No.18・ 6月生まれの四つ葉のクローバー @ ON AIR!

kneedrop2016-09-20

PC版で見てね!🤓
Beat goes on...!
The Paradaise of Mujo


DJ/ KNEEDROPつづいてます。


こんにちは! DJ/ KNEEDROPです。


新しい詩、作品が出来ました。
友人の誕生日に書き下ろした詩で
友人も喜んでくれました。


そして私たちの仲間みんなで
友人の誕生日をお祝いしました!

ではどうぞ!ご覧下さい。


『6月生まれの四つ葉のクローバー』  
      作詩:DJ/KNEEDROP

あなたは6月生まれの白鳥
真っ白な肌 透き通るこころ
人のこころを思いやり
天使のような美しい女性(ひと)
こんなにも内面が美しい人に
出逢ったことがない
いつも会うと思う
彼女は内面の美しさが
滲み出ているから
彼女はいつも綺麗なんだ


あなたは6月生まれの白百合
可憐で可愛い 生まれたばかりの
清純な顔立ちから
穢れを知らない赤ちゃんのよう
こんなにも笑顔が素敵な人に
出逢ったことがない
いつも笑顔を見ると思う
彼女は健気で謙虚に
暮らしているから
彼女はいつも素敵なんだ


あなたは6月生まれの純白の花嫁
ため息がでるほど美しい
清楚で優しさに希(のぞ)まれた
しあわせの四つ葉のクローバーのよう
こんなにもそっと気づく人に
出逢ったことがない
いつも話しを聴いて思う         
彼女は自然を敬愛し
まわりに感謝しているから        
彼女はいつも幸せなんだ
       
2016年5月25日作品






"6月生まれの四つ葉のクローバー🍀"は
いかがでしたか?!


人を思う気持ち。
最近、年齢を重ねて思うのは世の中に恩返しを
しないといけないなぁと思う気持ち。と
やっぱり、大きな人間愛も含めて、
いつも、ラヴソングのそばにいたいということ。



先日、TVで吉田拓郎さんが70歳になり、70歳になっても、いつもラヴソングのそばにいたいし、ラヴソングのない世界は考えられないし、ラヴソングを書いていたいと思う。と発言しているのを見て、考えが同じで、奇跡✨びっくりでした。



13歳から身を焦がすような想いで拓郎さんの
ラヴソングを聴いた時から、今も、その気持ちに
かわりないし気持ちってかけが得のないものだし
突き動かされるというか。




14歳から始めたSong writing、
40年以上たった今でも、私は吉田拓郎さんの
思いを受け継いでいるんだなと思い嬉しくなりました。



よい作品が出来れば、贈る人も、贈られる人も感動に包まれる。歌を書いて唄う人も、描かれた人もおたがいに出逢えて良かったと思えれば、それはなんと素敵なことでしょう。



この詩、とにかく、初期衝動、出会って
初めに思った気持ちを素直に忠実に大切にしながら瞬間パックしようと思ったんです。



出会った時からの、私が感じた気持ちを素直に作品に
反映出来れば、これからおたがいの人生の中で
このラヴソングが応援というかたちで、
おたがいの人生を励まし合い支えてくれるのでは
ないかと思ったからです。



ゆっくり、よい曲を付けて、発表したいです。!

                        











Was it wonderful day for you!? 
Thankyou for listening to
The Paradise of Mujo
                         From DJ / KNEEDROP








































・・・The Paradise of Mujo・・・

No.17・平栗 精一郎 @ そう!詩は UTAは 未来からやってくる

kneedrop2016-09-19

Beat goes on...! 
The Paradise of Mujo
DJ/KNEEDROPつづいてます。


それでは今日はわたくし、平栗精一郎から
『 ようこそ!五十嵐精一詩集へ 』に
新しくエッセィ書きましたので
今日はそちらをONAIR!します。


『 そう! 詩は UTAは未来からやってくる』平栗精一郎
      



たくさんある言葉の中から、
どのような言葉を選び、紡ぎ、
どのようなテーマ性を持ってSong writingし
詩を書いてきたのか?!



