年間第28主日(ルカ17:11-19)

年間第28主日C年の福音朗読は「重い皮膚病を患っている十人の人をいやす」という物語でした。6年前の説教ですが、内容が面白かったのであらためて取り上げて、今週の学びを得たいと思います。

間違い電話は、よくある話ですが、わたしは過去に間違い電話の人とお友達になったことがあります。デートして食事をしたりとか、そういう付き合いではなくて、間違い電話のあとも、しばらく電話友達になってあげた、という程度です。

深夜に、電話が掛かってきました。主任司祭を始め、その教会には4人の司祭がいて、わたしはいちばん若い司祭だったので、先輩司祭よりも先に電話を取る必要がありました。深夜に電話がかかっても、まずわたしが電話を取るわけです。

電話は女の子からで、中学卒業後高校に行っていない子でした。本人はてっきり、自分の彼氏に電話をかけているつもりだったらしく、「もしもし」と言ったらいきなりまくし立ててきました。日頃あまり話を聞いてもらえないのか、よくまぁ間違えている相手にこれだけ話せるなぁと、しばらく感心して聞いていたのです。

「あのね、電話間違ってるけど。」すると、その女の子はびっくりして、すぐ謝りました。わたしは面白かったものですから、「大変だね。良かったら続きの話、聞くよ」と言ったのです。2時間くらいは話を聞いていました。

話を聞いてもらって、嬉しかったのか、また電話していいかと言うものですから、あーいいよって、返事をしたのです。まだ若かったので、深夜の電話を受けても次の日の仕事に響いたりはしない時代でした。10回くらいは続いたでしょうか。その後は安心して、ピタッと電話はやみました。

電話の相手をしていて、こんなことを思ったのです。どんな人でも、自分がここにいるということを、必死になって知らせたい、知ってもらいたい、分かってくれる人がいてほしい。人は自然に、自分を分かってくれる人を求めるんだなぁ。そんなことを感じました。

福音朗読ですが、重い皮膚病を患っている十人の人が、イエスに憐れみを求めます。律法の規定によると、重い皮膚病と診断された人は、社会から切り離され、礼拝にも参加できず、共同体の交わりに加わることができませんでした。家族とも離れ離れでした。健康な人が重い皮膚病の人のそばをたまたま通るときは、重い皮膚病の人たちは大声で「わたしは汚れた者です。わたしは汚れた者です」と叫んで、知らせなければならなかったのです。

こうした律法の規定は、重い皮膚病の人をさらに追い詰めていただろうと思います。誰もが、自分を分かってほしい、自分を知ってほしいと思うのに、当時のユダヤ社会は、自分たち病気の人を避けるように、関わりを持たないようにと仕向けていたのです。

そこへ、イエスが通りかかりました。本来なら、「自分たちを避けて通ってください」と大声で叫ばなければなりませんでしたが、なんと「イエスさま、わたしを憐れんでください」と叫んだのです。自分を知ってほしい、自分を分かってほしいと、大声で叫びました。

この人々は、どこかで、イエスの噂を耳にしていたのかもしれません。自分たちを分かってくれるのは、この人しかいない。だから、必死になって、自分のことを訴えかけたのでしょう。

エスは彼らの訴えに耳を傾けました。イエスは、すべての人が、たとえ社会から切り離されている人でも、自分を知ってほしい、自分のことを分かってほしいと思っていると十分理解していたのです。イエスは人間の心の奥底からの願いを知るお方なのです。

エスは何も特別な動作はしませんでしたが、奇跡が起こり、重い皮膚病はいやされました。問題はここからですが、サマリア人だったとされていますが、十人のうち一人だけ、イエスのもとにかけより、感謝を捧げたのです。

わたしはこう考えました。最初はイエスに自分のことを知ってほしいと十人とも願ったのですが、自分の置かれた状況を理解できる人はイエスしかいないと感じたのは一人のサマリア人だけだったのではないでしょうか。残る九人はユダヤ人でした。ユダヤ人は、ユダヤ人社会に戻ることで、迎えられる可能性があります。

ところがサマリア人は、ユダヤ人と敵対関係にありましたので、たとえ健康を取り戻しても、社会的には孤立してしまう可能性があったのです。ほかに何も頼るものがない。そういう中で自分を知ってくださった唯一のお方に、感謝しに来たのではないでしょうか。

ここからわたしたちが学びたいことは、「イエスだけが、わたしの拠り所です。」そんな気持ちが、わたしたちの信仰にあるでしょうか、ということです。信仰は持っているけれども、拠り所はほかにもあって、イエスだけを拠り所にしているわけではない。それがわたしたちの現実の生活ではないでしょうか。

人は、見られたくない部分は人に隠そうとします。それは家族に対しても、一緒に生活している人に対しても同じでしょう。そんな中で、わたしの良い点も悪い点も、すべてを打ち明けて拠り所になれる。そんな相手はどれだけ探しても見つるものではありません。すべてを知ってもらうことができるのは、イエスのほかにいないからです。

感謝しに来たサマリア人は、イエスを自分の唯一の拠り所、すべてを感謝できる唯一の相手として理解しました。わたしたちも、日頃受けているもの、良いものも悪いものもすべてを感謝できる。イエスに対して、あらためてそのような信仰を呼び起こすことができるよう、このミサの中で恵みと力を願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼父の葬儀説教を読み返したと先週書いたが、父からの(あるいは神からの)知らせだったのだと合点がいった。先週火曜日の結婚準備講座で、毎回話の材料に使っている父の思い出話のいくつかの疑問が解き明かされる。そのことを教える予兆だったのだろう。
▼その日のテーマは、「将来生まれてくる子供に、いつまでも学び続ける姿勢を見せて、人生の教科書、お手本になってほしい」というものだった。2008年に亡くなったわたしの父がモデルになっている。
▼父はもともと中学卒業の学歴で、遠洋漁業船に乗って家族を養っていた。のちに船上の事故でけがをして船を降り、地元新上五島町の農協のお世話で牛を飼うことになる。全くの素人で、失敗も多く、しかも子牛を育てる畜産業でどうしても必要な、雌牛に受精させる免許を持たなかった。そのため毎度獣医師を呼んで手数料を払っていた。一年に20頭受精させると、成功したかどうかにかかわりなく、手数料を5千円ずつ払わなければならない。年間10万円の出費がまだ軌道に乗らない経営を圧迫した。
▼そこで父は、一念発起して資格を取るために県北の試験場近くで一ヶ月下宿し、参考書と問題集を買い集め、受験勉強を始める。当時45歳くらいか。年齢には逆らえず、参考書の内容もさっぱり理解できない。困った父は一計を案じ、近くにあった農業高校の生徒が時々ラーメン屋に立ち寄って帰るのを知り、ラーメン屋で待ち伏せしてだれかれ構わず声をかけ、今日のラーメンをおごるから勉強を教えろと言って勉強したそうだ。
▼その甲斐あってか、見事に必要な資格を取得して帰ってきた。意気揚々と帰った父は、最年長で試験に合格したのだと威張っていた。高校生だったわたしにとって、いつまでも学び続ける姿は立派な教科書となり、わたしは自分の勉強を頑張ることができたわけだ。
▼このように、結婚する二人も、生まれてくる子供に対して、いつまでも何かを学び続ける姿勢を見せてほしい。何かに磨きをかけ続ける姿勢を見せたら、目の前の宿題を教えてもらえないとしても、子供に対して立派な教師、立派な教科書になれる。このような話をしていた。来週に続く。

† 神に感謝 †