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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


27-10-2008

[] ボクタチの闘争  ボクタチの闘争を含むブックマーク  ボクタチの闘争のブックマークコメント

「同じ人間だろ」は断固否定しなくてはならない。同じ人間ではない、という基本的な態度をとるべきなのである。

同じではないから、対話が必要なのであり、理解できる部分とできない部分を見極め、合意を形成し、ボトムラインの線引きを行う。ここからここまでは合意に達しましたね、ということで。同じ人間はそもそもありえない。同じ、ということはありえないと絶望しつつも合意が形成できることに僥倖を感じつつそこに社会関係がうまれる。

たとえばこのあたりにみられるように大騒ぎしている某府知事。バカだ、と一蹴すればよい話なのだが、そういっていられるのは実は今日明日の話であって、今後15年ぐらいのスパンで考えれば一蹴するわけにもいかぬ症状である。この人間が考えているのは競争だ。しかもその頭にあるのは、自分を競争という闘争の場から一歩引いて競争とはなにか、競争はこの場面においてあるべきか、といった思想ではない。本人がたとえば目の前にいる高校生と競争しているのである。あらゆる場面においてこの人間には勝つかまけるか、しかない。私人としてジャングルかどこかでやっているなら勝手にしろ、である。あるいは南アフリカの路上で銃をつきつけられて燃え上がっているならば実に頼もしい。だけどこの人の競争相手は、知事であるという立場上公僕として責任を負うべき対象であるところの府民、しかも高校生である。私学助成がなくなったら私は高校にこれ以上通うことができなくなります、知事であるあなたはどうにかしてください、というこれ以上はっきりした説明はありえぬ直訴に対して、その直訴をしかるべく取り計らう責任を持つ知事が「あなたが政治家になって変えてください」といってのける。たぶんこれでこの知事は勝った、つもりなのだと思う。いうまでもない。直訴した高校生はあまりのことにしばし絶句するわけだから。それでもかろうじて「それは私の仕事ではない」と反論した高校生は実に立派、見事である。

さて。なぜこの直訴した高校生に向かって「あなたが政治家になりなさい」と直訴を却下するのが間違っているのか。このメッセージは、時間軸を捻じ曲げている。直訴した高校生は被選挙権を得る年齢まで雌伏し、はれて政治家になって日本を変えてから高校に再入学せよ、という無理難題を吹っかけているのだ。通常このような反論は屁理屈と呼ばれる。屁理屈は競争において強い。なぜならばその場では勝つことができるからである。しかし屁理屈は対話ではない。したがって対話の場たるべき空間において、知事の発言は間違いである。合意が形成されることをはなから否定しているのだ。この某知事の頭に思い描いているのはたぶん競泳のプールのような世界である。それぞれにコースが敷かれ、よーいドン、でいっせいに選手がプールに飛び込む。懸命に腕をかいて息継ぎをしながら水面を突き進む。両隣のコースを泳ぐほかの選手の位置を息継ぎのたびに一瞬確認しながら、あ、負けそうだ、なんとかがんばらなければ入賞することはできない。腕に乳酸がたまり始めているが、懸命になって水をかく腕と手に力を込める。あとちょっと、あとちょっとだ…。某知事はあらゆる場面でこうした競争を行っている。ただし無分別ではない。たとえば高校生に向かって意気揚々と、競争こそが社会である、現実であると説く姿を眺めれば、自分よりも弱い人間であること、競争においてすでに差がついていることを確認してから競争を行っていることがわかるだろう。せこい話だが確かに喧嘩の必勝原理のひとつは勝つとわかっている相手としか喧嘩をしないということである。

とはいえ、こうした某知事の卑怯さは実はあまり問題ではない。バカにされて終わり、という人格の問題である。より大きな問題は、この某知事が高校生に対し君もボクも同じ競争の場にいるライバルである、という幻想を振りまいている点である。「あなたが政治家になりなさい」という人間の成長の不可逆性と時間軸を無視した屁理屈は、その背後にあるライバルという他者認識なくしてはでることのない言葉だ。みんな競争しているんだ、僕も君も競争しているんだよ。だから負けそうなキミにエールを送ろう。僕もこんなにがんばっている、だからキミもがんんばれ。やさしく言えばそんなことになるだろうか。いわば戦友としてのエールだ。しかしそこは戦場ではない。普通の人間は生活しているのであって、知事のように自ら招いた四面楚歌でわら人形その他大勢を相手に戦っているのではないのである。万人よ、四面楚歌を招聘せよ。万人の万人に対する闘争、とはよくいったものであるが、地方共同体の長が万人の万人に対する闘争を煽ってどうしようというのか。

万人の万人に対する闘争、とは裏返せば万人が闘争において平等である、ということである。闘う、という点において平等なのである。それはそうだ。世界の誰でもたとえば前田日明に闘争を申し込むことはできる。この点においてあらゆる人間は平等でありライバルになりうる。ポテンシャルがある。この点においてすべての人間は目を輝かすことができるかもしれない。そう、いつだってオレは・ワタシは前田日明と戦うことができるんだ!でもそんなふうにその平等な機会に目を輝かす人間はあまりいない。通常の人間は前田日明を殴り倒すことはほぼ不可能である。前田日明をひとめ見れば、あ、こりゃあかん。まともな判断力がはたらいて、そう判断する。あるいは前田日明が「みなさん、誰でもぼくと戦うことができますよ!」と声を上げたとしよう。その答えは「ご冗談でしょう!」が妥当である。

