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- きみ、そこはきみの家ではないのだよ - ミラン・クンデラ


06-09-2012 フィンランドの国際化 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

フィンランドのことでメモしておくべきことがある。2007年に教えたときと、今回2012年の大きな違い。学生の構成である。教室にやってくる学生は、院生からポスドクたちなのだが、2007年の時点ではそのほとんどがフィンランド人だった。留学生というと、スウェーデン人、イギリス人、ドイツ人がちらほら。日本人もひとりだけいた。フィンランド人の学生って日本の学生に良く似ているなあ、と思ったのは、講義の途中でなにか質問は?と聴くと、シーンとしている一方、では終わりますといって、廊下にでると小走りで追っかけてきて、すみません、ちょっと質問が、とすまなそうな顔をしていいに来るところだった。まあ、そんな感じだったのである。

5年後の2012年、教えに行ってみたらなんと半分以上、70%が留学生だった。ヨーロッパの留学生、というよりもインド人、中国人、アラブ人、ペルシャ人、アフリカ人。正直言って、あんなにたくさんのアフリカ人を教えたのは初めての経験だった。昼食などはインド人の学生やポスドクに囲まれて毎日食べることになった。トゥルクの大学は5年の間に物凄い勢いで国際化したのである。先方の教授にその感想を述べたら、ああ、そうだよ、フィンランドは変わったんだ、とこともなげに答えていた。よくよく街で観察してみると、バスの運転手が英語をベラベラ喋るアラブ人だったり、真っ黒なチャドルのおばさんが子供を何人も連れて買い物をしていたりする。道行く若者も中東や黒人の若者が結構な数であった。

2007年ごろ、というとちょうどそのトゥルクの大学の教授たちがうちの研究所に視察に来たあとだった(そのときにうちで教えてくれ、と頼まれてフィンランドに飛んだのだった)。かれらの目的は「大学の国際化」だった。当時、日本もシンガポールも、国策で産業構造を知的産業ベースに転換しようと画策しており、どこも国際化ですなあ、などと思っていたものだが、フィンランドはアイデアとネットワークで、シンガポールは途方もない規模の予算投下でそれを実現しつつあるように思う。

サンフランシスコに15年いて2年前に帰ってきたというフィンランド人の教授と雑談しているときにその話になったのだが、「以前のフィンランドだったら私はサンフランシスコに逃げ帰っていたかも」と笑っていた。彼女の意見では「ノキアがフィンランドを変えた」とのことである。これは2007年もそうだったが、フィンランド人はものすごく頻繁にケータイで電話をかける。電話するほどのことか、というようなことでも次々に電話で細かく段取りが出来上がっていく。ノキア以前は、人と人のコミュニケーションは遥かに疎であった、と彼女は言っていた。ケータイが社会に登場したことと、物凄い速度で起きた国際化の関係はよくわからない。とはいえ、社会のこれほどあからさまな変化を実感したことは私にとってまれな経験である。