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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


29-09-2008

[]閉店法とわたくし 閉店法とわたくしを含むブックマーク 閉店法とわたくしのブックマークコメント

id:Romanceさんがブックマークでドイツの閉店法(Ladenschlussgesetz)に関する二年前の記事を発掘していたんで、ちょっと触れてみる。閉店法は100年以上の歴史を持つドイツの法律なのだが、この10年でずいぶんと緩和された。ちょうど私のドイツ生活とこの緩和の過程は重なっている。私の経験と閉店法のメリットデメリットなどをつらつら書こうかと思うが、ひとまずは以下が閉店法の簡単な歴史。

1900年 ドイツ帝国で閉店法施行。小売店の営業は平日の5時から21時まで許可。

1957年 旧西ドイツで閉店法施行。原則として、平日は7時から18時30分まで、土曜日は7時から14時までの営業を認めた。日曜は例外を除き営業不可。

1989年 閉店法改正。木曜日の営業が20時30分まで可能になる。

1996年 閉店法改正。平日は20時まで、土曜は16時まで可能になる。

2003年 閉店法改正。土曜日も20時まで営業が可能。

2006年9月1日に連邦基本法(憲法)の改正が行われ、この中で、「閉店法」を定める権限が、連邦政府(国)から州政府(地方)に委譲。

うちの週では月曜から土曜まで、22時まで営業しているスーパーが出現。

参照

ドイツにおける「閉店法」の歴史と緩和の動き

http://www.teikokushoin.co.jp/teacher/high/geography/pdf/200802/1-3.pdf

日本貿易振興機構(ジェトロ)海外調査部欧州課 高塚 一

96年というのはちょうど私がドイツに来た年で、木曜以外は従来の夕方6時半閉店、土曜は午後2時までという状況だった。一人暮らしで夜12時ごろまで仕事するのがルーティンになっていた私には実にキビシイ法律だった。なにせ大学院生だった大阪では、一人暮らしといえどスーパーは夜半までやっていたし、その閉店に間に合わなくてもローソンなぞでヘラヘラと食品を購入すればよかったので、焦ることもあまりなかった。保存の効くものは日曜日にまとめ買いしていた。

しかしながらドイツ1996年、夕方6時半となると、研究室を抜け出してスーパーに出向く必要がある。18時15分ごろスーパーに駆け込むと、同じく閉店間際の買い物に殺到した人たちでごった返していて、レジの長い行列に並びながらなんという国だ、とため息をついたりしていたものである。それも数ヶ月で更なる法改正となり20時になった。ちょっと余裕ができたが、夜半終業の私にはあまりメリットはなく、まわりのドイツ人がいやー、つくづく便利になった、と口々にいうのを聞きながら、24時間営業のコンビニを知らない原始人を眺めるような気分になったものである。

唯一の例外はガソリンスタンドで、いわばコンビニの役割を果たしている。レジのまわりに商品が置いてあり、菓子パンや牛乳、ビールなどの飲み物を買うことができる。豪華なガソリンスタンドでは冷凍のピザがある。「院生のサンクチュアリ」などと同僚は呼んでいたが、品ぞろえは日本人のワタクシから見れば実に貧弱。生きるために必要な最低限の品物しか並んでいない店舗だった。多くのドイツ人は日本人に比べるとそもそも食生活が実に質素で、偏った食べ物で何年も生きている。生鮮食品など必要ではなく(欲しい、と思わないらしい)、牛乳とヨーグルト、ゆでジャガイモ、ゆでたまご、といった朝飯のような食事で夕飯をすごしても情けない気分にならない方々なのである。というか、そもそもプロテスタントな気分が強いのか、質素な食事はポジティブというような価値観も背景にあるのだと私は思っている。ともかくもしたがって一人暮らしならばガソリンスタンド程度で彼らはオッケー。でも私はそんな食生活をすることはできなかった。果たしてこうした状況は100年に及ぶ閉店法がもたらした食生活なのか、と考えるがそうではないだろう。日本にしたって1970年代にコンビニができるまで23時まで営業している店舗はまれだった。セブン・イレブンという名称が朝7時から夜の11時までやっている、すっげー、という意味をそもそも持つ名称であることを知っている人間はいまの20代にどのぐらいいるのだろうか(内輪ネタになるが、そういえば学生のころパワーアンクル・セキがこのことについて「夜の喪失」とかいうテーマでコンビニの出現と社会生活の変化に関するレポートを書いていたのを読んだような気がする)。西ヨーロッパの食生活の基本がソーセージ、サラミ、ないしはコンフィといった保存食品重視なのを鑑みれば、上に述べたような宗教的価値観に加えて特に気候条件が農作物にあまり適していないドイツで(私から見ると)貧弱な食生活が日常になったのは風土的なものであると私は思っている。

閑話休題、やがて私は平日に買い物をあまりしなくなり、土曜にまとめて買い物をするようになった。とはいえ、16時閉店なのでこれまた少々焦ることになる。昼に起きだしコーヒーなぞすすっていると時間がなくなる。14時ごろタイムリミットなどと決断し家を出てスーパーや日本食品店を急ぎ足でまわる、という土曜日が何年も続いた。日曜はレストラン・バー・映画館・ガソリンスタンド以外は営業していない。日曜というと人の家に呼ばれたりして花でも持っていくか、などと思っても営業していないのである。唯一例外が駅の構内にある店舗で、わざわざ駅まで花を買いに出かけたりしていた。

2006年からはうちの州では月曜から土曜まで、22時まで営業しているスーパーが出現した。これは実にありがたく、平日にスーパーで買い物をしてからそのまま家に帰るということがようやくできるようになった。とはいえ、10年もの間平日20時土曜16時閉店のサイクルで生活していたので、結局土曜に買出し、という生活パターンはあまり変わっていない。平日にうちで友人の飯を作るときにあれがないな、と買い物に出るのが楽になった、というぐらいの結果である。なにか足りなければ間に合わなかった、で済ませられるのも法律があることの利点かもしれない。

