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2014-09-26 『徘徊タクシー』

knockeye2014-09-26
徘徊タクシー

徘徊タクシー

 『徘徊タクシー』という小説(著者 坂口恭平)を読んだ。

 題名がいいです。「失恋レストラン」(唄 清水健太郎)みたいな感じだけど、それよりさらによい。印象に残る。

 祖父さんの葬式で熊本に帰った主人公が、ぼけた曾祖母の徘徊につきあってみて、世の中のぼけ老人の徘徊には、実は何か隠された意味があるんじゃないかと、コペルニクス的思い付きをする。

 徘徊老人の足代わりに車を運転して、彼らの生きたいところにとことんつきあってみたら、知らない現実が見えるんじゃないか、私たちの知らない、彼だけの現実があるんじゃないか。

 こういう発想を小説にした時点で、○だと思います。

 でも、全体としては現実逃避で終わってると思う。現実逃避そのものは否定しないけど、逃避の仕方が甘い感じ。もうちょっとでかい迷路を期待していたのに、すぐに外に出ちゃった感じ。

 だから、むしろ印象に残るのは、祖父さんの葬式をめぐるエピソードだったり、徘徊タクシーの提灯を作ってくれる、へんなくず鉄屋さんだったりする。

 まあでも、考え直してみれば、ファウスト博士とメフィストフェレスみたいなものを期待している私の方が現実逃避したがってるのかもな。

 ところで、小林信彦の『悪魔の下回り』っていう『ファウスト』のパロディがあるのだけれど、やっぱりあれはあれでたいしたものだったな。

悪魔の下回り

悪魔の下回り

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2014-09-24 中澤弘光展

knockeye2014-09-24

 横浜そごう美術館でやっている中澤弘光展に、これは初日に出掛けた。

 なんか今年のお盆休みに実家に帰って、鑑定団を観ていたら、この人の「潮風」という絵が‘発掘’されてた。

 ちょっとタイミングよすぎる感じではあるんだが、それはそれとして、いい絵だなと思ったんで、観にいこうと思ってた。

 ごく若い頃から絵はうまいが、この展覧会の中で、いちばん目を惹くのは、1926年、52歳の時に描いた「花下月影」だろうと思う。

 西行法師の「願わくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」から構想した、という話だが、だとしたら、「お見立て」というやつだろう。色っぽすぎる。

 私が改めて考えるのは、大正15年に、日本の画家がこのくらい思いっきり耽美的でありえたという事実で、なんでこの15年後くらいにクソみたいな戦争に突き進んでいったのかっていうのが、まったく不思議。

 たぶん、軍部に予算使わせすぎだったんだろう。天皇の統帥権をたてに、好き放題カネをつぎ込んだ結果、あほな戦争をせなならんことになったんだろう、あほだから。

 その視点でいうと、税金の使い道をコントロールするのが、政治のいちばんの役割だと思うし、近年、それができていたのは、竹中平蔵だけだったと思うので、その意味で、わたしはあの人の政治姿勢を評価している。

 話がそれたついでにさらに続けると、本来、マスコミの役目も税金の使い道を監視することであるはずで、「格差社会」とか、「政治とカネ」とか、中身のない言葉で大衆を扇動することではないはずなんだけど、おそらく新聞記者などという賤業を志す薄汚い連中は、大衆扇動中毒みたいなやつらばっかりで、とにかく扇動的なことが書きたくてしょうがないのだろう。

 それで、ちょっと実地調査をすれば嘘だと分かるデマでも、扇情的なネタでありさえすれば、よだれを垂らしてむしゃぶりつくのだろう。

 そんなでたらめを32年間も放置しといて、「歴史的事実は変わらない」って、ふざけたことぬかしてんじゃねぇぞ。

 虚偽報道を認めながら謝罪もしないで、批判が激しくなると、「最近の朝日新聞バッシングは異常だ」とか。高遠菜穂子さんや河野義行さんをはじめ、いままで、どれだけ個人攻撃してきたんだよ。

 現にこないだも、リケンの何とかいう人、自殺に追い込んでるじゃないか。それが、マスコミのいつものやり方なのに、それが自分に向いたら「ひどすぎる」って、ホント、おれ、20年前に新聞読むのやめてよかったぁ。

 で、話を中澤弘光にもどすと、この人は、日本画家の土田麦僊と並んで、洋画での「舞妓の画家」として有名だったらしいが、土田麦僊の舞妓なんかより、中澤弘光のほうがはるかによい。

