王であるキリスト(ルカ23:35-43)

王であるキリストの祭日を迎えました。典礼暦年に沿って歩んできた信仰の歩みを振り返りましょう。イエスがわたしたちの王であると認めてこの一年生きてきたでしょうか。イエスがわたしたちの王であると、この一年の歩みの中で宣言してきたでしょうか。

教会の典礼暦は、今週の「王であるキリスト」が年間の最後の週です。来週からは待降節第一主日、新しい典礼暦年が始まります。教会の典礼暦はA年B年C年三年周期になっています。今年はC年でした。次の待降節からA年が始まります。

このA年B年C年の違いは、ミサの典礼での朗読の違いです。A年はおもにマタイ福音書を使います。同じようにB年はマルコ福音書、C年はルカ福音書が選ばれます。今年はC年でしたから、ルカ福音書典礼を進めていたわけです。来週からはA年に移行しまして、マタイ福音書をおもに典礼で使うことになります。

そこで、少し早いですが、皆さんにクリスマスプレゼントを差し上げたいと思います。以前文庫本で印刷した説教集です。ある小教区で司祭館を新築する機会に恵まれ、その引き出物として文庫本の説教集を用意しました。浜串教会からの引っ越し荷物の中に、なぜかA年の説教集が大量に出土しまして、これはどうしたものかと思案していたのです。

よく考えると次の田平教会では8ヶ月もすればA年が始まります。そうかここで配ればちょっとしたプレゼントになるなぁと思ったのです。赴任してすぐに配ることもできましたが、恩着せがましくこの時期に配ることにしました。日曜日に都合が悪くてミサに参加できなかったり、病気で寝込んだり、入院していたり、そういう時の補いとして、あてはまる主日の説教を読んで、日曜日の補いとしてください。ちなみに説教集に出てくる具体的な話は、伊王島・馬込教会での出来事です。

さて福音に戻りましょう。イエスの十字架上の最後の場面です。ここにイエスをあざける三通りの人々が登場します。まず議員たちです。民衆がイエスの周りを取り囲み、恐らくその外で、議員たちがあざけっています。彼らは自分たちこそ義人であると自負し、犯罪人として処刑されていくイエスの最期を見守る気もなさそうです。イエスを知るようになってから、ついに最期まで、彼らはイエスに無関心でした。

次に兵士たちです。彼らは「イエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら」侮辱しました。兵士たちは罪の中にある弱い人間でしたが、イエスに近寄る知恵は持っていたのです。しかしイエスが本当は誰なのか知ろうとしなかったし、知ることもできませんでした。

最後に同じように十字架にかけられた犯罪人の一人です。彼は死に値する犯罪人でした。自分が近づくことのできる人は犯罪人仲間しか考えつかなかったでしょう。彼は間近で、イエスのことば、しぐさを見ることができましたが、イエスに心を開くことはできませんでした。

ルカはこの三通りの人々を、遠くに離れている人々、近寄ってくる人々、いちばん近くで目撃する人々という順番で登場させます。ルカはこの三通りの人々が、イエスを知ろうと思い、イエスに心を開くことがなければ、距離的にどれほど近づいたとしても、イエスを信じることはできないと、視覚に訴えながら表そうとしているのです。

しかし十字架にかけられていた「もう一人の方」は、イエスが王であり、これから御国に帰られるのだと悟ったのです。この犯罪人はほかの三通りの人々と違う何かに気づいたから心を開くことができたのでしょう。何に気づいたのでしょうか。

わたしは、「十字架から降りないイエス」を見て、大切なことを理解したのだと思います。実は議員たちも、兵士たちも、犯罪人もイエスが十字架から降りていないのは見ているはずなのです。しかしこの人たちにはイエスが「降りることができないでいる」と映っていたのですが、もう一人の犯罪人は、「この方は降りることができないのではない。あえて降りないのだ」と気づいたのです。

エスは最後まで、罪人をあわれみ、みずから罪人の中に飛び込み、救いを告げる方でした。弱い人、泣いている人、見捨てられた人の友でした。この十字架上の場面でも、その態度は変わらなかった。犯した罪のために言い渡された刑罰として十字架にはりつけにされている二人の犯罪人に、イエスは十字架をあえて降りないことで近づき、友となられたのです。「もう一人の方」と書き記されたその犯罪人は、自分を友として受け入れようとされるイエスに、最期の場面で心を開いたのです。

「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(23・42)ひょっとしたら、わたしはこのお方に愛を示してもらったのではないか。そう感じて、犯罪人は「わたしを思い出して」とイエスに語りかけたのです。犯罪人の読み通り、イエスはこの人をも愛し、これ以上ない希望の言葉をかけてくださったのです。

「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(23・43)イエスは十字架から降りないことで、罪あるすべての人の王となられました。わたしたちもこのイエスによって救われました。

わたしたちはこの一年、ときには罪の中にありました。そのたびに罪を悔やみ、告白し、十字架上のイエスを見上げて「わたしを思い出してください」と言ってきたでしょうか。だれかを教会に案内した時、わたしたちは十字架をあえて降りなかったあのお方に救われたと信じていますと、証を立てたでしょうか。直接語る機会がなくても、いつでも同じ信仰を証できる用意をもってこの一年過ごしてきたでしょうか。

新しい典礼暦年を間近に控えて、ますます救い主イエス・キリストを待ち望む人になりましょう。「わたしたちの価値は、どれだけイエス・キリストに結ばれているかにかかっています」と堂々と言い表せる人になれるよう、王であるキリストに今日のミサの中で力を願いましょう。

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ちょっとひとやすみ
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▼久しぶり(と言っても2か月ぶり)に上五島に帰り、実家でも2泊して母親を喜ばせることができた。主な目的は「浜串教会献堂五十周年記念行事」だ。ついでに釣りにも行ったが、ある人からは「釣りが主目的で間違いないですね」と言われたが。
▼浜串教会での記念ミサが午前10時30分から予定されていた。少し早めに浜串に入り、現在の主任司祭に手伝いをお願いされたら応えようと思っていた。いくつか確認したいことを聞かれ、わかる範囲のことを答えた。
▼それでも少し時間があったので、聖堂に入り、懐かしい人を探す。司祭館の隣の敷地で「かんころ」をよく作っていたご婦人がいて、懐かしいなぁと思い近寄って、「やあやあ」と声をかけようとしたら向こうから先に言われた。「あらぁ。どの神父様じゃったかなぁ。」
▼「どの神父様」はないだろう。半年前まで浜串にいたじゃないか。がっかりしながらわたしは喉まで出かかっていた懐かしさいっぱいのあいさつを飲み込み、こう返した。「どの神父様はあんまりばい。茹でかんころを司祭館の隣でよく干してたでしょう。」
▼「かんころが出来上がったら、田平教会に2本送ってくれんね。わたしを忘れていたことはそれで勘弁してやるけん。」わたしが司祭館に戻ろうとその場を離れた時、周囲のご婦人たちが「あんた中田神父さんを本当に忘れとったとね?」と声をかけていた。忘れていたとしたら、お年頃なのかもしれない。
▼これは書いたかもしれないが、1ヶ月ほど前、田平で釣りに誘われて釣りに行った。その時「タイラバ」という仕掛けを10個くらい失って呆然とし、「ひょっとしたら俺は釣りが下手なのか?」と思ったことがあったが、今回の五島滞在中は昔取った杵柄、簡単に魚が釣れた。「あー、下手じゃなかった。」ひと安心だった。

† 神に感謝 †