前田日明に対して挑戦状を送りつける平等を国家が保証したとしても、われわれは平等とはいえない。それは一種の冗談である。しかしながら万人の万人に対する闘争=平等原理は跋扈している。のっぺりと舗装された闘争のグラウンドが広がっている。スイミング・プールとしての世界。今回例に挙げた愚かな知事だけではない*1。ある場所ではそれを私は「文革2008」と呼び、別の場所では「ニコ現」と呼んだ。あるいは人民共同戦線を謳う<佐藤優現象>。半身不随の辺見庸が金融不安に際しかつての「鵺のような」なる文学的表現からさらに一歩踏み込んで国家社会主義の再来に警鐘を鳴らすのも無理はない。あまりにもすべてのタイミングがよすぎる、のである。あと必要なのは万人の万人に対する闘争=平等原理をあまねく照らし出す大いなる存在(いわずもがな、でも今回は戦前とは違うだろう)、ぐらいだろうか。

だから最初に戻る。「同じ人間だろ」といわれたら断固否定せよ。「わかるだろ」としなだれかかられたら拒否せよ。あるいは「ボクらはみんな闘っている」といわれたら却下せよ。ただ、わたしは違う、と。

追記・関連拙記事リスト

<一人の個人が意志的個人に止揚していくとき、その単独者に向き合うのが敵> 石原吉郎

虹の彼方に見えるもの〜辺見庸講演会に参加して@酔生夢死浪人日記より(061203)

[] 近況  近況を含むブックマーク  近況のブックマークコメント

  • 今週に原稿関連の〆切と面倒なレビューの〆切。プロジェクトの結果を出す〆切がふたつ、私事の〆切がふたつ。
  • でも日本の某研究所から昔の同僚が4日間来客。飲み会になるだろーなー。研究所で講演してもらうことに。
  • ジャズのライブがみっつ。いただいたチケットだからいかなければ。
  • あまり気の進まぬ食事会がふたつ。
  • 発表を直すのがうまいというので先週から頼まれて関係のない分野二つも面倒を見たけど半日つぶれる。ああ。
  • ユーロが110円代に。しばらく日本に帰れません。
  • 頼まれる、ということがどんどん多くなっているんだけど、やっぱり歳のせいだろうか。というか、これで人生終わりそうな気が。
  • そんなこんなで、ストレスがたまると古新聞の数独にはまる。ちょっと病的。
  • 空手の方はようやく来月茶帯の予定。この半年の新しい師匠がどうも合わん。筋トレばかりでアホか、という感じ。道場かえなあかんな。
  • 上で書いた話は、直感的には自己否定の話にも通じる。
  • これを読んで、ドイツの役人を思った。窓口の役人の裁量がかなり幅を利かせていて(なにしろどの窓口にいってもいきなり個人の部屋をノックしていくのである)、通らなかった同じ書類を別の役人のところに持っていくと通ったりする。で、「運良くいい人にあたった」ということに。役所をうろうろするその状況はカフカ的、といえばそれだけなのだが、裁量が窓口の役人の心意気に任されているあたり、実は日本よりも融通が利いたりする。

*1:あるいはこの知事は自らは競争を勝ち抜いた前田日明であると思い込んでいるフシがあるが

nanasinanasi 2008/10/30 17:35 もし、高校でなく大学であったら貴方はどのように申されるでしょうか。現在大阪府では生徒不足で廃校になる府立高校もあるのだが、なぜ自分の偏差値より低い府立高校に入学しなかったのだろう。大阪は学区ごとに東大を目指すための進学校ともいえる高校から、大学に入る学力のない生徒ばかりが通う偏差値の低いところまで揃っているのである。それでありながら府立高校へ入らず私立へ入学した者にはたして学費が高い、助成金が〜いう資格があるのかはなはだ疑問である。またそのような結果を招いたのも誰の責任でもない。高校からは義務教育ではない。自身の責任である。甘えるのもたいがいにすべき。

dj19dj19 2008/10/30 21:24 nanasi
馬鹿も休み休み言いたまえ。

>なぜ自分の偏差値より低い府立高校に入学しなかったのだろう

リンクされてる動画のなかで生徒達が「教師に入れる学校が私立しかないといわれた」と言ってるだろ。

私立>公立という勝手な思い込みを前提としているようだが大阪では公立>私立。
http://d.hatena.ne.jp/Uruchi/20081025/p1

dj19dj19 2008/10/30 22:18 nanasi
>そのような結果を招いたのも誰の責任でもない。高校からは義務教育ではない。自身の責任である。

高等学校等への進学率は最近では98%に達しようとする状況では、高校教育は事実上の「義務教育」と化している。そして日本では約3割の子ども達が高校教育を私立高校に「依存」している状況である。高等学校教育が事実上、必要不可欠な公教育として機能しており公教育を平等に与える本来的な責務が国家・政府・行政にある(憲法、第26条の国民は「ひとしく教育を受ける権利」。教育基本法、第4条の「すべての国民は……経済的地位……によって教育上差別されない」)ならば比率にして約3割の私学生徒とその保護者は「不当に割高な負担を強いられている」ともいえるでしょう。

平成17年度学校基本調査 – 文部科学省
http://211.120.54.153/b_menu/toukei/001/04073001/001.htm
中学校から高等学校等(高等学校・中等教育学校後期課程・盲・聾(ろう)・養護学校高等部の本科・別科及び高等専門学校)への進学率(通信制課程を含む)は97.6パーセント。就職率は0.7パーセント。

学校教育費の国際比較
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3950.html
日本の教育対する公的負担額は世界でも最低レベル。