そのテーマとは "四季" "孤独" "ロマンス" "プロテスト"
"Rainy" "退廃" "閉塞感" "希望" "祈り" "花鳥風月"
そして、常に考えていたことは "普遍性をもった
新しいオリジナリティーの創出"だった。



1976年、14歳から詩を書き初めた当初
泉谷しげるさんが"普遍性"を大切にし
Song writingをしていることを知り。



わたくしは"普遍性"を大切にしながらひとつ
ひとつ、作品を丁寧に作り上げてきました。



そして、その普遍性を大切にしながら
書き上げた作品集が 第1詩集『闇の記憶』であり
このWeb program"五十嵐精一 詩集"です。



伝えたいことがある。届けたい想いがある。
だから詩を書き下ろし、Melody♪を付け
あなたの世界に向け、希望のUTAを唄う ❗



いつからかwordが天から、降ってくる。のを
感じるようになり、それから
たくさんフレーズが降りてくるようになった。



未来から言葉が降りてきて、やがて予兆のように
これから歩いてゆこうとする道に光✨を照らし
書き留められた言葉が道標べしてくれる。



書いた詩の中のフレーズが予言のように
メッセージ性を持って浮かび上がってくる。



そう! 詩は UTAは未来からやってくる。



P.S. 

五十嵐精一詩集の101作品。
あなたの世界にとって
どの詩の何行目のフレーズがメッセージ性をもって
浮かび上がってくるのか?!


36年間の集大成、さあ、どうぞ!ご鑑賞ください。


URLはこちらです。  
http://d.hatena.ne.jp/kneedrop2/20090905

          
     2016年9月20日 平栗精一郎✨🙏禅。






イラストレーション "KNEEDROP" イズミヤシゲル


























・・・The Paradise of Mujo・・・

NO.16・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)3

kneedrop2016-09-17

∞ 詩的・音楽的同志よりの激励
(五十嵐精一詩集 推薦文)3 ∞ 若草屋北斎


そして3つ目。


実はこれが一番大事である。?  
「自分の作品で世界を救えると本気で想っている人」であるということ。

 
もちろん、私達は単に安易な妄想を抱いているわけではなく、ビートルズジョン・レノンが時代を席巻していたロック草創期ならいざ知らず、色々な音楽や表現法歩が溢れている今の時代において、「そんなことが出来るわけがない」ということは分かっている。


それでも、いつしかそういう日が来ること、もしくは、たとえたった1人でもいいから、「誰かを救済できるのだ」ということを信じ、詩を書き続けるしかないのである。あたかも、ドン・キホーテが巨大な水車に挑むかの如く…。恐らく宮沢賢治ゴッホ、あるいは若くして
死んだ名もない詩人達がそうであったように…。
 

氏の作品にも私の作品にも共通していえることであるが、必ずしも「愛」の詩や「人間賛歌」的作品ばかりを描いているわけではない。私の場合特にそうだが、時にはネガティブで犯罪的・暴力的であったり、世捨て人的な観点で描かれたりしたものも数多く存在している。
だが、そんな作品であってさえ、その根底には必ず
「救い」的要素が入っている。


もちろん、虐げられた人たちの立場に本当に立つことはできないし、まして「それを上から目線で描く」などということはおこがましい行為である、ということは分かっている。それでも、そういったシチュエーションを
想定し、作品にしてみることで、何か、「生きる」という意味やそのヒントを作品の中から見出せるのではないか、と妄想しているのである。
 

私達も多くの生きているうちに日の目を見ることのなかった先人達同様、この先、もしかしたら、生きている間に評価され、名を残すことはないのかもしれない。それでもいつかそんな日が来ることを信じて、あるいは誰か1人でもいい、例えば今から死のうとしている人が自分の作品に出会うことによって、「もう1度生きてみよう」と思えるような作品が残せることを信じて、…
私達は笑って死ねるのである。

 
そんな「ナルシスト」で「エゴイスト」で「自分の作品で世界を救えると思っている人」の書いた、集大成ともいえる作品群を心行くまでご堪能いただければ幸いである。

そう、私達が詩を書くのは「それが必然であるから」に他ならない。
だからきっと、氏の作品もまた、必然的に「曲として完成形になる日を待ち望んでいる」と思うのは私だけではあるまい。


今後、氏の作品に1・2曲、曲を付けさせていただくという機会もあるかも知れない。しかし、それは氏の作品の「若草屋北斎的解釈」に過ぎず、もしかしたら「本当は別の形になるのが必然なのかも知れない」と思うと、やや躊躇してしまう自分がいるのも確かである。

