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2018-04-18 横浜美術館でNUDE

knockeye2018-04-18

 横浜美術館に、テートギャラリーの所蔵品から「NUDE」にテーマにした展覧会が巡回している。2016年から世界を回っていると聞いてピンとくるのは、2015年に永青文庫で開かれた春画展で、あれももともとは大英博物館で2013から2014年にかけて好評を博した展覧会だった。

 その一年後にテートギャラリーがキュレーションしたこの展覧会が、春画展から何らかのインスピレーションを得ていると考えるのも無意味じゃないだろう。

 春画展について言うと、だんだん浮世絵を鑑賞していくと、やはり、春画を観ないとものたりなく感じてくる。

 特に、喜多川歌麿葛飾北斎については、春画といわれる絵の中に、間違いなく観ておくべき絵がある。まあ、歌川国芳春画を見なくてもいいと思うが、 歌川国貞なんかはやはり春画を見ておきたいと思う。

 春画が芸術であるかどうかは、そもそも浮世絵が芸術と認知されているなら、春画もそうに決まっているが、私としてはむしろ、春画がポルノだったのかどうかの方に興味がある。江戸時代の人たちにとっての春画がどういうものだったのかが感覚的につかめない。

 古典落語が江戸時代の笑いを伝えているのなら、今の私たちもそれを大いに楽しんでいるといえる。歌川国芳の絵は楽しいし、九紋龍史進はかっこいい。歌川広重の風情は懐かしい。喜多川歌麿の女たちはオシャレであだっぽい。ところが、春画となると、当時の人たちがこれをどう楽しんでいたのか、なぜかあやふやになるのは、たぶん、芸術についてはどこかの誰かが「これが芸術だ」と言うなら、「ああそうですか」で流せるものの、ポルノとなると、赤の他人に「これがポルノだ」と言われても、言った方も言われた方も変な空気になる。

 黒田清輝の《朝妝》はフランスのサロンに入選を果たした裸婦画だったが、日本で展覧会に出品したときには、新聞が撤収を求める記事を書いた。このとき、黒田が親友の久米桂一郎への手紙に「裸体画を春画とみなす理屈が何処にある」と書いた、明治のころの「春画」という意識ですら、ポルノという意味なのかどうかあやふやな気がする。

 黒田清輝の「裸体画は春画ではない」という意識は、当時、フランスのアカデミズムに正当なものだったに違いない。幸か不幸か、黒田清輝に続く日本の画家たちがそのアカデミズムを共有するのに間に合ったことをこの一連の騒動が示している。

 というのは、黒田清輝が《朝妝》を描く30年前に、すでにエドゥアール・マネが《オランピア》や《草上の昼食》を描いて、フランスのアカデミズムの正当性に挑戦していた。

 そして、そういう挑戦のきっかけのひとつに日本の浮世絵があったことは間違いないので、ここでもまた、日本人は西洋と東洋の伝統の絡み合う現場に、たぶんそうとは知らずに、立たされてしまっていたわけだった。

 先日読んだ吉田健一の本に、来日していたアンガス・ウィルソン

日本の文学では性欲のことを扱って何故それが野卑な感じを与えないのか

と問われたときに

日本にキリスト教というものがなくて、人間を魂と体の二つに分け、体を罪深いものとする習慣がないこと

が根本的なんじゃないかといった答えかたをしたと書いていた。

 日本にはもちろんキリスト教の伝統がないが、一方で、NUDEを理想美とした古典古代のギリシアにもキリスト教はなかった。

 つまり、日本だけでなくヨーロッパの伝統も、実は、相反するいくつかの潮流がせめぎあっている。

 ボッティチェリのことを思い出してもいい。《春》や《ヴィーナスの誕生》を描いたボッティチェリが、晩年はサヴォナローラのくだらない教条主義に傾倒して、どうにもさえないことになってしまう。その後、ヨーロッパは 19世紀末までボッティチェリの存在を忘れてしまう。

