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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


29-08-2006

はてなアンテナへのサイトの追加を、はてなブックマークみたいに簡単にできるとブックマークよりありがたいなあ、と思うのだが。

[][] 日本語による風景、外国語による風景  日本語による風景、外国語による風景を含むブックマーク  日本語による風景、外国語による風景のブックマークコメント

私が最初に吉本ばななを読んだのは英語だった。タイトルはすでにわすれてしまったが、川の向こう岸に夜明けの一瞬にだけ死者が登場する、という日本の古典的なモチーフだったのを覚えている。とても感動したので、ばなな結構いけるじゃねえか、と思い、のちに日本で日本語の吉本ばななを買って帰ってきた。そうしたらどうもちがう。あの本だけがおもしろいのかな、と思って、英語で読んだ最初の本をさらに後になってから日本語で手にした。なんかちゃうなあ。そう思って読まなくなった。

翻訳された本がちがう本である、というのは科学業界の場合たいへん困ったことになるのだが文学であればそれなりにおもしろいと思う。ミラン・クンデラは翻訳の忠実さにとてもこだわる人で、「Joke」の英語版にはいかに翻訳に力を注いだか、最初の翻訳者がダメ人間でいかに苦労したか、というような本人の解説までついている。こうしたこだわりとは別に、あるていど幅が広がったり、逆にちがった雰囲気が出てくるのはクラブ系の音楽で多用されるリミックスみたいなもので、それ独自に楽しんでもよいのではないか、と思う。村上春樹はこれまですべて日本語で読んだのだが、英語で読んだら結構おもしろいかもしれない。そもそもが英語向きの文章の書き方をしている。

話はとぶのだが、社会情勢の翻訳の場合はどうだろうか。などということを思ったのは、たまたまこの週末に昨今の日本の政治的な言説状況を報告する英語の新聞記事を紹介するブログをみかけたからである。私が読んだのは以下のような内容のワシントンポストの記事にたいするコメントである。

8月12日に、ヨシヒサ・コモリ(ウルトラ保守派の産経新聞のワシントン駐在論説委員)が、マサル・タマモトによる記事を攻撃した(Commentary という日本国際問題研究所によるオンラインジャーナルの編集者)。その記事は、反中国(僕:fear-mongeringがよくわからん)や日本の戦没者に敬意を表している神社への公式訪問に表れる、日本の声高な新しい「タカ派的ナショナリズム」の出現に対する懸念を表明していた。コモリはその文章を「反日」ときめつけ、その主流派の著者を「過激な左翼知識人」として攻撃した。

Chupika Szpinak、mudaidesuさんの”エグイ文章を見つけた。

元記事はこちら。The Rise of Japan’s Thought Police

さらにはコモリ某は「日本の税金を使って日本の首相を糾弾するとはなにごと」となんくせをつけ、その結果日本国際問題研究所のコメンタリー欄は目下閉鎖中である。米国のメディアに携わる人間からすれば、唖然とするほど素直な日本国際問題研究所ということになるのだが、この具体例を通じて昨今の日本における言説の自由に対する圧力をさまざまな例を通して報告している。

上記の国際問題研究所の話は私は始めてきいたのだが、そこに出てくるさまざまな事例は私もウェブなどどこかで耳にした話が多い。しかしながら、こうして英語で報告される日本の社会状況、ある意味大まかな総説はどこか違った視角を与えるようで、さらりとリストされるこの数年の事例を見ながら、なるほどこのところの日本は自由な言説への抑圧がいろいろあるのだな、と私は妙に冷静な知識を得る(というか、日本語で「自由な言説への抑圧」と書いた瞬間にその新鮮さがうしなわれる)。日本語の海のなかから日本語で垣間見る日本の言説の抑圧状況には、あ、右翼のテロか、と思ったりするのではあるが、どうも私は日本語から日本的な悟性と慣性を切り離せない。上のごときウェブサイト閉鎖事件は10年前であれば(むろん10年前にはウェブ自体がそれほど一般的ではなかったが)おおいに話題になったはずである。というよりも閉鎖しなかったのではないか。しかしながら、その閉鎖は芸能人のブログが不倫などで”炎上”し、閉鎖に追い込まれるのと同じ次元で眺めてしまう。なにげなくスルーしてしまうのだ。日本語の中でそれを読んだり聞いているときは、どうも耳が慣れすぎていて、ベースラインのシフトが感じられない。海の中では波の大きさがよくわからない、ということなのかもしれない。

nippyonippyo 2006/08/30 00:28 お邪魔します。ワシントンポストのサイトについているリンクからたどってきました。私も同じ記事について書いたので読んでみてください。
http://nippyo.blog57.fc2.com/blog-date-20060829.html

kmiurakmiura 2006/08/30 01:00 はじめまして。nippyoさんの記事から引用します。

”政府に属する機関が発行している刊行物が政府批判を行っているとしたら自己矛盾もはなはだしいことで、税金の無駄遣いだとして批判されるのは当然だ。執筆者や編集者は、批判があるならまず政府関係者に直接進言すべきで、聞き入れられないのなら抗議の辞任をして民間の自由な立場から政府を批判するべきだ。日本ではそれが許されている。だから日本国際問題研究所(JIIA)が批判を受けて記事を取り下げたのは何も驚くべきことではない。驚くべきなのはむしろJIIAがそのような記事を載せたことのほうだ。”

