中国のSF翻訳事情まとめ(09'版)
中国の翻訳SF業界がここ1年間で劇的に変動した。大きな出来事は4つ。
1.賞ができた。ヒューゴーや星雲にあたる「星空賞」が。しかも翻訳や英米SF紹介をやっている人たちが中核にいるので、はなから翻訳小説部門がある。
2.月刊ウェブジン『新幻界』が立ち上がった。創作・翻訳・コラムから構成される文芸誌で、PDFを圧縮ファイルにして無料配布。毎号最低6000ダウンロード、参加者の顔ぶれがいい号だと1万を軽く超える。しかも途中からポッドキャストによる掲載小説の朗読まで配信されるように。
補足:今年から『中国新科幻』なる電子雑誌も配布されているが、こちらはまだ情報が少なく詳しいことがわからない。
3.『科幻世界』を出している出版社がSF翻訳者の発掘に力を入れ始め、外国語SFの翻訳原稿を募集。しかも要綱に「国内で未訳の新しい作家であるほど歓迎」とか書いてある。
4.ガードナー・ドゾワの年刊SF傑作選は毎年もともと翻訳されていたが、昨年は03年に1度翻訳出版したものの中断していたハートウェル&クレーマー版の13号(08年傑作選)まで出た。
本書では、私のネット知人がピーター・ワッツやケン・マクラウドを担当している。私の1歳上で、上海のとある大学の工学部出身らしい。近年短篇の翻訳を続けており、昨年はマリオン・ジマー・ブラッドリーやら、メアリ・スーン・リー「引き潮」など古いものもやっている。イチオシ作家はジェフリー・フォード。アシモフズ、アナログ、F&SFの3誌を毎号購読していると聞いた。日本や台湾のSF賞情報へも興味が強く、去年は〈S-Fマガジン〉の目次をコピペして延々とフォーラムに貼ってくださっていたりもする。
なお中国のSF翻訳者は昔からほとんどが兼業。そのため経歴や本名、生年などを伏せている者も多い。いま商業誌に翻訳を載せてる新人翻訳者には、18歳でデビューした人や86年生まれもいる。北野勇作を主に訳しているのは私と同い年の女性。また『フィーヴァードリーム』の翻訳者は08年にSF翻訳にめざめ、本書の全訳を出版社に持ちこんで出版にいたったという。こちらも同い年。うわぁ……。日本でいえば70〜80年代のように、大学生が活躍する状況なわけだ。
古典とハードSF人気が強かった中国だが、あるブログの翻訳者アンケートでベテラン海外SF紹介者たちが「まだあまり中国に入ってきていない好きなSF作家」というお題に、レム、イーガン、ラッカー、ヴォネガットらを挙げている。次の何年かでこれらの翻訳出版→SF界にさらなる大変動が起こってもおかしくない。一度に輸入するとえらいカオスになりそうだが*1。ちなみにチャンは大人気で新作が出るたびに自分でも翻訳を試みる学生がわらわら出現し*2、バチガルピはすでに何本も翻訳されている。
現在、未訳紹介や翻訳をしているカリスマSF者を、若手のベテラン*3を中心に何人か挙げるとしよう*4。まず北星氏。60年代生まれ、本職はNYのとある大学の数学課の講師*5で、ずっと米国に住んでいる。年に1本程度のペースで様々な作家を訳している。スワンウィックとか。イーガンとラッカーを推したのはこの人(上記参照)。機会があったら訳したい作品はラッカーのMathematicians in Loveとヴォネガットの『タイタンの妖女』だそうだ。
願備氏。女性。60年代末期から70年代はじめの生まれらしい(非公開) 上海交通大学を卒業、マサチューセッツ工科大学へ留学し博士号取得。現在シンガポールに住み、現地でもSFサークルを組織しているようだ。01年にナンシー・クレスの翻訳2篇で『科幻世界』デビュー。その後は古典長篇を訳している。(ハインライン『夏への扉』、アシモフ『ファウンデーション対帝国』、フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』)
ブルース・ユー氏。73年生。化学を専攻したのち、MBAを取得。上海のアメリカ系外資企業に務める。01年ごろから「現実逃避に」SF翻訳を始める。ローレル・K・ハミルトンや『エクソシスト』原作まで実にいろいろなものを訳している。ハートウェル版年刊SF傑作選の共訳者の1人。パルプ小説、スペースオペラが得意な独自路線の訳者で、ジョー・ホールドマンとジョン・スコルジーの翻訳で知られる。現在イチオシの作家はチャールズ・ストロス、ニール・アッシャー、アレステア・レナルズ、ロバート・A・メッツァー(未訳)など*6。
Denovo氏。70年代後半生の女性。NYで生命科学の博士号を取得後、現在シンガポールで研究者として働く。07年にナンシー・クレスの翻訳でデビュー。英中翻訳のみならず中英も行ない、国際的な企画で活躍する。D姐と慕う若者が多数。好きな作家はヴォネガット、レム、スターリング。
ところで新賞や新ウェブジンのサイト管理をやっている一人には、以前連絡先を教えてもらった。彼はさいきん商業誌ライターデビューもしており、あちらのSFフォーラムやブログで「ストラーン、ホートン、ハートウェル、ドゾワそれぞれの年刊SF傑作選の特徴と傾向」「ファンジンの歴史」など情報まとめ系のコラムをいくつも執筆している。この人は個人情報をまったく明かしていない。私は9月のSFファン交流会で、最新海外SF企画のお手伝いをさせていただく予定なので、余裕があれば連絡先を知っているあちらの若手SFファン(セミプロ)たちにインタビューを敢行して公開しようかと思う。できるといいな。
List of References: 百度百科、「科幻奇幻译者名人堂」、「星空奖译者问答系列」(sansanfen先生, 真是太谢谢了!)
