Hatena::ブログ(Diary)

KAZUO Nakajima 間奏

2016-09-22

怒り(李相日)

|

 監督・李相日、原作・吉田修一のコンビだった『悪人』には、真の悪人が不在だったように、本作には真の怒りが不在である。後で述べるが、むしろそのことがテーマとなるのだ。

 世間をにぎわせた殺人事件、沖縄問題、LGBT派遣社員発達障害、……。二重苦より三重苦、三重苦より四重苦のこれでもかという「疎外」の羅列と累積によって、煽情的に物語を駆動させ、それら多様な疎外をいっしょくたに「怒り」として一般化してしまう本作の手法には、基本的に賛同できない。だが一方で、いくつもの点で触発されたことも事実だ。

 派遣会社から指定された現場に赴くも、猛暑のなか汗だくになりながら探し歩いても一向に見つからない。男はたまらず会社に電話を入れるが、「それ先週の現場だよ」と一笑されてしまう。うなだれて住宅街の玄関先に座りこんでいると、見かねたのか、住人の女性が「もしよかったら」と麦茶を差しだしてくれた。だが、男はこの後ふらふらと家に上がり込み、夫婦を惨殺する。

 見ていて、詩人石原吉郎が書きとめた、同じくシベリア収容所の「囚人」だった鹿野武一を思いだした。あるとき鹿野は、他の日本人「受刑者」とともに、公園の清掃作業に駆りだされる。

たまたま通りあわせたハバロフスク市長の令嬢がこれを見てひどく心を打たれ、すぐさま自宅から食物を取り寄せて、一人一人に自分で手渡したというのである。鹿野もその一人であった。そのとき鹿野にとって、このような環境で、人間のすこやかなあたたかさに出会うことくらいおそろしいことはなかったにちがいない。鹿野にとっては、ほとんど致命的な衝撃であったといえる。そのときから鹿野は、ほとんど生きる意志を喪失した。(石原吉郎ペシミストの勇気について」)

 以降、鹿野は絶食してしまうのだが、傍で見ていた石原は「人間のやさしさが、これほど容易に人を死へ追いつめることもできるという事実は、私にとっても衝撃であった」と述べている。

 衣食足りた者たちの「すこやかなあたたかさ」が、時に人を死に追いつめ得ること。『怒り』の「山神一也」を襲ったのも、その種の人のやさしさではなかったか。そして、この国の果てまで逃亡していく過程で、彼の「怒り」は、出会った人間の――あるいは顔を変えた全国指名手配の写真を通しても――何かを刺激し転移していくのだ。

 だが、冒頭で述べたように、山神に「怒り」はあったのか。本当に怒りに満ちた人間は、決して血文字で「怒」とは書き残さないだろう。山神にあったのは、そして人々に転移していった感情は、もっと別のものではなかったか。例えばそれは、山神がチラシや壁に書き殴っていた、次のような文言から浮かび上がるメンタリティだ。

「電車遅延で 駅員をドーカツ 顔真っ赤 ウケる 人身事故なんだから仕方ねーだろ おっさん」

「ファミレスで店員に苦情 ブツブツ ブツブツ かっこ悪 馬鹿夫婦 家で食え家で」

「米兵にやられてる女を見た 知ってる女だった ウケる どっかのおっさんがポリスって叫んで終了 逃げずに最後までやれよ米兵 女気絶 ウケる」

 今日、この種の書きこみをネット上に見つけることは、さして難しくない。そういう意味で、こうしたメンタリティは蔓延していよう。原作の吉田修一は、山神を追う刑事にこう言わせている。

山神という男は何かに怒ったところで、結局その状況は良くならないと思っているんじゃないでししょうか。だから怒っている人たちが愚かに見えるというか、こうはなりたくないというか……、すべてを諦めてしまった人間のような……

 ここに本作のテーマがあろう。本作は、「怒り」そのものではなく、「怒」っても何も変わらないという「諦め」の蔓延がテーマなのだ。登場人物たちに共有されているのは、状況を変えることに対する「諦め」なのである。