というわけで、閉店法になにかよい点があるとすれば日曜全面休日、という点だろうか。不便ではあるのだが、日曜に買い物に煩わされることがないというのは、これはもうj、経験して慣れないとわからない気分だと思う。日本からきたポスドクに、「日曜ってなにしているんですか」ときかれるたびに顔には出さないけど、やることいろいろあるんだよー、それがない君は資本ファシズムに見事に毒されているかわうそうな人なのだよあっはっは、と思うのだけど、事実、買い物以外にも人生やることはいろいろあるのです。本当に。利点といえばたぶんこれにおいてほか、ありえないかもしれん。

買うものがなくなったときの己の姿を改めて眺めよ。

odakinodakin 2008/09/29 23:52 日本人に限らずガイジンに評判悪いけど、僕もあの静謐な週末、好きでした。

kmiurakmiura 2008/09/30 09:58 さきほどさんざんドイツ人とこのネタでおしゃべりしたので、また追記するかもしれません。

odakinodakin 2008/10/01 16:39 是非是非!

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28-09-2008

[] を含むブックマーク のブックマークコメント

顔出しすることにしました。決断。以上。

odakinodakin 2008/09/29 23:50 ウホッ!いい写真

kmiurakmiura 2008/09/30 09:40 ありがとうございます。たまたまもらった誕生日の写真なのだけど、こんな感じでいつもおしゃべりしているはずです。

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26-09-2008

[] 目覚まし時計  目覚まし時計を含むブックマーク  目覚まし時計のブックマークコメント

バンダイ、射撃でアラームを止める目覚まし時計

http://kaden.watch.impress.co.jp/cda/news/2008/09/26/2964.html

高校のころ山登りで早起きするのがどうしてもダメだった。目覚ましを無意識に止めてそのまま寝てしまうのである。おかげで一度などは大いに遅刻して仲間に大変な迷惑をかけた。で、ある日思いついたのが、目覚ましを止めるのにとても複雑な仕掛けをすればよい、ということだった。そこで、目覚ましを金庫に入れて、なおかつ鍵を遠い場所に置き、さらに金庫をガムテープでぐるぐる巻きにした。こうしておくと、朝、じゃんじゃんと鳴る目覚まし時計を止めようと四苦八苦することになり(電子音だと起きないので、旧式のベルだった)、そうこうしているうちにはたと「そういえば起きるのであった」と気がついてやおら覚醒というなかなか複雑なことを高校生ながら考えたものである。でも慣れるとだめなんだよな。自動的に止めてしまう。そこでたびたび仕掛けをアップグレードしなくてはならない、ということになったのであった。上の目覚まし時計はわたしと同じような苦労をして同じような仕掛けを考えた人が商品化した製品だろう、とわたしにはおもえてならないのだが、どうなのだろう。開発担当者に聞いてみたいものである。でも結局至近距離から打って止める、ということになりそうだから、距離センサーをつけなあかんよな。

hizzzhizzz 2008/09/29 06:55 凝り性な方に、こんなのどーでしょう。http://www.ubergizmo.com/15/archives/2007/01/puzzle_alarm_clock.html
↓とセットで、血圧一気に上昇し朝からフル回転?
http://www.thinkgeek.com/stuff/41/titaniumlabyrinth.html

kmiurakmiura 2008/09/29 11:18 複雑すぎると破壊するという恐るべきマッチョ技が…現実にありました。

o-tsukao-tsuka 2008/09/29 18:28 この時計は是非欲しい。
射撃の稽古になって一石二鳥というのは、常に二兎三兎を追うわたしの性格にぴったり!

kmiurakmiura 2008/09/30 09:57 いやー、酩酊の度合いを測るのにも結構な道具ですよ。一石三鳥。

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18-09-2008

日本のソニーの人達が来るとのことなのだが、ソニーと生物学って関係あるのだろうか。

[] 誕生日  誕生日を含むブックマーク  誕生日のブックマークコメント

ドイツにきてからひとまわり12年、誕生日。来月にあるジャズフェスティバル、好きな4つのライブに女性同伴でいける権利なるプレゼントを友人一同よりいただく。オーネット・コールマンははずせないなあ。なお連れて行く女性は「私たちの誰でもいい、毎回別でもOK」なのそうである。なんて自分勝手な。つまりひとりづつ連れて行けということらしい。「私たち」以外だとあとでしばかれるのだろうか。和食系のバーで日本酒を飲み散らかした後、うちでグラッパ。体重100キロ超のスコットランド人と朝までコースとなって一日死亡。

picolin_1picolin_1 2008/09/20 06:46 はじめまして。数年ROMしておりました。
昨年ロンドンでオーネット先生のコンサートに行きましたが、素晴らしかったですよ。初めてだったらしい夫は軽くショックだったみたいですが・・・。是非。

sivadsivad 2008/09/21 12:42 オーネットいいですね〜。ソニーは日本のシステムバイオのドン、北野さんがおられるのでその関係では。

kmiurakmiura 2008/09/23 02:20 picolin_1さん
数年ROM!コメントしにくいようなことばかり書いているのかもしれません。以後お気軽にどうぞ。

sivadさん
おすすめとあらばやはりなんとかいけるといいのですが。来訪は誰なのかまだわからないみたいです。なんとまー。うちのディレクターの秘書さんが休暇だとか。

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17-09-2008

ベタがベタでなくなったとき ベタがベタでなくなったときを含むブックマーク ベタがベタでなくなったときのブックマークコメント

紆余曲折して結局いまや再び「科学者の職業は真理の追究である」って言ってもいいんじゃないか、とわたしは思っている。「真理の追究」なんてこというと「まさか」という時代もありました。「科学者の職業は真理の追究である」って言うのってホントつらいというか恥ずかしいというか、アホですかバカですか、と穴に入りたくなるような気分になるけれど。