日記
今日は昼から午後9時まで、自宅→下北沢→吉祥寺→高円寺→帰宅と延々散歩していた。もはや散歩というレベルではない。西部古書会館の古本市は今回も見に行かなかった。読む本は十分貯めこんでいる。
・オープン後はじめて吉祥寺アトレに入った。お洒落雑貨店の数々に圧倒された。お高い軽石を観察する。「上質な噴火土を使用しております」というようなポップがついている。最初「土」という一文字を見逃し、上質な噴火とはどういうものかしばし考えこんだ。たとえば、はじめにシャンパンのボトルを開けるときのような景気のいい音がポンと響き、それから火山流がトロトロと足並みそろえて火口から広がっていくとか?
・アトレ内の別の店で鉄道模型用の人間のミニチュアシリーズに目を奪われる。サーカスの一団が実にいい。手回しオルガンの上に小猿が乗っているのがよい。その雑貨屋に置いてあったのは、室内置きの小さな植物鉢にのせて飾る用途のためだ。セット売りで高く、私の財布はハマグリのように固くしまったままだった。ドイツのPreiser社という、鉄道模型用の人形で有名な会社のものだそうだ。しかし販売物を見ると、ポールダンサーやらアシカのショーやら一体どんな模型で使用される機会があるのか、見当もつかぬものばかりだ。大抵のシーンを再現できるだけの人形がそろっている。この防護服セットはかなり素敵。自室の、ホコリがたまりがちな隅っこに常時置いておきたいくらい。
・ひさびさに東急横の古書『百年』へ。ここは開店直後と比べると、ものすごく量・質ともに充実した。ちょっとお高いけど、ある程度ジャンルに特化した古本屋ならば仕方がないことである。マックス・アラン・コリンズのThe History of Mysteryや、French Science Fiction, Fantasy, Horror and Pulp Fictionなるリファレンス本などを物欲しげに眺める。そして見送る。
・あゆみブックス新高円寺店の文庫売り場にて「伊藤計劃の次に読むSF」という手書きポップが立ち、小さなハヤカワ文庫JAコーナーが作られているのを発見した。『虐殺器官』の横にSRE、飛浩隆の文庫すべて、『永遠の森 博物館惑星』、『太陽の簒奪者』、『星の舞台からみてる』が置いてある。この店は面積こそ小さいものの、ライトノベルや海外文学も新刊入荷がかなり行き届いている感じでありがたい。←なんかえらそうな発言ですみません。
・それに引きかえ、最寄り駅の遅くまでやっている書店のなっていないことといったら。店舗がとても小さいとはいえ、海外小説の単行本は一切入荷しない。なぜか唯一棚に並んでいるのがよりによって『フラグメント 超進化生物の島』、なぜか文庫棚にジョー・シュライバー『屍車』が3冊も置いてある……等、かゆいところに手が届かない。背中を掻いてほしいときに足の指の間を掻かれているような違和感。
柴田元幸氏講演会「翻訳について語るときに翻訳者の語ること」
柴田元幸氏の講演@早大をざっとレポートする。
柴田氏の出演なさるイベントを観るのはこれで2度目。私は決して熱心なファンというわけではないが、じっくり翻訳/英文学の話を拝聴する機会などなかなかないので思わず馳せ参じてしまった。会場の入りはMAX。中規模(大学の規模によっては大教室レベル)が開始3分前には8、9割埋まっていた。フルに座席が埋まっていたのか、遅れてきた学生が遠慮したのか、はたまたスタッフなのか判別がつかなかったが、終了後ふりむけばそこには立っている人々の姿が。
ちなみに筆記用具を忘れたので、記憶から再構成している。今日は英語を日本語に翻訳する過程で色々なものが抜け落ちるという話だったが、日本語で聞いたものを日本語でまとめたって大量の漏れが生じるのは当たり前である。文意をとることに集中した結果、単語はかなり元の言葉で使われていたものと変わってしまった。眉にツバをつけながらご覧あれ。なにか問題のある箇所があれば削除します。また、自分のまとめの不出来さに我慢ならなくなって消す可能性もあります。
下に話題になった主な本のAmazonリンクを貼った。表示されている購入数・クリック数ははてなダイアリー全体の総計である。このリンクから本を買うとはてなの収益になるようだ。念のため。
講演開始。まず文学部のカフェテリアとの別れを惜しむ柴田氏。
