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無常の楽園・ The Paradise of Mujo

2016-09-20 No.18・ 6月生まれの四つ葉のクローバー @ ON AIR!

kneedrop2016-09-20

PC版で見てね!🤓

Beat goes on...!

The Paradaise of Mujo


DJ/ KNEEDROPつづいてます


こんにちは! DJ/ KNEEDROPです。


新しい詩、作品が出来ました。

友人の誕生日書き下ろした詩で

友人も喜んでくれました。


そして私たちの仲間みんなで

友人の誕生日をお祝いしました!

ではどうぞ!ご覧下さい。


『6月生まれ四つ葉のクローバー』  

      作詩:DJ/KNEEDROP

あなたは6月生まれ白鳥

真っ白な肌 透き通るこころ

人のこころを思いやり

天使のような美しい女性(ひと)

こんなにも内面美しい人

出逢ったことがない

いつも会うと思う

彼女内面の美しさが

滲み出ているから

彼女はいつも綺麗なんだ


あなたは6月生まれの白百合

可憐可愛い 生まれたばかりの

清純な顔立ちから

穢れを知らない赤ちゃんのよう

こんなにも笑顔が素敵な人に

出逢ったことがない

いつも笑顔を見ると思う

彼女は健気で謙虚

暮らしているから

彼女はいつも素敵なんだ


あなたは6月生まれの純白の花嫁

ため息がでるほど美しい

清楚で優しさに希(のぞ)まれ

しあわせの四つ葉のクローバーのよう

こんなにもそっと気づく人に

出逢ったことがない

いつも話しを聴いて思う         

彼女自然敬愛

まわりに感謝しているから        

彼女はいつも幸せなんだ

       

2016年5月25日作品






"6月生まれ四つ葉のクローバー🍀"は

いかがでしたか?!


人を思う気持ち

最近、年齢を重ねて思うのは世の中に恩返しを

しないといけないなぁと思う気持ち。と

やっぱり、大きな人間愛も含めて、

いつも、ラヴソングそばにいたいということ。



先日、TVで吉田拓郎さんが70歳になり、70歳になっても、いつもラヴソングそばにいたいし、ラヴソングのない世界は考えられないし、ラヴソングを書いていたいと思う。と発言しているのを見て、考えが同じで、奇跡✨びっくりでした。



13歳から身を焦がすような想いで拓郎さん

ラヴソングを聴いた時から、今も、その気持ち

かわりないし気持ちってかけが得のないものだし

突き動かされるというか。




14歳から始めたSong writing、

40年以上たった今でも、私は吉田拓郎さん

思いを受け継いでいるんだなと思い嬉しくなりました。



よい作品が出来れば、贈る人も、贈られる人も感動に包まれる。歌を書いて唄う人も、描かれた人もおたがいに出逢えて良かったと思えれば、それはなんと素敵なことでしょう。



この詩、とにかく、初期衝動出会って

初めに思った気持ちを素直に忠実に大切にしながら瞬間パックしようと思ったんです。



出会った時からの、私が感じた気持ちを素直に作品

反映出来れば、これからおたがいの人生の中で

このラヴソング応援というかたちで、

おたがいの人生を励まし合い支えてくれるのでは

いかと思ったからです。



ゆっくり、よい曲を付けて、発表したいです。!

                        











Was it wonderful day for you!? 

Thankyou for listening to

The Paradise of Mujo

                         From DJ / KNEEDROP








































・・・The Paradise of Mujo・・・

2016-09-19 No.17・平栗 精一郎 @ そう!詩は UTAは 未来からやってくる

kneedrop2016-09-19

Beat goes on...! 

The Paradise of Mujo

DJ/KNEEDROPつづいてます


それでは今日はわたくし、平栗精一郎から

『 ようこそ!五十嵐精一詩集へ 』に

新しくエッセィ書きましたので

今日はそちらをONAIR!します


『 そう! 詩は UTAは未来からやってくる』平栗精一郎

      



たくさんある言葉の中から

どのような言葉を選び、紡ぎ、

どのようなテーマ性を持ってSong writingし

詩を書いてきたのか?!