 
もはや「人生50年」という時代はとうに過ぎ去った、とはいえ、私達はすでに人生の折り返し地点を過ぎている。今後もお互い創作活動を続けていくであろうことは言うまでもないが、引き続き、新しい詩を書き続けることや作品の推敲だけに専念するのか、
それとも過去の作品にメロディーを与え、
曲として完成させる方を優先させるのか、…
すべてはこれからの氏が決めることである。

 
氏の作品を紐解かれる時、微かではあるが、
その奥底に確かに流れるリズムとメロディーに
耳を傾けてみる、というのも一興かもしれない。(了)



(この推薦文は2016年5月に若草屋北斎さんへ
この番組Web Program『自選五十嵐精一詩集』
ONAIR!(刊行)にあたり執筆いただいたものです。)

















































・・・The Paradise of Mujo・・・

NO.15・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)2

kneedrop2016-09-16

Beat goes on...! The Paradise of Mujo
つづいてます。


∞ 詩的・音楽的同志よりの激励

(五十嵐精一詩集推薦文)2 ∞ 若草屋北斎


2つ目は ?  エゴイストであるということ

 

これも?に似ているが、多分に私達は利己主義者である。私達は人に認められ、賞賛されるために詩を書いている。そして私達は常に見返りを求める。

ただ、私達はプロではないので、たとえ作品を発表したとしても金銭的な見返りというのは発生しない。

しかし、それでも私達は見返りを求めている。

「見返り」とは必ずしも金銭的なものとは限らない。

それは「賞賛」であり、「評価」である。

 


だから、詩人である私達が最も恐れるもの…、それは「無視」であり、「無関心」である。作品を発表しても誰からも見てさえもらえず、さらに見てもらえたとしても反応がないと、私達は心配になるのである。そしてそれが続くと、作品を作り出す意欲さえも萎えてきてしまう。…本当は誰に認められようがいまいが関係なく、「孤高の人でありたい」、と願っているのに…。 



次に恐れるもの、それは言わずもがな、「誹謗中傷」である。私達は無名であるが故に、まだ激しい誹謗中傷というものに晒された経験はないが、それはすでに多くのアーティスト達を傷つけてきた。



誹謗中傷する人間は、それが快楽であり、ストレス発散になっているからやっているに過ぎない。

あたかも自分が社会的・道徳的にも上の立場の人間であるという驕り、あるいは自分にできないことをやっている、というひがみから、他人を攻撃することで自己満足している救いようのない連中なのである

(私も時として人のことはいえないが…)。

 

そして、最もアーティストをやる気にさせ、成長に導く評価というもの、それこそが「賞賛」であるか、といえば、必ずしもそうとも限らない。賞賛を受けた人間は少なからず、「自分がやってきたことが正しかった」と感じる。そこでまたリセットできればいいが、多くの場合、そこで認められたことをいいことに、次の作品もまた「同じような路線で、少し表現を変えれば、また受け容れられるのではないか」、という錯覚に陥る。



その結果、そこで成長は止まり、自分の作品の二番煎じ・三番煎じとなるような作品を作り続け、マンネリに陥り、飽きられるのである。

 

私達が作品を作るうえで、人からの評価に少なからず影響を受ける、ということ自体は否定できないと思うが、私達は常にピュアであり、開拓者であり続けなければならないと思う。



では自分を最も成長させる評価とは何か、といえば、それは「批判」であり、「否定的評価」であるように思う。

「誹謗中傷」と「批評」は似ているがまったく違う。

誹謗中傷は単にアーティストを攻撃し排除しようとするものであるが、批判はその作品を読み、あるいは聴き、違和感を覚えたり、まだ作品としての完成度が不十分だと感じたりしたものを率直に表現するものである。

 

誰でも自分の作品を批判されれば面白くはない。

ましてプライドの高いアーティストであれば、なおのこと、受け容れがたいであろう。だが、その評価に少しでも真実が含まれていれば、そのアーティストはいずれ自分もそのことに気付き、奮起し、さらに良い作品を作ろうと努力するはずである。だから必ずしも評価した本人がそのアーティストの為を思って言っているとは限らないとしても、「時に批判も立派な先生となる」と

私は思うのである。



氏の作品はもちろんどれも素晴らしく、私ごときが

とやかく述べる立場にはないが、この詩集を読まれた

皆さんは、それがたとえ「賞賛」であれ、「批判」で

あれ、率直に感じたことをお伝えいただければいい。

それが、何より氏が望まれていることであるように

思う。 (つづく)











































