書店

紀伊國屋で、と書いたが、米国には本当に紀伊國屋があるのだ。もちろんものすごく品揃えがいいわけではないし、書籍の入荷も決して早いわけではないから、Kindle で買ったほうが安くて早い、ということはままあるけれど、わたしのような、物質としての上にフェティシズムを感じ、本屋に行くということ自体に高揚感を覚えるような輩にとっては、それでも日本語の書店は天国なのである。

この国に来てちょうど一ヶ月ほどが経った。大体の書類仕事も終わり、東京においてきたものの整理も、徐々に終わりつつある。あの東京の喧騒から遠く離れて、ここに住んでいると、雑音が耳に入ってくる、ということがあまりない。仕事はそれなりにあるが、かといって、人生について、あるいはこれからやらねばならないことについて、考える時間もちゃんと確保することができる。

カーン・アカデミーで高校数学の勉強を始めた。わたしのようなものにとっては、ありがたいカリキュラムだ。

山の見える町

東京から出たことはブログで既に書いた。日本人には日記のほうが向いている、ということを以前言った人がいるけれど、それは割とあたっていると思う。ああやって題をつけると、りっぱなことを言わなければならないような気がしてくるのだ。こうやって、あまり意味のないようなことをつらつらと書いている方が、少なくともわたしには合っている。日本人の代表のような顔をするつもりはないけれど。

東京を離れるとき、同居人に渡した本がある。村上春樹が欧州滞在時に書いた一連のエッセイをまとめた、「遠い太鼓」である。これはわたしがまだ倫敦にいた頃、よく読んでいて、英国を離れる際にも誰かに贈ったのだった。でもなんだか、とろりとしたイカの舌触りの話が頭から抜けなくて、東京に来た時にまた買い直してしまったのだ。

二匹のハチがぶんぶん飛ぶ話を読むことも、これでしばらくない、と思っていたら、こちらに引っ越してきてすぐ、紀伊國屋で見つけてしまった。なんというか、縁が深いのだろうか。

遠い太鼓 (講談社文庫)

遠い太鼓 (講談社文庫)

チューリヒ

今日はチューリヒにいる。週末を過ごしたシチリアは焼け付くような日光と茶色く干からびた大地が印象的で、日焼け止めをきちんと塗っていなかった背中などにはまだ傷みが残るが、スイス最大の金融都市は陰鬱に曇っており、長袖にジャケットを羽織ってちょうどよい気温である。アルプスが地中海の温暖な空気をすっかり遮ってしまっているのだろう。

昼、同僚のルーマニア人とメキシコ料理を食べる。興味深いことに彼はハンガリー国境にある街の出身で、母語ハンガリー語だという。日本文化にも興味が強く、ハンガリー語との文法的相似や、江戸時代の文化について話している。わたしが東京は好かないというと、なぜだ、わたしはあの混沌、超近代的なミッドタウンのちょうど後ろに、桜並木の植わった檜町公園がぽっと現れるようなあの混沌にどうにも惹きつけられる、という。なるほどそういう見方もあるか、とちょっと感心する。

上海滞在記 (1)

(文中に記載の通り様々なサイトにアクセスできないので、さしあたってダイアリーにアップする)

18 Jan 2013

上海行き当日。深夜から準備を始めて、最終的に就寝したのは3時といったところだったろうか。旅行のための準備ほどおっくうになるものはない。

旅立ちの朝というものは、なぜこのように哀しくなるのだろう?モノレールから眺める景色は団地と会社と高層ビルの繰り返しで、まさしくうんざりするような東京なのだが、もうしばらくこの風景を見ることはできないのだと思うと、それすらもどこか美しく、哀しいもののように思えてくる(ところで─美しいものは哀しいものである、というこの感覚は、どこで培われたものなのだろうね?)。

モノレールでは二人の定年をすぎた会社員たちと同席した。彼らは自分が定年してからも同じ仕事をしていること、にもかかわらず給料が減っていることを、どこか哀しそうに、あるいはどこか楽しそうに話していた。隣に座っている女の子はただ目を瞑ってじっとしていた。

空港では土産としてハンドクリームとボールペンを購入。まあ、こんなものだろう。クレジットカード会社が提供しているラウンジを初めて利用したが、なかなかよかった。これなら空港で数時間過ごさなくてはならないときでも大丈夫そうだ。これからも積極的に利用していこうと思う。

上海へはすぐに到着した。飛行機に乗って、朝飯を食べ、一眠りしたらもうアジア大陸の上を飛んでいた。2時間半と言ったところだろうか。遠いようで近い国だ。虹橋空港に到着する際にちらりと見えた地上には、同じような建物─おそらく団地だろう─がどこまでも並んでいた。これが社会主義というものか。

旧共産圏に来るのはもちろん初めてだし、よく考えてみればアジア大陸に来るのすら初めての経験である。厳密に言えば釜山に会議で二日ばかりいたことがあるけれど、会議ばかりでほとんど観光もしなかったし、大阪から一時間しかかからない、日本の携帯の電波が入るようなところだったので、それはカウントしないことにする。

安全についてどれくらい警戒してよいかわからなかったから、さしあたって最大限に周りを警戒しつつスーツケースを運んで地下鉄に乗った。セキュリティはかなりしっかりしていて、地下鉄に乗るだけでも荷物のチェックが入る。しかし、小型爆弾を内側のポケットに忍ばせていれば、持ち込むことは不可能ではなさそうだ。もちろん、そういうことをするつもりはないけれども。

