よがあけて

2018-06-07

2年前には、こんなことを書いていた。

16:15

2年前には、こんなことを書いていた。

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最近、公の施設で働き始めた友人からの話。

調理の仕事らしいのだが、庭のプランターのパセリを彩りに載せようとしたと。

すると、「このようなものを食卓に出すのは、衛生上如何なものかと。何かあったときの責任の所在はどうなさるの?」と言われたそうだ。

彼にとっては、晴天の霹靂だった。

庭に植えられているパセリを採って、皿に盛ることで一体何が起ころうというのか?

そもそもこれ以上安全安心新鮮なパセリはスーパーにはない。

僕は、老人福祉施設で働いていたので、この手の話には事欠かない。

餅つきの際のビニール手袋、まな板の執拗な消毒・・・。

「何かあったらいけないから」という理由で行われる消毒という名目のケミカルの毒撒き。

最近、「人が握ったおむすびが食べられない人が増えた」という話を耳にするが、あぁこういうことなんだろうなと納得した。

こういうシステムから生み出される加工品ばかり食べさせられる人たち、例えば施設入所者はたまったもんではない。

生ものは禁止。

差し入れも禁止。

野菜はすべて加熱処理。

人の体に必要な酵素みたいな、フレッシュなもんは失われるような気がする。

もうかなり昔のことだから時効ってことで、

老人ホームの夜勤の仕事をしていたとき、仲の良いばあさんには差し入れをしていた。

ブリの刺身、焼き鳥、ワンカップの焼酎が彼女の好み。

「ブリの刺身、天然はじぇったいダメよ。脂が乗ってない。養殖にしてちょうだい。それから焼酎はダイヤ焼酎。湯呑にお湯を入れて、割るから。」

廊下から見えないようにカーテンを閉めて、ベッドの上に胡坐をかき、ブリの刺身を口に入れ、熱い湯割りの焼酎をぐいっと。

「あぁ、盆と正月が一遍に来たごたる。」

目を細めて真っすぐに伸びない指で手を合わせる彼女の顔は忘れられない。

ルールはルールだし、確実に違反なのだが、施設を辞めた後も彼女からはよく電話が掛かってきていた。

小声で、「ブリの刺身が食べたいんじゃけど・・・」

体調が悪くなると、電話が掛かってくる。

彼女のセルフケアの信念は、ブリの油脂分を摂取すると体力が回復するというものだった。

島で生まれ、漁師の家で育ち、旅館で働き、魚屋を営んでいた彼女の信念をプラセボ効果だと誰が言えるか。

施設の部屋に上がるエレベーターに乗ると、「面会の皆様へ、食中毒ノロウィルス感染予防の為、年間を通じて生物の差し入れはご遠慮頂いております」と。

血縁のない彼女には面会の数も少なく、僕は家族になった気持ちでブリを持って行った。

食べたいものを食べるということは、幸福を追求する権利の中でも最も身近なことに他ならない。

耐震基準を満たしていないからという理由で問答無用で解体されるもう少しで伝統的建造物になりそうな建物に似ている。

工場で作られて企業が責任を持つといっている物の方が僕にはよっぽど怪しくみえるのだけど、せめて庭のパセリくらいは許してくれてもいいんじゃないか?

安全安心といって責任を回避できるメリットを享受する自己保身の後ろで、「あぁ、盆と正月が一遍に来たごたる」という笑顔をみることができる幸せの共感を見逃している。

単純に、食いたいものを食わせればいいということを言っているわけではなくて、もう少し自分と同じ感覚で、自分のことのように議論があってもいいのではないかと思う。

介護職に在職中、今日はサンマを焼こう!と炭と七輪を用意して出勤した。

サプライズこそ、社会福祉という枠の中の老人施設の繰り返しの日々には楽しいと思った。

想像はしていたが、相当怒られた。

きちんと計画書を事前に提出して、予算を決めて、承認を得ないといけないと諭された。

医務の看護婦さんに「ご自宅でもまな板にアルコール散布します?」と尋ねたが、そんなことは関係ないと。

その日は、もう仕方がないからと火災警報器を止めて、バンバン秋刀魚を焼いた。

火を点すところから、年寄りは大喜びだった。

それはそうだろう。火吹き竹で火おこしをしてもらったのだ。

ケース記録のファイルに「魚が嫌い」と書かれ、提供される食事には代替の肉がいつも出される100歳のばあさんが、それこそ猫も跨ぐほどきれいに食べていた。

あのままだと、彼女はあの後、一生を通じて魚を口にすることはなかった。

おそらくあのサンマが彼女が食べた最後の魚だったことだろう。

東北で福島原発が爆発して、魚を食べることが不安になる時代のずっとずっと前の話ではあるのだが。

2018-05-24

YAMAHA ウクレレ No.60A No.60C

06:59

記憶にないくらい昔から身近に転がっていたウクレレ

楽器ではなくオモチャみたいな認識で、弦が切れたままのオブジェだった。

2年前に、ろくろうさんが来てくれたときに、弦を張り直し、サドルとブリッジをその辺りにあるもんで再生してくれた。

あ、これって飾りじゃなくて、楽器だったんだ。

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裏面には、「昭和42年長崎丸遠航」と彫ってある。

旅するウクレレ

ヤフオクで同じ年代のものを探してみたら、時々出てくる。

3000円前後で、落札できるので面白がって集めてみたら、それぞれ素性が違って面白い。

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人に言わせると、この木のペグが良いらしい。

そのノスタルジーも分かるが、如何せんチューニングが難しいし、弾きながら音が変わってきさえする。

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そこで、

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下駄屋さんだった祖父の鼻緒を立てる道具があったのを思い出し、

グローバーのギアペグに

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表板もこの際、ウレタン塗装を施し、50年前のYAMAHA No.60A は、再生したのでした。

父親ウクレレを、祖父の道具で再生させたぞ、ワッハハハ!

と、一人悦に浸る日々ですわ。

jl6paljl6pal 2018/05/30 20:13 再生してくれてありがとう!YTのプラシールも残ってるし、うれしい限り
長崎大学ハワイアンクラブ、「コーラルアイランダーズ」のメンバーで経済学部の「井上さん=同じ下宿で二つ上級生」から頂いた訳ありの逸品です。

knockout13knockout13 2018/06/06 05:34 ええ音、するで。