「……だって、私が何を言ってもしょうがないですよ。私がいくら言ったところで、母を変えることはできないし、かといって母と離れて一人で暮らすなんてまだ無理だし。だから私、もう諦めてるっていうか、……うん、もう諦めちゃってるから」

「戦っても仕方ねえだろ。俺が必死に愛子のこと守ろうとすればするほど、笑われるんだよ。(中略)諦めた方が、もう波風立たねえんじゃないかって」

「…何も変えられない。……もういいよ。もういいよ」

 登場人物たちは、何かを変えるために戦うことを諦めている人物たちである。だからこそ、他人を、人間を信じることも諦めているのだ。そう読んで初めて、それでもまだ諦めきれなかった人間がおり、その人物がラストで事を起こした後、「信じていたから許せなかった」と言葉を残すのも腑に落ちるだろう。

 沖縄の果ての海も空も、この作品においては、決して人々を解放してはくれない。それどころか、まるでそこは、人間を信じ、何かを変えられるという希望の尽きる果て、広大な海と空とに閉ざされた「収容所」のようである。

中島一夫

2016-08-31

帰ってきたヒトラー(デヴィッド・ヴェンド)

|

 ずいぶん前に見た作品だが、投稿しそびれていたので。

 本作は、ヒトラーの「存在」そのものが、現代ドイツに「帰ってきた」という作品だ。

 ここでいう「存在」とは、むろんハイデガーが言った、真理は指導者(フューラー)を通して、「存在」によって開示されなければならないという意味においてである。ハイデガーは、ヒトラーを、自由主義的な議会の代表とも、一般意志を代表する大統領とも見なしていなかった。

 むろん、当初人々は、本人ではなく、ヒトラーになりきったモノマネ芸人だと思いこんでいる。だが、そっくりさんでも俳優でもAIでもなく、本人そのものだったというのが本作の最大のミソである。興味深いのは、人々は半信半疑でありながらも、カメラが回っていると、彼に本音をぶつけたり本気で議論したりすることだ。

 リストラされたTVディレクターのザヴァツキは、(現在この国でも何かと話題の)「子供の貧困」を取材している最中に、炎の中から蘇るヒトラーがカメラに映りこんでいるのを発見する。そう、貧困層の「向こう側」にヒトラーは現れるのだ(このときヒトラーは、あのときピストル自殺した地下壕から蘇るので、本作を「王殺し」後の代表制の「穴」から、不断に反復=「帰って」くる「存在」と捉えることもできよう)。

 ザヴァツキは、突如現れた、彼から見れば、このヒトラー「もどき」の特ダネものの「キャラ」とともにドイツ中を回り、男が人々と議論する様子をドキュメンタリーに収めていく。その映像をYouTubeにアップすると、たちまち男の人気に火がつき、やがてTV出演→回想録の出版→本の映画化、さらに並行してFacebookで親衛隊の募集と、メディアを駆使していくなかで、毀誉褒貶、賛否両論ありながらも、彼の人気は着実に増していく。確かに、一家に一台ラジオを普及させ、宣伝に映画を駆使したヒトラーが、現在に「帰ってきた」としたら、まさにこうなっていっただろう。

 その過程の描き方が巧みだ。もともと、本作のヒトラーは、TVをつければ料理番組ばかりというドイツの現状を憂い、「政治」の不足に目をつけ、人々との直接対話に乗り出したのだった。すなわち、いかにTVが堕落し通俗化しているか、また無菌化し視聴者に思考停止をもたらしているかを目の当たりにしたヒトラーが、「本来性」をとり戻すべく街頭に乗り出すという設定になっているのだ。

 また、街頭での議論の模様は、現在の政治=議会制民主主義に不満の層を、「層」として可視化する働きをする。しかも、議論相手は「総統」の「存在」そのものなのだから、それは直接民主主義という「本来性」を喚起する行為にもなっているのだ。「あなたの不満は分かった。私に任せてくれ」。