・・・The Paradise of Mujo・・・

No.14・若草屋北斎@詩的・音楽的同志よりの激励(推薦文)1

kneedrop2016-09-15



Beat goes on...!
The Paradise of Mujo

こんにちは! DJ/ KNEEDROPです。


みなさんごきげんいかかですか。
ほんとうにご無沙汰しています。
元気でやっていますか!(^-^)g"

9月の1回目の放送です。
「無常の楽園」この番組はFREE LIFEの提供でお送りします。


わたくしの詩集Web Program ”五十嵐精一詩集”の推薦文を友人が書いてくれましたので今日は3日間に3回にかけてこの番組”無常の楽園”にも
ONAIR!しますのでどうぞお付き合いください!


Web Program ”自選五十嵐精一詩集”のURLはこちらです!
URLhttp://d.hatena.ne.jp/kneedrop2/20090905
たくさんのアクセスと詩に対してのコメントもお待ちしています。



”自選五十嵐精一詩集”の推薦文のONAIR!です。


∞ 詩的・音楽的同志よりの激励

      (五十嵐精一詩集推薦文)∞ 若草屋北斎




『Web Program 五十嵐精一詩集』 ONAIR!

(刊行)おめでとうございます。

一友人として心より祝福申し上げます。」



申し遅れたが、私は「若草屋北斎」と名乗る氏と志を

同じくする者である。 以後、お見知りおきを…。

 

氏と私ともうかれこれ長い付き合いとなる。

人生においても「詩人」ということにおいても

私にとって尊敬すべき大先輩である。

しかしそれ以上に親友であり、冒頭述べたように

同志であると思っている。



氏の作品がどれも素晴らしい、というのは

今さら私ごときが述べるまでもないことであり、また、個人的に特に好きな作品を取り上げ、自分なりに

評論するのは比較的容易なことではあるが、

この場において、私から1つ1つ作品の解説をするのは得策ではないように思う。



何故ならば、人によって受ける作品の印象はまったく違うからである。

下手な解説を付け、先入観を持って読まれるくらいなら、最初から作品解説などない方がいい、というのが

私の考え方である。

 

少々前置きが長くなってしまったが、そういったわけで、今回は詩人・五十嵐精一の内面的部分を私なりに

掘り下げ、それをもって推薦文とさせていただくこととした。

 

さて、「詩人」として見た場合、私と氏とは3つの点において非常に良く似ていると思う。もちろん性格はまったく違うし、取り上げる詩の題材や表現方法も異なるわけだが、その発露となっている精神的構造が似ていると思うのである。

そしてそれは、詩人、特に男性の詩人にとっては、共通の「条件」であり、見ようによっては非常に「鼻持ちならない人種」である、と言えるのではないだろうか。




1つ目は  ?  ナルシストであるということ



つまり、「自分大好き人間」である。

そして「自分の作品が最も優れている」と常に思ってしまうのである。さらに、自分は個性溢れる非凡な才能の持ち主であり、「自分の作品は自分にしか書けない」とも思っている。

 

だから「誰かの作品と似ている」と評価されることを非常に嫌う。もちろん、過去の優れたアーティストに出会わなければ今の自分はないわけだから、その影響を受けているということ自体は否定しはしない。

だが、自分としてはそれら諸先輩方の作品を「消化」あるいは「昇華」し、それらの要素をうまく組み合わせ、あたかも「自分独自の世界観を作り上げた」と思っていたいのである。そしてそれはある意味真実である。そうやって私達は1つ1つの作品を作って来たのだから…。

 

さらに、それらの作品に非凡性や独自性を持たせ、「他のアーティストとは違う」と主張するため、我々は色々な表現を使う。時に比喩を用い、また難解な表現に変えてみたり、人称を変えてみたり、わざと主語を省略したり、と…。本当に伝えたい内容はごく単純なものであるにもかかわらず、である。



でもそれでいいのではないだろうか。

だって他のアーティストも皆そうしているのだから…。

あるのは認知されているか、プロとして売れているか・いないか、の違いだけである。

 

ところで、日本にはそれとは異なり、すべての無駄を排した表現世界が確立されている。それは、短歌や和歌、そして究極的には俳句の世界である。そこには自分の主義主張というものは存在しない。そこにある情景を感じたとおりに表現するだけである。

 