そのテーマとは "四季" "孤独" "ロマンス" "プロテスト"

"Rainy" "退廃" "閉塞感" "希望" "祈り" "花鳥風月"

そして、常に考えていたことは "普遍性をもった

新しいオリジナリティーの創出"だった。



1976年、14歳から詩を書き初めた当初

泉谷しげるさんが"普遍性"を大切にし

Song writingをしていることを知り。



わたくしは"普遍性"を大切にしながらひとつ

ひとつ作品を丁寧に作り上げてきました。



そして、その普遍性を大切にしながら

書き上げた作品集が 第1詩集『闇の記憶』であり

このWeb program"五十嵐精一 詩集"です。



伝えたいことがある。届けたい想いがある。

から詩を書き下ろしMelody♪を付け

あなた世界に向け、希望のUTAを唄う ❗



いつからwordが天から、降ってくる。のを

感じるようになり、それから

たくさんフレーズが降りてくるようになった。



未来から言葉が降りてきて、やがて予兆のように

これから歩いてゆこうとする道に光✨を照らし

書き留められた言葉道標べしてくれる。



書いた詩の中のフレーズ予言のように

メッセージ性を持って浮かび上がってくる。



そう! 詩は UTAは未来からやってくる。



P.S. 

五十嵐精一詩集の101作品

あなた世界にとって

どの詩の何行目のフレーズメッセージ性をもって

浮かび上がってくるのか?!


36年間の集大成、さあ、どうぞ!ご鑑賞ください。


URLはこちらです。  

http://d.hatena.ne.jp/kneedrop2/20090905

          

     2016年9月20日 平栗精一郎✨🙏禅。






イラストレーション "KNEEDROP" イズミヤシゲル


























・・・The Paradise of Mujo・・・

2016-09-17 NO.16・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)3

kneedrop2016-09-17

∞ 詩的・音楽的同志よりの激励

五十嵐精一詩集 推薦文)3 ∞ 若草北斎


そして3つ目。


実はこれが一番大事である。?  

自分作品世界を救えると本気で想っている人」であるということ。

 

もちろん、私達は単に安易妄想を抱いているわけではなく、ビートルズジョン・レノン時代を席巻していたロック草創期ならいざ知らず、色々な音楽表現法歩が溢れている今の時代において、「そんなことが出来るわけがない」ということは分かっている。


それでも、いつしかそういう日が来ること、もしくは、たとえたった1人でもいいから、「誰かを救済できるのだ」ということを信じ、詩を書き続けるしかないのである。あたかも、ドン・キホーテが巨大な水車に挑むかの如く…。恐らく宮沢賢治ゴッホ、あるいは若くして

死んだ名もない詩人達がそうであったように…。

 

氏の作品にも私の作品にも共通していえることであるが、必ずしも「愛」の詩や「人間賛歌」的作品ばかりを描いているわけではない。私の場合特にそうだが、時にはネガティブ犯罪的・暴力的であったり、世捨て人的な観点で描かれたりしたものも数多く存在している。

だが、そんな作品であってさえ、その根底には必ず

「救い」的要素が入っている。


もちろん、虐げられた人たちの立場に本当に立つことはできないし、まして「それを上から目線で描く」などということはおこがましい行為である、ということは分かっている。それでも、そういったシチュエーション

想定し、作品にしてみることで、何か、「生きる」という意味やそのヒントを作品の中から見出せるのではないか、と妄想しているのである

 

私達も多くの生きているうちに日の目を見ることのなかった先人達同様、この先、もしかしたら、生きている間に評価され、名を残すことはないのかもしれない。それでもいつかそんな日が来ることを信じて、あるいは誰か1人でもいい、例えば今から死のうとしている人が自分作品に出会うことによって、「もう1度生きてみよう」と思えるような作品が残せることを信じて、…

私達は笑って死ねるのである

 

そんな「ナルシスト」で「エゴイスト」で「自分作品世界を救えると思っている人」の書いた、集大成ともいえる作品群を心行くまでご堪能いただければ幸いである

そう、私達が詩を書くのは「それが必然であるから」に他ならない。

からきっと、氏の作品もまた、必然的に「曲として完成形になる日を待ち望んでいる」と思うのは私だけではあるまい。


今後、氏の作品に1・2曲、曲を付けさせていただくという機会もあるかも知れない。しかし、それは氏の作品の「若草北斎解釈」に過ぎず、もしかしたら「本当は別の形になるのが必然なのかも知れない」と思うと、やや躊躇してしま自分がいるのも確かである

 

もはや「人生50年」という時代はとうに過ぎ去った、とはいえ、私達はすでに人生の折り返し地点を過ぎている。今後もお互い創作活動を続けていくであろうことは言うまでもないが、引き続き、新しい詩を書き続けることや作品推敲だけに専念するのか、

それとも過去作品メロディーを与え、

曲として完成させる方を優先させるのか、…

すべてはこれからの氏が決めることである

 

