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廃校図書館、3099年夜 このページをアンテナに追加

2013-10-13

日記


私は私を解消したくて、その為に「自殺」と言う言葉を曖昧にする。
私は白い部屋で白い存在として、私の区画に言葉の浮遊感だけを浮遊させていたい。それが、本来的な生と撞着することを望みながら。現状は可変的。可変は目を瞑っていても紡ぎ出される、淡く確固とした現状。軽い。私は、ここにいる。目を瞑っている。眠ってもいない。起きてもいない。しかし、私は生きている。透明で苦く、騒々しい静けさ。私の骨の奥から、目の奥から、視界の外から、降ってくる音。音の坩堝の中心で、静か。私の生は、とても静か。時間。過去も、未来もない。それは光の言い換え。時間とは、過去も未来も。光の言い換え。私の皮膚は泡立っている。くすぐったい。くすぐったく、私は時の流れ。私は時間。

何もかもが片付いていく。私は存在。

私は私の書き留めた詩の中で、私がいなくなることを心地いいと思う。眠りは、瞑想に近くなる。

詩が、言葉が、誰にとっても、なるで、何でもない言葉であるならいいな。ただ、私は書く。そして、私は、私が書いたことなども忘れて、眠りたいと思う。そこには厭世観もなく、主張もない、そんな詩が、私の理想。

ただ、静かな眠りの訪れ。それを私は望んでいる。それだけを私は望んでいる。でもそれが私が望むことの全てでは、本当はない。

私は、ただそう、生きていたいのだ。死との対比ではなく。ただ、生きていたいのだ。


2(10月10日)、
煙草を三本吸って、シャワーを浴びて、それから恋人と電話をしたら、体温が三度くらい上がった気がした。しかも異様なくらい落ち着いていて、視点も焦点もぶれないような熱さ。昨日も今日も、母親と恋人相手に、喋り通しに(と言うほどでもないかも知れないけれど、とにかく喋っている数時間の間は)喋って、死にたくて衰弱なんかしている自分が、何だか悔しいような気がしてきて、昨日病院に行って希死念慮があるとか、もしかしたら「欝ではないと思うんですけれど、もしかしたら鬱なのかも知れません。でも多分、いつもの通り、すぐ大丈夫になるんです。そう……大丈夫、大丈夫」と変に笑いながら医者に挙動不審な態度を取っていたら、あとで医者から母に電話がかかってきて、何を話していたのか分からないけれど、多分医者も母も戸惑っていて「ええ、でもどう対応したらいいか私にも分からなくて…」と電話で母が応対していたのを、僕は病院帰りにコンビニで買ってきた巻き寿司を食べながら、聞いていて、電話が終わって、僕は巻き寿司を食べ終えてから、母相手に「不幸には解決なんてないんだよ。肩こりと同じだよ。肩が痛いからって、肩こりに拘って揉んだり叩いたり、痛み止めを飲んだって、解決しないのと同じだよ。肩こりの解決は、肩こりが解消して肩こりのことを忘れてしまうことで、そのときにはもう問題でさえなくなっているんだよ。それと同じ。問題は僕が僕の不幸に拘っていて、それは精神的な問題にはありがちなことなんだけど、眠れないとか死にたいとか言うのを薬でどうにかしたって、実際のところ大して意味はないんだ。ただ不幸ぶることから離れて、いつの間にか幸福になっているような解決、つまり問題の解消しかないんだ。だから、僕は眠るしかないし、まあ、眠れなくてもその内にまた、いつの間にか当たり前に生きられるようになるよ。いつだってそうなんだから。ただ、自殺の心配をしているなら、それはつまり、僕にとっても心配ではあるんだけど、本人の自殺企図と、他人のそれは違う意味合いを持つよね。僕は今とても疲れている。疲れていると、いくら他人に言っても埒が明かない。何とか死なないようにしようとは思うけれど、夜、首を吊りたくなるのはどうしようもない。でも、何とか死なないようにするよ」と、周りのひとが心配してくれると、僕の方は逆に、妙に楽観的になってしまうような、そんな心配することではないんだ、って、急いで死にたさを誤魔化したくなるような、いいのか悪いのかよく分からない癖で、喋ったあと、喋ったからか、本当に自殺したい気があまりなくなってしまった。そのあとで、何故か母が昔の話を始めた。どういう文脈でそうなったのかは忘れたけれど、母が若い頃の話を二時間くらい聞いていた。


二日経った。何がどうあっても構わない。それが僕のことならば。僕はもうどうなっても構わないな。苦しいのは嫌だけれど、苦しいのに怯えることはやめられるし、苦しくなるなら仕方ない、と思えるときは、……