 「本来性」(アドルノ)とは、常に欠如しているものとして、再び見出される=「帰って」くるのを待っている、「自己」の中にある何ものか、である。本作のヒトラーが、ドイツ国家民主党ネオナチの連中を見限って、むしろ「緑の党」を評価しているところが妙にリアルだ。確かに、ヒトラーが現在に蘇ったら、持続可能で再生可能なエネルギーや、それによる環境保護をまずは訴えるかもしれない。現代の「本来性」は、エコ的な純粋性を装って現れるだろうからだ。

 だが、ヒトラーがそうするのは、あくまで安全保障上の観点からで(も)あることが重要だろう。実際、本作のヒトラーは、「核兵器にもなる可能性を手ばなしてしまうではないか」と言って、緑の党の「脱原発」にだけは同意しないのである(ついでに言うと、『シン・ゴジラ』への最大の違和感は、3・11後のゴジラ核兵器で倒そうとするという、原子力軍事利用と平和利用とを「区別」してしまっている、その意味不明さにある)。

 

 そして、その種の「本来性=純粋性」の希求は、必ずや害悪でリスキーなものの排除という、排外主義へと結びついていく。彼の姿を見て親族を殺された過去の記憶が「帰ってきた」、ユダヤ人認知症の老婆だけが、彼が本物のヒトラーであることを見抜くのだが、かつて排除された者として、その差別主義的で排外主義な「存在」を糾弾するものの、時すでに遅しなのだ。

 「私の価値観と君たちの価値観は同じだ。私は君たちの中にいる。だから私は死なない」。

 本来性=純粋性への希求は「死なない」。「脱近代」という名の近代として、必ずやそれは「帰って」くる。ただ、マナー講座にヒトラーが出演するという本作の冒頭が告げるように、現在それは「マナー」に反するとして、人目に触れないよう普段は封印されているだけなのだ。

中島一夫

2016-08-03

FAKE(森達也)

|

 タイトルが「FAKE」、しかも『ドキュメンタリーは嘘をつく』というTV番組を制作している人物の作品に、何が嘘で何が真実かと問うてもあまり意味がないだろう。

 この作品は、いったん見てしまえば、我々の知っている佐村河内守氏の「物語」をすべて覆すだろうが、かといって彼の真実が明らかになるわけではない。本作の後で、なお「作曲とは何か」、「聴こえないとはどういうことか」をめぐっては、さまざまに議論のあるところだろう。15年ぶりの新作というこの監督は、いわば佐村河内守についての新たな「物語」を提示したのである。間違いなく、これによって、旧来の「物語」は更新されるだろう。

 いわゆる、佐村河内騒動は、きわめて物語的なものだった(『週刊読書人2014年4月4日号「論潮」の拙稿参照)。佐村河内氏と新垣隆氏の「共作」(と一応言っておく)においては、まさに佐村河内氏が楽曲と作家性の両面にわたる「物語」を、新垣氏が「技術」面を担当した。本作で佐村河内氏は、新垣氏の第一印象を「優秀な技術屋さん」と述べてもいる。そして、今作は、これまでの認識を覆すように、シンセサイザーという技術があることで、果たして本当に代替可能なのはどちらなのかと問うているわけだ。

 むろん、それ以前に、作曲は「物語」などではないという見方もあり得よう。だが、19世紀の「神の死」以降の音楽は、感動という物語によって(神の代わりに)人々を救済するとなったのであり、そもそも「作曲家」という概念自体、ロマン派的な産物ではなかったか。

 だから、本作は、それがFAKEであるか否かではなく、そうであろうとなかろうと、それを「信じる」か否かを問おうする作品だといえる。その意味において、本作は、やはりそれがFAKEであろうとなかろうと、グルを「信じる」か否かを問おうとした、前作『A』や『A2』の遠い残響が聴き取れるだろう。この監督にとって、佐村河内騒動とは、オウム事件の強度の低い反復に見えたのかもしれない。

 例えば、年末バラエティ番組のオファーに、フジテレビのスタッフ四人がやってくるシーンはどうか。佐村河内氏は、「騒動時のように、また自分がいじられて笑い者にされるのでは」と、どうしてもスタッフを信じ切ることができずに、結局出演を断ることになる。そして実際に放映された番組は、彼の代わりに何と新垣氏が出演し、しかもいじられまくるのである。何とも言えない表情でそれを眺める氏を、監督は「テレビの連中は信念というものがないから。出演者を使って、その場が面白くなればいいんです」となだめるのだ。