氏の作品を紐解かれる時、微かではあるが、

その奥底に確かに流れるリズムメロディー

耳を傾けてみる、というのも一興かもしれない。(了)



(この推薦文は2016年5月に若草北斎さんへ

この番組Web Program『自選五十嵐精一詩集

ONAIR!(刊行)にあたり執筆いただいたものです。)

















































・・・The Paradise of Mujo・・・

2016-09-16 NO.15・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)2

kneedrop2016-09-16

Beat goes on...! The Paradise of Mujo

つづいてます


∞ 詩的・音楽的同志よりの激励

五十嵐精一詩集推薦文)2 ∞ 若草北斎


2つ目は ?  エゴイストであるということ

 

これも?に似ているが、多分に私達は利己主義者である。私達は人に認められ、賞賛されるために詩を書いている。そして私達は常に見返りを求める。

ただ、私達はプロではないので、たとえ作品を発表したとしても金銭的な見返りというのは発生しない。

しかし、それでも私達は見返りを求めている。

「見返り」とは必ずしも金銭的なものとは限らない。

それは「賞賛」であり、「評価である

 


から詩人である私達が最も恐れるもの…、それは「無視」であり、「無関心」である作品を発表しても誰からも見てさえもらえず、さらに見てもらえたとしても反応がないと、私達は心配になるのである。そしてそれが続くと、作品を作り出す意欲さえも萎えてきてしまう。…本当は誰に認められようがいまいが関係なく、「孤高の人でありたい」、と願っているのに…。 



次に恐れるもの、それは言わずもがな、「誹謗中傷である。私達は無名であるが故に、まだ激しい誹謗中傷というものに晒された経験はないが、それはすでに多くのアーティスト達を傷つけてきた。



誹謗中傷する人間は、それが快楽であり、ストレス発散になっているからやっているに過ぎない。

あたかも自分社会的道徳的にも上の立場人間であるという驕り、あるいは自分にできないことをやっている、というひがみから他人攻撃することで自己満足している救いようのない連中なのである

(私も時として人のことはいえないが…)。

 

そして、最もアーティストをやる気にさせ、成長に導く評価というもの、それこそが「賞賛であるか、といえば、必ずしもそうとも限らない。賞賛を受けた人間は少なからず、「自分がやってきたことが正しかった」と感じる。そこでまたリセットできればいいが、多くの場合、そこで認められたことをいいことに、次の作品もまた「同じような路線で、少し表現を変えれば、また受け容れられるのではないか」、という錯覚に陥る。



その結果、そこで成長は止まり、自分作品二番煎じ・三番煎じとなるような作品を作り続け、マンネリに陥り、飽きられるのである

 

私達が作品を作るうえで、人から評価に少なからず影響を受ける、ということ自体否定できないと思うが、私達は常にピュアであり、開拓者であり続けなければならないと思う。



では自分を最も成長させる評価とは何か、といえば、それは「批判」であり、「否定的評価であるように思う。

誹謗中傷」と「批評」は似ているがまったく違う。

誹謗中傷は単にアーティスト攻撃排除しようとするものであるが、批判はその作品を読み、あるいは聴き、違和感を覚えたり、まだ作品としての完成度が不十分だと感じたりしたものを率直に表現するものである

 

誰でも自分作品批判されれば面白くはない。

ましてプライドの高いアーティストであれば、なおのこと、受け容れがたいであろう。だが、その評価に少しでも真実が含まれていれば、そのアーティストはいずれ自分もそのことに気付き、奮起し、さらに良い作品を作ろうと努力するはずである。だから必ずしも評価した本人がそのアーティストの為を思って言っているとは限らないとしても、「時に批判も立派な先生となる」と

私は思うのである



氏の作品はもちろんどれも素晴らしく、私ごとき

とやかく述べる立場にはないが、この詩集を読まれた

皆さんは、それがたとえ「賞賛」であれ、「批判」で

あれ、率直に感じたことをお伝えいただければいい。

それが、何より氏が望まれていることであるように

思う。 (つづく)











































・・・The Paradise of Mujo・・・

2016-09-15 No.14・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)1

kneedrop2016-09-15

Beat goes on...!

The Paradise of Mujo

こんにちは! DJ/ KNEEDROPです。


みなさんごきげんいかかですか。

ほんとうにご無沙汰しています

元気でやっていますか!(^-^)g"

9月の1回目の放送です。

無常楽園」この番組はFREE LIFE提供でお送りします


わたくしの詩集Web Program ”五十嵐精一詩集”の推薦文を友人が書いてくれましたので今日は3日間に3回にかけてこの番組無常楽園”にも

ONAIR!しますのでどうぞお付き合いください!