音楽を聴いて、なめらかな振動に身体をゆだねていられる。

4(10月13日)、
相変わらずの希死念慮だ。参ったと言えば参った。昨日友人が来て、折り悪く僕は薬を飲み過ぎてふらふらだったので、友人は僕を見て「薬なんかやめればいいのに」と言ったあとでまるで自分が言ったことが無神経だったことを急いで弁解するみたいに「でも環境がな、そう、ここは静かだけど静かじゃないと君が言うのも分かる。俺らはカラハリ砂漠に行って、ヒエロニムスみたいに暮らすべきかもなあ」とかそういうことを言った。僕はたまたま新約聖書を読んでいて、「何で同じキリストについての逸話が繰り返されるんだろう。般若心経みたいに数ページくらいに簡約できるんじゃないか?」とかくだらないことを言って、友人は「ペーパーバックくらいの分厚さがアメリカ人には受けがいいんだよ……ああ、別にアメリカに限ったことじゃないけど……この頃の小説だってあらすじだけで十分なのが殆どじゃない?」と適当に答えていた。

友人がベッドに腰掛けてコーヒーを飲んでいる間、僕は書きかけていた小説を切りやめて、話しながら短歌をいくつか書いた。「クリアする」っていうタイトルは、ブログの文章のバックアップを消すときに(少し書いていたのを消したので)「クリアする」というアイコン(って言うのかな?)をクリックするので、それをそのままタイトルにした。短歌を書いていて、いや、書き終えたあとに、いつも「短歌は嫌いだ」と思う。けれど、短歌を書くときには、詩を書くとき以上の、極めてゲーム的な快い集中、言葉に対する張り詰めた、何というか頭の中の言語回路の熱を感じる。それだけは好きだ。けれど、書いたものに対しては、あまり愛着がないし、つまりそれは単純に「書けるから書いた」という以上の何ものでもないし、短歌を書くことは詩を書くことよりも散文を書くことよりも楽しいのだけど、それは間違いなくそうなんだけど、しかも書いてみて、読み直して、結構面白い言葉だなあ、と自分でもたまに思ったりもするのだけど、でも、それは僕が書きたいことじゃない。それはやっぱり言葉遊びなんだ。そして僕は言葉遊びが、好きなんだ。暇つぶしに一番楽しいのは、パズルやアナグラムだし、何というのかな、変なことだとは思うんだけど、楽しいから、寧ろそのことによって「短歌はやだなあ」と思うんだ。ひねくれてるとは思うけれど。短歌は、本当に書こうと思えばいくらだって書ける。でも、書いたあとで、本当につまらない気分になるんだ。僕は「どうしても書きたいことがある」なんて言う、くだらないことに、もしかしたら馬鹿みたいに捕らわれているだけの、ただの馬鹿なのかも知れない。でも、書きたいことはあるんだ。読んで面白い、とても映像的だったり、感覚的だったり、ポップな詩だって、書けると思う。書けばいいのかも知れない。何を書いても、書きたいことじゃないんだ、こんなこと、って、嫌になってしまう。多分、僕は間違っている。でも、書きたくないんだ。僕は多分、遺書を書きたいんだと思う。でも、理想の遺書は、白紙の遺書なんだと思ってたりする。くだらないと思う。それこそ感傷的だと思う。

是が非でも死にたいのか、そうではないのか分からない。この頃、逃げ場所がないのです。昔は、そうでもなかった。簡単に自分の人生なんて、本当にどうでもいいと思えたし、本当に、何も書かずに、何も為さずに、生きてても死んでても、どっちでもいいと、本気で思ってた。今は、何か、ブロックがかかっている。業が深くなっている。何か、僕は不平を持って生きている。昔の嫌悪感に加えて、何か、僕は憎悪さえ持って生きている、と感じる。その憎悪が、重く、苦しい。死にたい、とさえ思わないなら、生きることは、生きる気持ちなんて持っていなくても、ただ当たり前に、そう、当たり前に、死なないなら生きているだけで、笑って、絵なんかを描いて、それが下手でも、楽しくて、言葉も楽しくて、音楽も楽しくて、呼吸をすることの、その一呼吸ごとが嬉しかったりもして、そして、私は軽やかだった、と思う。辛くて、疲れてはいたと思うけれど。疲れていたのは、ずっとのことだったと思うけれど。多分、そう、怯えている。単純に、怯えている。生きてしまうことに、怯えている。生きていて、いつか誰からも、何も為さない僕に呆れられて、誰もかも僕から離れてしまうことを怯えている。孤独が怖いのは、孤独の充足を忘れたからだ。孤独に充足していられるなら、孤独であることが怖くないなら、誰とでも生身の自然さで、対人関係に恐怖を抱くことなんかない。何故、こうなってしまったのだろう。逃げ場所がない、と言うのは、自分自身が、自分に枷を着けてしまったのだ。僕は、予定では、(もちろん予定なんかと言うより、計画性の放棄なんだけど)、25歳には、もう生きていないだろう、とずっと思っていた。多分、僕の人生は、23歳で、一度終わっている。そして新しく始まった。そして、とてもそれは素晴らしいことだと思った。何なんだろう。一度目を瞑って、三十分くらい何も考えずにいよう。それから、思いつくままに何か書いてみよう。

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