普通に生きる

 気象庁が言うには、11月も下旬を迎えようやく平年並みの寒さとなったらしい。私は10月下旬から寒く感じて、それ以降暖房器具のお世話になりっぱなし。今夏があまりに暑すぎたせいか、普通より暖かい秋でも、それなりに寒く感じていたのかもしれない。表の数字よりもギャップの大小で感覚はずいぶん変わる。

 ところで「普通」とは何だろう? ごく当たり前に普通という言葉を多様する私たちだが、普通を定義するのは非常に難しく、それは単に平均でないことは確か。それはまた、多数派という意味でももちろんない。

 あえて「普通」を定義するなら、例えば人に対して「一人ひとりの個性は違うのだから、違うことを互いが認め合い、そして同じ地平に立つ」こと、それが普通の意味だと思う。すなわち普通とは「違うけど同じ」、矛盾しない。

 今朝もいつものように河川敷を散歩。川面を眺めながら双眼鏡でバードウォッチングする。穏やかな自然の光景は平和そのもの。しかし、野鳥たちの周囲を眺めると、そこは厳しい生存競争の世界。いつ食べられるか分からない魚はオチオチ泳いでいられないし、暖かい季節では野鳥の卵や雛はヘビに呑まれることなど日常茶飯事。上空に目をやればトンビとカラスが激しい縄張り争いを繰り広げてる。

 生きてゆくのは大変だ。生きてるだけで拍手を送りたい。でもやっぱり朝のひと時、のんびり河川敷を散歩してるとホッとする。今日一日、私も何とか生き延びなければ。私も皆さんと同じ普通の人間なのだ。

 私のような平々凡々な人間でも何とかここまで生きてこられた。見かけ上何の取り柄もなく、若い頃から今日まで存在感がじつに薄かった私。そんな私でも自慢できることはある。なんと二つもある。

 一つは今まで借金したことがなかったということ。ずっと貧乏だったが他人や金融機関からカネを借りたことはなく、だから慎ましくも比較的穏やかな生活を送ることができた。もう一つはほとんど薬を飲んだことがないということ。水虫や他の発疹など塗り薬を試すことは今でもあるが、錠剤の薬のお世話になったことはまずなく、自分の身体の健康に感謝したい。しかし「百薬の長(酒)」はしょっちゅう飲んでるけどね。