 しかし、キリスト教はそれが抑圧的であったとしても、ヨーロッパの礎を築いたにちがいないので、キリスト教と古典古代のはざまで、ヨーロッパの人たちの意識が揺れることは当然なのであるが、現代の日本人を引き裂いている西洋と東洋の価値観という分裂は、これは、さらにねじれていて、そして、そのねじれについて、半分くらいは故意にか、無視しようとしている。

 具体的に言えば、黒田清輝の裸体画を批判した新聞や撤去しようとした警察の態度は、アンガス・ウィルソン吉田健一が議論したような意味で日本的なのかといえば、そうではないことが分かる。では、西洋的なのかといえば、これは西洋のアカデミズムの立場に立っている黒田清輝が西洋的なわけだから、これもちがう。

 個人的な見解としては、彼らはただバカなのである。明治のマスコミと官憲の精神的態度を、現代のマスコミと官憲もそのまま引き継いでいるとすれば問題だろうとおもう。価値の基準が事実上恣意的だからである。ヘアが写っているかいないかに何の意味があるのか、誰も答えられない。もちろん意味がないからだが、その無意味な規制が現実にまかり通る社会はグロテスクなのだ。

 今日、美術館の帰りに公園を通って帰った。外国人の家族がサッカーボールで遊んでいた。私はおひとり様なので端の方を邪魔にならないように歩いている。それでもすれ違うときにぶつからないようにはアイコンタクトするのだけれど、そのとき、その白人男性が「咎められないかな?」というか「文句言わないでほしいな」というような目をした。

 一瞬「え?」と思ったが、ふとみると「球技禁止」という立て看板があった。もうほんとため息が出るくらいばかばかしい。そういう国である。

 「NUDE」は、その言葉を定義したケネス・クラークからすでに、キリスト教の抑圧と古典古代の明るさのあいだで揺れている。ケネス・クラークは裸を「NUDE」と「naked」に分けて定義した。それが論考に有効だったに違いないとしても、裸体を描くことが常に挑発的であり続ける背景に対立する価値観があり、そして私たち自身も、そのどちらかの価値観につくことはできず、その対立に引き裂かれている。だからこそ、NUDEを描いたり観たりすることがこれからも人を惹きつけ続けるだろうと思う。

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2018-04-15 首相案件 その3

knockeye2018-04-15

 世の中では、「モリ、カケ」とか言って、森友問題と加計問題を、言葉遊びで一緒くたにして面白がってるけど、このふたつは質的にまったく違う問題ですから。

 加計学園が獣医学科を新設することになった「国家戦略特区」って制度は、そもそもどういう経緯でできたんですか?。思い出しましょうよ。

 遡れば、中曽根康弘首相が「私的諮問機関」を駆使して、日本電電と国鉄を民営化したんですよ。それがなければ、ソフトバンクもauも存在しないし、国鉄は赤字を垂れ流して財政のお荷物になってたはずです。

 戦後政治の総決算ってことは、この頃から言ってるわけです。野口悠紀雄のいわゆる「1940年体制」、官僚主導の管制経済、護送船団方式が機能したのは、高度経済成長期までで、そこからあとは、規制を取っ払って、民間の活力を高めて、産業構造を転換していかないと、少子高齢化していく人口と国際化していく社会に対応できませんよってことは、中曽根時代から言われてきたし、それは、橋本政権、小泉政権、という自民党の政権だけでなく、「脱官僚」を掲げて政権交代を果たした、民主党政権も共通の認識だったはずです。

 だけど、それがなぜうまくいかないかというと、まず、官僚が自分たちの天下り先の権益を守るために、規制の緩和をさせまいとする。そして、族議員とマスコミは、そうした既得権の分け前にあずかっているわけだから、国民が選挙で規制緩和を望んでも、彼らの抵抗にあって改革は遅々として進まないわけです。

 官僚も、総論では、規制緩和に賛成と言っていても、いざ自分たちの既得権を手放すとなると、必ず反対する。しかも、巧妙に。なので、「国家戦略特区」を設けて、総論ではなく各論で、とりあえず限定的であっても、規制緩和をしていきましょうっていう趣旨なわけです。

