『イラクサ』『上岡龍太郎 話芸一代』

knockeye2013-11-14

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

イラクサ (新潮クレスト・ブックス)

上岡龍太郎 話芸一代

上岡龍太郎 話芸一代

 アリス・マンローの『イラクサ』、戸田学の『上岡龍太郎 話芸一代』、ほぼ何の脈絡もない二冊を読んだところ。
 アリス・マンローの方は、ノーベル文学賞受賞のタイミングで、Amazonにいたので買った短編集。
 ノーベル文学賞ってどう選ぶのか知らないけど、渋い選択だな。芥川賞の場合は、受賞作そのものより、文藝春秋の選評を読むのが面白かったりする。小林信彦の『悪魔の下回り』なんかは、文学賞選考の舞台裏を題材にした面白い小説だったりするけど、ノーベル賞は選んだ人の顔が見えないのがものたりないか。
 冒頭の短編は、この本が邦訳された2006年時点では、ジュリアン・ムーアが権利を手に入れて映画化を企画していたみたいだけれど、検索してみると、どうやら、去年、別の人が映画化したみたい。私は、日本で映画化するなら、大久保さんかなと思った。オアシスの大久保さん。
 この冒頭の短編だけ、ちょっとコミカルで、ウエルメイドな感じがして、他の短編とは味わいが違うように感じる。
 次の「浮橋」は、読後にイメージが印象を残す作品。この並べ方は、あえて意識してこういう風にしているのかもしれない。つまり、これから、アリス・マンローの世界に入っていきますよ、っていう前座みたいな感じで。
 わたしの好みは「なぐさめ」。面白いウソをつく作家と、ウソなんかよりホントの方がずっと面白いという作家がいるとすれば、アリス・マンローはおそらく後者で、それが「なぐさめ」によくあらわれていると思う。
 でも、そういうことより、私が個人的に宗教をめぐるこういう話が好きだということだけかもしれない。このブログで正宗白鳥国木田独歩について書いたけれど、明治の知識人たちが、キリスト教という、とつ然目の前に突きつけられたテーマに対してどれほど真摯だったかと思う。おそらく、彼らがこの小説を読んだら呆気にとられると思う。
 結局のところ、儒教と仏教の文化と、キリスト教の文化を隔てる大海原を、泳いで渡ろうとした彼らの勇気こそ称賛されるべきであって、キリスト教にせよ、他の宗教にせよ、ひとつの宗教にこころを委ねきることは、簡単なことでもあるし、多くの場合はこころを豊かにはしない。
 この短編集の後、小竹由美子というこの同じ人の翻訳で『小説のように』、『林檎の木の下で』も刊行されている。
 それから、今年、村上春樹が出した翻訳短編集『恋しくて - TEN SELECTED LOVE STORIES』の中にも、アリス・マンローの一作が収録されている。
 戸田学の『上岡龍太郎 話芸一代』の方は、とつ然どうしたの?っていう感じでもあるが、なつかしくもある。
 考えてみると、上岡龍太郎みたいに、テレビで活躍した芸能人の‘芸’について、ちゃんとした批評が確立していないことは不幸なことだ。小林信彦の『日本の喜劇人』という名著はあるけれど、あれは、70年代まで、ぎりぎりビートたけしまでだし、それ以降は、テレビの芸能人は、しょうもないゴシップ番組のネタにされるか、売文稼業の食い扶持になるか、以外のことで公の場で評価されることがない。それはテレビの貧しさそのものかもしれない。