モネ それからの100年

 横浜美術館は、キュレーションが面白いし、常設展も充実していて、しかも撮影OKだし、ほぼ展示替えのたびに訪ねている。
 今回の「モネ それからの100年」も、もちろんいつものように訪ねたのですけれど、そんなにヒットする企画じゃないだろうと多寡をくくってた。ところが、けっこうなにぎわいで、美術館の人に「人が多いですね」と聞くと「お盆ですから」と。美術館って、お盆だと人が多くなる場所でしたかしらと思ったが、スタッフがそういうからにはそうなんでしょうな。思い返して見ると、わたくしお盆の時期にはここに来たことないのだ、帰阪しているからね。

 これは、モネの《ウォータールー橋》の連作のひとつ。
 モネは徹底的に色彩画家なんだと思う。こればかりは誰も否定しないだろう。なので、モネの絵こそ実物を見ないと写真では何もわからない。たとえば、上の絵でも、実物を見ると

こう見えるかもしれないし、

こう見えるかもしれない。

こうかも。
 モネの絵を観ていると、「墨の五彩」という言葉を思い出す。この微妙な色彩は、却って水墨画に近いと思う。
 西洋の風景画が風景を前にしているように描くのに対して、東洋の水墨画は風景の中にいるように描く。と、誰かが、確か、ピーター・ドラッカーが言ってた気がする。
 マルグリット・ユルスナールの短編集『東方奇譚』に「老絵師の行方」という短編がある。今まさに暴君に殺されようとする老絵師が、屏風に河を描くと、そこから水が溢れ出し、死んだ弟子が舟を漕いで迎えに来る。
 このモネの絵は、その話を思い出させる。そうなると、ジャポニズムというよりシノワズリなんだが、ただ、もしモネの絵を水墨画の技法になぞらえるなら、没骨法で、中国本国より日本で愛された牧谿に近いとも思える。
 モネもほかの印象派の画家たちと同じように、浮世絵から構図を採ったりしているが、個人的に、モネは水墨画との近しさを感じるのだけれど。晩年の、まるで抽象画のような睡蓮までそう感じる。

 常設展に、山村耕花の《謡曲幻想 隅田川 田村》が出てました。

これは一見の価値ありだと思うんです。山村耕花は、新版画にも作品を残しているし、


もっと評価されてほしいなと思います。

非伝統的電源政策

 Twitterで、反原発派と原発再稼働派が罵り合ってる。

 そうこうするうちに99%の停電が解消したそうだ。

 原発再稼働をいう堀江貴文さんは、福島第二原発の事故の時、まだ長野の刑務所にいたので、あの時の切迫した感じを理解していないんだと思う。

 原発について個人的におもうことは、「現に」事故が起きた。のだから、原発を再稼働すべきではない。

 一行の文章で片付けてしまって恐縮だが、これだけのことだと思う。福島第二原発の事故の責任を誰かが取ったか?。「想定外」で責任が取れないなら原発を動かすなどとは言えないはず。違います?。

 あの時、菅直人が提案していたように、何百万戸の単位で、ソーラーパネルを無料配布し、電源のインターネット化を図るのは、よいアイデアだったと思う、小沢一郎に潰されてしまったが。

 電気というインフラは、道路以上にベーシックなインフラになっている。全く外に出ない日はあるけど、電気を使わない日はない。だとしたら、これはもう公的機関で、利潤追求を離れた形で提供すべく、制度を変更していくべき時期なのかもしれない。東京電力は、事実上、政府の管轄に置かれているのだし。電気が民間会社で運営されていたのは、電気の使用が特権的だった時代の残滓にすぎないと思う。

 そして、不慮の事故に対処するためには、電気のインターネット化、言い換えれば、管理に人手がかかる大規模な発電所を数カ所もうけるのではなく、管理の簡単な小規模発電を無数につなぐことで、致命的な被害は常に回避できるはず。

 1995年の阪神淡路大震災以来、自然災害が連続しているのだから、そうした「非伝統的電源政策」が検討されるべきだろう。

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