 五・七・五という限られた字数的制約の中に余計な感情を入れる余地はない。しかし、時に森羅万象あるいは宇宙の理を表現し、併せて些細な感情の機微まで入れてしまう、というのだからこれらは世界にも誇れる芸術だと思う。千年も昔の人が詠った歌の「スマートでありながらなんと深い表現であるか」、ということに今さらながら驚かされてしまう。

 

 しかしながら、私達には決して優れた和歌や俳句を生み出すことはできないし、その必要もない、と思っている。私達の詩はあくまでも歌として「歌う」ことを前提に書いている。歌いたいことを限られた字数に集約するには無理があるし、第一、五・七・五では短すぎる。

だから私達はあくまでも「俳人」ではなく「詩人」なのである。 (つづく)
















































・・・The Paradise of Mujo・・・

No.13・DJ/KNEEDROP@Web Program 『無常の楽園』

kneedrop2015-11-11

Web Program”無常の楽園”について
        DJ/KNEEDROP

Beat goes on...!
Web Program ”The Paradise of Mujo”
My favorite Music, Entertainment, and Lyrics.
This is DJ / KNEEDROP



わたくしがこの番組 Web program 「無常の楽園」を開設した理由は、あるさまざまな事柄や人物や作品に対して一個人がどのように捉え考え思索してきたかということを紹介することに一番、価値をおいた番組を作りたかったからです。


その理由としては社会システム全般がここ半世紀、精神的価値よりもを物質的価値を優先してきたことに起因します。


この番組で紹介してゆくさまざまな事柄についての精神的な価値を私がどのような箇所に影響や感銘を受け、
次の自分の人生に繋げ生きてきたか。そしてこのような内容の番組をみなさんへそして次の世代の方々にも届けたいと想い始めました。


世の中、社会システム全般が精神的価値よりも物質的価値を優先したあまり、ここ半世紀で経済、資本、
お金の価値は増大しましたが精神的な価値や伝統は急速に価値を失ってゆきました。これは社会システムの影響です。


会社は利益を創出し存続しながらあるべき目標のほかに社会に貢献をする使命と役割をもっています。


働く私たちは会社での仕事を通じ自分を高め、自分の夢や 目標を実現し幸福に生きるというパラダイムが与えられています。が高度成長が生み出したお金や効率化を求めた行く末が本来一番大切な人の尊厳や相手を思いやる気持ちや優しさや、人間性を忘れていった社会や世界を作り上げていったような気がします。(人間の生い立ちなど平等ではありませんので弱い立場にいる人を守ったり助け合うことも大切ではないでしょうか!)


仕事の手法がシステム化され変わっても先人たちが暮らしの中で発見した素晴らしい職人的技術や知識や伝統や思想や哲学は次の若い世代を担う方々にも伝えてゆかなければなりません。

武士道の精神や禅に通じる茶道や仏教に般若心経。自分が感じる良心や善が生むこころの種や精神的価値を重んじる心(核)。

お金で買うことができないものこそ尊といのですから・・・
お金で買えないものこそ価値があるんだというようにパラダイムシフトしていかなければなりません。


1980年代中盤あたりから世界は徐々に混沌とした世界に包み込まれ始めました。
もう一度、精神に価値をおいた時代を作り上げようではありませんか!


その昔、お金より人の心や精神的価値のほうが何倍も上だったんです。
一番大切なのはお金と自分さえよければよいという世界や社会を作ってしまってはいけません。
21世紀は本当に残念なことに9.11の事件から幕があがりました。


今、現在NHK−TVで放映している『ハゲタカ』では資本主義の行く末。
龍馬伝』や『坂の上の雲』では現代人が忘れかけている、日本人があたり前にもっていた武士道の精神。
百年以上前でも自分より相手、格差があろうとも志を持って日本の行く末を案じ悩みながらもいきいきと生きてきました。


ゲゲゲの女房』では自分が貧しくても相手を思いやる気持ちはまだ1970年中盤ぐらいまでは残っていたのです。


今、事件の報道を見るとは心が痛む信じられないようなエゴイスティック(自分の事しか考えていないような)な事件が起きています。

システムや経済は本来、人間が幸せな生活が営めるように稼動していなければいけません。


そして異常気象を始めさまざまな環境問題が地球に影響を与え始めています。
あたりまえですが、地球は人間だけのものではありません。地球に棲息する生物は500万種類以上いるといわれています。生物多様性から学べるようにすべては繋がっています。