 だが、このとき監督は、テレビと違って映画は信じられると言っているのではないだろう。そうではなく、映画とは「信じあう」関係を作り上げること自体だ、と。監督は、佐村河内氏に、「もう自分に隠していることはない?」などと、まるで夫婦か恋人のように尋ねる。また、氏に、本作の「伝説」のラスト12分に関わる、とある決断を促すために、「映画の完成まで禁煙する」と宣言するのだ(その後の目を丸くする猫のシーンを挿入したのは、監督の照れ隠しか)。

 だが、「信じる」ということについて言えば、佐村河内氏の妻「かおり」さんをおいてほかにいない。新垣氏の存在もまったく知らされていなかったと言う夫人は、常に氏の傍らに居続ける。そして、どんなに氏に不都合だと思われる質問が飛んでも、顔色ひとつ変えずに淡々と手話通訳を続けるのだ。そういった彼女の姿を見ているうちに、最初は「彼女も共犯なのでは」という疑いの目で訝しく見ていた観客も、徐々にその何とも言えない不可思議な存在にひかれていくのである。

 「自分を信じているか」という監督の問いに、彼女はこれまた淡々と「ええ、同じ船に乗っているから」と応じる。彼女は、佐村河内氏を教祖のように崇め信じているわけではないだろう。ただ単に彼が好きで「同じ船に乗っている」のだ。もし「共犯か?」と聞かれれば、当たり前のように頷くのではないかとすら思う。

 監督は「今分かったけど、僕は二人のことが撮りたかったのだと思う」と言う。その言葉とともに、「FAKE」というタイトルは完全に宙に浮くことになる。「ともにいる」ことは、FAKEか否かとは別の位相にあるからだ。もちろん、ここには「ともにいる」ことの真実が映っているなどと言うべきでもない。通じ合っているのかどうかは分からないが、ただ単に「ともにいる」こと。猫のごとく。

中島一夫

2016-07-01

論集 蓮實重彦(工藤庸子 編)

|

論集 蓮實重彦

論集 蓮實重彦

上記に、「批評家とは誰か――蓮實重彦中村光夫」を寄稿しています。

執筆者は以下のとおりです。

http://www.hatorishoten.co.jp/119_140.html

子午線』vol.4所収の「復讐の文学――プロレタリア文学者、中村光夫」と合わせて読んでいただけると幸いです。

2016-06-12

柄谷行人の「中野重治と転向」について その3

|

 そのように二元論対立が失効していたにもかかわらず、むしろ中野の方が「救いがたいほど」対立を生きていたのだ。1948年から58年まで、日本共産党専従だった増山太助の以下の証言は、その背景を伝えていよう。

中野と窪川(鶴次郎)はともに旧制四高出身で、中野の方が一歳年上だが、『驢馬』同人以来の親友であった。そして、二人とも「転向」していたから宮本夫妻からはきびしい態度で扱われ、中野は「近代文学批判の先頭に立たされ、人のいい窪川は頭脳明晰な百合子の“小姑”的な引き回しにあってくたくたになっている感じであった。(『戦後期 左翼人士群像』)

 

 ここで言われる「「近代文学批判」は、平野らの雑誌「近代文学」に限らず、広義の近代文学批判という意味だろう。すなわち、「政治と文学」の二元論が失効し、両者の対立がなし崩しになっていこうとするなかで、宮本顕治ら「政治」陣営は、なし崩しに曖昧になっていく対立点を、近代文学批判し続けることによって明確にしようとした。

 その「先頭に立たされ」たのが、中野にほかならなかったというのである。中野が、宮本らに対する転向者の負債感情から、平野と「政治と文学」論争に進み出たことは想像に難くない。転向者でありながら、なお(だからこそ?)政治=宮本顕治につき続けようとするこの姿勢が、また平野の驚きを生むのだ(むろん、後に平野は、この中野の姿勢にも、高名な「日本の革命運動の伝統の革命的批判」を見出し、「転向を再生のバネとする」のを見ようとするだろう(「転向文学中野重治1959年))。