 それを「なぜ愛媛県だけ、なぜ加計学園だけ」って言ってたら、何もできないんです。それは、天下り役人の思うツボなんです。そして、文科省の事務次官だった前川喜平は、組織的な天下りの責任を取って辞任してるんですよ。意味わかってますか?。

 「特区」というこのやり方は、中曽根時代から、自民党、民主党時代を問わず、一貫して取り組んできている規制緩和の、手段のひとつなんで、それを「依怙贔屓」とか、見当違いも甚だしい。「首相案件」って、この規制緩和については、中曽根時代からずっと、首相が旗振り役になって、進めてきてるんで、中曽根時代は私的諮問機関だし、橋本、小泉時代は、経済財政諮問会議だし、それを「首相案件」と言えば「首相案件」なんですよ。民主党時代の国家戦略会議も首相が議長だったはずです。

 加計学園のトップの人が安倍首相と友達かどうかがなんか問題ですか?。

 さっき言ったように、規制緩和ってのは、総論で風に灰をまくようなことをやっていてもらちがあかない。しかし、具体的に、どういう規制がどう問題なのかってことについては、逐一、目に付いた個別の案件から進めていくしかないわけです。「なぜ愛媛県なんだ?」じゃないんです。

 愛媛県は誘致したい、加計学園は応じたい、ならやりゃいいじゃないですか。それを文科省と獣医学会が、自分たちの既得権を守るために、長年阻んできた。こういう、典型的な岩盤規制の緩和のために、特区って、ある意味、まわりくどいやり方をやってるわけじゃないですか。

 規制ってのは、網の目みたいに張り巡らされていて、どの法律がどういう具合に既得権を守ってるのかって、一目で分かるってもんじゃないわけですよ。昔、「カンブリア宮殿」で、古賀茂明が「日本の官僚システムでは、法律一本ごとに課長が一人付いている」と言ってたことがあります。文字通り、日本の官僚は法律に寄生している。

 だから「特区」なんですよ。ひとつひとつ個別の案件に対処していくやり方なんであって、それを「依怙贔屓」って言ってたら、永遠に進まない現状を踏まえての「特区」なのに、それをまた「依怙贔屓」って批判するなら、典型的な循環論なのわかりませんか?。

 まあ、この程度の釈明をちゃんとできないなら、ポシャってもしょうがない内閣だけど、加計問題で騒いでる奴はバカですわ。

 森友問題は、官僚が国会に虚偽の文書を提出したんで、これはクーデターなんで、処刑者が出てもおかしくない大問題なのに、安倍明恵夫人を国会に呼べとか、どうなってるんでしょうね、その感覚は。まともな野党がいないとまずいんだけどなあ。

 

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2018-04-14 首相案件 その2

knockeye2018-04-14

 先日、長谷川幸洋の説明に納得した「首相案件」だったが、1日をおかずに、郷原信郎の反論が上がった。

ここ。

 さらに“国家戦略特区は首相が議長なのだから「首相案件」と語るのは当たり前”という主張になると、もはや「お前は小学生か」とつっこみたくなるレベルだ。

というのだけれど、私見では、小学生レベルとは思わない。

首相を議長とする機関の決定がすべて「首相案件」になるというなら、加計以外の国家戦略特区指定や経済財政諮問会議はじめその他の首相を議長とする会議、さらには閣議決定までがすべて首相案件ということになるが、いったい誰がそんな呼び方をしているというのか。

でも、これはメモに書き付けただけの言葉で、メモを書いた本人が分かればいい「符丁」にすぎないわけで、正式な呼称ではないし、だからこそ「メモに『首相案件』ってあるぞ」って騒いでるのは何故かなって疑問に思うわけで。

 しかも、“国家戦略特区は首相が議長だから”という主張については、もっと決定的な嘘がある。それは、この首相案件文書が、“首相が議長の国家戦略特区”への申請を決める前の段階の文書だということだ。公開された面会記録のなかの柳瀬首相秘書官の発言録では、いちばん最初に「本件は、首相案件となっており」と記され、そのあとに「国家戦略特区でいくか、構造改革特区でいくかはテクニカルな問題であり、要望が実現するのであればどちらでもいいと思う」と記されている。つまり、まだ特区で申請する可能性もあったわけだ。

