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2014-11-23 「神様の言うとおり」

knockeye2014-11-23

 いま、アドルフ・フォン・ハルナックの『キリスト教の本質』を読んでいるところ。昔、岩波文庫に入っていたころに、読もうとして探したら、ちょうど絶版になったころなのか、手に入らなかった記憶があるのと、今回の新しい翻訳の解説をちらっと見たら、森鴎外の「かのように」という小説とのつながりが指摘されていて、何か面白いかもしれないと思って読み始めたが、第五講まで読んだかぎりでは、エリート学生にむけたありきたりのお説教という印象。この先にどんでん返しがあるのを期待する。

 昨日は、よい天気すぎてかえって出掛ける気が失せ、部屋でうだうだまったく無為にすごしてしまった。今日も、その気分を引きずっていたのだけれど、やっぱこれじゃいかんと、士気を鼓舞して出掛けたが、セーターだけでもぽかぽかの小春日和だった。

 観たい映画もいくつかあったが、今日観るならやはり「神様の言うとおり」。これはすごかったね。

 三池崇史監督、この前に観た「藁の盾」が「あれ?」ていう感じだったので、大丈夫かと思ってたけど、今回のスピード感はすごかった。

 三池崇史のすごいところは、「ヤッターマン」のときもそうだったけど、マンガを映画化するときに「映画っぽく」しないんだ。そらスタンディングオベーションもするやろってもんですわ。

 そして、大森南朋リリー・フランキーのあのエピソードをいれるところが並みじゃない。あれで広がりがでるんだよな。

 ま、名作ですわ。観たらよいですわ。

 それで、なぜ、ハルナックの話をしたかというと、『キリスト教の本質』と「神様の言うとおり」をくらべてしまったわけ。

 というのも、このハルナックの講義を聴いていた学生たちが、このあとナチズムの熱狂に巻き込まれていくことになるわけだから。神様ってさ、この二つの神様をつい較べてしまうんだけど、ウソっぽい話聞かされるのはもうやだなぁって。

 「かのように」で人が動くと思うのは、エリートの浅はかさなんじゃないかと思っているところ。

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2014-11-19 小沢=サムラゴーチ序論

knockeye2014-11-19

 世の中ってさ。

 今週の週刊文春、宮崎哲弥の「時々砲弾(毎度いうのも何だけど、これ「時事放談」のもじりなんですよね)」に、今春出版された『日本政治 ひざ打ち問答』という本が紹介されていたんだけど、そのなかに、小沢一郎の『日本改造計画』を書いたのは誰だったかについて書かれているそうだ。

 御厨貴が「政治の部分はぼくと飯尾(潤)が書いて、外交と安全保障は北岡伸一、経済は竹中平蔵と伊藤元重が書いたんですよ」と、書いた本人が言ってるんだからこれほどたしかなことはない

 『日本改造計画』については、政権交代直後の、たしかNHKのインタビューでのこと、インタビュアーが『日本改造計画』についてふれたのだが、そのとき小沢一郎の顔に「ふん」といった、傲慢とも自嘲ともつかない、変な苦笑が一瞬浮かんだ。それを見たときに、こいつ書いてねぇな、とは思った。

 宮崎哲弥は、「これだけの面子をブレインに揃えた小沢一郎という政治家の先見性には驚かされるが」と書いているけど、それはよいとして、政権交代の、あの当時さ、「小泉・竹中のせいで『格差社会』になった」と騒いで、竹中平蔵がテレビに出ると、「こんな奴出すな」という抗議の電話をテレビ局にかけてた人がいっぱいいたでしょう。

 その一方で小沢一郎は「救世主」みたいな扱いだったわけでしょう。

 でも、その小沢一郎の主著『日本改造計画』の経済部分を書いていたのは竹中平蔵でしたってことになると、あの当時、騒いでいた人たちは、いったい何を騒いでいたことになるのでしょう?。

 集団心理に流されすぎだと思う。オブチノミクスで緩んだ財政規律が持ち直しかけたのは小泉政権下だけなんだから、そこは評価して当然だと思いますけどね。

 それにしても、御厨貴がこういうことを表に出すのは、良くも悪くも、小沢一郎が過去の人になったということなんでしょう。今さらいうまでもないことかもしれないけど。

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2014-11-18 仁清・乾山、デ・キリコ、ホドラー

knockeye2014-11-18

 日曜日は、「仁清・乾山と京の工芸 風雅の器」を観に、出光美術館へ。静嘉堂文庫美術館で仁清の「色絵吉野山図茶壺」を観てから、晴れた空と仁清が結びつくようになった。

 日曜日は、そんな快晴だった。

 政治の中心が江戸に移るようになってはじめて、ブランドとしての京都が意識されるようになった。仁清の焼き物には、京都のブランドイメージがことさらに強いように感じる。乾山になると、仁清ほど‘京都の命運をしょって立つ’といった気負いは感じられない。もはやどこか江戸風でさえある。