Web Program ”自選五十嵐精一詩集”のURLはこちらです!

URLhttp://d.hatena.ne.jp/kneedrop2/20090905

たくさんのアクセスと詩に対してのコメントもお待ちしています



”自選五十嵐精一詩集”の推薦文のONAIR!です。


∞ 詩的・音楽的同志よりの激励

      (五十嵐精一詩集推薦文)∞ 若草北斎




『Web Program 五十嵐精一詩集』 ONAIR!

刊行)おめでとうございます

一友人として心より祝福申し上げます。」



申し遅れたが、私は「若草北斎」と名乗る氏と志を

同じくする者である。 以後、お見知りおきを…。

 

氏と私ともうかれこれ長い付き合いとなる。

人生においても「詩人」ということにおいても

私にとって尊敬すべき大先輩である

しかしそれ以上に親友であり、冒頭述べたように

同志であると思っている。



氏の作品がどれも素晴らしい、というのは

さら私ごときが述べるまでもないことであり、また、個人的特に好きな作品を取り上げ、自分なりに

評論するのは比較的容易なことではあるが、

この場において、私から1つ1つ作品解説をするのは得策ではないように思う。



何故ならば、人によって受ける作品の印象はまったく違うからである

下手な解説を付け、先入観を持って読まれるくらいなら、最初から作品解説などない方がいい、というのが

私の考え方である

 

少々前置きが長くなってしまったが、そういったわけで、今回は詩人五十嵐精一の内面的部分を私なりに

掘り下げ、それをもって推薦文とさせていただくこととした。

 

さて、「詩人」として見た場合、私と氏とは3つの点において非常に良く似ていると思う。もちろん性格はまったく違うし、取り上げる詩の題材や表現方法も異なるわけだが、その発露となっている精神構造が似ていると思うのである

そしてそれは、詩人特に男性詩人にとっては、共通の「条件」であり、見ようによっては非常に「鼻持ちならない人種である、と言えるのではないだろうか。




1つ目は  ?  ナルシストであるということ



まり、「自分大好き人間である

そして「自分作品が最も優れている」と常に思ってしまうのであるさらに、自分個性溢れる非凡な才能の持ち主であり、「自分作品自分しか書けない」とも思っている。

 

から「誰かの作品と似ている」と評価されることを非常に嫌う。もちろん、過去の優れたアーティストに出会わなければ今の自分はないわけだから、その影響を受けているということ自体否定しはしない。

だが、自分としてはそれら諸先輩方の作品を「消化」あるいは「昇華」し、それらの要素をうまく組み合わせ、あたかも「自分独自世界観を作り上げた」と思っていたいのである。そしてそれはある意味真実である。そうやって私達は1つ1つの作品を作って来たのだから…。

 

さらに、それらの作品非凡性や独自性を持たせ、「他のアーティストとは違う」と主張するため、我々は色々な表現を使う。時に比喩を用い、また難解な表現に変えてみたり、人称を変えてみたり、わざと主語を省略したり、と…。本当に伝えたい内容はごく単純なものであるにもかかわらず、である



でもそれでいいのではないだろうか。

だって他のアーティストも皆そうしているのだから…。

あるのは認知されているかプロとして売れているか・いないか、の違いだけである

 

ところで、日本にはそれとは異なり、すべての無駄を排した表現世界確立されている。それは、短歌和歌、そして究極的には俳句世界である。そこには自分主義主張というもの存在しない。そこにある情景を感じたとおりに表現するだけである

 

 五・七・五という限られた字数的制約の中に余計な感情を入れる余地はない。しかし、時に森羅万象あるいは宇宙の理を表現し、併せて些細な感情機微まで入れてしまう、というのだからこれらは世界にも誇れる芸術だと思う。千年も昔の人が詠った歌の「スマートでありながらなんと深い表現であるか」、ということに今さらながら驚かされてしまう。

 

 しかしながら、私達には決して優れた和歌俳句を生み出すことはできないし、その必要もない、と思っている。私達の詩はあくまでも歌として「歌う」ことを前提に書いている。歌いたいことを限られた字数に集約するには無理があるし、第一、五・七・五では短すぎる。

から私達はあくまでも「俳人」ではなく「詩人」なのである。 (つづく)
















































・・・The Paradise of Mujo・・・