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KAZUO Nakajima 間奏

2018-11-10

止められるか、俺たちを(白石和彌)

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 若松孝二の弟子である本作の監督白石和彌は、本作のラストを「引き」で撮った。それは、若松プロの時代から「遠く離れた」現在を示すとともに、師・若松孝二自体の捉えがたさ、もっと言えば師の映画をこのように描いた白石自身の「自信のなさ」が映し出されていたように思う。いったい若松とは、また若松プロとは、革命の映画だったのか、あるいは映画の革命だったのか。それとも何か別の「場所」へと、彼らは行き着いてしまったのだろうか。その問いに対する答えの見えなさ、疑問符自体をラストシーンは映し出してはいなかっただろうか。曽我部恵一の主題歌「なんだっけ?」とばかりに。

 若松孝二若松プロは、1960年代後半、それまでの五社体制によるスタジオシステムや、ブロックブッキング方式によって大手制作会社に映画市場を完全に支配されていたなか、その「岩盤」に風穴を開けようとした。一連のピンク映画で。

 若松の『壁の中の秘事』は、65年のベルリン映画祭で「国辱」呼ばわりされたが、若松らは、まさに「止められるか、俺たちを」とばかりにその後も全くひるまず、『胎児密漁する時』、『犯された白衣』、『処女ゲバゲバ』といった問題作を次々と撮り続けた。そこにある、圧倒的なテンションとパッションに満ちた性と暴力は、当時の若者たちのやり場のない情念と欲望、名状しがたい飢えと渇きのアナーキーエネルギーを捉えていった(現在の視点からは、それらの「性の解放」が本当に「解放」だったのかという疑問はあるが)。本作の主人公「吉積めぐみ」(門脇麦)も、『胎児』に魅了され、若松プロに吸引されたそんな一人だった。

 本作は、一貫して「めぐみ」の視点から、才能たちが離合集散するエネルギー体としての若松プロを、その内側から活写した作品である。だが、むしろ作品には映らない外側に、強固な岩盤として立ちはだかっていた映画資本=大手企業や、安保闘争全共闘運動を抑圧する国家権力の圧迫が常にあったのを感じながら見られるべき作品だろう。そうでないと、なぜ彼らが街に向かって放尿し、裸で海を疾走せねばならなかったのかが、ついにつかめないままだろう。彼らは、いわば画面の外に向かって放尿し、失踪しようとしていたのだ。

 今作を見て改めて思ったのは、若松プロは決して若松孝二「中心」の集団ではなかったことだ。やはりそこには、足立正夫がいて、沖島勲がいて、大和屋竺がいて、そこに福間健二荒井晴彦がやって来て…という多中心的な「運動体」だった。

 それは最初から左翼的な集団だったわけではなかった。本作は、そのあたりをよく捉えていたように思う。福間健二沖島勲の追悼座談会(『映画芸術』453号)で足立正夫について発言していたが、「松本俊夫的な前衛が嫌だし、大島渚左翼も嫌だし」で、「あっちゃん足立正夫)も最初は左翼をからかう人として存在感を持っていた」、「でも、それをやっているうちに、左翼を超える左翼にならなければいけないとなって、彼は左傾化したんだと思う」と。そして一方、若松はというと、同じ座談会荒井晴彦が言うには「左翼を商売にする人」だった、と。

 それこそが、作品の言葉で言えば、「いかに余白に場所=陣地をとっていくか」という時代の流れだったのだろう。生き残って映画を撮り続けていくための「陣地戦」(グラムシ)である。若松プロの「止められるか、俺たちを」というラジカリズムには、時代が「左」だったゆえに、よりラジカルに「左」の「余白」へと進み出るしか道がなかった。

 それが最も明確になったのが、作品終盤の中心をなす、足立若松パレスチナ解放戦線へと進み出ていった『赤軍PFLP・世界戦争宣言』(1971)の頃だったのだろう。作品前半では、「インターナショナル」が嫌いで頑なに歌うのを拒んでいた若松も、この頃には自然と歌うようになっていた。それはもはやマジに左翼になっていたということなのか、それともあくまで「商売」用のポーズだったのか。

 いずれにせよ、その方向性は、すでに初期ピンク映画に胚胎していたと思う。若松のピンクは、反権力であると同時に、強烈な母胎回帰願望の表れだった。若松の場合、その母胎回帰=本来性への回帰願望が、まだ先進国資本主義の洗礼を浴びていない、第三世界の「母胎=自然」への回帰を果たそうとしてパレスチナへと赴かせたのである。もちろん、それは作中、大島渚との会話にあったように、世界の映画市場を牛耳るユダヤ資本に対抗して、やがて独立プロを後押ししたATGに連結し闘っていく道を選択していった若松プロ自体の在り方(ラストシーン)と、世界資本主義においては構造的に共同戦線を張ろうとした闘いでもあった。『赤軍』のタイトルにあるように、日本の若松プロパレスチナがつながり連帯するという「世界戦争」として、それはあったのだ。

 このように見てくれば、『胎児』に魅せられためぐみが、自らの「母胎」に「胎児」を宿らせた時、めぐみ自身の「回帰」の旅=革命は、終わりを告げるほかなかったのだろう。そういえば、めぐみは、自殺する直前、自らの母に電話をかけ「大好き」と遺言のように告げていた。そして、めぐみが倒れたアパートに駆け付けた若松ら男たちは、警察の阻止によってその部屋の中に入ること=「母胎」への「回帰」を、断固として阻まれてしまうのだ。

 それは、若松プロの「紅一点」であり、したがってペニス=筆=武器を持たず、ついに男たちのように「若松プロの放尿」に加わりたくても加わることのできなかっためぐみだけが、しかし「母胎」に「回帰」できたということだろう(羊水=プールにめぐみが漂うシーン)。めぐみは、パレスチナへと赴かず、また『赤軍PFLP・世界戦争宣言』の真っ赤な上映運動バスにも乗らずして、「第三世界=母胎」へと接続し自身の革命を闘いきった。だからラストでは、革命戦士ゲバラの横にめぐみの写真が貼られることになる。

 したがって、本作で、白石があえてめぐみの視点で若松プロの一時期を描いたのは、若松プロの「革命」の在り方からくる必然的な選択だったといえる。それは、師の「可能性の中心」を射抜いた弟子ならではの選択だった。そのうえで、だが冒頭の疑問に戻らずにいられない。果たして、若松プロは革命的だったのか。

中島一夫