今、近代社会から取り残された里山だけが持ちえていた暮らしの中で行われてきた循環が見直されています。


個人のさまざまな問題を解決する糸口は自分の中にあります。
直感と本能とを信じ自分を保つことをたえず続けていかないと生きてゆくのが困難になります。
今まで養ってきた知力を最大限に発揮して謙虚にそして人が互いに尊敬し合って生きることを学びあうことが大切なのではないでしょうか。


私はこの番組でいろいろと感銘をうけた事柄(作品や人)をこのように私は捉えているということをさまざまな題材を使い、オンエアしながらみなさんと一緒に学びの場にしたいと考えています。


個人の考えや思想を誹謗、中傷せず、国境、空間と人種を越えて語り合える番組を私は宮沢賢治さんがおよそ80年前にたった一人で立ち上げた『羅須知人協会』に影響を受け世界の人が自由にここに集まって意見交換を出来る場所が出来ないかと思いこの番組『無常の楽園』を立ち上げました。
URLhttp://d.hatena.ne.jp/kneedrop/20051214


インターネットが持ち合わせているWeb上の利点を使い、日本の裏側に住んでいる方にも世界を旅しているあなたにもこの番組が届いているということはなんと素敵なことでしょう。
ねぇ!賢さん この番組、聴いてる・・・。 合掌。(おしまい)DJ/KNEEDROP




この内容は2010年07月18日にWeb Program ”無常の楽園”にONAIRした内容です。今回詞歌集"無常の楽園”を上梓するにあたり収録しました。















































My favorite Music, Entertainment, and Lyrics.

This is Dj / Kneedrop,

" The Paradaise Of Mujo"

「無常の楽園」 DJ / KNEEDROPつづいてます。


Web program review
(これからご覧いただく内容は2010-07-18に
Web program 『 普遍の祈り 』にONAIRした内容です。)

この番組は2013年7月から『普遍の祈り』から『無常の楽園』に番組名を変更しました。


Web program 『無常の楽園』 DJ/KNEEDROP

NO.12五十嵐精一@Web program 『小沢 幸一 詩集に寄せて』 

kneedrop2015-11-08

Beat goes on...! The Paradise of Mujo
「無常の楽園」 DJ / KNEEDROPつづいてます。


ではこれから何回かにわけて私が14歳の時から始めた
SONGWRITINGについてONAIR!する予定でしたが来年ONAIR!します。
これからお届けするのは再放送です。

これからみなさんへONAIR!する内容は2010年8月21日に小沢幸一詩集という番組に中でONAIR!した内容です。

わたしのUTAに対する考え方やSONG WRITINGについてもどんな考えではじめたか!
そして小沢幸一詩集についてもお話させていただいていますのでよかったらお聴きください!



Web program 『 小沢 幸一 詩集に寄せて 』 / 五十嵐 精一



この番組をご覧のみなさまへ


みなさん、こんにちは。


先月の末に小沢幸一氏が逝去しました。
慎んでご冥福をお祈りします。


訃報に触れあまりにも突然で
ほんとうに信じられない気持ちでした。


私は彼に出会いかけがえのないものをたくさんいただきました。


私は彼の訃報を聞いた時に彼に生前、お世話になったひとりとして、
親友としてFREE LIFEの創始者として
彼に何がしてあげられるのだろうかと自問自答しました。


ひとつは彼の告別式で友人・FREE LIFE代表として弔辞を読んであげること。
もうひとつは彼の家族の方から了解がいただけるなら
彼が1976年から書き始めた詩(作品)をインターネット上に
Web詩集の形で掲載したいと思ったのです。


その理由は彼を知る人にいつでもどこでも彼を偲んでもらうことができるだろうし・・・
彼を生前知らない人にも彼の素晴らしい作品(詩)や言葉に触れてほしいと思ったからです。


先日、彼のお姉さまから彼の書いた詩をインターネット上に
Web詩集として作品をアップし番組を開設することについて了解を頂きました。


番組のタイトルは決めました。
Web program 『 小沢 幸一 詩集 ☆ Lonly In MY Life
The Poetic Works Of Kouichi Ozawa 』
URLはhttp://d.hatena.ne.jp/kneedrop7/20100815でスタートします。


現在は私の手元にある彼の作品の数は26作品です。
その作品とはSONG BOOK形式で詩だけをアルバム形式で
1978年に発表したFIRST ALBUM 『NEW SCENE』 の10作品。