東大で副学部長的ポジションについたため早大院の授業をやめざるを得なかった。早大のカフェテリアは広々として日当たりよく、時間も気にしなくてよいので仕事場としてとてもよかったのに。1度ここで『モンキービジネス』編集会議をやってみて、編集チームにも好評だった。読者の可能性がある学生たちの様子も観察でき、読者を想定してやる気を出すこともできたのに……(笑)
奇抜な技巧を尽くした小説がどう翻訳されたかという例を紹介する、導入部。
ジョルジュ・ペレック『煙滅』→レーモン・クノー『文体練習』。『煙滅』はギルバート・アデアが手がけた英題“A Void”*1にも触れていた。なお柴田氏は英訳版で読み、仏語・邦訳版にはほとんど目を通していないとのこと。学部生や一般客が驚きの声を上げたり、必死にメモをとったりしていて微笑ましかった*2。終了後、駅前の本屋で急に在庫がはけてそうだ。
- 作者: ジョルジュペレック,Georges Perec,塩塚秀一郎
- 出版社/メーカー: 水声社
- 発売日: 2010/01
- メディア: 単行本
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- 作者: Georges Perec,Gilbert Adair
- 出版社/メーカー: Vintage Classics
- 発売日: 2008/01/03
- メディア: ペーパーバック
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- 作者: レーモンクノー,Raymond Queneau,朝比奈弘治
- 出版社/メーカー: 朝日出版社
- 発売日: 1996/11/01
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エドワード・ゴーリー『うろんな客』は原題The Doubtful Guest。本文は、原文では韻を踏んでいるが日本語はもともと脚韻を踏む文章がさほど一般的ではない。よって、ただ日本語訳するのではなく原文の「なじみのある詩的表現を使っている」ところに沿うため、すべて七五調で訳してみた。なお、最後のページのみは調子が違うが、ここでは訳していてつげ義春の『李さん一家』を思い出した。実際、読んだ人の複数から類似を指摘された。気づいてもらえて嬉しかった。
つげ義春コレクション 李さん一家/海辺の叙景 (ちくま文庫)
- 作者: つげ義春
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2008/12/10
- メディア: 文庫
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- 格言1『あらゆる翻訳は誤訳である』
(サリンジャー「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の訳例*3やバーナー・マラマッド『喋る馬』収録の「白痴が先」を提示して)
英語として正確であっても、本来の語り手の語気・語り口のトーンが異なってしまえば誤訳である。「白痴が先」の終盤はめちゃくちゃな英文法で喋っているゆえに登場人物の切迫が感じられる。しかしこれを下手に変な日本語として訳すと、よほど巧くやらない限り、たんに訳者の文章がヘタだとしか思えないものになってしまう。(そこで文法の誤りはほとんど踏襲していない)
- 作者: バーナード・マラマッド,新井敏記,柴田元幸
- 出版社/メーカー: スイッチパブリッシング
- 発売日: 2009/09/30
- メディア: 単行本
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キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)
- 作者: J.D.サリンジャー,J.D. Salinger,村上春樹
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2006/04/01
- メディア: 新書
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- 格言2『翻訳とは快感の伝達である』
だからこそ文芸翻訳は「文章の意味を翻訳する」のではなく、(原語で)小説を読んで得られる快感に近いものを読者が味わえるよう翻訳する必要がある。