わたしは記事の取り下げは驚くべきことだなあ、と思います。政府内部でも大いに批判は行うべきだし、その議論の内容に日本にかかわる人間がすべてアクセスすることができる、というのが理想だと思います。政府という機関の内部にいる人間がその属する組織を批判することを禁じる、というのは私はおかしいことだと思う。矛盾を抱え込んで一歩一歩すすんでいく、というのが私のイメージ。

nippyonippyo 2006/08/30 21:51 それはそういう考え方もあるということでかまいません。そのことで強く主張しようとは思いません。日本政府からは補助金をもらっているだけだという指摘もありましたね。お読みになればわかると思いますが、あの記事で強調しているのは小森氏が右翼テロリストの一員であるかのような、日本に思想統制があるかのようなクレモンス氏の記述に問題があるということです。そっちの肝心の本論のほうは賛成していただけるのでしょうか。

kmiurakmiura 2006/08/30 22:53 お答えする前に質問します。1935年から1945年の日本に思想統制はあったと思いますか。

nippyonippyo 2006/08/31 19:55 記事をお読みになればお分かりのとおり、私もクレモンス氏も1930年代に思想統制があったことを前提に話をしています。↓
「この記事には、1930年代に思想統制とテロが同時に横行したことを取り上げて両者を混同させようとしている気配がある。」
http://nippyo.blog57.fc2.com/blog-entry-23.html
わかりきったことを質問する前にやるべきことがあるのでは。

kmiurakmiura 2006/08/31 21:23 たとえば当時の蓑田胸喜の言論活動はnoppyさんの言う”思想統制”に含まれるのでしょうか。彼は具体的なテロ活動はおこなっていませんが、イエロージャーナリズム的な形で大学における言論活動に圧力をかけました。蓑田胸喜自身が当時の政府の工作員だった、といった気配はないので、彼は自分の意志でそうした活動をおこなったわけです。効果は実にあらたかで、ずいぶん大勢の真摯な学者が大学から追放され、結果として翼賛体制が強化されていったわけです。つまり、ハードな意味の統制によって批判を禁じたわけではないのですが、批判をすることを実に低次元な見方から糾弾することでソフトに(環境型ともいいますが)統制がおこなわれたわけです。
件のWPの記事は、批判をうけて日本国際問題研究所がサイトを一時的に閉鎖していることに、驚くほど素直だ、素直すぎる、というようなコメントをしています。私からすれば、これは日本ではよくあることだなあ、と思います。面倒なことにはなるべくかかわらないようにする、あるいは、問題がおきたらその問題の場自体を隠蔽する、という反応です。じつに日本的なはからいかたなので、アメリカ人は異様にうつるのでしょう。でも、こうした問題や対立を嫌う傾向が、上で述べたような”ソフトな統制”の駆動メカニズムの一部なのではないか、と私は思います。こうした形での統制については第二次世界大戦後にずいぶんと多くの学者や研究者が頭を悩ませ、いろいろな論考がありますが、いまだにクリアーな定義はないのではないでしょうか。これは日本の人間が考え抜くべきテーマのひとつだと思います。
クレモント氏はおそらくこうした詳しい背景をよくしらないと思います。したがって、それを言い表す言葉として、”軍国主義”や”思想統制”といったシンボル的な表現にとどまっているのだと思います。そこで、私はクレモント氏の記事は見方が単純だな、とは思いますが、コモリ氏の活動は上に説明したようなソフトな統制に含まれる、と思います。さらにえば、クレモント氏が指摘しなければ私はそのことをしりえなかったので、よい記事だな、と思っています。

sivadsivad 2006/08/31 23:43 もっと「空気を読まない力」を醸成しないと、日本で「自由な議論」てのは難しいですね。

nippyonippyo 2006/09/01 18:16 昔の話を持ち出しても結局、小森氏が右翼テロリストの一員であるかのような、日本に思想統制があるかのようなクレモンス氏の記述が正しいことを証明できませんでした。あなたは気がついていないようです。彼がやったような事実に基づかない非難攻撃はあなたが“言論統制”の事例としてあげたものと同種であること、攻撃されているのが自分の気に食わない人物であるからといってそれを容認することがいかに危険であるかということ。その意味であなたはイェロウジャーナリズムが効果を表す世界の住人です。

nippyonippyo 2006/09/01 18:25 「コモリ氏の活動は上に説明したようなソフトな統制に含まれる‥」
もう一度古森氏記事のを読み返したほうがいいでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/kaz1910032/d/20060812

kmiurakmiura 2006/09/01 22:59 項をあらためてお返事書きました。