地下鉄10号線の駅はほぼ日本とかわらなかった。何方かと言えば東京の南北線に近いようなイメージだ。午後の紅茶の広告がでかでかと貼ってあり、自販機ではスプライトが売っている。なるほど、なるほど。

陝西南路 Shanxi Nan Lu 駅で下車し、エスカレーターを上って駅から出た瞬間に目に入ってきたものは、バイクが歩道を走っている風景であった。なんだかそんなにヨーロッパと変わらないなと思っていたが、確かにこの無秩序さとパワーは間違いなくアジアである。きれいなブランドショップが入ったビルの横で、そのブランドの偽造品を露店で売っているような風景。西洋的なものとアジア的なものが、融合するというよりかは、互いに異物としてただ存在しているような風景。今まで経験したことのない雰囲気である。

前日にブックしたホテル・オークラまでは徒歩10分ほど。多少迂回的なルートを通ってしまったようだが、高いタワーの一番上にホテル・オークラと書いてあるので、迷うことなく到着することができた。チェック・インは当初英語でやるつもりだったが、日本のパスポートを見せた瞬間に向こうが日本語を話してきてくれたので、スムーズに終わった。なるほど。

ちなみにホテル・オークラの中国名は花園飯店 huayuan fandian である。オークラの名は含まれていない。中国語名も日航飯店の日航ホテルと比べると、なかなか興味深い。また、ホテルは「飯店」あるいは「酒店」なのだが、レストランもまた同じ単語で示されるようだ。そこに差異が見いだされないのがまた興味深い。

ホテルの部屋には有線LANしか存在しないので、MacBook Air に接続するための USB アダプタを Apple Store まで買いにいくことにした。SIM を購入するついでに相談すると(ちなみにμSIMが欲しいのだがと言ったら「いいわよ、カッターマシンがあるから」と言ってその場で切り出してくれた。すげえな)、徒歩20分程度だと言う。それなら見学ついでに歩いていくか、と決めて、謝謝、拜拜。

さて上海の街だが、どこに行っても空気が汚い。もちろん東京も基本的には空気が悪いのだが、そういうレベルではない臭さである。東京は臭いところと臭くないところが明確にあるが、上海は基本的に、どの路地を歩いていても臭い。これは凄まじいことである。上海の人口は東京よりも少ないというのに、どうやればこれだけ広大な土地をこれだけ汚染させることができるのだろうか?(この数日前に、北京の大気汚染が危険なレベルに達したため政府が市民に出歩かないよう勧告したらしい、というニュースを聞いた。すげえな。)(ちなみに Air Pollution Index というのを見てみると、上海の汚染度合いは北京よりも上であった。おいおい。)わたしは元来喉があまりよい方ではないので、数時間で喉の異常を感じ始めている。

ラッキーなことに Apple Store ではある程度英語が通じたので、難なく買い物できたのだが、隣の GAP では何も理解してもらえなかった。レジで何か問題が発生して少し待たなければならなかったのだが、店員の小姐には目すらあわせてもらえなかった。普通話をもっと勉強しなくてはならない。

そこから人民広場まで歩いて(汚染された大気の中を。できればもう100年早くここに来たかった)、南京東路で米粉を使った麺を食す。しかし人が多いのと道が広いのととにかく空気が悪く雑多なのと…あまり快適という訳ではなかった。米粉も悪くはなかったが、歯ごたえが個人的には気に食わなかった。小麦麺の方が好みである。タクシーで帰投。

ホテルに帰ってから気づいたこと: Facebook / Twitter に接続できない。VPN にもうまくつながらずにお手上げ状態。何が共産党をここまで追い込んでいるのだろう。べつに SNS につながったから暴動が起こる訳じゃないと思うが…まあ、中東などの例もあるが、結局重要なのはどこまで人民に不満がたまっているかということなのではないか。イラン革命の経済的な下地についてのペーパーを読んだことがある。すべてを下部構造に還元するある種のマルクス主義は支持できるものではないが、しかし、それを完全に無視することは当然できない。

夜は、UVA Italian Wine Bar で LSE 時代の友人と再会する. 彼女はポーランド人で、中国研究をしてからこちらに来たのだが、何方かと言えば上海の無秩序さにうんざりしているようだ。「クリスマスは海南島に行ったのだけれど、」と彼女はぼやく、「タクシーの態度が最低!運転手が5分に一回は唾を外に吐き出してて、すごく不快な気分!空港から明らかに別のホテルに送られて、実際のホステルがどこにあるのか確認するのが本当に手間だった。もう二度と行きたくない。」彼女によれば、上海はどこもかしこもショッピングモールばかりで、文化というものが感じられないらしい。今週の頭に香港に行ってきたが、それはとてもよかった、ということ。少なくとも上海は気に入っていないようだ。なるほど、ワルシャワに育ち、倫敦で学生生活を送った身としては、そういうものなのかも知れない。まあ、アジア的混沌というものが肌に合わない人はいるのだろう。どちらかというと生理的な問題のような気がするので、早いところ欧州に帰るか、東京辺りに逃げ出すことをお勧めする。

つぶやき

いつもできれば正しいことを、そうでなければ楽しいことを、行いたいとはおもってきたが、もはやわたしには、自らの正義も、自らの欲求も確かにはわからぬ。

社会的なものへと参与していくことこそが正義と考えて、ヰタ・アクテワを気取ってみたが、どうにもそれが成功しているようには、もはや思えず、ただ東京の喧騒の中で一抹の寂しさを覚えることと相成った。

はてさて。どのような価値を守り、どのような人間を愛し、どのような未来を作るべきや。