意訳・超訳のすすめと見なされかねない発言だが、要するに大事なのは面白さを殺さないことというわけだ。この後、ちょっとカポーティなどの話にいって、質疑応答へ。印象深い発言のみ抜粋。
・スティーヴン・ミルハウザーが「翻訳者たちは寝ている間に仕事をしてくれる、小人のような存在だ」と言っていた。確かにミルハウザーにとっての夜は(日本にいる)僕の活動時間だし、彼の体格と比べたら僕はほんとうに小人のようなものだけれど。
・翻訳と書評やエッセイなどの執筆はまったく違う。翻訳はたとえばこうやって講演しながらでも、ゆっくりなら進められる作業だ。底本は逃げない。でも、自分の頭で考え、組み立てる内容はたとえば途中で電話なんかしたら逃げちゃう。
・『メイスン&ディクスン』*4を訳すにあたり心がけたのは、ユーモラスな部分を訳すること。いま翻訳中のジョゼフ・コンラッドはそれとわかるユーモアがない。だがコンラッドの生真面目さや過剰さはときにユーモラスに見える。ちゃんとそういった愉快さを訳文に反映させたい。
・(作風を意識して翻訳することもあるかという質問に対し)ポール・オースターなんかについてはそう。似たような比喩を二度つかっていたり、同じ内容のことを言い換えてふたたび登場させたりする。ひょっとするとこれが彼の作品のストーリーがふしぎと覚えやすい秘密かもしれない。立体視のためには同じ絵を二枚ならべることが必要だが同様に、オースターが意図的に二回出してきたものは二回きちんと出さなくては(読者が)著者が意図した構造を視れなくなってしまう。
それからミルハウザー。彼は物に偏愛があるから、たとえば風景描写を訳す際には、決して物が出てくる順番を変えないことにしている。あれを変えるのは、意図したカメラワークをめちゃくちゃにするも同然だから。
・(翻訳はオリジナルに勝てない、常に負け戦だという発言があったが勝っている例はないのか?という質問に対し)ロバート・クーヴァー『女中(メイド)の臀(おいど) 』は勝っていると思う。というか佐藤良明がSpanking the Maidを『女中の臀』と訳した時点でこれは勝利だろう(笑) あとクノー『文体練習』も勝っているのではないか。
女中(メイド)の臀(おいど) (ファンタスティック小説シリーズ)
- 作者: ロバートクーヴァー,Robert Coover,佐藤良明
- 出版社/メーカー: 思潮社
- 発売日: 1992/04
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そのほか雑多↓
「結末を知らない本を訳すほうがはかどると思う。でも面白くない本はやりたくないから全部よんでから翻訳する」
「機械的な単純作業が好きだから、単純に訳していくのも大好き」
「登場人物の語り口がしっくり来ないときは、最後のほうまでとりあえず訳してみる。途中でふと思いつくから。たとえば『メイスン&ディクスン』でキャラクタの喋り方がいまいちハマらなかった場合。酔っぱらうと一人称が「わし」になる友達と飲んだ機会にピンと来て、ディクスンの一人称に「わし」を採用する修正をおこなった。また完成させてから読点の位置や語尾、活用方法*5をこまかく調整している。登場人物にはかならず、日本人であればこういう風にしゃべるだろうという話し方をさせる」
これらの発言を聞くに、柴田氏には天性のものが――気質とかセンスとか――ありすぎて、はたして普通の人があのトークから翻訳の極意を学べるかというと謎な気もする。しかし抜群に面白い。書店イベントのときより話のレベルを上げていたのではないか。(そして、まだ多段ギアをたった1つ上げただけであるという予感もした。これはさらに上のレベルで話してもらえるだろうゼミ生がうらやましい)
最後にスチュアート・ダイベック「ファーウェル」(『シカゴ育ち』所収)をよどみなく朗読されて、終わり。1時間40分ほど超特急で駆け抜けた講演であった。冷房がききすぎて聴衆の多くは凍えていたが、氏はスライド投影機と演壇の間を半袖Tシャツ姿でひょいひょい動き回っていた。なんというパワーか。
- 作者: スチュアート・ダイベック,柴田元幸
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 2003/07/01
