「素敵なダイナマイトスキャンダル」

 この映画は、監督の冨永昌敬による持ち込み企画なんだそうだ。末井昭って人の同名の自伝的エッセーを原作にしている。
 「ダイナマイトスキャンダル」ってのは、ダブルミーニングっていうのもおかしいが、比喩ではなく文字通りの意味で、子供の頃、母親が隣家の息子と関係を持った揚句に、父親が山の仕事で使っていたダイナマイトを使って心中したっていう経歴を持つ主人公で、「母はダイナマイトで自分を都会まで吹き飛ばしてくれたのかも」と述懐したりする。
 母親のその派手な心中が、主人公の運命を変えたことは間違いないが、その後の主人公を見ていると、どちらかというと、主人公が周りの人たちを巻き込んでいったように見える。
 主人公の末井昭って人が、もし何かだったとしたら、その何かは、作家みたいにひとりで紡ぎ出した何かではなく、むしろ、そんなひとりひとりの人たちを、いっしょくたに巻き込んでいく、そういう何かだった気がする。
 その価値には、いったん気がつきにくい。作家の価値ではなく、編集者の価値には。菊地成孔か演じている、「写真家の荒木さん」が、女の子を脱がす時に口にする「ゲージュツ」は、確かに芸術かもしれないし、末井昭が怪しげな雑誌を発刊しなくても、その芸術はどこかで生まれたかもしれないのだけれど、しかし、事実として、その「ゲージュツ」が生まれたのは、その現場に違いなかったのだし、その現場に、荒木さんだけでなく、いろんな人たちが巻き込まれていった。主人公がそういう場を作ったというより、彼自身も巻き込まれていった共同作業に見える。
 それを時代の空気といえば確かにそうも言えるだろうけれど、それは冨永昌敬監督の演出によるところも大きい。街の若々しい暗さだったり、メガネが曇っていたり、なぜか怪我してたり。
 巻き込まれていくのは男たちだけでなく女たちもそうで、この映画を魅力的にしているのは、個性的な女優さんたちであるのはもちろんだ。
 母親の尾野真千子、奥さんの前田敦子、不倫相手の三浦透子、キャバ嬢の木嶋のりこ。特に、不倫相手の笛子を演じた三浦透子は圧巻だった。行動型の主人公の熱意に惹かれていく、受け身の恋のもの狂わしさ。これは脚本も見事だった。
 圧巻で思い出したけど、主演の柄本佑は、原作者の末井昭に「他人とは思えない」と言われたそう。「おかしな男 渥美清」のドラマで主演を演じた時も原作者の小林信彦が褒めていた。
f:id:knockeye:20180325063710j:plain

政権からの圧力があれば官僚に責任はないのか?

 f:id:knockeye:20180326205119j:plain
 中曽根政権、橋本政権、小泉政権、戦後日本の政治史は、自民党と官僚組織の分捕り合戦にすぎない。
 自民党の政治家なんてみんな世襲みたいなもんだし、官僚組織は組織自体が特殊な生命体みたいなもんだし、どっちをとっても日本に民主主義なんて存在したことはない。
 しかし、官僚支配を野放しにしておく危険については、第二次世界大戦の結果が教えているはずだが、それについても、「天皇の戦争責任」みたいなことを言うと、いかにも進歩的には響くらしいのだが、明治維新のそもそもから、天皇に実質的な権力なんてないことは言うまでもない。
 というより、明治の元勲たちが、実際はない天皇の権力を、さもあるかのように偽ったことが、日本の官僚主義の構造を作ったとも言えるだろう。
 森友問題に関していえば、これは、財務官僚が国会に偽りの資料を提供した、国会に対する裏切りであり、民主主義国家の根幹を揺るがす大問題であるのだが、この問題の矛先が財務省ではなく、安倍政権に向かっているところが、官僚主義国家の不思議なところ。
 安倍政権が圧力をかけたに違いないというわけだが、それはそもそも推測にすぎないし、さらにいえば、たとえ政権から圧力がかかったとしても、国会に偽の資料を提供するようなことは、民主主義国家の官僚は断じてやってはならない。圧力があった、なかったは言い訳にならない。
 にもかかわらず、なにか、野党やマスコミの言い方を聞いていると、政権から圧力があったなら、仕方がない、圧力をかけた政権が悪い、みたいな論調のように聞こえる。
 個人的にはまったく奇異である。
 財務省の官僚が国会で「国会を愚弄しました」と発言しているのに、でも、政権の圧力があったんだったら、「責められないよね」みたいな空気なのは異常。
 「圧力があったから」は言い訳にならない。と、私なら思うところだが、野党とマスコミは「しょうがないよね」っていうスタンスで行くらしい。
 民主党が政権を握っていた時代、官僚に言いくるめられたのかどうか、経済財政諮問会議を廃止してしまった。官僚の思うツボだったのである。多分、前回の民主党政権の経験から、官僚は、「野党が使える」ってことを学習したのだと思う。一部の報道では「内閣人事局が諸悪の根源」みたいなアドバルーンを上げてみているようなので、狙いはここにあるようだ。
 加計問題の時は、文科省共産党にリークしたのである。今回のことでは、財務省立憲民主党を使って世論を誘導するつもりに見える。
 日本に政権交代を担える野党が存在しないことはとても残念だ。
 前回、これについて書いた時に触れたが、立憲民主党ポピュリズムに踊る烏合の衆ではなく、政権を担える国民政党になって欲しかった。
 デモの前でスピーチをして喝采を浴びるようなことにはならないで欲しかった。野党とマスコミには期待できないと考えないといけないようだ。
 案の定、第三者委員会は立ち上げず、問題を司法に丸投げするようである。これについては、前回書いたので今は触れない。