近代の文脈が見失われたらそもそも議論ってのは成り立たない。「まさか」は退行して「証拠見せろ」になるわけである。こうした状況はもう、あきれるほどあちらこちらで顕在化している。結局「真理の追究」、ベタがベタではなくなったので、普通に主張すべき内容になってしまったのである。研究の結果、かくかくしかじかなる結果でございました、と述べたときに「証拠見せろ」といわれてさんざん説明して「長すぎる、三行でわかるように」とかいわれたら、「大学で勉強しなおしてください」とでもしかいえなくなる。もちろんこれは立派な答えであって、それは人間が歴史の中で戦ってきた過程をさまざまな分野で(もちろん科学にも工学にも歴史がある)追体験し感得し理解するプロセスにはそれなりに時間がかかる。そうした経験を一発で右から左に手渡すことのできる、輝くような3行の金字塔があるわけではない。「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というのはこの重みのことなのである*1。この重みは、系譜であり知恵である。ナウシカのババサマがぶるぶるしながら語るような知恵だ。その知恵が現在における情報の流通の速度の軽やかさに比べてあまりに重い、ということだけなのかもしれない*2。かくなる三行有理の疾風から勁草を拾えるなら、とも思わないでもないけれど。

・・・

[追記 080917 17:55]

関連して思い出したんで追記。"安原宏美--編集者のブログ"にいくつか引用があった。追記の理由はコメント欄なぞご参照に。

 東「(略)ちなみにぼくは南京大虐殺はあったと「思い」ますが、それだって伝聞情報でしかない。そういう状況を自覚しているのが、大塚さんにとっては中立的でメタ的な逃げに映るらしいですが、それは僕からすれば誤解としかいいようがない。」

 大塚「南京大虐殺があると思っているんだったら、知識人であるはずの東がなぜそこをスルーするわけ?知識人としてのあなたはそのことに対するきちんとしたテキストの解釈や、事実の配列をし得る地位や教養やバックボーンを持っているんじゃないの?」

 東「そんな能力はありません。南京虐殺について自分で調査したわけではないですから。」

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10137812924.html

「リアルのゆくえ」(大塚英志東浩紀)からの抜粋だそうです。

最後に。フランスの社会学者・思想家プルデューの言葉を。

「最後の問題です。これまで述べてきた状況の中で知識人はなぜ曖昧な態度を持ちつづけるのでしょうか?知識人がいかに体制に屈服しているか、それどころか、いかに加担しているかを長々しく語ることはしません。きりがなくなりますし、気の毒な気もしますので。モダンとかポストモダンとかいわれている哲学者たちの間の論争に触れるにとどめます。スコラ的な遊戯に忙しく、ただ成り行きを傍観している場合はともかく、発言してもせいぜい、理性と理性的対話を口先だけで擁護するだけです。それだけならまだしも、体系的な著述を弾劾し、科学をニヒリスティックに糾弾しつつ、あのイデオロギーの終焉というイデオロギーのポストモダン版、実は「ラディカルシック」版を担ぎまわっているだけなのです。」96年

http://ameblo.jp/hiromiyasuhara/entry-10037431937.html

[] を含むブックマーク のブックマークコメント

http://www.smoke-spots.de/

タバコの吸える店ガイド。シャレかと思ったら結構必死な内容。

*1:あるいは被差別者という状態を経験すること、ホームレスとして存在すること、1950年代の米国南部で黒人としてバスの席に座ること、こうした経験はさらに重い。ウィキペディアでは説明しきれないだろう。

*2:この重さと制度化・権力制に対する批判がそもそもの「軽さ」だったはずなのだ。重みがなくなったらしかし「軽さ」は不必要なのである。

hizzzhizzz 2008/09/17 16:57 説明のつかない大切なこと、本来そゆものは「文芸」でやられていたのですが、文学にしても「芸術の死」ということがカミングアウトされて以降、自分の見たい現象をタブローとした創作学問=学術化した表現手法がその存続の為にチョイスした歴史・政治・社会・思想・科学・経済・トレンド(マーケティング)を「上部構造」として分断セカイ構築してごったまぜ表現する印象論、平たくいえばのきなみアーティスト症候群に感染し学究対象を使った自己語り「我おもう、故におもうことあり」創作文芸、それをアカデミズム・学究者という権威を根拠として「下部構造」に振りまいたメディア・ポリティクスの作用反作用が、おもうこと半径ワンクリックなネット末端に及んでいるのではないでしょうかね。<「「社会的なるもの」を相対化する言説が社会理論における「社会的なるもの」の肥大=社会学帝国主義を帰結する」タコ壺のイロニー
しかし、どんなにおもうことを広げたとしても実感を得られることは、足元に接してる事実の積み上げだけかと。

kmiurakmiura 2008/09/17 18:56 そうなんですね。まさに。
反動保守というのはこうして生まれるのだよなー、などと自戒しつつ(ポストポストモダンがたんなるモダンであってはいけないと思う)重さをたんなる軽さに置き換えるのではなく重さはそのままに分散化するようなありかたはできないものか、と思います。あった、と思うんだけど。

hizzzhizzz 2008/09/18 03:05 東浩紀は『リアルのゆくえ』では、科学哲学が自己ベースだということと、ポモベースなまま左旋回したラジカル左翼のPCやカルスタ等の言説の無理と、政治性や主体性の議論を無効にするポモ言説の毒を引き受けることが自分の批評スタート地点にあるというとりますが、過去「降りれない」などといいながら、サイト閉鎖したり駅のホームから落ちたりしたのは御当人なんだし(苦笑)。
単なるモダンとは理想論一元化ということですから、リベラルでも保守でも端的に「いいっぱなし」アジの拡大解釈で脳内フラワ〜現実乖離というのがマズいんで、適時サルベージ検証をガリガリとやって、現実に引き戻す実証・実務作業が足りなさすぎなのかと。

14-09-2008

[] 清らかなワタクシ  清らかなワタクシを含むブックマーク  清らかなワタクシのブックマークコメント

 中には、ある宗教の信者でいらっして、「結婚するまでセックスはしてはいけません。」という信念で、清く正しく生きてこられて。そして、結局結婚もされないで、清く正しくだから一度もセックスもしたことがなくって、それでも性教育のスペシャリストとして大活躍している人もいます。こんな人は教育委員会からも歓迎されるわけです。

http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3127.html

絶望的。

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13-09-2008

[] 踊りのチャカ  踊りのチャカを含むブックマーク  踊りのチャカのブックマークコメント

ダンスにはそもそも衝撃をうけやすい体質なんだけど、このクリップにはちょっとレベルの違う衝撃をうけてしまって、20回ぐらい再生したがまだものたりなくて、朝飯を食う時間まで眺めてしまう。