 土田麦僊は甲斐庄楠音の絵をけちょんけちょんにけなして、画壇から抹殺した奴なんでおれはきらいだけど、それは抜きにしても、中澤弘光の方がよい。

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 「しげ子の顔」という絵があるんだけど、これがいい絵だ。しげ子という人の顔なんだろう。ただ、顔のアップなんだけど、すこし斜視ぎみで、船越桂の好みかというと、それよりも、耶蘇くささがなくて、その分、世の中を知っている感じがある。「無垢」とか「無我」とかご冗談でしょってかんじ。

 それで、そのあと、歩いて横浜美術館に行った。通りかかったという方が正しいか。横浜トリエンナーレがやってるのは知ってるし、森村泰昌がキュレーターなので、行くつもりなんだけど、もう少し涼しくなってからと思ってた。それに、その日はもう遅かったから、呼び込みの女の子にもそう言ったら、その日は(あれは三連休だったかな)、遅くまで開いてますっていうんで、横浜美術館の中だけでも、行きがけの駄賃ということもあるし、観ていくことにした。後日裏を返すということで。

 個々には面白いものもあったけど、正直言って、‘アート’は中澤弘光の絵より退屈だと思った。

 ‘ターン、ターン’ていう音がする部屋があって、真ん中が鏡になってる、片方の部屋はテニスコートみたい、だから、その音はラリーの音に聞こえる、鏡の裏に回ると、裁判所みたい、それで、その音は、裁判長の振り下ろす木槌の音に聞こえる、テニスのコート、裁判所、英語で‘コート’って、これダジャレじゃねえか。

 これが‘アート’っていうなら、退屈だわ。

 中澤弘光の絵は、テクニックとしては黒田清輝の流れだと思う。黒田清輝は何者だったんだろうと思い返してみると、実はよく知らない。

 浴衣とか団扇とか日本髪とか、和のものを油絵で描こうとするのは、川村清雄もそうだけど、実は、チャレンジングだったんじゃないかという風に思えてきて、中澤弘光の舞妓は、そういう意味での、ある到達ではなかったかなとも思える。

 でも、あれは面白かった、釜ヶ崎かどこかのアールブリュット風の作品群。中に、「ゴミの声が聞こえる」という書があって、感じ入った。アートはいまゴミの山なんだろうな。ゴミの山。

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 横浜トリエンナーレの今回のテーマ、「世界の中心に忘却の海がある」っていう、‘忘却の海’は言い換えれば‘ゴミの山’でしょう。

 ミュージアムショップにいったら、これが売ってた↓。

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 「よことり」・・・、また、ダジャレかい!って、思わず買ってしまいましたけどね。

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2014-09-20 ピエール・シャロー、ジョージ・ネルソン、磯崎新

knockeye2014-09-20

 ビエール・シャロー、ジョージ・ネルソン、磯崎新を、汐留ミュージアム、目黒区立美術館、ワタリウム美術館で。

 パリのサン・ギョーム通りに今も残る、ピエール・シャローのガラスの家は、古いアパルトマンを改築するに際して、住人が立ち退きを拒否した最上階を鉄骨で支えた結果、構造上の制約がなくなった外壁を、ガラスのブロックにしたのが外観の特徴だが、それだけでは、この家が伝説になることはなかった。

 「シャローの住宅は静的なものではない。この住宅は写真的ではない。映画的なのだ。それを味わうには、空間を回遊しなければならない」、ポール・ネルソンという人が、この家をそう評した。家を、動的で、映画的だと評する感覚は新しいと思う。

 もともと家具から建築へと進んだピエール・シャローが、暮らしのディテールから家の全体像を構築していると考えるのは無理のないことだろう。彼の代表的な作品が、独立した建築ではなく、改築物件だということにも何かしらの意味あいを感じさせる。第一次世界大戦後の世界で、暮らすとは、どういうことなのか、あるいは、どうあるべきなのかについての切実で具体的な思考が、結局、このガラスの家だった。彼の感心は、具体的な暮らしにあって、モノとしての家にはなかった。だからこそ、第一次世界大戦後の危機感を共有する、同時代の批評家たちに圧倒的に支持されながら、つい最近まで忘れられた存在であった。