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追記(5/29):「訳すもの(紹介するもの)を二択の中から選ぶとすれば、なるべく未だ紹介されていなかったものをやる。すでに邦訳がある作家であれば、それまで知られていた作風からすれば異色なものをやりたい」ということをおっしゃっていたのだよね。出版不況の中、外国の小説は賞をとるか/有名な作家の手によるか/ほんのひとにぎりの有名な翻訳者の手によるかしないとなかなか翻訳されない。様々な小説家の掌編が収められたアンソロジーなんて、いまやめったに拝めない。だからこそ紹介のセンスと周知させる「威力」がある方には、がんがん未紹介のものの発掘をしてほしいのだ。
シェリー・プリースト“Boneshaker”(2009, Tor)
SF・FT界で、09年もっとも脚光を浴びた小説といっても差し支えないだろう。スコット・ウェスターフェルドが表紙に寄せた言葉は、
である。これで著者の知名度は飛躍的に上がり、本書はネビュラ賞、ヒューゴー賞、ローカス賞の三大賞すべてで最終候補作となっている。
読んだ印象を平たく言えば、宮崎アニメ的なメカが登場する冒険譚+俊敏系ゾンビ+親子の絆ものの改変歴史小説だ。キャッチーかつエンターテイメントな設定に弱い読者が、これでどんどん釣り上げられた。スチームパンクとゾンビがそれぞれ一定数のファンを抱え、それなりに受けることは本書の発売時にはすでに確定していたようなものだった。それらを合わせて幅広く読者を集める小説に仕立てたのはまあ、シェリー・プリーストの功績と言えるかもしれない。ずいぶん流行という追い風に助けられた小説であるとは思うのだが。というわけで、以下あらすじ。
舞台は19世紀、米国のシアトル*1。
ロシア帝国にとって領地アラスカ州は悩ましい存在であった。これまでは無益な地であったが、金脈が眠っているという噂がでてきたのだ。実際に掘って確かめてみなければわからないため、政府はシアトル在住の若き天才科学者レヴィティカス・ブルーに、凍った強固な地面を掘りぬける機械の試作をたのんだ。かくして生まれたのが「ブルー博士の骨まで揺るがす驚異のドリル・エンジン」を搭載したドリル工機、通称ボーン・シェイカーである。
ところが初のテストの際、ブルー博士が乗るドリル工機はシアトル中の地下を暴走してまわった。あげく、地下深くから掘り跡を通じ、謎の有毒気体が這い登ってくる。のちに“破滅ガス”と呼ばれるようになったこの気体は、吸った者から正常な意識を奪い、生肉を好む野獣へ変えてしまうゾンビ化ガスだった! 幸い破滅ガスは非常に重い気体だったため、街の人間たちはガスが蔓延する中心部を高い壁で囲い、封鎖したのだった。ボーンシェイカーと博士の行方は混乱の中、わからなくなった……。
それから15年ほどが過ぎた。ブルー博士の妻だったブレアは旧姓ウィルクスを用い、「町外れ」と呼ばれる壁の外側で静かに暮らしていた。夫がすべて元凶だったのみならず、父親がガスが街中を侵食した際に刑務所破りを行ない、囚人たちを開放したことから白眼視され、憎まれてなお彼女は懸命に生きる。なぜなら息子のゼクことエゼキエルを抱えているから。南北戦争が終わり、安全に暮らせる大都市ができたなら誰も事情を知らないところへ引っ越すこともできよう。だが、まだ動くことはできない。
15のゼクは難しい年頃で、ブレアとたびたび衝突する。そしてついにある日家出し、父と祖父の名誉を回復する証拠を求め、地下通路を抜けて封鎖都市の内部へ侵入する。いつ破滅ガスが噴出してくるかもわからない街へ、ゴーグルとガスマスクをにぎりしめ……。折りしもシアトルは地震に襲われ、ゼクの使った地下通路は崩落によって消えてしまう。ブレアはなんとかしてゼクを追おうとする。彼女が思いついた侵入方法は「空から」だった。
破滅ガスは処理により麻薬(通称「レモン汁」)に変わるため、荒くれたちが飛行船に乗りこみ、壁の内側へ調達に忍びこむことは珍しくない。ブレアはかつて彼女の父に助けられた元囚人があやつる小型艇に乗せてもらい、荒廃した故郷へ降り立つのだった。
(以上導入部)
壁の内側で母子が遭遇するのは、15年以上も閉ざされた街に生き延びてきた奇妙な住人の数々だ。ろ過した空気を定期的にポンプで放出している中国人移民団、潜水服のような重装鎧でゾンビと戦う男、メカニカルな義手の老婆が経営するバーと仲間の老人たち、謎めいたネイティヴ・アメリカンの老婆(通称“プリンセス”)などだ。そして驚異の科学製品を提供し、死んだ都市を支配する科学者「マインリヒト博士」――彼こそははたして生き延びたレヴィ・ブルー博士なのか?