でも、郷原信郎もこの後すぐ書いているように「構造改革特区は首相が構造改革特別区域推進本部の本部長ではある」んなら、発言録どおり「テクニカルな問題」にすぎず、大雑把に言って「首相案件」で問題ない気がする。

そもそも、この文書の問題は「首相案件」という言葉だけではない。加計学園と愛媛県だけが首相官邸から特別扱いを受けていることが問題なのだ。まず、特区申請者が官邸にまで招かれ、首相秘書官と面会をすることなど普通ありえない。実際、その国家戦略特区で獣医学部新設を申請した京都産業大学は、官邸を訪問したことなどない。それどころか、加計学園に対して文科省は新設が認められるようにアドバイスまでおこなっているが、京産大は文科省との事前協議さえ拒否されている。こうした加計学園に対する依怙贔屓こそ、「首相案件=腹心の友への優遇」の証拠ではないか。

この問題について、そもそも郷原信郎の意見に納得できないのはこの部分で、経緯を考えると「依怙贔屓」というほどのことではない気がする。というか、「依怙贔屓」というなら「依怙贔屓」でいいわけで。というのは、愛媛県がずっと「加計学園ありき」でやってきたことについて、文科省と獣医学会の意向で長年阻止されてきたわけだから、ここで、京産大ってならないでしょう、普通。

 で、「特区」ってこと自体が、言い方を変えれば「依怙贔屓」なんで、既得権益団体の抵抗があって、いきなり全国区といかない案件を、「特区」という形で認めましょうということなんだから、その趣旨を考慮すれば、愛媛県と加計学園ってなるのは、「依怙贔屓」っていうほどのことと思わない。これが「依怙贔屓」なら、そもそも「特区」ってやり方が立ち行かない。

 この程度のことでデモに繰り出す意味が分からない。原発問題とか、安保問題とか、あれはデモも起こるだろうなと思ったよ。でも、加計問題が、それと同じレベルの問題か?、たとえ、「依怙贔屓」としても。納得できないんだよね。

 それで、森友問題はどうしたのよ?。あっちは検察が立件を見送ったんだから、いよいよ国会で証言できるでしょ?、佐川さん。呼ばないの?。一時は、「財務省解体か?」くらいだったのに、もう興味ないのかって。

 こういう態度を見てると、問題の真相を明らかにするのが目的じゃなくて、政争の具にしたいんだなって見えちゃうんですよね。

 もうひとつ、郷原信郎さんのこの文章で、自分と意見の違う人たちを、ひっくるめて「安倍応援団」とかレッテルを貼る態度は、良くないと思う。結局、党派心が根っこなのかなと思っちゃうね。

 それと、長谷川幸洋の論理と、なんの関係もない上念某のツィートをひとまとめに「安倍応援団」とすることで、長谷川幸洋の印象を貶めるって効果もある。そこは、弁論のテクニックだと思う。さっきの「小学生レベルか」っていうツッコミも含めて。

 

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2018-04-13 首相案件

knockeye2018-04-13

 近ごろ巷を賑わしている「首相案件」という言葉の意味が分からなくて、首を傾げていたせいか、また腰を痛めてしばらく寝ていた。

 ところが、ようやく、なるほどと思える説明に出会った。

ここ。

そもそも国家戦略特区という政策が当初から「安倍政権の目玉政策」であるからだ。したがって首相秘書官が「これは首相案件」と言ったとしても、なんの不思議もない。むしろ当然である。

 思わず笑っちゃうくらいその通りなんだった。以下、抜粋。

国家戦略特区は、既得権益勢力の抵抗に遭ったりして、いきなり全国で展開するのが難しい政策課題をまず特区で手がけ、成果を見極めたうえで、やがて全国に広げるという政策手法だ。安倍政権は2013年に国家戦略特別区域法を施行し、各地からアイデアを募って随時、実行に移してきた。

