説明も・・・。●ラッサムは、水のようにしゃばしゃばしたスープで、トマトの酸味もさわやかな、胡椒とカイエンヌ・ペッパーとタマリンド風味の、豆入りスープです。●コリアンダーの葉(=パクチーで代用も可)の、根っこを切り落とし、下の方から小口切りします。●タマリンドが手に入りにくい場合は、ややオリジナルからは遠ざかりますが、レモンや、梅干しで代用するのも、それはまたそれで愉し、です。●豆もぼくはいつも緑豆でつくっています。豆はあらかじめ別煮が正統ですが、ぼくはいっしょに煮て、40分くらい弱火で、ラッサム全体をしあげています。コツは海塩の効かせ方。●しかし、トマトを水煮缶で代用するのだけは、絶対不可です。どことは言いませんが、某有名店がそんなつくりかたをしていて、国辱的南インド料理、と、ひそかな悪評を呼んでいます。「誰も知らないとおもって、キャンベルのトマト・スープにカイエンヌ・ペッパー振ったようなもん、出すんじゃねーよ!」って。★あぁ、ぼくはやむなく早抜けしちゃったけど、その沖縄料理もすっごく食べたかったなぁ。kmiura、そしてみなさん、再会の日をたのしみに。

hizzzhizzz 2004/07/12 12:18 途中で脱落したワタクシですが、カイゼル髭にバージョンupしたkmiuraさんにお会いできる日を、noguさんオススメの池波正太郎を読破しヲヤヂ殺しに精進しつつ虎視眈々とお待ち申し上げております。ペコリ。

hizzzhizzz 2004/07/12 17:55 どーでもいーどわすれ物件:病気で一日中風呂につかってて小娘に刺殺されたフランス革命家は、「マラー」だした。>http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/cham/marat/gallery/david.html あーすっきし。

kmiurakmiura 2004/07/13 04:35 sujakuさん>ラッサムはスリランカにもあるのかなあ。今度聞いて見ますね。▼sujakuさんを見習って私もメモ魔復活しようかなあなんて考えています。

kmiurakmiura 2004/07/13 04:35 hizzzさん>実は次回は温泉ランドウォッチングツアーになるのではないかという気が。「暗殺の天使を探せ」じゃないですが、件の人物、わざわざお調べいただきありがとうございました。ちょっと調べたら「マラーを殺した女―暗殺の天使シャルロット・コルデ」なんて本まであるんですね。在庫切れみたいですけれど。一方で「悪女が生まれるとき」なる本では悪女になっていたり。とか思っていたら「萌え萌えジャパン」
http://kodansha.cplaza.ne.jp/hot/moejpn/06/content.html

kmiurakmiura 2004/07/13 04:36 なんてもっとおもしろいページもありました。

sujakusujaku 2004/07/13 07:25 kmiura、スリランカ料理の家庭料理のオススメは・・・。ポルサムボーラ(カツオブシのフレーク、そぼろ状。ごはんにかけるフリカケ)と、キリホディ(ココナツ・スープ)です。http://d.hatena.ne.jp/sujaku/20040424#p3 (および#p2 と #p4) キリホディはレストラン料理ではないのでメニューにない場合も多いようですが、注文すれば、たいてい苦笑しながら(?)、つくってくれますよ。●南インドの海向こうスリランカには、シンハラ人とタミル人が住んでいて、なるほどタミル人の料理文化がどうやら南インドの料理文化に連なるらしいです。とりわけキリ・ホディは、南インド料理のスープ、ラッサムとの親近性をおもわせますし、また、より広くは、海づたいにひろがる<ココナツ文化圏>というようなものも考えさせますね。●とはいえ、ぼくにはスリランカ人の友達はいませんので、料理は上記の文章を書いたあと中目黒で食べましたが、むしろkmiuraのスリランカ料理続報をこそ、ぼくは待っています。

hizzzhizzz 2004/07/13 09:58 暗殺の天使:「NEVADA萌え」と同じっすね。 フロ屋と萌えのキーワードは、「人間開放」ってことかも(笑)。お帰りになられる前に、中野ブロードウェイは要チェキ!でございます。

kmiurakmiura 2004/07/14 06:23 戻ってきてしまいましたー

svnseedssvnseeds 2004/07/14 12:55 ありゃ、もう一回くらい飲もうと思ってたのに!今度は年末かな?