 仁清にはまた京都的であることを客が求めもしたのだろう。丸亀京極家に伝来した扇面の釘隠しなどはその極みに見えた。

 鶉を模した香炉もあったが、仁清の香炉では富山の百河豚(いっぷく)美術館に雉子をかたどった見事なのを観たことがある。あの美術館は富山でもすごい田舎にあるのだけれど、仁清のものは充実している。

 そのあと、JRで一駅移動して、汐留ミュージアムで開かれている「デ・キリコ展」を観にいった。

 ジョルジョ・デ・キリコは、バナナマンの日村勇紀に似ている。

 デ・キリコは、晩年にセルフコピーをたくさん作っているそうだ。それについては、想像力の枯渇だといった非難もされた一方で、アンディ・ウォーホルはこれを賞賛したということだ。

 モチーフの反復は、たぶん絵画にとっては本質的にセルフコピーではないのだろう。マルタ・アルゲリッチが「自分のマネをしないこと」を心がけていると、先の映画で語っていたが、それは彼女が、おなじショパンを弾き続ける上で心がけていることなのだ。

 デ・キリコが、自分が紡ぎ出したマネキンのイメージをくりかえし描き続けることは、マルタ・アルゲリッチのいう「自分のマネ」をすることではないだろう。

 アンディ・ウォーホルにモチーフの反復が多いのはすぐに気がつくことだが、横尾忠則の絵にもそれは多い。柳宗悦が「絵よりも模様」の方が力強いといった意味のことを書いていたのを思い出す。図像を反復することで、絵はたしかに模様に近づいていく。

 何日か前に、上野の国立西洋美術館で開催されている、フェルディナンド・ホドラーの展覧会にも出掛けたのだが、この人がすごくユニークなのは、美をリズムだととらえて、たとえば風景画でも

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 こんな風に、色彩のリズムで構成する。

 点描派が、風景を粒子で再構成したように、この人は、風景を色彩の波長で再構成している。

 もし何か美しいものがあれば、ひとつよりたくさんのほうがここちよいという、千利休とは真逆の考え方ながら、なるほどと納得させられるものがある。

 したがって、人物を描くときも、肉体の舞踏ととらえていた。フォルムでも色彩でもなく、動きをどうとらえるかを意識していたようだ。踊る人の絵に迫力があるし、人の動きを描くだけでなく、人物像をリズムとして反復して描いている。

 それに、意外な名前を見かけたのは、ルドルフ・シュタイナーの影響も意識していたそうだ。

 反復することは、中村一美や草間彌生の場合もそうだったけれど、画家にとっては本質的なことなのかもしれない。

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2014-11-16 「紙の月」

knockeye2014-11-16

 吉田大八監督を最初に認識したのは、西原理恵子原作の「パーマネント 野ばら」だった。菅野美穂主演で、その脇を固めた池脇千鶴と小池栄子がすばらしく、母親役の夏木マリも含めて、登場人物全部がホンネ全開で生き生きしている、わかりやすく楽しめる映画だった。ついでに、関西人としては、町野あかりの活躍もうれしかった。たぶん関西人しか知らない、だけでなく、関西人以外には見せちゃいけないと思っていた女優であったが。

 次に観たのが「桐島、部活辞めるってよ」で、これは大ヒットしたから、あえて偏った言い方をすれば、未来が明らかに現在よりくすんで見える世代の、未来に現在を奪われまいとする‘あがき’の話だった。「パーマネント 野ばら」と違って、欲望が存在を支えてくれない。漂う虚無感が主人公の不在とよくかみあっていた。

 今回の「紙の月」は、宮沢りえのたたずまいでなければ、まったく違うものになっていただろう。

 主人公を始め、主要な登場人物が奇妙に、利他的というのか、行動のドライブの部分が他者に依存している。自分の欲望を信じきれなくて、他者の欲望に依存している。利他的であることで自己を正当化しているのではなく、利他的にしか欲望を保てない。