区域を認定するのは国家戦略特区諮問会議であり、安倍首相は議長を務めている。だから、特区を「首相案件」というのはその通りであって、何の問題もない。

ちなみに、加計学園問題に火を点けたのも朝日だった。文科省の内部メモとされた「総理のご意向」文書をめぐる昨年5月17日付の記事だ。その文書も「総理のご意向」という言葉のすぐ後に、実は「『国家戦略諮問会議決定』という形にすれば、総理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか」と記されていた。


つまり、内閣府が文科省に対して「首相の指示であるかのように取り繕ってはどうか」と促す話だった。逆に言えば「首相の指示」はなかったのだ。朝日はこの後段部分に黒く影を付けて読めないように加工し「総理のご意向」だけを強調していた。まさに印象操作である。

 私思うに、加計問題は、最初から問題でもなんでもない。組織的な天下りがバレてクビにされたヤツの逆怨みってだけのことだと思う。

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2018-04-07 沢田教一展

knockeye2018-04-07

 沢田教一の写真展を横浜高島屋に訪ねた。

 沢田教一は、昭和11年生まれで、9歳のとき、青森の大空襲で家を焼かれた。

 ベトナム戦争の

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この写真でピューリッツァー賞を獲得したのは1966年、空襲で家を失ってから21年しか経っていない。まだ、9歳のときの戦争体験を忘れているはずがない。そう思ってこの写真を見ると、なんともいえない気持ちになる。沢田はピューリッツァー賞受賞のあと、この写真の家族を探して、賞金の一部を渡したそうだ。

 それでも、長く戦場にいると人の死に慣れてしまいそうで怖いとも漏らしていたそうだ。

 沢田教一は、当時、アメリカの通信社だったUPIの所属としてベトナムに従軍していたわけだったが、UPIから派遣されていたわけではなかった。日本で内勤だったのを、休暇を利用して自費で渡航した後、英語力と写真の技術で、そのまま従軍カメラマンになった。

 だから、カメラも三沢基地のカメラ店で働いていたころの中古のライカM2とローライフレックスで、上の写真も135mmレンズで撮っている。

 135mmレンズってのは、ちょっとカメラを使った人なら分かると思うが、中望遠と言われるもので、猫なんかを撮るときによく使う。

 その程度のレンズで戦場を撮ろうとすれば、文字通り「従軍」せざるえない。軍のヘリコプターに同乗して前線に降り立ち、隊と行動を共にする。

 戦争末期のフエの市街戦を撮った写真を見ると、全く兵士と目の高さで撮っている。だから、迫力のある写真になるし、何より、兵士が自然な表情を見せてくれるのだと思う。ゲルダ・タローがスペイン内戦を撮った写真とアングルが似ている。

 第一次大戦のオットー・ディックスは、実際に兵士だったが、カメラではなくスケッチだった。ロバート・キャパが従軍したノルマンディー上陸作戦の写真は、現像係がミスしてほぼすべてをダメにしてしまった。

 そう考えると、ベトナム戦争の時代は報道写真をめぐる技術の面でも、その“salad days”だったと言えそう。

 アメリカ政府は、ベトナム戦争を正義の戦争だと信じて疑わなかったので、第二次大戦の硫黄島の戦いで、星条旗を立てる兵士達の写真のようなものを、戦場写真だとイメージしていて、カメラマンが軍と行動を共にすることをむしろ積極的に推奨していた。その後の戦争では、報道は規制されることになる。

 イラク戦争にはロバート・キャパ沢田教一もいない。ダナンの冷房の効いた部屋で記事を書いていた記者はたぶん今もいる。

 絵でなく、言葉でなく、写真であることの意味と、写真が、絵や言葉であってはならない意味が明白になる。ベトナム戦争が正義ではないことを暴いたのは紛れもなく報道写真だった。

 もし、イラク戦争の正義に、私たちが疑いの目を向けることができているとすれば、それは、ベトナム戦争の報道カメラマンたちのおかげなのである。イラク戦争の実態について、私たちはまだ知らないのだと思う。

 ロバート・キャパもそうたったが、沢田教一はベトナム戦争報道の仕事から離れたあと、カンボジアで命を落としている。その死についてはまだ謎があるようだ。

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