D

この衝撃は初めてチャカ・カーンのラップを聴いたときによく似ている。ルーファス以来ファンクの王道を突っ走ったチャカ・カーンの歌はそれはそれですばらしいい。でもあのDJが入ったときの衝撃、というかあっけないほどのすごさは忘れられない(知らない人多いだろうなあ)。歌が解体されて再編成されることのスゴサみたいに、踊りが再編成された衝撃が上のクリップにはある。

gengen 2008/09/15 21:28 同世代の僕はもちろん知ってますよー。
友達と「チャカチャカチャカチャカチャカカーン」
って歌ったのを思い出しました。
僕にとって衝撃だったのはポールハードキャッスルの「19」でした。

再編成された踊りを見ていると、
狂ったようにダブ処理されたレゲエを想像しました。
レッツレッツレッツレッツ・・・
ダンッダンッダンッダンスススス・・・

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12-09-2008

[] ア二本語  ア二本語を含むブックマーク  ア二本語のブックマークコメント

昨晩ひさしぶりに一緒に飲んでいたイギリス女はこのところサムライトルーパーにはまっている、といっていた。博士持ちの美女である。いいアニメない?などというのだが、しらんよー。そもそもサムライトルーパーがどんなアニメなのかもしらないし。「おまえオタクになったのか」といってみたものの、「そうよー、オタク」と喜ぶ始末である。彼女にオタク道を勧めたドイツ女はカウボーイビーバップなるアニメにはまっているのだとか。コスプレを始める日も近いんじゃない、とコメントしたら、どこにいったらいいのかしら、となかば本気でいっていた。英語のサブタイトルでみているんで日本語を覚えてしまった、とかで「イッテキマース」だの「マッテ」だの片言の日本語を披露していた。サムライトルーパーに出てくる女の子がよく「マッテー」といっているのだそうである。なんか最近この手のアニメの話が多い。ネットの動画が充実して日本アニメの世界化が一気に進行しているのではないか。

そういえば先日たまたま知り合ったアイルランド人の若い男三人組などは、ゲーム経由でやたらと日本語を知っていて、「ハドウケン」「ショウリュケン」だの「タツマキセンプウキャク」だのあまつさえ「コロスゾ!」とか「シネ!」とかいうんでたまげるより困った。私はゲームもやらんのよね。

[]きまりのわるさ きまりのわるさ を含むブックマーク きまりのわるさ のブックマークコメント

東大生の扱い方

http://anond.hatelabo.jp/20080912022105

間合いのわるさ、ぎこちなさとかきまりのわるさってのはそのままに抱えてればいい。

相手がだれだってかわりはない。変に見切りつけるよりそのほうが人生豊かだと思うぞ。

デリカシー@空中キャンプ

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20071108#p1

jiangmin-altjiangmin-alt 2008/09/13 02:18 カウボーイビバップはかなりお薦めです。菅野よう子のサントラだけ聴くもよし。

kmiurakmiura 2008/09/13 02:25 お薦めありがとうございます。見てみます。

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11-09-2008

[] 路充電  路充電を含むブックマーク  路充電のブックマークコメント

駅コンセントで携帯充電の女子大生摘発、被害「3銭」

http://www.asahi.com/national/update/0910/TKY200809100213.html

なんつーかせこい。せこすぎる。ドイツの急行・特急電車は各席にたいてい(車輌の型式によってなかったりすることもあるが)電源コンセントがついている。私自身空港とかで待っているあいだにここぞとばかりにコンセントを探してラップトップの充電したりしている。「お客様は神様」とかおそるべきセリフが日本でまかりとおているが、うわっつらでしかないんだよな。

[追記]

2008年09月11日id:rna 犯罪 駅構内の業務用のコンセントのことだろうから特急の席についてるのとは意味が違う。通報したのも第三者だし。前科にならない微罪処分で処理して事件は報道して注意を促す今回の処理は適切だったと思う。

全くそのとうりなんだけど、こうした行為を犯罪として扱わなくてはならないような社会ってよい社会とはいえないと思う。

[] 田舎町  田舎町を含むブックマーク  田舎町のブックマークコメント

人口が10万人という小さな町なので、うろうろしているとすぐに知り合いに出会ってしまう。もはや知り合いに突然であっても驚かなくなってひさしいが、さきほどスーパーに行ったら3人たてつづけに知り合いに会ったのでなんかもー、ちょっとおどろいた。一人は同僚のドイツ男。もーすぐ閉店だねー、などといいながら加工肉売り場のまえですれちがった。次の一人は天文学者のイタリア女。ナポリいってたんだって?ピッツァマルゲリータはちゃんとたべた?結婚式はどうだった?などと立ち話をしたのはお茶などが売っている列だった。最後のひとりは昨晩いたバーで歌を歌っていたフィンランド女。わー、偶然、などと向こうは喜んでいたが、こちらにしてみりゃ3人目、ということでおよよとなってしまった。野菜売り場の前である。

話は飛ぶが、フィンランド語の単語はどうにもゆかいな気分になってしまう単語が多い。日本語からみて、ということなのだが、たとえばパルツリ。理髪店のことである。あまりにも音がそれらしいので一発で覚えた。クッキア。花。音的に茎っぽい。「止まれ」という命令はセース!静止に似ている。町の中心(チェントロとかツェントラム)はケスクスタ。くすくす笑っている感じ。市場はカウッパ。買う場所ですな。ムーミンにでてくるニョロニョロはハッティバッティ。ちなみにフィンランド人にとっては「ニョロニョロ」という日本語の語感がたまらなく愉快らしい… という訳で覚えるともなくおもしろがって口ずさんでいるうちに覚えてしまった単語がやたらとあって、歌手のフィンランド人の女の子と盛り上がったのは、わたしがせがまれるままフィンランド語の単語を次から次へと呪文のごとく開陳したからである。なおいちんばんのお気に入りの単語はコスケンコルバサムルヤッキ。発音しているだけで愉快な気分。フィンランド人が大好きなカクテルであるが、塩化アンモニウムの味のするとてつもないカクテルで(サムルヤッキというのがそもそもとんでもないキャンディーなのである)、嫌いなのにこれまた音が面白いのですっかり覚えてしまった。2時ごろのバーのカウンターに、グラスを手に握ったまま酔って突っ伏し「こすけん…こるば。さむる…やっき」なぞとつぶやいたらなんかさまになりそうではないか。

