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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


31-07-2004

[][] 愛国心  愛国心を含むブックマーク  愛国心のブックマークコメント

愛国心(または国という枠組みへの帰属感)反応集

愛国心、ときくと私にはさまざまな感情がこみ上げる。押し付けられる愛国心にはだから、違和感を感じずにいられない。

私はドイツに愛国心を抱いているだろうか?8年住んだこの地とこの国に、憎悪も含めた愛おしさを私はごまかすことはできないと思う。でも私はまた日本という土地と、日本という国に愛着を感じる。でもなお、国なんてなければいいのに、とつぶやく私もまたいるのだった。

私はアメリカが大嫌いだった。3年間思春期を過ごして、心の底から憎悪した。日本を夢に見るまでにすばらしい国だと思っていた。でも帰国したら、アメリカよりもなおも最悪な国かもしれない、と私は認識を新たにした。かくして私の居場所は失われかけたが、私が信頼する友人は、アメリカにもドイツにも日本にも、いや、住んだ場所だけではなく、友人は世界中に散らばっている。私は、友人がいるその場所を、私が帰る場所だ、と信じて疑わないようになった。

15年ぶりに訪れたアメリカの隣人は、あの典型的なアメリカの住宅のバルコニーで、15年前と同じようにドアの脇の小さないすに座っていた。私が近づくと、ゆっくりと立ち上がりーさすがにその速度は衰えを感じさせずにはいられなかったがー片手を挙げて、15年前と同じように、やあ、家に入りなさい、といった。”Wanna Coke?"とそのかつての隣人は、あの15年前と同じ様子で私に聞いた。その瞬間、もはやコカコーラなぞ何年も飲んでいなかった私はうれしくてほとんど愕然としながら、でもかろうじて"Yeah, thanks!"と15年前と同じように答えたのだった。

[] becoming a Japanese  becoming a Japaneseを含むブックマーク  becoming a Japaneseのブックマークコメント

つい先日のことだが、オーストリア人の若い男と日本をめぐって議論をかわした。彼は友人の弟で、空手家なのだという。なんのきっかけでそんな話になったのか覚えていないのだが、日本の第二次世界大戦における中国での乱暴狼藉その他もろもろの話題になった。そう、今思い出したが、空手から暴力の話になって、そんな話になったのだった。

空手は確かに身体精神の訓練になるけれど、いざというときに体が応答するんだから結局ただの暴力だよな、と私が言ったのが彼の勘にさわったらしかった。いや、そんなことはない、と否定する彼を、アフォーダンスの身体論から崩してしまった私が悪かったのだと思う。窮した彼はじゃあお前は暴力的ではないのか、と詰問し始めた。実際には私はそれなりに暴力的であり、殴り合いをしてしまうこともある人間であってきた。でももうしないよな、と思いながら、なおかつ議論の都合上もあって、私はひたすら完全非暴力主義的な立場をとった。殺されてもべつにいいよ、と私はいった。都合を尊重したのはこの議論がどこまでいくのか、というのが大体見え始めていたからだった。

私が感じていたとおり、彼は大日本帝国という過去をあげつらい始めた。下手に空手だけを学んでいるわけではなくて、東洋の歴史にも接しているらしく、南京大虐殺や朝鮮半島における圧制について非難しはじめた。かくなる日本人が非暴力とはなんぞや、首狩り族であるサムライの末裔がどの面さげてそんなことをいうのだ、責任を感じないのか、というのである。私は感じない、と答えた。私がなした悪行ではない。私が責任を感じる必要がどこにあるのだ?と、私は逆に問い返す。オーストリア人の空手家はうろたえる。実はこうした話題はオーストリア人とドイツ人の間ではタブーに近い話題である。しかもドイツ人の場合だったら”無限に恥じ入る”。血統主義の悪癖である。二重の特殊な状況は彼をうろたえさせるに十分だったかもしれない。私は日本人だが、その時代に生きていた人間ではない。だから無関係だ、と私は言った。日本国家の責任はあるだろう、でも私にはない、と。

私はこうした場面に何度も出くわしている。いちばん最初は小学校6年生のときだった。真珠湾攻撃が卑怯である、と同じクラスのアメリカ人たちに詰問されたのだ。私はとても困った。私がずるいわけではないのである。でも彼らは私が日本人であるから、非難しているのだろう。よくよく考えて、だけど私がずるいわけではないのだ、という結論に至ったのだった。そうはいっても私は延々と日本人であり続け、過去を非難され、あるいはジャパニーズテクノロジーを賞賛され続てきた。これは不可避である。逃げることは不可能だ。そのたびに私は同じ説明を繰り返す。外国に住む、というのは鯨談議のみならず、日本人になる、ということなのである。

このようないい方をしていいかどうかわからない。少々鼻持ちならない。しかしいってしまう。日本以外に住んだことのない日本国籍の人間が「愛国心」などといっているのを見聞きするたびに、なにも知らないで幸せだな、と私は思うのだ。

[][][] 知財立国  知財立国を含むブックマーク  知財立国のブックマークコメント

知的財産高等裁判所なんて企画があるんですねー。id:walkinglintさん経由(040731付)。知的財産保護の推進ってのはどうやら、自衛隊派兵と同じような理屈で行われている。法的な手続きを危機感を煽って無視する、という理屈。法律はたてまえである、目下日本は危機にあり、たてまえなんていっていられない、という立場で法的手続きをはしょりましょう、と臆面もなく堂々と主張しているわけだ。このあたり煽動的愛国心の腐臭がする。コイズミ的世界観。「知財立国」。滑稽。かくなるコンセプトのもとになぜ大学行政・財政がなんであんなにみじめなのか。