 第一次世界大戦からまだ100年しか経っていない。ピエール・シャローが建築について考えたことの多くは、現代人の生活に直接につながっているように思う。特に、日本の今の、空き家率14パーセントにもかかわらず狭小住宅が乱立する状況は、個人と社会、都市生活と住宅、個人と家族、地方と中央、などのそれぞれの関係性について、ほぼ完全に思考停止に陥っているように見える。

 ピエール・シャローのキャリアが第一次世界大戦から大恐慌までとすると、第二次大戦後、ハーマンミラー社のデザインディレクターに就任してニューヨークに事務所を構えた、ジョージ・ネルソンは、パリとニューヨークの都市としての意味を考えても、きっかりひとつ後の時代のデザイナーということになりそうだ。

 マシュマロ・ソファは、そのあとたまたま観た「ケープタウン」という映画にも出てきた。白いヤツ。

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 ハワード・ミラー社と手掛けたクロックの数々も楽しかったけれど、この人の業績として最も興味深いのは、コーポレート・アイデンティティーという概念が、現実に企業の業績に大きく影響することを、ハーマンミラー社の成長によって実証したことだろう。佐藤可士和とユニクロの関係を、ちょっと思いださせるが、ジョージ・ネルソンの方がもっと深くコミットしている。何しろ、イームズ夫妻を招いたのも彼なのだ。

 なぜ私たちは、エクスペリアではなく、iPhoneをえらぶのか?、について、すでに、ジョージ・ネルソンが答えを出していたように見える。哲学のない企業は、社会に提供できる価値を持ちえない。カルロス・ゴーンには哲学があったが、ハワード・ストリンガーにはなかったとも言えるが、より正確には、カルロス・ゴーンと日産は、コーポレート・アイデンティティーを共有していたが、ハワード・ストリンガーは、ソニーと何物も共有しなかった。それは係長の朝礼のような話を得意げに語る、中谷巌についても言えることだろう。

 ワタリウム美術館磯崎新が、展覧会としては最も刺激的だ。というのも、展覧会のサブタイトルがすでに「建築外思考」。逆説的なようでいて、建築のことしか考えていないものに建築ができるはずもない。ピエール・シャローも、ジョージ・ネルソンも、それは同じだろう。

 私には、‘〈 間〉展 日本の時空間 1978’が興味深かった。

 日本の美意識を西洋の論理に翻訳し、そうして得られた仮説によって、日本の美を再生産する。マルチカルチャラルとは、本来そうあるべきだと思うが、こうした70年代が持っていたリベラルな空気を世界はいつの間に失ったのか?。痩せ細った純血主義に淀んでいるものたちの言論を聞いていると情けなくなる。

 その意味では確かに、第一次世界大戦後だとも言えるかもしれない。ピエール・シャローが始めた、古いアパルトマンの改築作業を、建築外思考として、私たちは引き継いでいくしかないのかもしれない。

 

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2014-09-18 日本人が愛した官窯青磁

knockeye2014-09-18

 サントリー美術館で、「ボヘミアン・グラス」、東京国立博物館で、「日本人が愛した官窯青磁」、東京国立近代美術館 工芸館で「青磁のいま」。

 ガラスと青磁の違いは、そのまま、西洋と東洋の違いかもしれない。

 そもそもガラスへの憧れから作られ始めた中国の磁器であるが、青磁の「秘色」とか「雨過天青」などという美しい青を発見してから、ガラスのことは忘れてしまったように見える。青磁の青は、ガラスを透かしてみる空の青色を、そのままたたえているように見える。

 青磁が、玉壺春のような、左右対称の完璧なフォルムを求めるのは、そういう虚構の空のような、うつろいゆくもの、不完全なものを閉じ込めようとする、呪術めいた思いなのかもしれない。

 サントリー美術館ボヘミアン・グラスは、閉館まで一時間しかない、あわただしい時間にすべりこんだのだが、思ったより展示品が充実していて、もう少し余裕を持ってくればよかったと後悔した。

 一般に、東洋の文化と西洋の文化を比較して、東洋は、非対称なもの、不完全なものを志向するのに対して、西洋はシンメトリーなもの、完全なものを志向するといわれることがあるが、ボヘミアのガラスたちを観ていると、そこは曖昧になっていく気がする。