[] 浄化  浄化を含むブックマーク  浄化のブックマークコメント

 一九世紀以降の戦争には、人種戦争という側面がつねにつきまとっていた。好ましくない人種を破壊することは、われわれという好ましい人種を再生させるための一つの方法である。われわれの人種の中から排除され、摘出される「汚れた部分」の数が多いほど、われわれはさらに純粋になる。戦争とは、ある意味では人種浄化運動なのである(旧ユーゴスラビア内戦では、兵士のレイブによる他民族の「汚染」の試みと人種浄化の原理が重要な役割を果たしたことを思うと、フーコーのこの指摘の先見性に驚かされる)。

 戦争だけでなく、犯罪者、精神障害者、狂人、性倒錯者についても同じような浄化の論理が適用される。優生学とは、生物学的なコントロールによって、「汚れ」を除去し、人種の浄化を図る学であり、生の原理によって人々に死をもたらす学問であるとすると、生‐権力とは優生学を原理とする権力だと言うことができる。

フーコー入門(ちくま新書) 孫引き 

via id:D_Amon:20080909:p1

浄化と汚染が対になっているところに注目。ただし21世紀以降の戦争は総力戦の軍事国家型ではなく散在戦の警察国家型に変容してあらゆる街角で突発的に起きるようになっている。これに対応して都市・街・住宅街・住宅・身体は排除に重きをおいた構造に変容しつつある。一方でそれぞれの外部では汚染がおこなわれる。局所的に秩序をつくり、外部に無秩序をつくると全体のエントロピー増大の速度は上がるから実に熱力学法則に則ったメソッドなのだが、それを人間がよしとするか否かは別の話。

そういえば先日のシンガポールの死刑制度の話もこれに繋がる話である。

http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20080716#p1

gengen 2008/09/11 11:36 ぷぷぷ。確かにせこい。
しかし「3銭でも犯罪は犯罪だ」と善良な市民は語る・・・なんちゃって。
みんながみんなパブリックエナミー化してますね。ううう。
先日知人と話していたら
「公共施設で充電しているのを見ると腹が立つ」
と言ってたので、あちこちで起こっているのかも。

kmiurakmiura 2008/09/11 19:02 そのうち暑いときに銀行とか郵便局にちょっと入って涼んでいるだけで、警察呼ばれたりとかね。クーラーの無断使用罪とか。

odakinodakin 2008/09/12 04:00 窮屈で嫌ですよね。空港や大学食堂の(おそらくは掃除用の)コンセントとかみんな普通にPCで使ってたと思うけど。欧州だと(知らんけどたぶんアメリカでも)わりと、誰でも持っていけるところに置いてあるものは誰でも持って行って下さいという意思表示と見なされる、さらには大事なものを誰でも持っていけるように放置し誘惑して罪人をつくるのは罪深い事だ、というような感覚がある気がします。そういうのも倫理観の違い(どっちが上とかじゃなく)と関係しているのかもしれない。

kmiurakmiura 2008/09/12 10:05 なんか古典的な話になってしまうけど、日本で「ウチ」と「ソト」すなわちヨソサマしか社会空間の分類がないというのがまずいのかなあ、と思ったりします。以前の宮台氏とかは第三空間なんてことをいっていましたが、縁側的な機微が社会から失われているのではないでしょうか。欧米に縁側はもちろんないのだけれど、変わりにパブリックという意識があったりする。

kmiurakmiura 2008/09/12 10:10 ちなみに、ドイツの建築家は日本のいにしえの縁側的な空間性をハーフ・パブリックと規定していました。パブリックほどではない、ということで。

rnarna 2008/09/12 18:48 宮台氏のは第四空間ですね(家庭、学校、地域社会、の外の空間)。元ネタは磯村英一の第三空間らしいですがそのあたりはよく知りません…
http://miyadai-terminology.g.hatena.ne.jp/keyword/%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E7%A9%BA%E9%96%93

路充電の追記の件、正直通報者にはちょっと黒さを感じますが、じゃあ自分で注意しろよと言えるかというと、難しいです。注意する必要すらないとまでは思えないし。
通報者は道徳的コミュニケーションを望んでいるのだけど(その動機自体には僕は肯定的です)、その不成立を予期して次善の手段として法的コミュニケーションに横滑りしているのだと思います。
絶対評価として、そういう社会はよくないとは思いますが、横滑りせずにいかなるコミュニケーションも発生しないのとどっちがマシかというと。。。

