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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


27-08-2012 ボルドー断章 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

7月から8月半ばまで、夏だというのに申請書だの原稿だのフィンランドのプログラムだの〆切がいろいろあって、ドタバタしていた。技術関連のミーティングに登録したら、会議の紀要に論文を書くことが必須なのだという。生物系だと概要だけ書いて発表なので勝手が違う。理系でも分野による作法の違いは著しく。このあたりの差が、複合分野の場では申し合わせのなかった不測のあれこれを引き起こして慌てたりするのだが、まあ、なんというか、ある分野で常識と思っていることは他の分野では非常識だったりするわけである。違う文化。

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ドタバタしていたのはこれまでほとんど出張との組み合わせでしか休暇を取らなかった私には少々難度の高い家族旅行という〆切もあったからである。あらかじめの用事もなくスクラッチから旅行を考えるのは久しぶりだった。行き先は今や貧乏画家のフランス人の友人が住むボルドー。彼は「政治にまみれた科学」に失望しポスドクを辞め美術学校に入りなおした人である。ドイツから片道1000キロの道のり、フランスの延々と続く農作地帯を抜ける。元物理学者の彼は予備校で数学を教えて生活費を稼ぎ、国から芸術家向けの助成金をもらって家賃を払っている。長年女ができないという非モテな悩みを抱えていた自尊心過剰かつ恥ずかしがりやの彼も、今や美術学校で知り合った若い恋人と二人で暮らしている。熱波でとてつもなく暑い中、蚊にさされつつ、自作の画が全面に描かれた壁のあるバルコニーで涼をとりながらボルドーワインを次々と空けた。2009年の葬式の夜には、貧乏美学生なのに全財産はたいて飛んできてくれた彼だけを家に招いて、二人でほぼ黙ってグラッパを飲んだ。ゆっくり話したのは何年ぶりだろうか。彼は今でもピュアな科学者だった。

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樹上生活者が発見される。木の枝を伝いながら家族で生活している。歩き始めたばかりの子供が危なっかしい足取りで細い枝をつたって母親を捜している。「危険ではないか、そんなところで子供を育てるなんて」と近所の人々が口々に非難する。「お前らが落ちてきて我々が圧死したらどう責任をとるんだ」「ゴミを落とすな」などと詰め寄るものまで現れる。しかし樹上生活者は樹上でしか生活できない。地上は彼らにとってあまりに異世界であり、地上に降りると、愛着ある樹上を離れたストレスに苦しむのだ。そこで「樹上で安全に暮らす方策を彼らと共に考えよう」と言い出す地上の人間が出現する。樹上生活者に優しく語りかける。「重力について一緒に考えましょう」「それはもう、そこにあるのです。位置エネルギー、知ってますか?高所であればそれは線形に増加する。高いところであればあるほど危険なのです」。「でもあなたの住んでいるところだったら、大丈夫、それになにしろそこがいちばんあなたが安心するところなのですから」。近所の人々の糾弾に困惑していた樹上生活者は、ある者は安心し、ある者は「ではどのぐらいの位置エネルギーだったら?」と困惑する。あるいは、「樹上に住みたいわけではないけれど、すみかを追われてここにしか住めないのです、どうにかしてください」と訴える。

思えばかつて霊長類はいつのまにか木を降り、二足歩行をはじめた。

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差別は差があるから差別が起こるわけであるが、差そのものは否定すべき対象ではない。差別があるから差を隠蔽する、あるいはよりポジティブには無化する、という手段を反差別の手段として採用する人もいるわけであるが、これは差別をなくすことにはならないだろう。それは隠蔽である、差はあるではないか、という人間が必ずでてくるからである。それは差であるか、差でないか、という議論は延々と終わらない。あるいはシンタックスとしての言葉狩りに終始することになる。結局私が思うのは差を単に認めること、差はあるのである、とするしかないことである。しかし、それは差が生じることを積極的に肯定することも含むのであろうか?究極的にはそれは死の積極的な許容、それもまたアリ、という立場にもなる。例えば放射線被曝は多かれ少なかれ、突然変異の確率を上昇させる。あるいは死ぬ確率も上げる。差の認知という理性が差の生成、死の積極的肯定を含むのであれば、差を奨励する立場を一貫し大いに放射線を浴びるべき、ということになる。あるいは死という絶対的とも思える差を全面的に認めることでしか究極の差別は無くならない。…しかし私は死に対して日々無意識に抗っている。

差は、自然だろうか。理性だろうか。

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自然を眺める科学者という立場を考えれば、この地球がいくら放射能まみれになろうが知ったことではない。あるいはそのために人類が滅びようが、あるいは他の種が絶滅に瀕しようがそれもまた自然なことなのである。人類を死滅させるような放射線の元で生き延びる進化をとげた生命システムなり、あるいはより極端には全くことなる月面のような荒涼たる自然がそこには豊かに息づくことになるだろう。恐竜の絶滅を思って寂しく思う人間はいるかもしれないが、泣く人間は殆どいない。異性愛、家族愛、博愛、人類愛と愛はレベルづけされているが、自然愛がもっとも広汎かつ過激であり、環境保護とは全くの対極に位置する。ピュアな科学者とはそのような神の視点の困った存在である。

