kmokudaiの読書日記と雑録

もともと読書日記としてはじめたので読書日記に戻します.あと,ちょっとした思いつきなど.研究っぽい話しは,https://researchmap.jp/kmokudai/研究ブログ/に書いてます

研究者がサイエンスコミュニケーションをする理由

サイエンスコミュニケーションをなぜ行わなければならないのか,ということを研究者にもっと理解してもらう必要があるだろう.今のところ,やらなければならないから行うといった感じがあるのではないか.これだと一過性のものになってしまうだろう.研究者にとってどういったメリットがあるのか,インセンティブを考えなければならないと思う.ピアレビュー論文の作成というものが,現在の研究者の活動の主題である.しかし,「論文書き」である要素はふくまれるが,それ以上に研究者であることが必要である.情報の発信のチャネルを複数持ち,テーマ,興味の集中と発散を自律的に繰り返しながら,研究を行うスタイルがあると思う.従来,職場が変わったとか,あるプロジェクトに声がかかったので参加したとか,受動的なテーマや興味の変遷が起こることが多い.多くの場合,それが研究者にとっては新たな刺激となり,研究の質が高まることが多い.研究機関では,より戦略的に,集中発散を繰り返せるようなシステム作りをしても良いのではないかと思う.それが,継続的に質の高い研究活動を可能にすると思われる.論文作成を一方の端だとすれば,もう一方の端はサイエンスコミュニケーションではないだろうか.

コミュニケーションにより発生するDisturbance

blogでのサイエンスアゴラの感想が多く出ている.参加して新しい知見が得た,人脈が広がったという肯定的なもの(たとえば地味でいいの | ありさん観察日記BYありあ。若手交流会ありがとうございました:サイエンスアゴラ(1):とっさ日記:So-netブログサイエンスアゴラ 2006 ① Space dance in the Tube : Les flammes froidesなど多数)と,イベントの意義を問う否定的なもの(たとえばオンライン日記の11/23の記事,サイエンスアゴラにて: 理系女性の日常は?サイエンスアゴラ1日目:さよなら、じっけんしつ 脱・動物実験ブログ:So-netブログなど)である.それらを受けて,批判があるのを認識した上で,開催を評価する意見など302 Found2006-11-27(Mon): サイエンスアゴラ2006をふりかえって - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版もみられる.このサイエンスアゴラ,サイエンスコミュニケーションを相対化して議論する場であったと同時に,その場がサイエンスコミュニケーション実践の場であった.そこは,様々なバックグランドや考え方を持つ人達のコミュニケーションの場であるため,ディスターバンスが起こるのは必然だろう.このディスターバンスはコミュニケーションに内包されるものである.様々な評価が示されている現状は,サイエンスコミュニケーションに積極的に関わる人たちの健全さが現れているのだと思う.また,物事を批判的に検証するという姿勢は,サイエンスに関わる人間であれば比較的多くの人が持つ特性であることも影響しているのかもしれない.
このコミュニケーションによるディスターバンスというものの言い回しは,最後のシンポジウムで,NISTEPの中村さんが使っていた言葉.うまいこというなーと思ってそのまま借用.