kmiurakmiura 2008/09/13 00:47 ”第三空間”の訂正ありがとうございます。

トピックに関してですが、公共の場所で自由に携帯ないしはラップトップを充電させることは、前向きに考えてもいいんじゃないか、そのような社会のほうが生きるうえでラクだろう、というのがまず私が思ったことです。次に、勝手に駅で充電を行うことは現行の法律では確かに窃盗という犯罪に相当するのだろうな、ということもわかります。だとしたら、法律を換えてこれこれのワット数の携帯・ラップトップの充電は公共利用空間においてコンセントがあるかぎり、また業務に支障をきたさないかぎり自由です、ってなことにしてもいいんじゃないでしょうか。あるいはそうした公共サービスを自明のものとするように努力する。簡単にいえば現行の社会の取り決めはこの点においてマイナーアップデートすべし、ということです。
こうした社会の取り決めの問題をふまえた上でなのですが、rnaさんが指摘しているコミュニケーションのパスの問題について。国家権力を介してでもコミュニケーションのパスは確保すべし、ということなのですが、私からすると、上にあるような理由でそもそもナンセンスな部類の社会の取り決めなのではないか、とおもうのです。社会を窮屈にするだけで、生きやすい社会をつくるためのルールではない。つまりそのパス自体がなくてもいい、と思っている(つまり、道徳的コミュニケーションの部分がすでに不必要)。世界的にながめてこのような細かいことで警察沙汰になるというのは異常とはいいませんが、きわめて偏執的だと思う。先日イタリアで日本人学生旅行者による落書き事件がありましたが、これもどこか同じような事件に思えます。そのために学生がわざわざ謝罪にいって泣いたり、とか教員が訓告を受けたり、あるいはネットリンチに近い状態になったり、というのはまさにナンセンスなのです。もちろんそれが日本の文化なのだ、我々はそれが心地よいのだ、というのがマジョリティならばいいのですが、本当にそうなのだろうか。
今回の件が意味をもつとしたら、そうしたナンセンスな取り決めを杓子定規にあてはめて警察に通報する人がいることが私には私にはわかったということ、そしてそうした人がいることを踏まえて、細かい法整備を検討したほうがいいんじゃない、ということです。黙認でいいんじゃない、というのが本音ですが。

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10-09-2008

[] 博士ネットワーク・ミーティング@京都  博士ネットワーク・ミーティング@京都を含むブックマーク  博士ネットワーク・ミーティング@京都のブックマークコメント

2007年の第71回総合科学技術会議ではポスドク年限を制限する方針が提案され、また全国の理系大学院博士課程では学生の減少が一層加速しています。

はっきり言って今の日本、博士もポスドクも科学も研究も待ったなしの状況になっています。

http://d.hatena.ne.jp/sivad/20080923#p1

AAASの機能をネットコミュニティに紹介したsivadさんが、日本における科学コミュニティの再生を呼びかけています。心ある科学に関心のある方には是非ともご参加、ないしは以後お引き立て願いたい、と思っています。

残念なことにわたしは遠方であるうえにすでに来客の予定が入っていて参加できませんが*1以下、勝手ながら賛同の意志を述べてみたいと思います。

そもそも科学は地域の文化とは関係なく普遍的たるべし、という理念が科学です。一方でそこにはなぜか文化的背景のバイアスがかかっている。たとえば寺田寅彦、湯川秀樹に発するような独特のクオリティを持っているというのはポジティブな面でしょう。一方で英語コミュニティから辺境にあるがゆえになぜか日本の政治家、官僚からも従属的な位置に属してしまっている日本の科学者という存在はネガティブな面でしょう。

われこそは科学者、とおもっている方ほどこうしたことから距離を置こうとするのが日本の学術文化だというのもわかるのですが、上にあるような待ったなし、というsivadさんのメッセージは、大学院拡充政策の結果として科学や工学に携わる人間が増えている昨今、その大きな変化を当事者が専門にこだわることなく共有し、これからの展開を、いまや科学とはなんであるのか、という根本的な課題も含めて考え発展させる上でとても大切なのではないか、と思っています。

同様の問題は科学や技術をその国策として発展させようとして人材のインフレがおきている一方でその苦悶を座視する政策に理系離れが加速という状況はヨーロッパの各地でもみられ、科学のあらたなフェーズが展開し始めています。今、こうしたコミュニティを日本で発足させることは科学の普遍性と地域性という矛盾を克服し、その甚大な変化を超えて科学者がより自由な存在を獲得するためにも絶好のタイミングではなでしょうか。いずれはその存在を日本の人々だけでなく世界にアピールしていってほしいな、と願っています。

リンク

博士残酷物語 研究開発人材の質量低下は当然

http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2007/11/post_076e.html

*1:先方のコメント欄でおもわずネットブロードキャストの提案などしてしまいましたが、拙速だったかもしれません。あくまでもご参考まで、ということで。

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09-09-2008

[] 秋の気配  秋の気配を含むブックマーク  秋の気配のブックマークコメント

あちらこちらで沸騰する議論などを眺めて、あー、ドンパチすごいなあ、派手にやってますなあ、などと思いつつ経過なぞを少し読んだりして、これはあきらかにこちらのほうがもっともらしい、あるいは、議論になっていませんね、などと勝手に判断させていただき、また別の議論などを眺める。そうこうするネットにおける経験はずいぶん長いことになるなあ、と思うのだが、きわめて単純に分類すると

   (1)ほぼ対等な知識・頭脳を持つ人間が互いに議論を行っている。

   (2)明らかに知識・頭脳に差のある人間が互いに議論を行っている。

(1)はともかく。(2)の場合、あっという間に結論がでそうなものであるが、殴り合いやリアルでの議論と違ってなにしろいくらでも書ける文字である。ひどいときには差があまりにあるために結論に負けている側がなぜ負けているのか理解できないという恐るべき状況になっている議論なぞもある。かくなる八方塞的状況においてもはや議論は議論ではなく対話である。知識・頭脳に勝る側が工夫を凝らして理解していただくという状況としてははたでみていてもはやこれはサービスですなというような経過になることもある。もちろんわたしなぞもサービスしていただく状況になることがしばしばあるので下記のようなことをいうのはなんだが、それがサービスであるのではなく議論の延長であるとサービスされている側に理解されてしまうと上記にあるような八方塞が始まる。サービスされている側が反論するのであるから、こっけいなことこの上ないのだが、この反論は結局やくざのワルツであるところの、ごねる、脅す、開き直る、の三拍子となる。あるいは私が”文革2008”と呼ぶところの、インテリジェンスそのものを糾弾するという状況になる。というか、最近この手の状況があまりに多い。本来ならばひざを突き合わせて懇切丁寧に対話すべきなのだろうが、ネット上の土俵というのは土俵際が存在しないために延々に拡散しつづける。かくして双方がしびれを切らすと罵倒合戦のごとき状況になり、さらにはそれが罵倒であるかどうかの品定め合戦になり、はたしてこれはいかなる主題であったのか五里霧中、対話はまさに迷宮入り。というか、ギャラリーを含めたわかるやつに伝わってくれ、という陣地戦@グラムシ的な考えはさておいて、ネットにおける(2)的な状況がこじれた場合、果たして処方箋はあるのだろうか。私はないと思うのだよね。だとしたらできること、というのは結局、知識を系統立てて公開していく、とかそんなことしかないのではないか。…とまあ、こんなこと書くとエリート主義とか糾弾されるのかな。というわけで今一度強調するが、あくまでもネットにこの点において処方箋はないだろう、あるいはなくなりつつあるだろう、ということである。井の中の蛙が、わたしは井の中にいないと主張するんだったらはあ、そうですかとしかいえないのである。なんとも悲しいことだけど。どことはいわないが、複数の場所見ていてそんなことを思っている。