基本的にはゾンビに追われるところで物語を緊迫させてひっぱるという、ゾンビを動力にしたプロットだ。登場人物たちは逃げ惑うことによって新たな場所に行き、新たな人物に会う。だからゾンビが出てこない前半は地味で陰鬱で、正直だるい。一気に魅力的になるのは、バーの老人一団が登場するあたりからだ。「自衛の用意はできている」と言った瞬間、老人たちが手に手に武器を抜いて見せるシーンにしびれる。ひときわ輝くのがバーをひとりで切り盛りする老婆ルーシー。一旦は避難したものの、封鎖が始まった街に駆け戻って夫を探し、ゾンビ化した彼に噛まれて片手を失った設定だ。愛した街とバーから離れられない彼女が、機械の義手でゾンビを撲殺し、ブレアを助けて共闘する姿は熱い。
こうした設定の数々は魅力的なのだけれど、やはりサスペンス性をかなりゾンビに依存*2しすぎではないかと思う。「レモン汁」みたいな、登場したはいいものの途中から出てこなくなる素材も散見される。小説の技法という点では、今後の成長を期待したいところだ。それでもガンアクションやメカに対する興奮で、つい熱心に読みふけってしまう。だからこそ戦闘以外の場面が「地味で陰鬱」、テンポも遅いという印象に終わるのがもったいない。SFマガジン2010年6月号に掲載された「タングルフット」なんかは、シェリー・プリーストの持ち味が活かされていない例だろう。この人は「燃え」を書いてこそという作家だ。少なくとも今のところは、アイディアをつめこんだ小説でなければ面白くならないタイプなのだ。ちなみに本作以前は南部ゴシック小説風のダークファンタジー三部作などを上梓しているが、さほど話題になっていなかった。ダーク小説ウェブマガジンChizineで書評を数本書いていたそうで、確認したら何年も前に私が読んだことのある記事も書いていた。
今秋、本シリーズ(そう、シリーズ!)の長篇Dreadnoughtが刊行される。次巻の主人公マーシー・リンチはバージニア州リッチモンドの病院ではたらきながら、消息不明の夫のゆくえに日々心を悩ませていた。そんなとき、父親が危篤状態に陥り、最後に彼女に会いたいと願っているという電報が舞いこんだ。父がいるというのははるか西のワシントン州タコマ。マーシーは東西大横断旅行を余儀なくされる。ミシシッピ川を越えたセント・ルイス以降タコマに向かうのは、驚異の馬力を誇るドレッドノート・エンジンを搭載した重装甲蒸気機関車の1路線のみ。東西をつなぎ、開拓地へつづくこの機関車は強盗の襲撃に備え、武装を固めていた。この先にあるのは、それだけの用意が必要不可欠の、危険な地域なのだ。ふたたび夫と父が不在の女性が主人公のようである。
また来月Subterranean Pressから出る短めの長篇Clementine]]も、BoneshakerやDreadnoughtと同時代を描いた小説で、こちらの主人公は女スパイ。ピンカートン探偵社やらなんやらが登場するエスピオナージュであるらしい。もうお気づきだろうが、シェリー・プリーストの一連のスチームパンクシリーズに共通するのは、南北戦争が実際よりかなり長く続いていることだ。1880年いまだ戦いの終端は見えず、ゆえに蒸気機関開発の競争が激化、現実より発展した機関が開発される……というわけである。
著者お得意の「歴史上の人物を直接登場させず、地理以外はあまり現実に沿わないアクションアドベンチャー」になにかとの相似を感じた。よく考えてみたら成田良悟だった! 地名や歴史から読者の想像力や興味を引き出すところが似ているように思うのだが、どうだろう。すこし時代はずれるが、『バッカーノ!』の1930年代編とかスティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ、西へ行く』なんかを楽しんだ私のような人間には、設定だけでたまらないものがあるのではなかろうか? ただ私が上に上げた2作や“Boneshaker”を楽しむのはあくまで冒険小説としてである。スペキュレイティブもしくはサイエンスな要素は少ない。よって、かなり狭義のSFを期待してよめば首をかしげることになるだろう。大昔のSF、「ヴィクトリア朝空想科学小説」のようなSFといえば推測がつくかな。
というわけで好きにも嫌いにもなりきれない一作だった。映画でいえば『スカイキャプテン ワールド・オブ・トゥモロー』とか『ヴィドック』みたいなポジションのはず。不朽の名作にはならないかもしれないが、雰囲気にホイホイ引き寄せられる人は出るし、それなりに楽しめる……という意味で。映画といえば、映像化すればもっと良くなるかもしれない。そういうキャッチーさが魅力の小説だ。