11-08-2012 トゥルク・フィンランド このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

最初にトゥルクに来たのは2007年だった。60人乗りの小さなプロペラ機で到着した飛行場でスーツケースが出てくるのを待つ。ベルトコンベアがぐるっと回っているその真ん中に、巨大なムーミンが手を広げて立っている。そういえば5年前も4年前もこのムーミンは同じ格好で立っていたよな、と思い出す。やがて出てきたスーツケースを持ってタクシー乗り場に向かうとこれまた以前のように、タクシーがいない。なにしろ待っているタクシーはいつも数台しかいないのである。私より先に出た他の乗客が乗ってしまって、次が来るのをまたなければいけないのだ。

まあ、そのうちやってくるだろうと、やたら静かな田舎の駅のような飛行場の軒先のタクシー乗り場のベンチに一人で座る。大きな虫が何匹も北の短い夏を生きいそぐような凄まじい勢いで飛び回っている。こんなでかいのに刺されたら困るな、と思いながら電話を取り出してホテルの予約の確認などをしているうちに、もう一台のタクシーがやってきた。

街へ向かう道のりはどこか見覚えがある。二度も通ればなんとなく覚えているものだ。街のはずれにさしかかり、あっ、と思った。街のはずれにある、遠距離バスのターミナル。楕円形のきれいな建物がチケット売り場で、彼女が気に入って何枚も写真をとっていた。あの建物だ、と思い出す。2007年の夏、今回と同じくトゥルクの大学院生に向けた講義と実習で私は初めてこの地を訪れ、仕事が終わる頃に彼女はやってきた。一人で街の中をあちらこちらを彼女は探検した。仕事が終わった次の日、このバス停につれてこられた。これだというバスに乗り込み、はるか遠方のアルバー・アアルトが設計したというパイミョオのサナトリウムを見物に行ったのだった。キオスク兼食堂があるだけの終点でバスを降り、そこからタクシーで森の中にあるサナトリウムに向かった。真っ白なファサードが眩しかった。

彼女が残した写真はたくさんある。なんらかのデザインを撮影したものばかりである。次々と眺めていると、彼女がなにを大切にしていたのか、なんとなくわかるような気がする。トゥルクのバスターミナルは、彼女がなんていっていたのかも思い出すことができる。「このまるっとした感じがきれい」。まるっとした感じ、かあ。と私は2012年の今、つぶやいてみる。

トゥルクでいつも逗留するホテルから通勤していると、あちらこちらに彼女の影を発見する。あ、そういえば、あそこのイッターラのアウトレットの店がいい、っていっていたよな。

あの教会には先に彼女が行って、おもしろいから中を見なよ、と勧められて二人で見に行ったよな。

この図書館には入り込んでみて、片面が前面ガラスになっていた。光がきれいだねえ、とため息をついた。

川岸のレストランでは、店から流れ出るにんにくの香りにふたりとも気がついて、次回来たときにはこのレストランだなあ、と、どちらからともなく話した。

街の中にどこにでもある「ヘスバーガー」というファストフードの店。まずそうな店の名前だなあ、といいながら、なんか笑ったような気がする。なんで笑ったのかどうしても思い出せない。そう思っていたホテルでの夜、スカイプでドイツにいる無珍先生と義理の妹と話した。「街中にヘスバーガーってのがどこにでもあるんだ」と話した。義理の妹は言った。「モスバーガーみたい、あはは」。そうだ、彼女も「モスバーガー」ってまぜっかえして笑っていた。さすが姉妹だ、と私は妙に感心する。

シベリウス・ミュージアムの横を通り過ぎる。2007年、招待してくれた教授がシベリウス・ミュージアムで開いてくれた教授の娘の小さなピアノコンサートでは、シベリウスの曲を披露してくれたその小さなピアニストと並んで座って彼女はなにやら話し込んでいた。

教授の娘は今や18歳の北欧美人になっていた。半年ほど政府の助成を受けてシカゴにピアノの勉強で留学して帰ってきたところだという。トゥルクから一時間離れた、古い農家を改造したレストランで、再び小さなコンサートが開かれた。彼女はアメリカの曲と、フィンランドの古い民謡を交互に弾き、ドビュッシーのアラベスクを弾いた。20時半なのに美しい日の光のなかで、白いドレスを来た美しい娘が奏でるメロディーを聴きながら私は夢を見ているのかもしれない、と思う。

すごかったね、いや、ほんとに素晴らしかった、と教授の娘にお礼を言った。にこっとしながら、ありがとう、と流暢な英語で彼女が答える。黒いリボンを腰に巻いている。「ピアノのブラックベルトだね」というと、彼女は声をあげて笑った。

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