追記 080911 進行性論点ズレ症候群に関して

id:aksumiフレームの確認と論点提示自体の妥当性とか注意してほしいな、と思う./理解のレイヤが異なる人が双方にいて、そういう人に限って罵倒を繰返しているな、とか思う.

id:namawakari [議論][同意] 「ネット上の土俵というのは土俵際が存在しないために延々に拡散しつづける」そして本筋が忘れられる。/ズラし続けるといつしか味方が現れるのもネットの特徴かな

これらのコメントを見て思いついたんだけど、日付やエントリーごとに断片化することがズレがズレを産む、みたいなところがあるのかもしれない。だとしたら、同じトピックの場合は日付やエントリーをあらためずにどんどん同じエントリーに追加する、というのが場を拡散させないためにインフラ的には重要なんだろーなと思った。

svnseedssvnseeds 2008/09/09 19:02 いやあ、罵倒合戦になっちゃうのは(1)の場合でもそうじゃない?知識・頭脳のレベルはこの場合関係ないと思う。(2)の方が痛々しい場合が多い、ってことなら同意するけど。わはは。

それにしても最近の人ってみんな喧嘩腰ですごいね。見解が違う人とは仲良くなれないのが前提になってるような。2004年頃はわりとすぐに仲良くなれたような気がするんだけど気のせいかなあ。

kmiurakmiura 2008/09/09 19:35 (2)に特異的なのは、”それがサービスであるのではなく議論の延長であるとサービスされている側に理解されてしまう”という状況で、これが繰り返された結果、悪貨が良貨を駆逐するという状況に輪がかかっているんじゃないかなあ、と思う。ようするにゴネればとおるという結果的状況、それを眺めているダメダメな人が、ああ、これでいいんだ、と同じメソッドで暴走・増幅しつづけるというなんともはやなことなのではないか。
(1)の罵倒合戦はその昔にニュースグループとかにあった状況とあまりかわらないと思うのだけど、(2)的な状況がより頻繁に起こることで、議論のそもそもの仕方とかが崩れ、(1)な罵倒合戦もますます殺伐としてしまったという戦国時代なのではないだろーか。

hizzzhizzz 2008/09/10 19:58 1でも2でも、ネットの裾野の広がりにより、表現・批判・評判の全体フラット化に直面して、プロアマ双方自己存在危機を感じてしまうと飛び出す防御かと>同じメソッドで暴走・増幅
とまれ、表現の時代・当事者主義「ポストモダン」という名でアカデミック統制してた(視ないことでないことにしてたナイーブすぎるエリート主義もどーかと思うけど)中世原野が、一部可視化したということではないでしょーかね。<デシィプリン欠如

kmiurakmiura 2008/09/11 18:58 全共闘的な状況が一気に全面化しているという感じかなあ、と私は思っています。そのころにあったような言説が復活していませんか。「総括」みたいな。

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06-09-2008

[] Leiden  Leidenを含むブックマーク  Leidenのブックマークコメント

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ナポリからアムステルダムに飛んで、電車でライデンへ。気温は32度から20度に。水路が町をめぐり、小さなボートでのてのてと人が移動しているのを眺めているとなんとも悠長な気分に。それにしても寒かった。

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これまた友人の結婚式ということで赴いたわけだが、こちらも市庁舎での結婚。冗談を飛ばしまくる市役所のおばさん。新郎新婦の経歴を説明し、すでに3年同棲しとても幸せであるとの結論を述べた後に一瞬黙って「で、なんで結婚するんでしょうね?!」と言ったときには一同大爆笑。毎回やってるんだろうなあ。

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ウェディングケーキを切る新郎新婦。このあとボートに乗って水路で飲み会、披露宴の会場へ。翌日私の車を運転してやってきたイタリア人の友達とイギリス人の友達と3人で帰路。

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04-09-2008

[] ナポリ散策、結婚式  ナポリ散策、結婚式を含むブックマーク  ナポリ散策、結婚式のブックマークコメント

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10年前に行って以来、どうしてもまた行きたかった、現在スパニッシュ・クォーターと呼ばれ、"Scappa de Napoli"ともよばれる貧民地区。Scappaという言葉には断絶の意味があって、他の地区からの断絶を意味するそうである。狭い街路にぼろぼろのアパートが林立していて、昼でもなんとなく薄暗い*1。通りに面した階への入り口は開け放たれていて、すぐそこにベッドやテーブルが置いてある。おばあちゃんが椅子に座ってテレビを見ている。あるいは椅子とテーブルを道に出して、おじいちゃんが新聞を読んでいる。昔の東京の下町ってこんな感じだったんじゃないかなあ、と思うことしきり。あー、実によい、スバラシイ、と思いながらふらふらと歩いていたら、開け放たれた窓から裸の女の子が胸をタオルで隠しただけの姿で、窓をしめようとしているのに出くわした。髪が濡れていたので、シャワー浴びたところだったのだろう。その10代後半ぐらいのとてもきれいな女の子は通りすがりの私と目があってもあわてることもなく窓から乗り出して片手でパタパタと窓をしめていた。こちらはしばし茫然やがてドキドキ。背中の優美なラインが目に焼きついてしまった。いやはや実にスバラシイ。観光客にはとても危険な場所で、この地区に学生のとき3年間住んでいたというナポリっ子の友達の妹にもあそこいくのならば注意しろ、と忠告される*2。鞄はもたず、スーパーの買い物袋に地図なぞをいれてふらふら。危険な場所に関してだが、ナポリに住んでいる人に聞くと実に細かくこの道路はヤバイ、とかわけがわからないほど錯綜している。こうした情報は最近そのあたりで何件か強盗があったから、とか実にあやふやかつ流動的な情報である。