 ちょっと、西川美和監督の「夢売るふたり」を連想させられるが、まだ観ていないなら、比較してみても面白いと思う。「夢売るふたり」の主人公とちがうのは、「紙の月」の主人公には「夢」というほどの執着心がない。どうせ「にせもの」だと思っている。小林聡美宮沢りえの対決シーンに挿しはさまれていた「紙の月」のシーンはすごく印象的だった。

 話題になっている、宮沢りえのベッドシーンは、もっと間接的な表現でよかったかもと思った。というのは、この主人公の衝動が直接的な肉欲にある気がしない。こういう事件があるたび、女の性のあり方が究極のところで理解不能だと思う私にとっては、そこが描かれていない方が、むしろリアルだし、エロティックだったかと思った。

 ここまで書いてきて、だんだん思い出したけれど、「クヒオ大佐」も吉田大八監督だった。あのときの松雪泰子は、たしかに今回の宮沢りえと似ている。過剰に自滅的な女性に反応する質なのかもしれない。

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2014-11-13 『昭和の犬』、トーベ・ヤンソン展、スーラージュ

knockeye2014-11-13
昭和の犬

昭和の犬

 姫野カオルコの『昭和の犬』を読んだ。

 昭和33年生まれの女性が主人公で、祖父母と間違われるほど年が離れている両親という設定が‘みそ’というか‘きも’というか。

 というのは、そうでないと、その年の女性(芸能人だと浅野ゆう子とか)の父親に従軍体験があるのはちょっとむりがある。

 こういう細かいことに気がつくのは、私がこの主人公の世代に近いからだが、小熊英二が、『戦争が遺したもの』のプロローグに、上野千鶴子に‘わたしたち戦後世代’と自分も込みで呼ばれたことに違和感があったそうだが、しかし、自分たちの世代(芸能人だと木梨憲武の世代)ですら、いまだに‘戦後世代’でしかないことに否応なく気づかされたと、たしかそんなことを書いていた。

 浅野ゆう子やとんねるずに何か戦争の傷跡をみることができるかといえば、たとえ見えなくても、当然それがそこにあるのだが、あったとしても、そういうことを文章に書き出せるか、といえば、それがつまりこの小説のチャレンジで、それが、ある女性の飼い犬の追想のようでありながら、独特の緊張をもたらしている。

 姫野カオルコの小説で、以前に読んだのは、『喪失記』だったと思うけど、アマゾンで見ると文庫でも1997年の出版になっているから、このブログもまだ書いていないし、そもそもインターネットにすらつながっていなかった。でも、あれ一冊で姫野カオルコの名前は忘れない感じ。

・・・・・・

 このところ忙しいのと、フォトショップタッチでグラビアをいじって遊んでいるのとで、書き漏らすことも多いのだが、横浜そごうでやってるトーベ・ヤンソン展には行った。

 ムーミンが世界的な人気を獲得するには、日本のテレビアニメが果たした役割もいくらかあったろうなと思ってみたりした。70年代、フィンランドのトーベ・ヤンソンという女性が書いている「ムーミン」ていうの、アニメにしてみようと思った人は偉いな。世界に窓を開いている風通しのよい感じが。

 初日に行って混雑に挫折したことは書いたけど、横浜そごうはムーミングッズでいっぱいだった。美術館は六階なんだけれど、五階にも三階にもショップがあった。

 ホーローのマグカップがあったので買った。陶器のはいくつか持ってるんだけど、ホーローのは珍しい気がして。そうでもないのかもだけれど。

 ところで、映画『誰よりも狙われた男』のなかで、故フィリップ・シーモア・ホフマン演じるドイツのスパイは、なぜかムーミンのマグカップでコーヒーを飲んでいた。どういう演出意図だったんだろう?。体型が似てるからとか?。

 ムーミンの原画で驚いたのは、へたすると原画の方が文庫の挿絵より小さいの。はじめから‘ちいささ’が画家のイメージだったということだから。

 油絵では、1941年の「窓辺の女性」が私は好き。微妙な色の階調が知性的だし、明るくて希望を感じさせる。

・・・・・

 ブリジストン美術館の、ウィレム・デ・クーニング展にも出掛けた。デ・クーニングは初見だし数も少ないし、そんなにぴんと来なかったけど、むしろ、他の部屋に展示されていたピエール・スーラージュの「絵画2007年3月26日」がよかった。

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/collection/works/180/

 白髪一雄もよかった。どちらも新しく収蔵された作品だそうだ。

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