彼のSECOND ALBUM。1979年にOZレーベル第1弾として発表した。
〜SAILING’80 ALBUM 『零 〜いま、新しい航海〜』の10作品。
このアルバムの制作の際、OUT TAKESの2作品。
この2作品のクレジットはOzのクレジットになっています。


あと私宛に1987年に封書にて彼から送られて来た際に
今アルバムを制作しているといって同封されていた4作品です。
アルバムの仮タイトルは 『Lonly In MY Life』 小鳥遊 涼(たかなし りょう)の
ペンネームでクレジットされ書かれていました。


この『零 〜いま、新しい航海〜』のアルバム制作の際のOUT TAKESの2作品と
私宛に1987年封書にて彼から送られて来た手紙と一緒に同封されていた4作品は
彼が生前時は、未発表の作品でしたのでこちらの作品をこの番組に掲載する時は
彼のご家族の了解を頂いてからになります。


生前、彼は私と一緒の時期、1976年から作詩:作曲を開始しましたので
書き上げた詩の作品が今後、見つかればFREE LIFEで管理し、
彼のご家族の方からひきつづき了解をいただけるなら
すべてこの番組に掲載したいと思っています。


今後、彼の部屋から彼が1976年から書き上げた詩が何作、見つかるるかはわかりません。
彼がいつ頃まで創作していたかもはっきりとしません。

生前、彼と私が偶然最後に会って話した時、彼は自分が書き上げた作品を
Web上のブログやホームページの形でアップすることは望んでいませんでした。
(それはこの番組をご覧の方には知っておいてほしかったのでお話ししました・・・。)


それでは何故、彼が晩年望んでいなかったものを
私は多くの人に届けたいと思ったのかをお話します。


私もまだ上手に説明は出来ませんが詩には無意識の内に時間軸を超え
過去、現在、未来を内在している”何か”が言葉としてフレーズとして書き取られることがあります。
その詩の中の一片の言葉は彼の世界観とも呼べる森羅万象をつうじて何かを伝えようとしています。


彼が書き上げた詩を何度も何度も読み鑑賞する時に
彼の新しい一面に出会ったり誰も知らなかった彼に出会うこともあるかもしれません。


もうひとつ詩は書かれる人の内面や精神や断片その人の森羅万象ともいうべき、
到底、言葉では語りつくせないたくさんの光りを投げかけてくれるからです。


それは彼の詩を読むひとりひとりに対し、ある時は癒し、ある時はメッセージを投げかけ、
ある時は読む人の今抱える問題に対して彼の詩のフレーズが”何か”を返してくれるかもしれません。

以前、私の番組『普遍の祈リ』で詩を鑑賞するにあたり手引きのような内容をオンエアしましたので
お時間があればこちらもご覧下さい。
URLはこちらです。http://d.hatena.ne.jp/kneedrop/20090222


彼の書いた言葉や詩は読む人の年齢や経験を通し、読む人の感性によって
さまざまな顔を見せてくれることでしょう。
そしてこの番組で彼に自由に触れ、読む人なりの『小沢 幸一』像を
感じ取っていただければさいわいです。


我々は普遍性を持って世界中の【world wide】多くの人たちに
1976年から作詩:作曲をとおし唄うことを通じて
自分のメッセージを世界に住むさまざまな人たちへ
その人、自身の持つ世界に向けて本気でメッセージを届けようと考え、
創作をしてきました。


我々にとって詩はある一定の期間それはおそらく10年以上もしくは20数年以上に及ぶ
たくさんの時間を創作に費やし打ち込んできた魂の結晶です。
そのような音楽的遺産とも呼べる彼の素晴らしい作品が1作品も
世に出ていないことが私にとっては残念でなりませんでした。

私は彼の訃報を知った時にいち早く彼の作品を全世界の人に届けたいと想ったのです。


彼の作品は今後『FREE LIFE』が管理し、この番組は私が運営し進めてまいりますが、
彼の親族の方やFREELIFEのメンバーそしてこの番組をご覧の小沢幸一ファンのみなさまの意見を取り入れ
この番組をひとつの作品として作りあげてゆきたいと思っています。
そしてこの番組(Web詩集)は彼の作品以外は日々、推敲をかさねますので進化してゆきます。


まずは番組に対しての要望や彼について、そして彼の詩に対してコメントがございましたら
気軽にお寄せください・・・。













































Beat goes on...! ♪ The Paradise of Mujo 





















































”The Poetic Works Of kouichi Ozawa ”