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ナポリの街角の壁はとても芸術的。要は汚いのだが、汚さが堂に入っているというか、じつにうまく汚いのである。夜半にふらふらしながらなんども立ち止まって眺めいってしまう。

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労働組合*3がデモしていた。警察もわんさか。

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ナポリに行ったのは友達の結婚式の出席のため。車で30分ほどの村の役場で式。教会ではなく役所でやる、というスタイルで、左側に立っているおじさんが村長さん。時間どおりにいったら誰もいなくて、始まったのは一時間後だった。夜の宴会は近くの山の上の広場。ナポリ大学の先生方に(新婦はナポリ大学の准教授なのである)、いつでもセミナーでも講義でもやりますのでぜひぜひ、と猛烈に売り込んできた。

*1:衛星画像だとこのあたり

*2:前日付けにコメントのあるムラカミと10年前に訪れた際にはムラカミがバカ高いニコンのF4だかをぶら下げていたんで -やめろと止めたのだがカメラマン魂がどうのといってムラカミはカメラをぶらさげっていったのだった- スリが次から次へと寄ってきて大変だった。よい思い出。

*3:追記。あらためて旗に書いてある文句を眺めてみたら、Disoccupattiのユニオンなので失業者の組合ということか。なお同じ組合の本部らしき建物を飛行場に向かう車からみつけたのだが、建物というよりも要塞みたいだった。昔からイタリアは労働運動が盛んな国である。

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03-09-2008

[] ナポリの夜  ナポリの夜を含むブックマーク  ナポリの夜のブックマークコメント

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いずれにしろ崩れっぷりがみごとな町。

murakamimurakami 2008/09/08 01:50 明かりの灯った2階の窓から、いまにも家族団らんの賑やかなイタリア語が聞こえてきそうないい写真だね。日本に限らずこういう下町の風景っていつまでもそこ在り続けて欲しいと願うよ。そこに立てば当時の記憶が瞬時にしてよみがえる。あの夏の旅からちょうど10年か。

kmiurakmiura 2008/09/08 08:33 というわけで、もう少し写真をアップしました。

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01-09-2008

[] スラブ語圏  スラブ語圏を含むブックマーク  スラブ語圏のブックマークコメント

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スラブ語圏なるものを意識しはじめたのはポーランド人やチェコ人、ロシア人と飲んで乾杯する際に、国によって微妙に言い方が異なるので、「あ、それチェコ風」とかいちいち指摘されるためである。ロシア語の場合は「ザストロビエ」だが、ポーランドだと「ナストロビエ」。ポーランドとチェコも違うのだが、日本語で表記できないような小さな違いである。またポーランドやチェコだと「ビールください」が「ピエシピボ」だが、スロベニアに南下するとそうはいわない、のだそうで、でも似ている(どんな感じだかわすれてしまった)。東欧の来たから南に向けて存在するスラブ語圏とその中でグラディエント状に変化する言葉に、言語学の教科書的だなあ、などといつも思っていた。

先日夜、家のすぐちかくの川べりに座り込んでスコットランド人、スロベニア人やフランス人他数人とビールを飲んでいた。各国語で乾杯などしているうちに、上記の「ナストロビエ」も登場したわけなのだが、それで上記のスラブ語グラディエントのことを思い出してスロベニア人に、スラブ語圏の大元ってどこなわけ、ときいたら、物理専攻のスロベニア人はよくしらないけど云々と説明し始めた。それをきいていた顔見知りのカナダ人がやおら、「私の前でそんな間違った説明をするとは」と言いだした。実はこのカナダ人、言語学の教授なのだそうで(煙突みたいにパイプで煙草を吸いまくるただの酔っ払いとばかり思っていた)、スラブ語圏の展開のあらましをおよおそ30分かけておしえてくれた。さすが専門家だけにこれが実におもしろい話だった。5世紀ぐらいに始まる今のウクライナあたりからのスラブ語族の大移動と拡大、今で言うハンガリー人がそのど真ん中に侵入して言語の楔を打ちこんだ話(ちなみにハンガリー語での乾杯は「エゲシュエゲドレ」なるまったく違う言葉である)、バルカンへの侵入、東西南スラブ語圏のそれぞれの発達、などなど、言語の展開の歴史は東欧の歴史そのものだ。いやー、いい話をきいた、のだが、酔っ払って細かい内容を忘れてしまった。家に帰ってネットなぞ眺めて少々復習。

http://wapedia.mobi/ja/%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B4%E8%AA%9E%E6%B4%BE

[] 首相辞任  首相辞任を含むブックマーク  首相辞任のブックマークコメント

小学校の担任が毎年かわるようなものか。なお時期が時期だけに、アメリカの小学校。

murakamimurakami 2008/09/02 03:53 先生以下だよ。異動じゃなく自ら投げ出しているのだから。
まるで楽しい夏休みが終わって、登校するのが嫌になってしまった小学生みたいだ。

kmiurakmiura 2008/09/02 04:43 今youtubeで記者会見のスピーチ見てちょっと印象がかわった。というのも、これはかなり周到に根回しがなされているんじゃないか。安部某の投げ出しと同じに見てしまうのはよくないかも。

odakinodakin 2008/09/04 00:22 ナスじゃなくてナズだった気が。ナズドロヴィエってかんじで。(どうでもいいがたしか意味的にはナ・ズドロヴィエと切れてた)

kmiurakmiura 2008/09/08 07:18 odakinさん、コメントありがとうございます。たしかに”ズ”かも、と思って昨晩一緒に飲んだポーランド人一家にあらためてきいたら、”ズ”でした。

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