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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


28-09-2004

[][] 海外送金  海外送金を含むブックマーク  海外送金のブックマークコメント

日本にいる外国人労働者による海外送金はヤミも含めると年間に9000億円、ODA総額を越しているのだそうだ。

According to estimates, foreign workers send home more than 900 billion yen (US$8.16 billion) annually - a lifesaver for their poor families back home. Kadokura, who is investigating Japan's underground economy, says at the top of the remittance list are Chinese, Filipinos, Thais and South Koreans.

Lifeline dollars made in Japan 2004年9月20日付 亜州時報

途上国の金持ちの懐に最終的に転がりこむことが多いODAに比べたら、こっちのほうが役に立っているよなあ。法律の正義と事実上の正義が見事に逆転してはいないか。

[][] 「対テロ戦争」レビュー。  「対テロ戦争」レビュー。を含むブックマーク  「対テロ戦争」レビュー。のブックマークコメント

ル・モンドディプロマティーク翻訳ウェブ版に秀逸な小論文。「千年戦争」。対テロ戦争というコンセプトに関する短くまとまった文章で参考になる。例えば...

2001年9月26日に、イタリアのベルルスコーニ首相は嬉々として語っている。「我々は自分たちの文明の優位性を自覚すべきなのだ。(・・・)これはひとつの価値体系であり、それを採用した全ての国に大いなる繁栄をもたらす。そして繁栄が、人権と宗教の自由の尊重を保障する」。この首相の考えるところ、「西洋の価値観の優位性」こそ、この価値観が「新たな民衆を制する」ことになる根拠である。そういう事態は「すでに共産圏、それにイスラム圏の一部で起きているのだが、あいにくイスラム圏の一部は1400年前の遅れた状態にとどまっている。

ならびに、19世紀末におけるアナーキストの相対的な位置と、現在におけるイスラム過激派の相対的な位置を比較した論文も同じくルモンドディプロマティークに。「アナーキストのテロに揺れた世紀末」

今日ではイスラム教徒が、19世紀の労働者のように、恐怖と侮蔑の混ざった目で見られがちである。そしてアメリカは、ジハード(聖戦)を唱えるテロリストにとって、かつてのアナーキストにとってのブルジョワ国家と同じく、傲慢と権勢の象徴となっている。この点から見ると、ウサマ・ビン・ラディンはいわば 21世紀のラヴァショルであり、信奉者には「憎悪と抵抗の息吹」の象徴に、警察・諜報機関には格好の脅威に仕立てられている。ジハード主義のテロリストは、アナーキズムのテロリストのようなものである。実際には無数の群小集団を形成しているにすぎないのに、自分たちが世間の耳目を引く行動によって、抑圧された大衆を蜂起させることのできる前衛だと思い込んでいる(5)。サウジアラビアという国は、19世紀のイタリアの役目を20世紀の変わり目に果たしているのであり、2001年9月11日は、国際社会の目をこじ開けたという点で、1894年6月24日に似る。

[] 村上春樹 村上春樹的を含むブックマーク  村上春樹的のブックマークコメント

id:tokyocatさんの「抽象問題の抽象解決」、おもしろいです。

村上春樹「アフターダーク」引用部分の再録。

《「ねえ、悪いけど、やっぱりまだうまく話せないみたい」

「疲れているし、頭の中が整理できない。それに、自分の声が自分の声みたいに聞こえないの」

「いつかでいいよ。いつかべつのときに。今はその話はよそう」》

これだよ、これ。村上春樹的。明け方のファミレスにおける情景だという。

万人よ、相対化せよ。ネタにしろ。信者になるな。かくして?

「村上春樹ゴッコしよっか?」

「あは、いいねー。」

「・・・」

「ねえ、悪いけど、やっぱりまだうまく話せないみたい」

「疲れているし、頭の中が整理できない。それに、自分の声が自分の声みたいに聞こえないの」

「いつかでいいよ。いつかべつのときに。今はその話はよそう」

「・・・」

「・・・」

「がはは、いい感じ!これだよ、これ!ム・ラ・カ・ミ!わっはっは」

「でもほんとにつかれちゃったよー。いえかえろっ」

sujakusujaku 2004/10/01 17:02 村上春樹の小説は、謎の解明をめぐってプロットが組み立てられているにも関わらず、しかし最後まで読んでもオチはなく、謎は解明されません。


村上春樹の小説のなかにあっては、謎は、心の傷であり、それは<語り得ない>とされます。たしかにそういった事柄は多かれ少なかれ誰にだってあるには違いないけれど、ただし、村上春樹は、手慣れた手つきで<語り得ないことがら>のまわりに謎を繁茂させてゆきます、オチは、謎の解明は、最後までされないのに・・・では、いったいなんのためにその文章は、その小説は、書かれているのだろう? そんな根元的な疑問を、ぼくはもってしまう。


もしも村上春樹が語り得ないことについては口をつぐむほかないとほんとうに(!)考えるならば、かれはバスター・キートンのようなアーティストになればよかったのに、ぼくはそんなことをおもいます。バスター・キートンの映画は、実存の不安でいっぱい。せっかく建てた簡易住宅に機関車が突っこんで来るシーンなんて、笑うほかない、すさまじさ。だって、そんな光景は、ぼくたちが人生のなかで見知ったものだから。


さて、ぼくはどう考えても、知性はキートンの側にあって、むしろ村上春樹はズルい、とおもってしまう。


村上春樹が小説のなかで問うている問いは、修辞疑問文のようだ。ほんとうには、答えを求めていない。

kmiurakmiura 2004/10/04 21:37 キーワードは「不安」でしょうか。傷そのものではなくて、傷があるはずだ、という信念として語られる。その傷もどこにあるのかわからない、というこれまた逆のベクトルが拮抗し、不安が宙吊りにされるわけですね。

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