知財戦略で勝つ・第17回「首相の眼前で展開された知財改革の抵抗勢力」

の結論部分

民間本部員や産業界などから強く出されている、知的財産高等裁判所の創設に反対を表明したのである。といっても、大臣はいずれも、各省の権益を護ろうとする、「省益あって国益なし」の視点で官僚が作成したメモを読み上げたに過ぎない。

 さらにある民間本部員は、技術系裁判官の導入に明確に反対を唱え、「アメリカの技術判事は、知財案件を判断してはならないことになっている」「推進事務局には、知財を総合的に判断する人がいない」「骨子の中に意味の分からない項目がある。たとえば知財学とあるが、このような学問はない」などと主張した。

 日本の産業競争力を強化するため、知財立国を小泉内閣の目玉にしようとするとき、行政の一角とそれに群がる一部の法律学者が寄ってたかって逆行する主張を展開する。

 しかも主張の根拠は、「我が国の法体系」から論じようとする、まず法律ありきの考えである。社会のニーズを前提にした新たな法理論の構築ではなく、「我が国の法体系」というさびついた道具に固執する。

 産業界の実態を肌で感じていない官僚や司法当局者や法律学者が、「法体系になじまない」という錦の御旗を掲げて反対する。社会の実態があって初めて法律は存在する。社会の実態がないところに、法律など存在しても意味がない。

中略

国家の進路の岐路である。知的財産推進事務局は、断固とした決意で抵抗勢力を排除し、小泉首相がたびたび表明している「世界トップの知財立国」への道筋をしっかりと確立してもらいたい。

というわけで、この動きに対していろいろ反応はあるみたいですが、

まぁ、こういう勘違いは、特に技術や特許から入った「昔ながらの特許マン」にはありがちなんですけど。要は法治国家というか、社会構造の全体像がつかめていないわけなんです。

「迅速化」が実現するなら、知財専門の高等裁判所を設置するのもいいと思います。

しかし、実務に携わる者の一人として、「裁判所が何をするところか」「三権分立とは何か」もよくわかっていないような、こういう技術系裁判官に法律判断をして欲しくはないです。たとえ特許法に詳しかったとしても。

http://ch.kitaguni.tv/u/171/INTELLECTUAL+PROPERTY/0000003341.html

や、

この推進計画の一部に見られる実に歯切れの悪い表現となっている部分(特に、最高裁判例を立法で葬り去ることを企図しているとしか解釈し得ない箇所)については「中山先生が事務局へ乗り込んで『こんなものを政府に了承させたら日本は法治国家ではなくなってしまう』と該当箇所の削除を要求(結局、荒井氏ら事務局スタッフが頑強に抵抗した為に削除はされずややトーンダウンした表現に後退)した」ものであると言う情報を筆者は入手している。

http://blog.melma.com/00089025/20040125180634

参照

marinesはチャンネル?

そもそも裁判所って何するところよ

技術系裁判官は必要か?

愛国者と知財ファシズム 屬覆失『知財立国』なのか?」

愛国者と知財ファシズム◆屐愧虜皀侫.轡坤燹戮任癲悒▲鵐船僖謄鵐範澄戮任發覆ぢ荵阿瞭擦悄

謎工さん。

【特設】中山教授「重大決意」問題] やり場の無い怒り

nanashinanashi 2004/07/31 09:16 Kmiura氏は たられば は嫌いかもしれませんが アメリカでのトラウマのような3年間がなければ愛国者であったかもしれないですか?

kmiurakmiura 2004/07/31 10:13 逆かもしれません。アメリカの3年間がなかったら、自分が日本人であることはフィクションだということです。女いなかったら男が存在しない、みたいなものです。

hizzzhizzz 2004/07/31 11:13 ワタクシの3人のいとこは、両親がブラジルに帰化したこともあって、ブラジル国籍をもつ日系2世となったのですが、日本とブラジルの狭間で逡巡したあげく、彼ら自身が選びとった生活圏としての「国」は、年齢順に日本/ブラジル/アメリカと、見事に3人3様に…と、そんな彼らの葛藤(その過程のどれもが深くワタクシに「日本」とはなにかを考えさせられました)を想いだしました。

kmiurakmiura 2004/08/01 19:39 書いたことが理解していただけたようで、ありがたたいです。帰る場所、とは独立して機能としての国を選ぶことができるのである、という気分がもうすこし広まれば、「愛国心」議論ももうすこしまともになるんじゃないかなあ、とつくずく思います。車種を選ぶように国を選んでしまうぐらいでいいんじゃないか。駐車場は同じでも。

kmiurakmiura 2004/08/01 19:41 つくずく→つくづく

ii 2004/08/03 00:33 正直、愛国とは関係ないような気がする、単に考えが雑で法律に無知なだけだと思う....愛国でも反日でもバカはバカ

kmiurakmiura 2004/08/03 01:11 おー。ばっさり。国威発揚、かな。別のいいかたをすれば。

o-tsukao-tsuka 2004/08/12 22:53 空手は確かに暴力トレーニングだという実感はあります。知り合いの弁護士に聞くと、徒手打撃系の武道をやっている人は、暴力事件の加害者となる例が目立つそうです(自分から喧嘩を売るというよりは、相手を挑発して結果的に怪我をさせてしまう例が多いのだとか)。丈に合わない武力は身を滅ぼす、なんて言うのは、ちょっとうがちすぎでしょうけど