 中野も平野も転向者だった。すると、その転向に対する疚しさの大小が、両者を「政治」と「文学」とに振り分けたことになる。二元論対立からズレた「ちょっとの違い」の本質は、この疚しさにこそあったのであり、具体的には宮本=政治=党からの距離の「違い」を意味していたのである。

 繰り返せば、柄谷の「中野重治と転向」は、冷戦崩壊=マルクス主義の終焉の「前夜」において、「主義」とは異なる「マルクス的なもの」へと「転向=転回」したとして、中野重治を再評価した。「その1」で述べたように、それは当時アクチュアルな意味を帯びていた。

 だが、今となっては、中野の転向に、二元論対立に解消されない「個」を見出し得たこと自体の歴史性を問うべきだろう。それは、「政治と文学」や「知識人と大衆」という二元論対立が、すでに失効していたからこそ見出された「個=単独性」であった。私自身、この「個=単独性」に当時「解放」されたことを否定しない。だが、やはりそれは、幻想(ファンタスム)だったことが、今やはっきりしてきたのではないだろうか。

 「ちょっとの違い、それが困る」という「個」は、今や各自が個々のスキルの「ちょっとの違い」を、自己責任的に見つけ出すよう「せき立て」(ハイデガー)られており、完全に人的資本主義に捕捉されてしまっているように見えるからである。

戦後に、中野重治平野謙らの「近代文学派」に対して不当と見えるほどに反発したのは、「近代文学派」の構えがこの時期に形成されたものであり、彼にとって、それはいわば政治という五七五に内面という七七をつけ加えたもののように見えたからだ。政治的な挫折から「内面」に行くというのが、明治における近代文学の形成である。その政治的起源が忘れられたとき、「内面」が牙城となり、聖域となる。それがほとんど「文学」と同義語になる。近代文学はいわばすでに転向文学なのだ。しかも、それが忘れられて自明のものと化していたのである。

 この柄谷の認識にまったく異存はない。だが、この後「中野が「わかれ」ようとしたのは、そのような「文学」である」と続く一行は、冷戦崩壊によって無効化したと言わなければならない。「政治と文学」の二元論が崩壊し、「すべてが政治的になった」ということは、裏を返せば「すべては文学的になった」というのと結局は同じことだったのではないか。もはや、「文学」への「わかれ」は不可能になったように見える。その政治=文学包摂された「現在」を、『錯乱の日本文学 建築/小説をめざして』の石川義正なら、「総力戦」と呼ぶだろう。

 「近代文学転向文学だ」という柄谷の言葉はまったく正しい。この認識もなく文学をやっている連中は、はっきり言って問題外だ。だが、さらに言えば、冷戦崩壊は、中野の「わかれ」を不可能にし、したがって中野をも「近代文学転向文学」に包摂したのである。もはや、そこにおいては、中野と平野の「ちょっとと違い」など無意味化されてしまっているのだ。

 ならば、今やむしろ、平野の「政治と文学」(あるいは「知識人と大衆」)に立ち戻って考えるべきではなかろうか。今は余裕がないので論証抜きに投げ出しておくが、平野は、「政治と文学」が二元論対立を成す以前から、それが形成されていく過程を、良くも悪しくも、最も「生きた」批評家だからである。その認識から提示された文学史観(「平野史観」と呼んでおく)は、「政治と文学」の「文学」が、当初は「政治=マルクス主義」に対する別なる「政治」(オルタナティブ!)だったことを明確に示していよう(平野の「人民戦線」もそこから出てくる)。

 その別なる「政治」など「転向」にすぎないと、事後的に言うのはたやすい。だが、その姿勢は、結局「なし崩し」の転向に加担することにしかならないだろう。今必要なのは、安易に平野を忘却の彼方に押し流さず、平野史観を「善用」して、「なし崩し」になっていく過程を解きほぐしていく作業ではないだろうか。文学が、そのような、なし崩しの転向の累積(建築?)だということが、もはや見えなくなっているからである。

中島一夫