 というのは、ガラスそのものが、そもそも不完全さを内在しているのだし、透明であることは、そこに注がれる液体によって、常に姿を変えることを意味している。

 素材のあやうさが、フォルムの完全さを求めたといえるかもしれない。

 日本においての青磁のありようは、言葉のありようでもある。たとえば、「砧青磁」とは、何かと言ったとき、その語源も含めて正確に答えられる人はいないらしい。しかし、「砧青磁」は現に存在している。

 たとえば「修内司」という言葉がある。南宋官窯の最上位の窯らしいが、まだ、窯址の特定にはいたらないらしい。それでも、日本では「修内司」と伝来してきた青磁がある。

 それは、たとえば、「井戸」とか「三島」とかと同じように、私たちの国の美の伝統の中に、生きてきた青磁として、そうした呼称がある。面白いのは、そうした伝統的な分類と、考古学的な分類が、ずれているのは当たり前としても、あんがい、微妙に重なっていたりすることだろう。

 それから、今回初めて知って驚いたのは、米色青磁と呼ばれる青磁は世界に4つしかなく、そのすべてが日本にあるそうなのだ。「米色」というこの呼称は、日本人が伝統的に呼び慣わしてきたものだが、青磁が「雨過天青」と空の青であるならば、この黄褐色の青磁は、たしかに稲穂の色でなければならないだろう。その感覚は、青磁の美しさを本質的に理解していると思う。

 東京国立近代美術館 工芸館の「青磁のいま」は、古い中国の青磁から、現代の作家までさまざまな青磁を展示している。宮川香山、板谷波山、宇野宗甕といった人たちはさすがだと思ったけれど、若い人の作品には、「青けりゃいいってもんじゃない。ポリバケツか」と、私なんかには思えるものもあったけど。

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2014-09-14 「そこのみにて光輝く」

knockeye2014-09-14

 アミュー厚木で「そこのみにて光輝く」がかかっているので観にいった。

 ロードショーでやっていたときも観にいこうかどうか迷ったのだけれど、自分のカンを信じ切れなかったこともあるけど、それより、テーマを考えると、はずしたときにあとにひきずりそうでびびったのである。

 佐藤泰志の小説では、これも映画になった『海炭市叙景』を読んだ。海炭市という、おそらくは、作家の故郷である函館をモデルにした地方都市を舞台にした、場所と時代だけを共有する短編集。

 短編集だから、未完という言い方は当たらないと思うのだが、ただ、作家がこの執筆中に自殺してしまったといういきさつがあり、身近だった人たちによると、年明けの事件から始まったこの連作短編集を、作家の意図は年の終わりで締めくくるつもりだったらしい。

 しかし、実際の作品は夏の初めで終わっている。その意味では未完と言えるのかもしれないけれど、それはなにか「死児の年を数える」といった心持ちなのかもしれない。

 映画版「海炭市叙景」も、DVDで借りて見始めたが、最初のエピソードがよくないと思った。

 事件は原作と同じなんだけど、私見では、あれは、妹がロープウェーの麓でじっと待っている、その長さが重要なので、そこを描かなきゃダメなんだと思う。

 「そこのみにて光輝く」は、原作をまだ読んでいないが、こうした密度の高い言葉の世界に、逃げも諦めもせずに、深く踏み込んでいった、呉美保監督の健闘を讃えずにおれない。

 たとえば、池脇千鶴を乗せた高橋和也の車が止まった後、しばらく、まるで静止画のように画面を動かさなかった、あの演出には、監督の覚悟のほどを感じた。

 役者も、主演の、綾野 剛、池脇千鶴をはじめ、菅田将暉高橋和也、伊佐山ひろ子、火野正平、全員すばらしい。

 時代が現代に置き換えられているけれど、佐藤泰志が自殺した1990年には、インターネットはおろか、携帯電話さえまだ普及していなかった。

 それから24年がすぎ、誰とでもつながれるようになった今の方が、言葉が空疎になり、届かなくなったように思える、とすれば、それはたぶん錯覚だが、この映画の、濃密で簡潔な生の言葉の世界は、たしかに失われた世界であるかのように見える。それは、この映画の力だろう。

 ところで、函館は美しい町という印象は、たしかに個人的な記憶にも残っている。といっても、私が北海道をバイクで旅したころは、それももう前世紀のことになるのだけれど、短い夏が終わる頃の函館の朝早く、海沿いの道を延々と走った、あのときの空と海の色が、私にとっての函館だが、今も変わっていなければいいがなと思う。

海炭市叙景 (小学館文庫)

海炭市叙景 (小学館文庫)

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