Boneshaker (Sci Fi Essential Books)
- 作者: Cherie Priest
- 出版社/メーカー: Tor Books
- 発売日: 2009/09/10
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Xatafi-Cyberdark賞一覧
スペインでFT・SF・ホラーのジャンル啓蒙のために設立された同賞は、昨年で4回目を迎えた。対象となるのは08年の作品。ネビュラや日本SF大賞のような選考委員制の賞である。以前、Twitterではちらっと書いたのだが詳しく調べたので貼っておく。
原語表記はこちら(http://tienda.cyberdark.net/premio-xatafi-iv.php)で確認していただきたい。なお私のスペイン語は小学1年生くらいのレベルだと思うので、誤訳や発音の正式表記などについてはどしどしご指摘ください。
長篇(単行本)部門
- 受賞:フェリックス・J・パルマ(1968-)『時の地図(仮)』
1896年ロンドンを中心に、3部に分かれた時間旅行ものSF長篇。
1部:切り裂きジャックに殺された愛する女を救うため、タイムマシンで歴史改変を試みようとする若き学者の挑戦。
2部:本来ありうべからざる、ヴィクトリア朝の女と未来の男の邂逅とロマンス。コニー・ウィリス『犬は勘定に入れません』を思い出させられるという評もある、めまぐるしいパート。
3部:タイムマシンの作者H・G・ウェルズ自身がとある事件を解決することになる、恐怖と謎に満ちたパート。
登場するのはブラム・ストーカー、エレファントマン、切り裂きジャック等。暗き19世紀のロンドンと、時間旅行/平行世界の分岐がテーマの歴史ファンタジー/SF。
案の定、アラン・ムーア『フロム・ヘル』やカルロス・ルイス・サフォン『風の影』と比較されることの多い本だという。なんと作者サイトによれば、翻訳出版の見込みがある8カ国のうちに日本が入っている! どこの版元かわからないが、責任をもって早いところ出してほしいものである。
- 受賞:ホン・ビルバオ(1972-)『蝿の兄弟(仮)』
同時受賞作。幸せな結婚、閑静な住宅街のマイホーム、念願の第一子。すべてが順調だったはずの主人公の暮らしは、予期せぬ兄弟の襲来によって一変する。ある日兄弟の姿が消え、代わりに我が家に無数の蝿が出現したのだ!
兄弟の名前がGregoな時点でカフカへのオマージュは明白だが、しかしこのネタで長篇1冊をどう維持するのか。「デヴィッド・リンチを想起させるスリラーであり、奇想の小説であり、家族の問題をテーマとした文学である処女長篇」だそうだ。
最終候補
- イスマエル・マルティネス・ビウルン(1972-)『紅い魂、黒い影(仮)』
06年にクトゥルー神話っぽい要素のあるホラー歴史ファンタジー“Infierno nevado”(『雪地獄』)でデビューした新人の2作目。粗筋をちらっとみたが、これは実際に読んでみないと正確に内容が書けないタイプだと思う。ホラー・サスペンスっぽい。
- マルク・R・ソト(1976-)『異なった男(仮)』
ホラー短篇集。これまた新人(2冊目の本)である。キングが好きとか。本人のサイトによれば表題作は今秋以降、EQMMに翻訳が載りそうだという(07年にも1度、同誌に翻訳を掲載されている)
好きな作家はキング、ハイスミス、チャンドラー、シェイクスピア、デュマ、コルタサル等。ところで短篇集『異なった男』のうち1篇のタイトルが“Sushi”なんだが、これはやはり日本ネタか。
短篇部門
- 受賞:マルク・R・ソト「蚊(仮)」(短篇集『異なった男』収録)
最終候補
- サンティアゴ・エヒメノ(1973-)「いちばん甘い」
エヒメノ編の短篇集『ナイフで遊ぶ赤ん坊』収録。著者はホラー/SF/ファンタジー作家。収録作に“Origami”ってのが入っているんだが……日本語もメジャーになったものである。
- マルク・R・ソト「異なった男」
短篇集『異なった男』収録。結論:ソトが一騎当千すぎる。選者の趣味にもよるだろうが、なぜかFT・SFよりホラーが強いよう。
翻訳長篇部門
- 受賞:マイケル・シェイボン『ユダヤ警官同盟』
最終候補
- J・G・バラード『ウォー・フィーバー―戦争熱』
- 村上春樹『めくらやなぎと眠る女』
- ダン・シモンズ『ザ・テラー 極北の恐怖』
- ロバート・チャールズ・ウィルスン『時間封鎖』
翻訳短篇部門
結果的にバラードVS日本人作家である。
出版部門
- 受賞:フランシスコ・アレジャーノの《迷宮図書館》
迷宮図書館というのはレーベル名。C・A・スミス、ヴァン・ヴォークト、エドモンド・ハミルトン、シーベリー・クイン、R・E・ハワードなんかをどしどし出している。マドリッドの東京創元社と呼びたい。
最終候補
- モンナドーリ(版元名)
J・G・バラード自伝『人生の奇跡(仮)』翻訳出版に対して。
- ダヴィド・ロアス&アナ・カサス『隠されたリアル:20世紀スペイン短篇小説傑作選(仮)』
若い読者と大人のための古典小説絵入り出版に対して。
……ってなんだろうと思って調べてみたら、スペイン語圏の作家(フリオ・コルタサル、オラシオ・キローガ、あと南米の詩人等も)の作品を中心に、小説や詩に挿絵をつけて出版しているのだ。日本で言えば、澁澤龍彦ホラー・ドラコニア少女小説集成などと同じ発想である。どれもセンスが素晴らしい。河出から『まっくら、奇妙にしずか』が出ているアイナール トゥルコウスキィの本が。翻訳としてジャック・ロンドン、ポオ、ラヴクラフト、ホフマン、マイリンク、フェルナンド・ペソア、カフカetc.も。おまけに去年『世界名探偵倶楽部』で私の心をガッチリつかんだパブロ・デ・サンティスまで!
私の御託はいいから、早くこのサイト(http://librosdelzorrorojo2.blogspot.com/)をたどって中身を見るんだ!
- Tusquets社
クリスティナ・フェルナンデス・クバスの諸作出版に対して。近年、文芸賞を複数獲得した女流作家の作品を80年代から出し続けてきた功績をたたえて。
英国SF協会賞候補 短篇部門その2
- ユージイ・フォスター“Sinner, Baker, Fabulist, Priest; Red Mask, Black Mask, Gentleman, Beast”
ネビュラ賞候補でもある作品。『SFマガジン』の「マガジン・レビュー」欄では川口晃太郎氏が「罪人、麺麭職人、偽善者、司祭:赤い仮面、黒い仮面、紳士と野獣」とタイトルを訳していた。それにしても長い。
その街では、定められた時間を除き、すべての人間が常に仮面をつけている。住民はみな無数の仮面を持ち、毎日つけかえてはその仮面に沿って生活する。社会的役割――職業も性別すらも、すべては仮面によって変わる。ルールは厳格、同じ仮面ばかりを着けてはいけないし、仮面の下が誰であるか知ってはいけない。
物語を彩るのは、色とりどりの仮面。最新の香水。街を統べる『女王』と彼女からの招待。そして懸想した女性から提示される妖しいゲーム。
はじめはこのまま流麗な筆致で耽美な物語が続くのかと思った。正直、それっぽい雰囲気だけを売りにした、筋すらあいまいな作品ではないかという危惧さえあった。ところが話の向かう先はいい意味で予想を裏切ってくれた。
冒頭で、中心人物らしき男が妻と揉めて刺され、いきなり死ぬ。この古めかしい芝居じみた一幕が終わると、何事もなかったかのように翌日が訪れ、男と同一人物らしきキャラクターが別の仮面を選ぶシーンが始まる。読者を惑わせ、ぐっと世界に引きこむ仕掛けの巧さには恐れ入る。読み進むにしたがい、誰もが仮面で装う世界では死すらもごっこ遊びにすぎないのとわかる。仮面をつけた状態での「殺人」はその日与えられた役割に従った、ただの演技であるのだ。
物語は主人公が「個」を取り戻すところで終わってしまう。この後、世界が変容するかどうかは書かれていない。せっかく組み立てられた世界観がこれだけで終わることをもったいなく思った。個人名すら存在せず、個体としてのアイデンティティを持てば和を乱すとして本物の死を与えられる世界観は、まぎれもなくディストピアSFである。狭義のサイエンス・フィクションではないが、SF好きの心もつかむファンタジーだと思う。ノヴェレットサイズでさえなければ、それこそ『SFマガジン』のファンタジイ特集への登場もありえたのではないか。役割や性別が仮面で変動するのは能面・狂言面を思い出すし、個が飛び出して調和を乱すことを嫌う未来という設定は、日本人が実感をもちやすいものであるし。
山尾悠子『仮面物語』や、飛浩隆がSFMに連載中の『零號琴』などと比べて読むといいかもしれない。仮面という題材のみならず、美学が張り巡らされた文章、見事に構築されたひとつの世界観でも共通する小説だから。